城郭都市グラン・ドレイグ ⑪ 竜人アンジェリーナ・ブロッサム
修道院長先生の部屋にゼノが入った。そう聞いてから暫くが経つ。
もう夕方も過ぎて、クロルやマッシュ一行、ロウも自分の宿に帰ってしまっている。なにやら不安になってしまって、サラ・マグダードは心配でその前を何度も何度も行き来していた。そこを通り過ぎるシスターや神父に小声で叱られたりしたが、でもやっぱり気になってしまう。
そんな事をしているうちに、部屋の中から足音が聞こえてきて、それが扉の前まで近づいてきた。
彼女は慌てて、足音を殺しながら小走りで廊下の角まで逃げることにした。
――修道院長室から出たゼノは、ちょうど廊下の角を曲がってやってきた少女を一瞥する。
少女は「あっ」と声を出して足を止めた。
「あ、マグダードさん」
「ゼノ様? ……こちらは院長先生のお部屋ですが、どうされましたか?」
「君にも改めて挨拶しようと思ってたけど――明日、この街を発とうと思ってるんだ。起きてからもう五日、この街に来て十日だ。ほんのニ、三日くらいの滞在の予定だったのにね」
「もう!? あれほど昏睡されていて、お身体とてまだ無理はいけません!」
「いや、お陰様で身体はすっかり良くなったよ。それに……あんまりゆっくりもしていられないからね」
「で、ですが」
「心配してくれるのはありがたいけど……君にも仕事があるように、僕もやらなきゃいけないことがあってね。落ち着いたら、また改めてお礼に来るしね」
「むぅ……」
ゼノは少し困ったように、微笑みを引きつらせる。
付き合いこそ短いが、彼女は見た目とは反して大人びていて、冷静で品のある印象が強い。だというのに目の前のサラは年齢そのままの少女のようだった。駄々をこねているように見えるが、正直彼女が何に執着して引き留めようとしているのか、彼には理解できない。
「うーん……マグダードさんは、何が不満なんだい?」
腕を組んで、ゼノは首をかしげる。
サラは下腹部辺りで組んでいた手を胸に当てて、見上げるように顔を上げてゼノに口を開いた。
「不満……は、ありません。ただ、ちょっと心配なのです。先日から少し表情は明るくなりましたが、顔色はまだ悪いし、目の下のくまも濃くなってて、疲れはとれていないようです。本当に怪我のほうは完治していたとしても、体調的には万全でないようにお見受け致します」
さらに、と彼女は続けた。
「先を急ぐ旅なのは承知致しております。ですが不完全なまま旅を続けて限界を迎え、倒れてしまったら本末転倒だと思いますが……」
「……んー。確かに、君の言う通りだと思う。随分と見てくれてるんだね」
「い、いえ……私のつ、務めなのですから」
ゼノの笑みに、サラは少し照れたように俯く。
確かに良く見ている。彼女でさえわかってしまうのだから、クロルたちなんかにもお見通しなのかもしれない。
「一人なら、容易ではなかっただろうね。限界を見て、挫折して、そのまま朽ち果てる未来もあったかもしれない。ただ……支えてくれる人がいる、それを知ってるだけで、僕はそれだけで元気になれるんだよ」
「支えてくれる方……クロル様、ですか?」
サラの表情は、少し怯えているようなものだった。
彼女の言葉にゼノは頷くと、サラは眼にこもっていた力を弱めて、どこか悲しげに眉根をひそめる。
「クロルも、エルファも、マッシュも……君もそうだよ」
「わ、私もですか?」
ふと、また表情が明るくなる。
ゼノはまるでわかりやすい彼女の顔に心からの笑みをこぼす。
「ふふ――そうだよ。君は僕が寝ている間も、色々と世話を焼いてくれてたみたいだしね。そんな人達と知り合ってしまったんだから、情けなく行き倒れる事も出来ないよ。こればっかりは信じてくれとしか言いようがないけど」
だから、とゼノは手を差し伸べる。
彼女はそれに戸惑いながらも、ゆっくりとその手を重ね、優しく握った。
「また世話になるわけじゃないけど、今度また、君がガラムさんから聞いたおとぎ話でも聞きに来るよ。約束しよう」
「や、約束――約束、ですね。絶対、ですよ?」
「もちろん」
握った手を、互いに強く握り返す。
