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クモッグの町 ①

 野営地から半日ほど歩いた所、平原の地平線に建物の影が見えた。

 どこからともなく牛の鳴き声がするからもしやと思っていたから、ゼノはほっと胸をなでおろした。

「情報収集と、宿をとって少し休憩しよう。クロルも初めての旅にしては、ちょっとハードだっただろうし」

「これくらいなら大丈夫ですよ! お師匠さまとたまに実戦訓練したりしてたので!」

「そうなんだ。でもあまり無理しないようにね、疲れたらちゃんと休むのが一番だから」

「ありがとうございます」

 歩いているとやがて牛舎や、放牧されてる牛、それを世話する牛飼いの姿が見えてくる。

 建物が徐々に密集し始め、地面も整備されたレンガ造りに変わる。人の活気が増え、町の入り口らしいところへ差し掛かった。

 大きな門には扉はなく、今まさに馬車がそこを抜けて出ていく所だ。

「あ、クモッグですね。この町には月に一回ほど、お使いに来たりしてたので知ってますよ!」

 彼女が言うように、門には『クモッグ』と記されている。ゼノの記憶が正しければ、この大陸でもやや東北に位置する商業が盛んな町である。

 とはいえ、そう大きいものでもない。ただこの近隣に都市もなければ村も町もない為、旅人や観光者の補給地点といった役割が大きく、それ故に特化した発展をしたのだ。

 人の行き交いが多い為治安に関しては安心出来るものではないが、気をつけて生活していれば防げる程度のものだからそう心配するものでもない。

 何より、こう人が多い所なら情報も集まるというわけだ。

「ん……」

 クロルをよそに、ゼノは門を作っているレンガの一部が落書きされているのを見つける。特に言葉らしい言葉ではないが、雑な字体でサインらしいというのが辛うじて見て取れる。

「宿をとったら少し、神さまにお祈りでもしようか。旅の安全を祈ってね」

「ゼノさんは、なんの神さまを信仰してるんですか?」

「僕は無宗教だよ。母国は戦の神を祀ってるけどね」

「……ではなぜ?」

 門を超えると途端に雑踏に入った。馬車一台が通るのがやっとといった道幅に、両脇にはまずちょっとした食べ物や、果物を売っている店などが並ぶ。続くのは町の名産品や輸入品などを取り扱う雑貨屋や、衣類、武具などを扱うよろず屋がある。

 出来たてのパンの香りにゆらゆらと揺れるクロルを見て、ゼノは肩を叩いた。

「クロル、手」

「な、なんですかっ、人を犬みたいに」

 差し伸べる手に、照れ隠しのように噛み付きながらもクロルは手を重ねる。手はまもなく優しく握られ、

「なっ」

「人が多いし、疲れてると注意散漫になるからね。知らない土地で迷子になることほど心細い事はないだろう?」

「ま、迷子になるような年齢ではないですっ」

「リスクは出来るだけ減らす主義でね、僕のわがままだよ」

 思春期のささやかな反抗を突っ返すことなく受け止めたゼノは、遠目に見つけた宿に足を向けた。


 借りた一部屋に入るや、二人は大きく息を吐いて荷物を床におろした。対の長剣は立てかければ長身のゼノほどに長く、倒れそうだな、と思った彼は改めて床に寝かせる。荷物から適当に地図を取り出し、テーブルの上に置く。

 クロルは大きなリュックをどさりと降ろすと、そのまま脱力したように寝台に座り込んだ。ふう、と肩の力を抜いて、乱れた髪を軽く整える。

「なんでお部屋は一室だけなんですか……?」

 ふと湧いた疑問は、荷物の重さと溜まった疲労から解放されて生まれた余裕の為だった。

「あまり心配して欲しくないから黙っていたけど……僕の友人が『深淵の始祖』に狙われているように、僕自身も狙われていてもおかしくない。何と言っても、奴が妹にかけた呪術を解呪しようとしているんだしね」

