城郭都市グラン・ドレイグ ①
岩山に大きく開けられたトンネルを抜けた先には、大げさな木製の門が構えていた。
そこはいわゆる関所である。現在、紛争も戦争もないアラリット共和国にとって特別これといった通行許可証は必要ないのだが、有事の際にいつでも対応出来るように名前と、捺印をそこに記す必要がある。
それに応じて関所の門が開かれると――まずはじめに、焼けるような熱風が一同を迎えるように吹き込んだ。
「……初めて来たけど、随分と暑いんだな」
途端に額に滲んだ汗を拭いながら、ゼノはそう呟く。
御者台でさっさと外衣を脱ぎ始めた彼の隣で、マッシュは軽く笑いながら応えた。
「グラン・ドレイグは別名、グラン火山地帯だ。ここからグラン・ドレイグを中心として、いくつかの活火山に囲まれている。こんな所で、そんな中で一番デカい火山の麓に都市をこしらえるってのはまったく理解できないが、ここの連中はどうもそれが都合がいいらしくてね」
「火山が一斉に噴火したりしないのかな」
「可能性はあるが、今まで一度も無いらしい。特にそのグラン火山――最も大きい活火山は、ここ数百年大きな噴火はないようだ。小規模な噴火はあるらしいが、特に影響のあるものではないらしい」
「へえ」
上の空で返事をしながら、ゼノは辺りを見渡していた。
大地が半ば焼け焦げているような土色をしている。草木は一切なく、その土地に変化を与えているのは所々にその大きな身なりを構えている巨大な岩石群ばかりだ。
広い土地ではあるから、軍事的に利用するには都合が良いのかもしれない。山々に囲まれ、ある意味陸の孤島と化している場所だから、グラン・ドレイグがアラリット共和国の防衛の要となっているとしても、その時になって迅速に動けるかは甚だ疑問ではあるが。
「ここまで暑いんじゃ、名物の温泉はさぞ気持ちいいだろうね」
「ああ、格別だぞ。君もさっさと用事を済ませて、疲れを癒やすと良いよ」
「それは楽しみだね」
そう言いながら、ゼノはやがて地平線に見えてきたその建築物が、ゆっくり近づいてくるのを眺めていた。
❖ ❖ ❖
「うわぁ……こんな大きい街、初めて見ました」
見上げれば首が痛くなるほどの高さ。頑強そうで、分厚く、巨大な城壁が眼前に大きく広がっている。
大きく開かれた門は数十、あるいは百人規模が一斉に通れるのではないかと思うほどに広く、またそこに配備されている警備の人間の数も十数人ほど居た。
マッシュは馬車とともに手続きに行ったが、その他にも同様に馬車と共に、あるいは大きな荷物を持った人影が幾つか見える。
この街は主に輸出入と観光で生活を成り立てている。こんな土地で、栽培も畜産も出来ないから当然だ。
だから荷物や、人のチェックにはそこまで厳しくなど無い。元々物を仕入れに来たマッシュだから、チェックされるのも人相程度だろう。通行書もここでは必要ないし、彼の手続きはそう時間のかかるものではないはずだ。
「あたしたちはこれから、麓にある鍛冶屋のおっさんの所に行くんだけど……あんたたちはどうするの?」
隣に立ったエルファは、腰に手をやりそう口を開いた。暑さが鬱陶しいというように、頬を伝う汗を何度も拭っている。
「僕はちょっと街を散策するつもりだけど……麓の方は、確か温泉がある方だよね?」
「ええ、マッシュはともかく、あたしはそっちが目的だしね」
「じゃあ、クロルも一緒に連れてってやってくれないかな」
「えっ?」
不意に仲間はずれにされたような気分にでもなったのだろう、エルファとは逆隣に立っているクロルは、驚いたようにそんな声を上げた。
「私も一緒に、お手伝いしますよ?」
「いや、僕の方もそう時間はかからないと思うからさ。ついでに適当な宿を取っておいて欲しいんだ」
「んん……ホントに大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫。気にしないで、ゆっくり温泉にでも浸かっててよ。僕も後から行くからさ」
「……そういう事なら、わかりました」
渋々といった風に、クロルは頷いた。ゼノはそれに苦笑して、
「じゃああたしが案内するわよ」
マッシュがちょうど手続きが終わった事を伝える為に駆け寄ってくるのを見て、エルファはそう言うと共にクロルの手を引いて歩きだした。
ニ、三ほど大きなため息を着きながら歩けば、ようやく門を抜ける。巨人が住んでいるのかと思うほどの高い天井を見送った先には、広場があった。
