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城郭都市グラン・ドレイグ ⑨ 白銀竜の伝記

 空に宵の帳が落ち始めた頃、訪問を告げるドアを叩く音が小さく響く。

「ふう――どうぞ」

 ロウが部屋に置いていった大きめのランプが室内を鈍く照らしている。その中で半裸になり汗だくになっていたゼノは、慌ててシャツを着ながらそれに応える。

「あの……夜分遅くに申し訳ありません」

 ドアを開き、入ってきたのは胸に一冊の本を抱えた一人の修道女だった。艶やかな黒髪を横分けにして、長い横髪をそのままに後ろ髪だけを一つに纏めた少女だ。若い女性というよりは、まだ幼ささえ残している少女だ。クロルと同年代か、その前後なのかもしれない。

「ゼノ様がこの街に訪れた際、お声をお掛け頂いた者です。覚えて――だ、大丈夫ですか? 汗がすごいですが……」

 落ち着いた様子でそう話していたナナ・マグダードだったが、その薄明かりの中、汗が反射して妖しく光るゼノの汗を見て、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 距離を縮める彼女に対して、ゼノはむっと己から湧く汗臭さを気にして手を突き出してそれを制した。

「大丈夫です、少し身体をほぐしていただけなので」

 言いながら、ゼノは彼女のことを思い出す。まずは街に入った所から――順を追って、記憶は教会へと辿り着いた。

 ガラムが死んだ、と聞いた覚えがある。それを伝えたのは修道女。顔はもやがかかったようにはっきりとはしないが……それが恐らく、彼女なのだろう。

「女性が一人で男の部屋に入ってくるのは危険だよ、やめた方がいい」

「不快でしたら申し訳ありません……ですが、お暇な時間を伺っていたらこんな頃になってしまいまして」

「不快というか、君が危ないからさ。僕が暴漢だったらただじゃ済まない可能性があるよ?」

「ふふっ、シスターに説法ですか?」

 クスクスとナナは口元を抑えて笑うと、そのまま自然な様子で椅子を引き、腰をかける。

 ゼノはなんだか釈然としないまま、まるで主導権を握られたような形のままその対面へと着いた。

 彼女はそうするや、途端に真剣な眼差しでゼノを見据えた。まるで淑女然としたその雰囲気は先程までのバカ丁寧な様子は一切払拭されており、ゼノも思わず表情を引き締める。

 それからして、ナナは一呼吸をくと口を開いた。

「私はナナ・マグダードと申します。本題に入りますが……ガラム様は亡くなられ、その蔵書や記録も焼き払われてしまいましたが――彼の語った伝記や伝説、地方のわらべ唄までその全ては、残っています」

「なっ……それは本当かい?」

「はい。彼がそれを語る場所はいつも礼拝堂であり、それに毎回参加する大ファンが居ましたから」

 言いながら、彼女は胸を張るようにして、その胸に手のひらを当てた。何かを誇るような所作に、ゼノは驚きと、またそれに対する理解によって漏れたため息で応えた。

「ありがとう。わざわざ僕の為にこんな遅くに来てくれたのか」

「ふふっ、あなたの為というなら、ここで治療してる事もそうですよ?」

「ああ、それもそうか。何から何まで助かってるよ」

「いえいえ、それがここ修道院の役割ですから」

 それはそうと、とナナは胸の前で軽く手を叩く。

「ゼノ様が白銀竜ホワイト・エンドを探しているのは存じ上げております。気になることはなんでしょうか?」

「まあなんというか……特に気になる事は、白銀竜の居場所を指し示す何かがあるんじゃないかってことかな。ここから海を越えて、街もなくなり、やがて雪で全てが覆われる。方角も、昼も夜もわからなくなる――その中で闇雲に北へ向かった所でどうにかなるような場所じゃないだろうし」

「そうですね……端的に言えば、白銀竜の落とした鱗が輝き、近づけば近づくほどにその光が強くなるという話があります。一説では、どれほどか前に一度白銀竜に遭遇できた者はそれを利用したとか」

