城郭都市グラン・ドレイグ ⑩ 切り拓く剣・突き立てる剣
鍛冶師ロゥウェンより声がかかったと、マッシュはゼノを連れ立ってグラン火山へ赴いていた。
「とてもじゃないが、暑いね」
薄暗い階段を下りながら、額から流れる汗を拭ってゼノが呟いた。
マッシュは微笑みながらそれに頷き、しかし、と言葉を返す。
「君が目覚めてから三日、最初は君も大変だろうとは思っていたが……ここまですっかり体調を戻してくるとは思わなかったよ」
「まあ、幸い時間は多くあったからね」
「だが、無理をしすぎているようだね。クロルも、エルも、折角君が起きたと言うのにまだ心配しているようだ」
「ああ……みんなには迷惑をかけるようだけど、無理が出来るうちにしておかないとね。後で後悔する暇なんてないし」
ここで時間を多く使ってしまった分、グラン・ドレイグを旅立った後は急がなければならない。だからといってこの場所で焦り、ストレスを抱えるのは無駄な事だ。
故に、この時間を有効活用するしかない。鈍った身体を鍛え直し、先の敗北を悔いるのではなく次への経験に活かす。
――夜もろくに眠れなくなった。そのストレスからか、食事もひどく苦痛になった。胃が受け付けなくなりつつあるようで、吐瀉が何度も喉からせり上がる。喰わなければどうしようもないと飲み込んで、しばらくしてようやく落ち着く。
長くはなさそうだ……その意識が、強くなる。
だからこそ、もしその時が訪れるその瞬間まで足掻けるようにならなければならない。
フラムは良い事を教えてくれた。やらなければならない、だが確実に来るかわからない未来ばかり見て、目の前の敵に殺されてしまうのは世話がない。
今を生き抜く。
今を切り拓く。
そんな刹那的な生き様が、必要だった。
「無我夢中だよ。だけど、君たちのお陰でそんな事も出来るんだ……これ以上の感謝もない」
「君にそう言ってもらえるのなら、わたしたちも君を助けた甲斐があったってもんさ――さあ、着いたよ」
先導するマッシュが広い空間に出る。その後に続いて、ゼノもそこへやってきた。
低い天井。大きなカンテラが幾つか吊るされていて、鈍く空間を照らしている。
周囲の壁に立てかけらている、あるいは飾られている無数の武器を見ながら、ゼノは空間の奥から何かを力強く叩きつけているような甲高い打撃音が繰り返されている事に気づく。
「やあ、また来ましたよ」
導かれるままに着いていくと、その奥に大振りな金槌を赤く熱された金属へ叩きつけられいてる男の元へ辿り着いた。
口元に蓄えられる髭は老人そのものだが、むき出しになるその腕は図太く、屈強だ。
声を掛けられた男、ロゥウェンは手を止め、訝しげに眉根を潜めて二人へ顔を上げる。
「確かにノッポだが……思ったより華奢そうだな」
声を掛けたマッシュには目もくれず、その隣に立つゼノへまずそう一言で評した。
ロゥウェンは叩いていた金属を近くの水たまりへ投げ込んだ。じゅう、と音とともに凄まじい蒸気が巻き上がる。
立ち上がり、軽く腰を叩きながら改めてゼノを見据えた。
「初めまして。ゼノ・ロステイトと申します、なんでも僕の剣を打ち直して貰っているようで……」
言っている間に、すぐ目の前までやってきたロゥウェンは無作法にゼノの二の腕を掴み、そして胸板を小突き、拳を腹部に押し当てる。手は下がり、腿を握り、ふくらはぎを叩いて、ようやくふむ、と顎に手をやった。
「もっと筋肉ダルマかと思っていたが……だがいくらかは力があるようだな」
まあいい、と一方的に納得して、ロゥウェンはゆっくりと近くの壁沿いにおいてあるテーブルへと歩いていく。ゼノとマッシュはその後に続いて、そこに鎮座している剣を確認していた。
「聞いたとは思うが――折れた剣を元通りには戻せねぇ。だから二本を一本にした。見た目に反してこいつは重く、扱いづらいぞ」
テーブルの上に置かれ、革製の鞘に収められたソレをロゥウェンは片手で持ち上げる。
剣は今までゼノが扱っていたものよりやや短く、その刀身はやや幅広になっていた。片手でその刀身を握れていた幅が、片面を覆う程度まで広くなっている。
「持ってみろ」
「はい」
差し出された剣を、ゼノは両手で受け取る。
今まで扱っていたものよりも遥かにずっしりとした重量が伸し掛かった。
「鞘の脇をいくつかのボタン状の金具で固定してある。こいつを外せば、背負いながらでも簡単に抜けるだろう」
言われて鞘に視線を落とす。確かに彼が言うとおり、鞘の側面は縫われておらず、ボタンで留めて固定されているだけのようだ。
片手でソレを外していき、やがて剣を抜く。
この薄明かりの中でも冴えたように輝く刀身。幅が広いが、剣先に向かうにつれてほんの僅かだけ細くなっているのがわかる。