気がつけば、廊下にある窓の向こうはゆっくりと暗くなりつつあった。
「それじゃあ。出発するのは明朝だから、またその時にね」
「は、はい!」
手を離して背を向けるゼノ。サラはその背が、廊下を曲がって消えるまで、ずっと眺めていた。
結局この十日間で、ここを通るのは初めてだな、とゼノは思った。
グラン・ドレイグの門を抜けて眼前に広がる中央通り。しばらく進んだ先に住居らしき建物が続き、宿場町や繁華街とは打って変わって落ち着いた雰囲気に包まれている。
品の良さそうな女性たちが井戸端会議に花を咲かせていたり、また子どもたちが元気に走り回っている光景。ここだけ違う街にでも来たかのような感覚だった。
「ホントに大丈夫なの?」
隣に並ぶエルファが、後ろで手を組みながら前かがみに、顔を覗き込むようにして口を開いた。
「……今朝のマグダードさんにも同じことを、何度も聞かれたじゃないか。忘れたのかい」
言いながら、今朝の事を思い出す。とは言えまだ今も十分朝の早い時間なのだが――サラは夕べとまったく同じく心配そうな顔で、大丈夫なのですか? ダメそうなら、いつでも戻ってきてくださいね。と繰り返して、やがて修道院からゼノの姿が見えなくなるまで彼を見送っていた。
「ふふっ、みんなアナタの事が気になるのよ」
「まあ、関わる人みんなに迷惑を掛けてるからね」
「んー、そういう事じゃないんだけどなぁ」
エルファは呟きながら困ったように笑う。そうしながら、反対側に並んで歩くクロルの顔が、いかにも面白くなさそうにむくれている事に気づいて、彼女はわざと転びかけたフリをしてゼノの腕に抱きついた。
「きゃっ」
「おっと……大丈夫かい? 人のことばっかり言ってるから、自分の足元が疎かになるんだよ」
そんなゼノのお小言も、エルファはろくに聞かない。またちら、とクロルに目をやると、彼女は驚いたように目を見開いてエルファを見ていた。
「ごめんごめん」
舌を出して悪気なく陳謝するエルファは、それから一歩分だけ歩調を遅らせて、ゼノの後ろを回り込んでクロルに横並んだ。
――まったく。思いながら、ゼノは考える。
ドレイグ卿は良いものを用意すると言っていた。良いものとはなんだろうか、白銀竜に関するもの……というのは考えにくいだろう。武器か、資金か。それらだとしたら、恐らく荷物にしかならない。心遣いはありがたいが、気持ちだけ頂くことにしよう。
マッシュもエルファも、ロウも恐らくここで別れることになる。ロウはともかくとして、彼らは自分のことさえなければとっくにロゥウェンから受け取った荷物を売り捌きに出発していた筈だ。色々と迷惑をかけてしまった……時間さえあれば、感謝の言葉だけでは済まさないのだが。
そんな物思いにふけるゼノの隣で、二人の女は彼の話で盛り上がっていた。
「ふふ、嫉妬してるの?」
「なっ!? ち、違いますよ! 別に……」
囁く声に、驚いて声を荒げる。そうしてからクロルはむっとした顔のまま、歯切れ悪く否定する。
エルファはわざとやっている。クロルだってそれは分かっている。理解はしているが、納得はしない。
なぜそんな事をするのか――少なくとも、エルファにとってゼノは間違って今以上に親しい関係になったとしてもまんざらではない、というわけだ。
それに、クロルの心を乱しているのは、それ以上にサラ・マグダードの存在だった。
修道院に居る間、ゼノの意識が覚醒してからはクロルが思っていた以上に長い時間彼の部屋に居たようだった。もっとも、それは伝記などに関する話を聞くためだったと言うし、ゼノに限ってそれは真実なのだろうが。
「自分だけの王子様だって思ってたんじゃない?」
「わ、私は、ただの同行者です」
「もー、怒んないでよ。あんたはねぇ、あの時の顔を見てないから、そうむくれっ面が出来るのよ」
「……どの時の顔ですか?」
「ここに来た日、あんたがフラムってのと戦ってる時。危ない所でゼノが助けたでしょう? 彼が起きた瞬間の、あんたを探す時のあの顔。見つけた瞬間、その状況を理解した時のあの眼。ああ、この人に守られる娘は羨ましいなって、ちょっと思った」
