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男人禁制の国アマズ・ハイネ

 左手側の空へ太陽が落ちていき、地平線に半分ほどが沈んだ頃。

 右手側――つまり東側の空が深い藍色から濃紺へと変わっていき、煌めく星空が徐々にその主張を強めていく。

 空の上を飛んでいるからか、手を伸ばせば届きそうなほど星が近い。吐く息はすっかり白く染まってしまうほど気温は低くなっていた。ゼノはアンジェリーナから借りた外套ごと、クロルを後ろから抱きしめていた。

 さながら仲の良い兄妹のような雰囲気さえあるが、寝息を立てているクロルと、頬と鼻先が痛いくらいに冷えてしまっている現状を鑑みればそんな余裕すらない。

 大海原はとっくの昔に過ぎ去っていて、今はちらほらと雪の影が落ちている大陸の上空を飛んでいる。

 既にいくつかの街を通り過ぎていて、遠くの方には雪が分厚く積もっている山岳が連なっているのが見えた。

「やっぱりさっきの街で泊まっておけばよかったね。もう夜だし、そろそろアマズと言えども夜更けに訪問しても困るだろうし」

「言っても仕方ないだろう。もっと早く到着する予定だったんだから」

「んー、途中の乱気流さえ無ければって感じだね」

「アレはな……海上は空気が乱れやすいから」

「ま、ともかく地上に降りよう」

 少し遠くに火の灯りが無数に灯っているのが見える。恐らくそれがアマズ・ハイネなのだろう。

 だが先程言ったように、ただでさえ男人禁制の国だ。男を含めた一行が夜頃に訪れるのはあまり良い印象を与えないだろう。

 ゼノの言葉に応じてアンジェリーナは首を下げて地上へゆっくり下降していく。

 向かう先は雪が薄く積もっている平原だ。木々は細く何本か散らばるように生えているが、その全ては葉をつけていない。もう春が訪れ、さらには過ぎていこうという季節だというのに、この土地はまだ冬の最中のようだ。

 少し遠くにある森でさえ、全て禿ている。そんなものも視覚的には寒々しさを助長させてしまう風景だった。

「アンジュ、お疲れ様。助かったよ」

「ふん、またそんな事を言ってるとクロルが勘違いをするぞ」

「……君はクロルをなんだと思って」

 ゼノがいつもの調子で返答していると、突如として竜の身体が勢いよく旋回した。

「なっ――」

 落ちそうになる身体が、また直後に勢いよく竜の背中に押し付けられる。グルグルと景色が回り、重力が様々な方向へと向かう。胸の中のクロルがそれに目覚めたが、理解できぬ状況と、同時に胸いっぱいに叩き込まれた恐怖によって言葉と動きを失っていた。

「アンジュ、どうした!?」

「矢が――地上に人がいる! わたしを狙っているようだ」

 彼女が叫ぶと同時に、翼の脇を抜けて黒く細い影が風のような速さで飛んでいくのが見えた。

 弓矢で狙われている。

 何故、いったい誰に。

「アマズの民か」

 呟くゼノの言葉に、アンジェリーナが大きく呼気を漏らして同調した。

「ああっ、そのようだ。理由はわからないが」

「あっ、アマズの人って、そんなに野蛮なのですか?」

「アマズは古くから狩猟民族として代表的な存在だ。敵とあらば対話するより攻撃して捕えるほうが早いと考えているのかもしれない」

 アマズ・ハイネ――北の大陸の西端の山岳地帯に居を構える国だ。その近くに国はおろか街すらなく、閉鎖的な環境に置かれている独立国でもある。

 ただここまで強引に、さらには空を飛ぶものにさえ引きずり降ろそうとするほどに蛮人であるとは聞かなかったが……。

 話している間にも、アンジェリーナの身体が空を縦横無尽に回避行動をとっている。いい加減目が回ってきそうになる所で、ゼノがアンジェリーナへ指示を出した。

「今は退こう、距離をとって――」

「――ダメだ」

 ゼノの声を遮って、アンジェリーナが落ち着いたように口を開く。

 彼女が見たものを、同時にゼノも見ていた。遠くから一斉に数十本の矢が発射され、宵闇の中に溶け込んでいくのを。

 そしてそれが、一瞬にして数百もの数に分裂したのを。

 それは恐らく魔術師の仕業なのだろう。この暗闇の中で空に浮かぶ巨体が目標ならば、彼女らの仕事はそう難しいことではない。そのうえで確実性を高めるために矢を増殖させたのだ。

 いくらアンジェリーナが竜の体を持ち堅い鱗を有しているからとはいえ、あれほどの数は防げない。それ以前にその背に乗るゼノら二人は、瞬く間に射殺されてしまうだろう。

 ――殺すつもりなのか。

 ゼノはようやく理解する。これは最早牽制の域を遥かに超えている。

 ならば。

「私に、任せて下さい」

 背の剣に手を伸ばした時、振り返ったクロルは真剣な眼差しをゼノに向けていた。

「ああ、頼む」

 その目を見て、小さく頷く。次いで、アンジェリーナに指示を飛ばした。

「アンジュ! 逃げ切れない、人の姿に戻ってくれないか!」

「人にだと……ちっ!」

 反論や、考える暇などない。彼女は短く舌を鳴らすと、即座にゼノの言葉に従った。

 途端に三人は高い上空から落下を開始する。それと同じくしてアンジェリーナの肢体は徐々に縮んでいき、鱗が消え、やがて無防備な裸身姿に戻っていった。

「だ、大丈夫だ……!」

 ゼノは胃の腑が浮かび上がる感覚を覚えながら、声を上ずらせながらアンジェリーナの腕を掴む。空中で彼女を引き寄せ、力任せに抱きしめた。背中には剣にクロルがしがみついていて、彼女は天へと手を掲げている。