改めて柄を握り、構える。両腕の筋肉をフル稼働してようやく振り上げられるほどの重さ――短く息を吐き、普段のように動いてみる。
姿勢を低くして地を蹴り、一瞬でマッシュとの距離を詰める。さらに深く踏み込んで脇を抜け、踵を返して背後へ。
マッシュは驚いたように目を見開いて、また刹那にして消えたゼノの姿を追うように辺りをキョロキョロと見渡し、そうして背後で聞こえる少し乱れた呼吸音に気づいて振り向いた。
「な……っ!?」
「なるほど、確かに重い……だけど、この重さが気に入りました。この重さがあれば、僕の腕力を補える」
姿勢を低くする際に身体の力を抜いて剣の重さに身を任せれば、その速度は上がる。また持ち直すのが容易ではないが、土壇場でそれが活きる事があるだろう。
「以前のツヴァイヘンダーじゃあなく、そいつは破壊剣だ。あれほどの剣を随分使い込んでいたようだから、決して折れねえよう芯を強くした。素材は全て手前が使っていたものを再利用した……武器には使用者の想いがこもるからな」
ロゥウェンはその剣を眺めながら、ゼノに感心していた。
馬鹿げた、現実離れしたものを作ったわけではない。あれほど長く重い剣を扱っていたのだから、正直な所そこまで大差はない。
だがそれをほんの僅かの間さえ置かずにすぐさま手慣れたように扱ってみせた。
故に一つ、そんな男に聞いておきたい事がある。別に武器を扱う資格だとか、そんな無粋なものではない。もとよりその剣は彼のものなのだから。
「ゼノ、と言ったな」
「……はい」
剣を鞘に戻して、鍔と鞘の剣先に括り付けられている縄でソレを背負う。そんな中で不意にロゥウェンが彼を呼んだ。
表情は堅く引き締まっている。マッシュは見たことのない彼の顔に、少しばかり緊張した。
「手前はその剣で、何を斬る?」
人か、魔物か。
その問いに、特別な理由はない。
ただ気まぐれに口を開いただけだった。それ以上の理由はない。理由はないが、もし強いて言うなれば好奇心だ。
今まで武器を直接人に渡したのは、ほんの数えるほどでしか無い。殆どはこのマッシュを介して売買しているし、それで生活が成り立っていた。武器がどう使われようが、何を殺し、何を生かそうが興味がなかった。
否、その興味を捨てて、それがあった事自体を忘れていただけかもしれない。
しばらくの間があって、ゼノはようやく口を開いた。
「僕はこれで、恐らくあらゆるものを斬る。魔物も、あるいは人でさえ」
「……そうか」
期待していたわけではないが、何の変哲もない言葉にロゥウェンは短く息を吐く。テーブルに置いてあるもう一本の短剣へと手を伸ばした時、ゼノはさらに言葉を継いだ。
「あるいは閉ざされた道でも。あるいは決められ、定められた運命さえも」
――フラムとの戦闘が脳裏をよぎる。
あの戦いで死んでいてもおかしくはなかった。
その運命であっても不思議ではなかった。
心臓も身体ももう限界なのかもしれない。
だがまだ生きている。
ならばそうするしか無い。
そうだ、必死に抗って無我夢中で先に進むしか無い。
例えこの先に死が待っていようとも、それさえも切り裂いて駆け抜ける。
今生きてしまっているのだから、最早死ぬ訳にはいかない。
破壊された武器を再度与えられ、五体満足。足を止める理由など、失ってしまった。
「だからこの剣は、ただ殺す為だけのものではないんです。それをあなたが直してくれた、僕にまだ先へ進めと……」
「なるほど、な。大仰な言い方だが、それもそうか……ま、ワシにゃ関係ねえが」
ほらよ、と言いながら握ったままだった短剣を放り投げた。バスタードソードと同様に革の鞘に収まっているそれを両腕と胸で受け取ったゼノは、これは? と訊く。
「折れた剣先を打ち直して作ったもんだ。二本預かっていたから、まあ形だけでも二本あったほうが良いと思ってな」
「ダガー、ですね」
「ああ。その破壊剣を手前が切り拓く剣だとするならば、そいつは突き立てる剣……どんなモンにでも突き立て、ヒビを入れりゃ切り拓ける。お前さんは深淵に挑むと聞いた。先の外での騒ぎはお前さんのもんなんだろう――短剣は、剣先を強靭な芯にして、ガワを純銀で覆った。純銀は破魔の力を宿す……まじない程度だがな」
「お気遣い、ありがとうございます」
「構わねえよ。ワシはただ鍛冶をするしか能がなく、好きでやってるだけだ。その剣だって妙な金属を使ってて面白えからやってやっただけ……感謝なんざ」
「ですが、それで救われる命もあります」
「だが殺される命もある。ふん、まあいい――嘘か真か深淵に挑むんだろう、お前さんは。なぜか……聞いても良いのか?」
ふん、と鼻を鳴らしてどかっとテーブルに腰をかける。ゼノは受け取った短剣を腰のベルトに押し込むように引っ掛けて、小さく頷いた。
マッシュも居るが……二人に話さぬよう口止めすれば、素直に黙っていてくれるだろう。