「んー、それに関しては、なんとなくですけど……そんな事もあるんじゃないかなあと思ってました」

「だから、夜は少し離れようと思ってね。もちろん、君はここでゆっくり休んでて大丈夫だし、朝は迎えに来るから」

 それと、と言って外套を脱いだゼノは、さらに少し胸をはだけさせる。そんな姿に当惑するクロルをよそに、首に手を回して身につけていた首飾りを外して見せた。

 銀のチェーンに、吊るされるのは金細工の施されたロケット。ひし形のチャームには、彼の持つ剣と同様の紋様が刻まれていた。

「君に剣は重すぎるようだから、これを預かっていて貰いたいんだ」

 差し出される首飾りを、よくわからぬままにクロルは受け取る。ゼノの言葉は続いた。

「これは僕の家に伝わる長子のペンダントだよ。僕が王子である証であり、主に魔除けといった名目で授けられるもの……といっても特別な効果はないけどね」

「……だ、大丈夫なんですか? わたしがこんな大切なものを」

「僕にとっては大事なのは剣のほうだから、本当はそれを預かってて欲しいんだけどね」

「あと……夜は離れるって、町の外にですか? また魔物が出るかもしれないのに?」

「うん。まあ何も起こらなければ良いのが一番なんだけど、少しでも可能性があるなら回避できるものは回避したいから」

 そこまで言って、ゼノはようやくしつらえてある椅子に腰をかけた。

 じわり、と疲労が鈍い痛みを伴って抜けていくのがわかる。途端に全身が重くなる。

 クロルは慣れない旅で疲れている。だが同様に、クロルと出会うまで、そして現在に至るまでほとんど休息をとっていないゼノも疲弊しきっているのだ。

 幸い、まだ日は高い。教会に行くのにはまだ時間は早いだろう。

「ゼノさん……?」

 クロルが何か言っているし、少し腹も空いたが、それどころではなくなってきた。

 地図を見て予定を逆算しようと思っていたが、もう目が霞んできてしまった。

 重くなるまぶたに抗えず、ゼノはテーブルに頬杖をついたままゆっくりと深い眠りに落ちていった。


     ❖     ❖     ❖     ❖


 気がついたのは、妙に暖かく甘い良い香りにつられたからだった。

 眠っていたことを刹那に理解して心底恐怖する。びく、と身体を痙攣させるように弾ませてから顔をあげると、同時に身体にかかっていた薄い布団が床に落ちた。

「あ……起こしちゃいました?」

 窓から見える外の景色は、朱色だった。まさに日が沈もうとしている事を見るに、眠っていた時間はニ、三時間程度。

「くっ……ふぁ、良く寝たような、気がするよ」

 ひとまず何も起こっていない事に安堵して、大きくあくびをしながら身体を伸ばした。

 クロルはどうやら床に鉄の板を敷いて、その上で鍋を沸かしているようだった。甘い香りが彼女がそこで煮出している紅茶が原因のようだ。

「それはよかったです。寝覚めの紅茶、飲みますか?」

「頂くけど……火事にならない? 大丈夫かい、それ」

「だ、大丈夫ですよ。失敬ですね、この敷物を置くことで燃えないようにしてるんです」

「はは、ごめんごめん。術に関してはさっぱりだからさ」

 沸いたばかりの紅茶をコップに移してテーブルに置く。クロルは両手で包むようにコップを持ちながら、ゆっくりと寝台に腰掛けた。

 甘い香りだが、しつこい甘さではない。湯気から香るのは柑橘系のものだった。

 口に含むと、香りの割には存外にさっぱりとした味の紅茶だった。鼻腔を抜ける爽やかさが、寝起きの身体に優しい感じがした。

「染みる……あ、それ着けたんだ」

 ふうふうと紅茶を冷ますようにコップに息を吹きかけているクロルの胸元には、金色に輝く首飾りが下がっていた。いつ着替えたのか、暖かそうな白い毛糸で出来た服の上に良く映えていた。

 言われて、そうだと気づいたクロルは少し照れるようにはにかんだ。

「はい、リュックにしまっておくよりは良いかと思いまして」

 見られて恥ずかしいのか前かがみになるクロルはまた、その矮躯がさらに小さくなる。ゼノはほほえましくそれを見ながら、まだ熱い紅茶を一気に飲み干した。

 喉が火傷しそうだったが、まだくすぶっていた眠気が一気に醒める。同時に冷え始めていた身体が、途端に温まった。

「これ、中には何か入ってるんですか?」

 小さな身体にはたわやかな胸の上で落ち着く首飾りのチャームを指差して、クロルは首を傾げた。

 ゼノは短く息を吐きながら答える。

「中は空だよ。歴代の長子たちは恋人や家族からのお守りを入れてたみたいだけど」

「そういうものは貰わなかったんですか?」

「両方居ないからね」

「え? でもまだ国王はご存命では……」

「んー。まあ、それは追々話すよ。大したことじゃないんだけどね」

 ――ゼノ・ロステイトには欠陥がある。それ故他人と同然に育ち、軍に追いやられた。功績を立てなければ今頃事故扱いとして死んでいたことだろう。

 そんな話だから、ゼノは言葉を濁した。なんでも正直に話す気質だが、わざわざこんなつまらない話をする必要性も見いだせないし、クロルなら自分を棚に上げて気にしてしまうだろう。

 またゼノ自身、家族に関する話は好きではなかった。恐らく、それが説明を避けた一番の理由かもしれない。

「さて」

 手を叩いて、仕切り直しと言わんばかりに立ち上がる。

 既に窓の外は暗くなり始めていた。もう少し遅くなれば、お祈りの時間も終わり教会がしまってしまうだろう。

「少し散歩ついでに、お祈りでも済ませて来ようか」

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