「エルさん……私は本当に、別にそういうのじゃないんですよ。それに、仮に私がそんな風に浮かれてたとしても、ゼノさんには負担にしかならないと思いますし……」
――そんな話を聞きながら、ロウは空いたゼノの隣へやってきた。
「兄貴、幸せもんだな」
肘で小突くロウに、ようやくゼノは意識をその場に引き戻す。
「ん? ……ああ、僕は恵まれてるよ。ここまで人が優しいものだとは思っていなかったから」
それより、とゼノはロウに顔を向けて改めて言葉を漏らした。
「お前も国に帰るのかい?」
「ああ。ま、長めの休暇を貰ったようなもんだよ。兄貴にゃ悪いが、温泉にも入れて随分と気晴らしにもなった」
「そっか」
「帰った所で、まあしばらくは書類仕事だな。白銀竜に出会えて用が済んだら、一度帰ってこいよ。最北から南方の深淵に向かうんじゃ、ちょっと寄り道した所で変わりゃしねえだろ?」
「うん、そうしようかな。ルルが無事に戻ったのも確認したいしね」
「アクアスト……だっけ? いいねえ、わたしも少し仕事の幅を広げようかと思っていた所さ。機会があれば行ってみようかと思うよ」
ロウの隣で、マッシュが会話に入ってくる。
ゼノは微笑み、うなずいた。
「良いところだよ。ここからなら、船で東を回って行ったほうが早いと思う。クモッグの南、大きな十字路から東に進んだ所に港町があって、そこの船で僕はこの大陸にやってきたからさ」
「となると……イスティの港ってことか。確かにあそこなら、西の大陸直通の便が出てたね」
「うん……と言っても、少し前に戦争が終わったばかりだから武具はそこまで需要はないかもしれないけど――」
言いながら、視界内に巨大な建造物が近づいてきた事に気づく。
視線を正面に戻すと、ため息が漏れそうなほど大きな城が、その大きな口を開けていた。
まるで一国の城のようだ。とはいえ、アラリット第二の防衛の要だ。ここまでして然るべきとも言える。
「さて」
大きな金属の門扉の脇に、二人の兵士が立っている。訝しげにゼノ一行を睨んでいるが、彼は構わずその正面に立ち直り、振り返った。
「みんな、色々と迷惑を掛けた。ありがとう――エルファ、君には色々とすまなかったね。ひどい傷を見せて、一生懸命治してくれた。マッシュも、君が居なければグラン・ドレイグまで楽には来れなかったし、何より剣を直すツテがとても助かった。ロウは……ま、相変わらずだね。君はもう少し愛想ってのを覚えたほうが良いよ」
それぞれに感謝の言葉を述べ、それに対して各々は微笑みを湛えながら頷く。ロウは腕を組んで不満げな顔だったが、事実なのだから仕方がない。
「気をつけて、良い旅を……お互いにね」
クロルを手招くと、彼女はとことこと隣まで駆け寄ってくる。ゼノはそんな言葉を残して、背中越しに手を振って別れを告げた。
彼らが扉の向こう側に消えるまで、残された三人はしばらくその背を見守っていた。
❖ ❖ ❖
城の中は、外観と打って変わって城という雰囲気はなかった。
中に入ると使用人らしき制服姿の男女が慌ただしげに行き交っていて、ゼノの顔を見るや、一人の男が立ち止まった。
「ゼノ……ロステイト様でございますね? 先日はわざわざご連絡のほどありがとうございます。二階の奥の部屋で、ドレイグ様はお待ちですので」
背広姿の男はそう言って軽く頭を下げてから、道を示す。
――入った所は大きなホールだ。開けた空間に、左右に大きな扉がついている。正面には巨大な女性の銅像が立っていて、彼女の瞳から流れ出した涙がその下に水たまりを作っている。ちょっとした噴水のような形なのだろう。
そしてその両脇に、吹き抜けとなる二階部へ上がる階段が備えてあった。
「奥というのは……?」
「ああ、ここからだとわかりにくいですよね。階段を上がった先に廊下が伸びていて、その奥のお部屋がドレイグ様の執務室となっているのですよ」
「なるほど。丁寧にありがとうございます」
「いえいえ。それではわたしはこれで」
言いながら、男はその場から離れていく。
ゼノは隣のクロルに目配せしながら、言われたとおりに階段を登っていった。