「本当かい? 一気に希望が出てきたような気がするよ」

 言って微笑むゼノに、ナナは笑みを返す。

 ですが、と彼女は指を一本突き立てた。

「飽くまでこれは伝記やおとぎ話の類であり、確証がないものなので丸っきりは信じないでくださいね?」

「ああ、大丈夫。参考程度にね」

「はい。ところでゼノ様は、白銀竜にどれほどの歴史があるかご存知ですか?」

「うーん……いや、言われてみれば知らないな。あらゆる邪を払い、気まぐれに一度だけ望みを叶える……正確には奇跡を呼び起こす存在、ってくらいしか」

「まあざっと白銀竜についてはその認識であってます。折角なので、説明させて頂きますね」

 ナナは長い髪を軽く後ろに払いながら、一度小さく咳払いをした。


 ――白銀竜は、『深淵の始祖』が生まれる遥か以前より存在している。その歴史は数千年という規模であり、神話の存在であると語られていた。

 ソレはこの世の邪を払い世界を安穏に導く善なる存在の象徴でもある、というのが一般認識である。

 正確には異なり、白銀竜はひどく気まぐれでその時代その時代によって、ソレ自身が捉える『邪』の概念が異なり、時には人と敵対していた事例もあったとされている。

 現在、明確に『邪悪なるもの』として深淵が存在している為、その危害は人へは及ぶことはない。だがそうだとして、なぜソレは深淵を葬り去らないのかという疑問が残る。

 一説として、深淵は人が作り出したものである。つまりこれを消し去るという事は、根本的に人を余すこと無く消滅させなければならないからだ、という話もある。極大解釈の極みであるが、人と敵対し、現在それを守護する存在となった白銀竜を見ればあながち間違いではないのかもしれない。

 白銀竜はその昔から棲家を変えていないが、その場所が場所である為にたどり着く者は限られている。最も多くのものがゼノのように挑んできたが、無事に帰ってきたのは数百年前にただ一人だけだという。

 その棲家は遥か極北、雪に覆われた大地に存在する断崖絶壁の雪山の、その頂。雲を貫き天高く聳えた頂点にソレは棲んでいるのだ。

 またその棲家に最も近い場所にある街は、その遣いが潜んでいると語られている。近いとは言え、あるとされている断崖絶壁まで歩いて進むのは困難極まるが――その街は未だ存在し、雪の名所と上質な毛皮の生産地であり『ガル・アルブ』という名で知られている。

「……つまり、そのガル・アルブに鱗がある、と?」

 説明をしているナナに、ゼノは疑問を投げかける。

 彼女は小さく首を振ってそれを否定した。

「鱗は男人禁制の国『アマズ・ハイネ』に国宝として祀られています。恐らく代々女王に伝わる首飾りがソレかと……」

「男人禁制……聞いただけでも怖いね」

 ゼノは屈強な肉体に鍛え上げられた数十人の女性の集団を想像して、少し身震いして見せる。ただでさえ厄介事は避けたいというのに、ここに来て一番面倒そうな事が来るとは。

「現女王は――と言ってもここ二百年ほどは同じ人物ですが――穏やかで快活な人物と聞いていますので、事情を話せば協力してくれる可能性があるかもしれません……」

 そう言うナナは、眉根を下げ不安そうな顔で告げている。説得力の欠片もない言葉に、ゼノは少しだけ笑顔を引きつらせた。

「でも……ともかく、ひとまず目指す場所が決まったっていうのは一安心だよ。ただ漠然と北に向かうよりは全然良い」

「はい。お役に立てたのならば私も嬉しいです」

「ありがとう、マグダードさん。遅くなってしまったけど、ゆっくり休んで」

「いえ、私も好きでやっている事なので……あの、よろしければこちらにも色々書き残してあるので、読んでみてください」

 彼女は立ち上がり、テーブルの上に置いた皮張りの一冊を手渡す。少し洋紙がくたびれているようだが、それほどに書き込んでいるのだろう。ゼノはそう思いながら受け取り、そのまま手を差し出した。

 一瞬だけナナは戸惑った様子を見せたが、その行動を理解して、手を受けて強く握り返した。

 それでは、とナナはそのまま背を向けて部屋を後にする。

 ゼノは彼女の背を見送ってから、また席に腰掛けた。

 先程まで身体を動かしていたが、汗はすっかり引いている。ナナの声も消えて静寂が再び部屋を支配するその最中で、睡魔が首をもたげ己の意識を刈り取ろうとしていた。

 ひどく眠い。

 だが眠りたくない――ずっと見ていた悪夢を想起して、ゼノは苦渋を舐めたように顔をしかめる。

 身体は多少は休まっているようだが、まるで眠っていた気がしない。怖く、寂しく、痛い目を見るくらいなら、まだ旅立たず無理が出来る今くらいは、起きて穏やかに過ごしていたい――。

 ゼノが大きく伸びをして本を開いた時、まだ空に張り付く月はちょうど最も高い位置へと至った所だった。

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