 大地まではまだ遠い。だが考えている間にどんどん距離が縮まっていく。

 身体が落ちていく。恐怖と興奮に、まるで溺れているかのようにゼノは呼吸を短く繰り返していた。

「このまま落ちればぺしゃんこだな」

 小脇に抱えたアンジェリーナは冷静に言ったが、その状況を拒まず、またゼノの衣服を必死に握りしめているのを見るに、彼女も怖がっているというのがよくわかった。

「クロルを信じろ。それに……ここまで頑張ってくれた君を、傷つけさせない」

 遠くに見えていた矢の群れが徐々に近づいてくる。やがてそれが頭上にまで至り――また彼らの身体が、やがて地面に近づいた時、クロルは胸の奥から一気に空気を吐き出すようにして気合を入れた。

 その瞬間。

 ゼノの視界が、一瞬黒く塗りつぶされた。

 次の刹那、身体は突如として浮遊感を失い、いきなり出現した足元の堅い感触に困惑しながら、姿勢を維持することも出来ずに勢いよく地面へ叩きつけられる。

 だがその衝撃は彼が予想したものとは程遠く弱かった。程度で言えば、膝ほどの高さの段差から足を踏み外したような感覚。

「……いい加減、離してくれない?」

 少し照れたような声色で、アンジェリーナの言葉はすぐ目の前から放たれていた。

 ゼノはそこでようやく、未だ彼女を胸に力いっぱい抱きしめていた事に気づく。

「ご、ごめん」

 力を緩めて腕から解放する。彼女は嘆息しながら立ち上がり、空を見上げた。

 葉のつけていない木々の隙間に星空が見える。ここは森なのか、と考えた瞬間。

 少し遠くの方で、堅い何かが土砂降りのように連続して地面に叩きつけられる音がした。そんなものに不意を打たれて驚いた彼女は、びくっと身体を弾ませる。

 そうしてから同じく立ち上がるゼノを見て、それを誤魔化すようにして近くで膝に手を付き呼吸を乱すクロルへ目をやった。

「っ……でも、すごいわ。どう、やったの?」

「て、転移術を使いました。久しぶりでしたが……上手くいったようですね」

 言いながら、クロルは背負っていた荷物からアンジェリーナの衣類を取り出す。それを手渡しながら、彼女は続けた。

「アマズ・ハイネに用事があるなら、まだ争ってはいけない……と思います。あの人達は、別に私達だからって攻撃したわけじゃないんですよね?」

「たぶんね」

「争えば、ゼノさんの言った細い糸ですら掴めなくなります……まだ、見極めないと」

「そうだね、うん。ありがとうクロル」

 君がいなければ、命惜しさに力任せに行動していたかもしれない。そう続けて、ゼノはいつもの調子でクロルの頭を撫でてみせた。

 クロルは少しくすぐったそうに肩を縮こまらせて、はにかんだ。

「ま、それは良いんだけど」

 ゼノの後ろで、衣服を着用し終えたアンジェリーナが横にやってきた。

「これからどうするんだ」

 また彼女もいつもの調子に戻って、ぶっきらぼうにそう言った。

 白い袖なしの衣類に、外套。その下、下半身は腿まで深いスリットの入った白いスカートを履いていた。

「それなんですけど、私に一つ提案があります」

「なんだい?」

 クロルが胸に手を当てて、ゼノを見る。ゼノが促すと、彼女は意を決するかのように少し間を開けてから、続けた。

「ゼノさんに女の子になってもらって、先程の攻撃していた方たちと合流します」

「僕が、なんだって?」

「男人禁制の国……郷に入っては郷に従え、です」

「ええ……?」

 よくわからない、というよりは、どうやって? そう首を傾げるゼノに構わず、クロルの手のひらが胸に触れた。

「ゼノさんは魔力が通りにくい体質のようなので、全力でいきますね」

 時間がないので、早速始めるようだ。ゼノは四の五のなにか続けようと口を開こうとした時、アンジェリーナはわざと大きく咳払いをして、それを遮った。

 大人しくしていろ、と言わんばかりの強い視線にゼノは、頬を引きつらせたように笑顔を作った。

「彼女らが見ていたのは、大きな飛龍に、男性に、私。女性が三人になれば、状況さえ違えばそこまで怪しまれないはず……です。では、行きますね」

「ああ……」

 女装かと一瞬思ったが、そうではないようだ。

 クロルは言葉を終えると同時に、ゼノの胸元に陣を展開させる。

 それにあわせるように胸板、その奥底がひどく高音の熱を帯びていくのを感じながら、ゼノはにわかにその視界を歪ませた。

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