二階に辿り着くと、廊下は左右に伸びている。道は広く、二人が両手を伸ばして通せんぼしてもすり抜けられるほどだ。
そして使用人の男が言った通り、中央にも道は続いている。そこから赤い絨毯が敷かれていて、その先に大きな扉が道を塞いでいる。
「なんだか……こういう所に来るのが初めてなので、緊張します」
「ははっ、大丈夫だよ。ドレイグさんは結構くだけた感じの人だし」
「わかっては居るんですが、雰囲気が……」
「まあ城ってのはかたっ苦しい雰囲気はあるからね。ま、さっさと話を済ませて行こうか。早くしないと日が暮れちゃうしね」
言いながら、二人は扉の前で立ち止まる。
ゼノは慣れたように扉をノックする。少しして、「どうぞ」と声がした。
部屋の中に入ると、まず目に入ったのは部屋の奥、バルコニーに備える大きなガラス戸と、その手前の大きな机――その手前で、後ろ手を組み背筋を伸ばして立っている一人の女の姿だった。
次に、部屋の左右に天井まで高い本棚が所狭しと並び、それぞれにぎっしりと書物が詰まっているのが見えた。その空間にはそれ以外のものは何もなく、殺風景と言えば殺風景なものだった。
「ブロッサムくん、退き給えよ」
「はっ!」
ブロッサムと呼ばれた竜人は、大きな声で短く返事をするとそのまま隣に大きく一歩ずれてみせる。
そこでようやく、机の奥で椅子に腰掛けたドレイグ卿の姿が見えた。
「やあゼノ君、待っていたよ」
穏やかな笑みを湛えたまま、もう少し寄りたまえ、とドレイグは言う。二人はそれに従い、やがてブロッサムより一歩手前の辺りで足を止めた。
ブロッサムの紅い瞳が、鋭くゼノを睨んでいる。危害を加えないか警戒している……というよりは、また別の感情があるように読み取れる。だが、だからといって特別関係のあるものではない。彼女と会うのも卿で二度目だが、二度目で終わりだ。ゼノはそう考えていた。
「身体のほうは大丈夫なのかい?」
「ええ、お陰様で……ご迷惑、ご心配をお掛けし、申し訳ありませんでした」
「はは、気にしなくていい。先日もそう言っただろう?」
「ですが――この旅が落ち着いた頃、また改めてご挨拶に伺わせて頂きますので、その際はまたよろしくお願いいたします」
「ああ、私は構わないが、君がそれで気が済むのなら好きにしてくれていい」
ともあれだよ、とドレイグは小さく咳払いをした。
「君らも先を急ぐ身だろう。本題に入らせて貰う」
「はい……良いものを、との話でしたが」
お気持ちだけで結構です、と続けようとした時、今度は横合いからの妨害が入った。
「我はイヤで御座います!」
「まあ待てブロッサムくん、君はちょっと待てホントにもう」
「しかし――」
「しかしもおかしも無いよ。ゼノ君、そういうわけなのだよ」
「……すみません、毛ほども理解出来なかったのですが」
「平たく言えば、君に乗り物を貸そうと思っていたのだよ。彼女、アンジェリーナ・ブロッサムは見ての通り竜人でね。彼女は飛竜となり空を飛べるから、北までひとっ飛びで楽ちんなのではと思っていたのだが」
「我はイヤで御座います。このような軟弱な半端者を、この我の背に乗せるなど――そもそも我ら竜人が人を背に乗せるのは、自身が認めた者のみで御座います! 街にふらっとやってきて騒動を起こし、挙げ句大怪我を負って……そんな者など!」
そんな風に、アンジェリーナは必死の形相でゼノの事を完全に拒絶している。
そういうわけか、とゼノは納得する。単純に、彼女は自分の事が気に食わない、それだけのことだ。
ふと隣を見ると、好き放題に罵倒するアンジェリーナへと怒りを覚えるクロルが、わなわなと身体を震わせていた。
そんな事もあって、早く事を修めるべくゼノは改めて口を開いた。
「ドレイグ卿、お気持ちだけで大丈夫です」
「ふむ……だが、ここからノスランティの港まで行くのにも五日はかかるし、そこで船に乗って三日は海の上だ。北の大地に降り立ち、馬車を手配しても近くの街までさらに十日。気は遠いぞ」
「覚悟の上です。楽な旅だとは思っていませんので」
「しかしだなぁ……ブロッサムくん、これは私の命令で仕事だとしても無理なのかね?」