「ふわっ……色んな人が居るんですねぇ」
隣でクロルがそうつぶやいた。
グラン・ドレイグの住人のおよそ半分は亜人である。それを言い忘れていたことを、ふとゼノは気がついた。
彼女の視線の先には、自由気ままに街を行き交う人々がある。そして彼らの身体的特徴は非常に特殊であり、原始的なまでに素肌に布を引っ掛けただけの、額に対となる角を生やした男が居たり、あるいはその両手を巨大な鳥の翼にしている女性が居たり、また上半身は人そのものだが、腰の辺りから馬の肢体をくっつけている者が居たり。
前情報がなければ、これほど様々な種族が入り混じっていることに驚愕せずに居る者は少ない。
ゼノがそうクロルに説明してやると、彼女は合点がいったように手を叩いてみせた。
「クロル、こっちよ。麓へ向かう道はこっちなの、ゼノも覚えておいて」
そんな話をしていると、エルファがそう声を掛けた。
広場は三方向に太い道を広げている。左右と中央であり、中央は城下町と、その先にはここの領主が住まう城がある。エルファが向かうのは左側であり、やや坂になりつつある道だ。ゼノが向かうのは右側、マッシュが言うにはいわゆる繁華街で、情報収集には打ってつけだという。
「了解。気をつけてね」
「はい! ではまたあとで合流しましょうね!」
そうして、三者三様手を振りながらゼノと離れていく。ゼノも手を振り返しながら、その表情をゆっくりと引き締めていった。
まず初めに探すのは、まあ手堅い所で酒場――と言いたい所だが、ここの住人の一人を探すのだ。雑多な情報が溢れている場所より、地元の人間が集まる場所の方が良い。
となれば、現地の人間が多く利用するような場所。
ゼノは歩きながら考える。
広場から離れれば離れるほどに商店が増えていく。山ほどにリンゴを屋台に積んでいる果実屋があれば、店先で肉の塊を焼いている店もある。店前で幾つもの樽を並べて、そこから発酵した芳醇な果実酒の香りが漂ってくる事にも気づく。
それらの前に立ち寄る人だかり。またそうでなくても、少しは気をつけて歩かなければ肩がぶつかる程その路地には人が密集している。
少しばかり歩けば、一角にそれらの店がいくつも入るのではないかと思うほど大きな建物がある。酒樽の看板を見るに、ここは酒場なのだろう。
「……違うと思うけどなぁ」
眺めながら、その前を通り過ぎる。
「伝記に詳しい……図書館……教会か」
一人でブツブツと呟きながら、やがて彼はその道の突き当りまでやってきたことに気づく。突き当りとは言え、まだ道は左右に広がり商店が立ち並んでいるし、そこからさらに路地が細分化されているように伸びている。慣れていなければ五分も経たずに迷子になるだろう。
「ま、ひとまず行ってみるか」
その突き当り、正面にはまた大きな教会があった。クモッグでも教会に立ち寄ったが、まさかグラン・ドレイグに来てまでここを利用するとは思わなかった。
この道はそこまで人通りは多くなく、また広い。たまたま通りすがった馬車が過ぎるのを待ってから、ゼノは歩みを進めた。
教会の前には、一人の女性が箒でその前を掃除している。その黒い修道服姿を見るに、この教会の尼なのだろう。
「ちょっと失礼します」
ゼノは当たり障りなくそう声を掛けた。
女は「はい?」と顔をあげる。黒髪を横に分けた、清潔そうな女性だった。
「ちょっと人を探しているんですが……この街に、伝記に詳しい老人が居ると聞いてやってきたのですが、知ってますか?」
彼女は少し驚いたような顔でゼノの顔と、彼の背負う対の長剣とを何度も見比べて、そうしてややあってからその質問に対して口を開いた。
「ああ……ガラム様なら、つい先日亡くなられてしまいまして」
「――死んだ……?」
ゼノは一瞬、言葉に詰まる。少しして、いや、もしかしたら人違いかもしれない、とも思った。
「この街で伝記に関する座談会などを開いていた方は、そのガラムさんなんですか?」
「はい。彼はその博識ゆえに多くの人たちに人気がありました。ですが一昨日の夜に、何者かによって家屋に火をつけられ……消火活動が終えたあと、彼の遺体の胸に一本の剣が突き刺されていたのを発見されたようです」
「そう、ですか……」
彼女の話が確かならば、殺害された後に火をつけられたのだ。恐らく、彼が持っていた書物やその知識を残した物は全て焼かれて残っていない……そこまでする人間が、残す筈がないと思う。
まさか、自分のせいか?