「きっかけは、ここには居ない友人でした。彼は正義心が異様なほどに強く、同時に深淵が世界にその領域を広げ始めた頃だったから、それを倒しに行こうと」
そして妹が深淵の始祖によって呪いを掛けられたこと。
恐らく己の心臓も、それによるものなのかもしれないと。
そしてまた、心臓の影響で己の力が弱まりつつあること。
「復讐ってわけか? お前さんと、その妹を侵したからと?」
「いや――僕の命は長くない。正直な所、深淵まで保つかどうかもわからない」
だからそれならばこの命を、ロイドに託そうと思っている。彼の進むべき道を開くべく、この命を。
元を正せば、彼が救ってくれたものだ。そうする理由は十分にある。きっと彼は納得も、理解もしてくれないだろうが。
「ゼノくん……それじゃ、あんまりじゃないか」
眉尻を下げ、悲しそうな顔でマッシュは言った。
ゼノは対照的に微笑んで見せる。
「勘違いしてもらいたくないんだけど――僕は死ぬ覚悟はあるけど、まだ死ぬつもりはないし、死んでやるつもりもない。もしまだこの心臓が保ってくれるなら、深淵の始祖……ジャーク・ウィフトを倒した後まで、生きていたい」
僕だって、死ぬことは怖いんだよ。君やエルファ、そしてクロルと出会ってしまったから、尚さらに。
それに、とゼノは改めてロゥウェンへと視線を戻した。
「あなたが丹精込めて剣を打ち直してくれた。それなのに道半ばで果ててしまうのは、この剣にも、ロゥウェンさんにも申し訳が立たないですから」
神妙な面持ちであったロゥウェンは、そんなゼノの台詞に、やや間を置いてから破顔してみせた。
「――はっ、あたりめえよ。ワシの武器を使って死んだなぞ聞きたくもねぇ――ただ良いことを教えてやる」
「……なんですか?」
「手前は根っこが真面目な野郎のようだ。硬えだけのもんんはいつか割れちまう。硬え中に必要なのは柔らかさだ。お前さんみてえなのはなおさらな、もっと気楽に考えてみろ」
「気楽に?」
「勝って当然、手前になんざ死んでたまるかってよ。お前さんが笑うのは人に見せる為みてえだが、自分に見せてみろ。笑顔ってのは、他人に見せる為だけのもんじゃないんだぜ」
――言われてみれば、確かに人を安心させるため、あるいは己の感情を笑みで上書きする為でしかそうしていないかもしれない。
笑顔は他人に見せるためだけじゃない。
最近――そういう意味では、笑ってなかったな。不意にそう思った。
「……忘れてました。確かに、笑ってないっていうのは、余裕がなくなってたのかもしれません」
そうか、知らぬ間に自分で自分を追い込んでいたのかもしれない。
なんだか奇妙なほどに、気が楽になったような気がする。
それを知らぬということより、知っている事は強さになる。自覚があれば、改善の手段を打てる。
「ありがとうございます、ロゥウェンさん。剣だけじゃなく、色々なものを頂いてしまって」
「構わねえさ。ワシはただ、お前さんみてえな若者が、死に急ぐのが気に食わねえだけさ。さ、もう帰んな。ワシもまだ仕事が残ってるんでな」
「いえ――それで、お代のほうは……?」
「金は要らねえよ、珍しいもんを触らせてもらったしな」
「いや、そういう訳にはいきません。それとこれとは別で――」
言いかけた所で、ロゥウェンはテーブルから飛び降りる。まじまじとゼノを睨め上げると、口角を上げてにやっと笑った。
「じゃあ百万だ」
「百万……すぐに用意して――」
「いや、すぐじゃなくていい」
「……では、僕が旅立つ前に」
「そういう話じゃねえよ」
「……?」
よくわからない、と言う風にゼノは首を傾げた。
ロゥウェンは飽くまで表情を変えず、先程まで座っていた金床の前へ戻っていく。
放り投げていた金属を手に取り、壁に取り付けられている蓋を開けて溶岩を流し始めた。すっかり冷めて黒くなった鉄をそこに投げ、熱し始める。
そうしながら、ロゥウェンはようやく口を開いた。
「全てを終わらせてからまた来い。それまでツケといてやるよ」
「……はは、なるほど。わかりました、じゃあそれまで、ロゥウェンさんも待っていてくださいね」
理解し、納得した。ゼノはその心遣いに堪らず笑みをこぼして、頷いた。
「ワシがそう簡単にくたばる訳がねえだろうが。十年でも二十年でも待ってやる、必ず来い」
「もちろんです。土産話もたくさん持って帰りますよ」
「そうかい、じゃあ楽しみに待ってるよ……じゃあな」
言いながら、ロゥウェンの視線は既にゼノから鉄へと移っている。手を上げながら別れを告げるロゥウェンへと頭を下げて、ゼノはその場を後にする。
会話にろくに入れなかったマッシュは不満そうに顔をしかめながら、それでも、ここに来るまでとは打って変わって元気そうなゼノの表情を見るや、そんなことも忘れて彼の後についていった。