「無理ですね、イヤですね、断固お断り致します。どんな理由であれ、弱き者に触れられたくはありません」
毅然とした態度でアンジェリーナは拒絶する。むすっとした顔で胸を反らし、堂々としたいで立ちはどこか誇らしげだ。
正直な所、面倒な話だ。ゼノはそう思わずにはいられない。
嫌だというなら嫌でいいだろう。手段を選び時間をかけられる立場ではないが、だからといって無理に飛んでもらい嫌味を言われながら目的地に到着するのも気が引ける。そんな事になれば、その時になる前に胃に穴が開いて死んでしまいそうだ。
「――ゼノさんは弱くなんかありませんっ!」
どうしたものか。
考える余地をおかずに、隣の少女が悲鳴にも似た声で言葉を荒げていた。
そんな声に、さしものアンジェリーナも驚いたように目を丸くする。ゼノも、ドレイグも同様だった。
そうしてから、ドレイグ卿だけはそれを楽しそうに見て、口角を上げていた。
それに対して先に返答したのは、抗議を受けたアンジェリーナだった。
「弱くない? バカを言え、弱き者こそが良く吠えるのよ。己の力を過信し、言うに事を欠いて白銀竜に深淵の始祖など。そのへんの幼子に棒きれを持たせたほうがまだ見栄えもあるというもの」
「あなたは、ゼノさんの事を何も知らないのに悪く言ってばかり。良く吠えるというのなら、あなたは人に言えたものなのですか?」
「くっ……なら、試してみる?」
饒舌だった己の揚げ足をとられ、アンジェリーナは苦し紛れに挑発する。
クロルはそれに頷き、右手を前に突き出して彼女に照準し――その前に立ちはだかるゼノによって、それを阻まれた。
「クロル、バカバカしい事をするんじゃないよ。君の力は、こうして人を傷つける為のものじゃない」
「でっ、ですけど……こんなにめちゃめちゃに言われて……!」
「術師が頭に血を上らせてどうするんだい。もう――ドレイグ卿も、笑っていないで場を修めて下さい」
「ははっ、イヤ、だが、彼女の言う事ももっともなのではないかね?」
「……というのは、どういうことです?」
「この場で軽く、ブロッサムくんと手合いをして見給えというのだよ。それで見事君がブロッサムくんに打ち勝てば、彼女も認めざるを得まい。そうすれば君も楽に北に迎えるわけだし」
「ドレイグ様は、我が斯様な者に敗北する程度の女だとお思いですか?」
ドレイグの提案に、強い怒りを覚えたアンジェリーナはそれを隠す事もなく彼を睨んだ。
そんな彼女にドレイグは肩をすくめる。
「君が思うほど、彼は顔ほど甘い男ではないと思っているのだがね」
「……僕はそれで気が済むのなら、別に構いませんが」
もはや諦観。武力で名を馳せた国だということを、ゼノは今になってようやく思い出した。
こうなってしまったら、もはや落ちる所はそこでしかないのだろう。
「わかりました。ではこのアンジェリーナ・ブロッサムが、そこの軟弱男を五秒で葬り去って差し上げます」
「まったく……クロル、壁際まで下がってて」
「は、はい」
だが、良い機会なのかもしれない。
ゼノは無理やりそう考えることにした。
身体は調子こそ戻しているが、実際戦いになってどこまで動くかまだ試しても居ない。加えて、相手が竜人ともなれば相当な手合いだ。この戦闘も良い経験になるだろう。
考えながら、背負っている荷物と共に、腰と背の剣を床におろした。
「なぜ武器を置く? 我を侮っているというのか?」
「違うよ。この剣は、こんな事の為に使うものじゃない――僕だって無手で戦う事の心得くらいはある。友人に徒手の達人が居るしね」
「はっ! それで後悔するハメになっても知らないぞ!」
本当にうんざりする。こういう風に力を試されるのは、気分が乗らない。
相手が悪いわけでも、自信がないわけでもない。
ただ自分本位に――人の気も知らないで、と。
「君の得意技は、口喧嘩かい?」
だから柄にもなく挑発を仕返してしまって、
「――っ!」
途端に顔を真っ赤に染めたアンジェリーナが、間髪おかずに駆け寄り肉薄するのを、ゼノは身構える事もなく待つ事を選んだ。