不意に嫌な予感が脳裏をよぎる。ドクン――強く高鳴った心臓が、鋭い牙をたてられたかのように激痛を呼び起こす。全身に稲妻が走ったかのような衝撃。呼吸が出来なくなる苦しみ。暑さが故ではない脂汗が、額からどっと溢れる。
目を見開き、痛みに喘ぐ。驚いたような修道女がゼノに駆け寄り、倒れそうな身体を必死に支えていた。
「だ、大丈夫ですか!? 何かお身体に障っているのなら、こちらで少しお休みを――」
「はっ、はぁ……いや、気にしないでください。いつもの事なので……もう、落ち着きましたから」
ゼノは呼吸を整えて、なんとか痛みを押し殺す。激痛はゆっくりとそのなりを潜め、何度か深呼吸を繰り返すうちにそれも収まった。
「すみません、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」
彼はそれだけ言い残すと、そそくさとその場を離れた。何か言いたげな、心配そうな尼の視線を振り払うようにして、ゼノは雑踏の中に姿を消していった。
❖ ❖ ❖
坂を上りきった先には、楽園があった。
「マッシュ。後は任せたわよ」
「ああ、わたしの分までゆっくり休んでくれよ」
そんなやりとりなど耳に入らず、クロルはその光景を眺めていた。
道の正面、ずっと先には怖いくらいに高く聳える山がある。あれが噂の、グラン火山という場所だ。
なんでもマッシュの目的の人物は、その火山の中に居を構えて鍛冶をしているのだという。
そしてそんなことよりも――坂を越えたその平地には、いくつもの大きな建物があり、それに付随するように丸太を突き立てて作られる大きな囲いを備えている。
その囲いの中が温泉なのだという。そんなエルファの説明を聞かずとも、この濃厚な硫黄の香りを嗅げばさしものクロルにだってそれがわかった。
「ど、どこの温泉に入るんですか?」
そわそわするように落ち着かないクロルがエルファに訊いた。
坂から一直線に火山まで伸びる道の両脇に、豪邸地味た建築物が点々としている。それら全てが宿であり、温泉がついているというのだ。一体どこをどう選ぶのか――もといどこの温泉に入れるのか、彼女は楽しみだった。
「まあどこでも変わんないわよ? 一番高いトコにでもしてみる? ふふっ」
エルファも楽しそうにそう言った。今まで清潔を保つ方法として、硬く絞った布で身体を拭くか、あるいは水場があればそこで水浴びをするしかなかった生活だ。風呂に入るなど贅沢はなかったし、大浴場などが備えられている宿などは中々利用することはなかった。
温泉は気持ちいいぞ、とエルファはクロルを焚き付ける。
結局二人は手近な宿を選び、働く男たちのことなどすっかり忘れて温泉に向かうことにした。
「なんて――なんて広いんでしょうかっ!」
荷物を部屋に置き、温泉へ。着ていた衣類は広い脱衣所の籠の中へ放り込み、やがて二人はそこへやってきた。
まだ昼間ということもあって、貸し切り状態だった。
目の前には、大きな、クロルは一瞬湖かと思うほど広い温泉が、そこには広がっていた。
もうもうと上がる湯気を全身に浴びながら、素っ裸の彼女は全身から汗が吹き出るのをもはや快感として覚えていた。
「もう、ガキんちょねえ」
そんなクロルを隣で眺めながらエルファは苦笑する。
温泉はただ丸太の大きな衝立に囲まれた水たまりのような場所だ。窪んだ地形に湯が湧いているだけの、殺風景な場所だ。特別何か装飾がなされているわけでもなければ、屋根もなく、彫像もなく、色気も何もない。
だがそれがいいのだ。温泉など、湯につかれればそれでいい。
クロルはエルファに促されるように、湯に近づいていく。足をそれにゆっくりと近づけ、触れる。熱すぎるほどのお湯が、肌に刺さるような刺激を与える。やがてその熱が身体に染み込んでくるような感覚。
好奇心、そして求める快楽に抗えずに身体がゆっくり温泉に飲み込まれていく。
「――っ」
もはや言葉にならない。息が詰まり、全身を圧迫する熱の瀑布が、その柔らかで優しい湯の感触が、途端に全身から力を奪っていく。
「……はぁ。もはや、なんというか……この気持ちよさは、背徳感さえありますね」
「ふふっ、気持ちいいでしょ。――ふう、ホント、疲れが溶けてくわぁ」
ちょうど壁になっているところを背に、エルファはそこに腕を乗せて両手を広げる。無防備になったその肢体、特に胸についた脂肪の塊はその主張を油断なくしていて、湯の上に浮かんでいた。
クロルはそれをちらっと見て、改めてなんともまあ、とんでもない身体をしているな、と思う。肉感的であるものの、スレンダーで、筋肉質。一方の自分はちんちくりんそのものだが――そんな落ち込みも、何もかもは温泉に溶けていく。
今はそんな事などどうでもいい。クロルの思考は停止し、全身で入浴による快感を体感していた。




