旅路 ④ クロルの魔術講座
「やあ。君の相棒が起きたものだから、クロルに追いやられてしまったよ」
ゼノは荷台から身を乗り出して、御者台で馬を駆るマッシュに声を掛けた。
彼はゼノを一瞥して苦笑してから口を開いた。
「随分と賑やかになってくれたな」
後ろでなにやらクロルが騒いでいるのが聞こえる。それに微笑んで、ゼノは言った。
「うるさいのが苦手だったら申し訳ないです」
「いやいや、人は多く、出来れば楽しい方がいい。連れはいつも明るい時間は眠っているから、こうして人とまともに話すのも久しぶりでね」
「ははっ。じゃあ少し、お邪魔しますよ」
言いながら、ゼノは荷台を飛び越えて御者台に腰掛ける。そう広くはない席は男二人も座れば膝がくっつくほど窮屈だったが、風が吹き抜ける馬車の上だから、声が良く届きかえって丁度いい。
「君の相棒はエルフなのかい?」
「ん? ああ……ちょっとした腐れ縁でね。今はわたしの用心棒として着いてきてくれているが、彼女ほど頼りになる人物も知らないからな」
「それはよかった。君らは良いコンビなんだろうね」
「そう見えるのか?」
「君は彼女に託して夜眠れて、彼女は君に任せて昼間眠っていられるんだろう? 信頼の証だと思うよ」
「ふっ、そう言われるのも気恥ずかしいな。ゼノ君たちも、随分と仲が良さそうだが?」
「クロルが気を使ってくれているだけさ。まだ出会って一週間くらいだから、ゆっくり慣れてくれればいんだけど……」
言いながら、ちらり、と後ろを見やる。エルフの娘はすっかり衣服を身につけ終わっていて、何やら楽しそうに会話に華が咲いているようだった。
「あんた、魔術師なの?」
不意にエルファが問う。
言って良いものか、と思いながら、別段隠す理由もない。クロルは小さく頷いてみせると、エルファは楽しげに顔を覗き込んできた。
甘い香りが鼻腔を掠める。なぜ綺麗な女性は誰しも良い臭いがするのだろう――思いながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
「珍しいわね、まだこんなにちっちゃいのに」
言いながらエルファはクロルの頭を撫でてみせる。クロルはぶんぶん頭を振って手を払った。
「小さくないです! もう十六になりましたし!」
それに、とクロルは続けた。
「術を使うのに、年齢は関係ありません! お師匠さまの教えを覚え、術を理解さえしてればいいんですから!」
「あたし術は使うけど、その理解ってのがいまいちわかんないのよね。だから魔術師が居たら教えてもらおうと思っててさ……でも、クロルに説明できるかなぁ?」
エルファはそう言って意地悪な笑みを浮かべる。クロルはそれを見て、挑発だとわかりきっているのに、たまらずむくれてみせた。
「いいです、構わないです。私もおさらいになるので一から十まで、説明させて頂きますよ!」
――そこまで言って、ふう、と小さく息を吐く。
喋ることを考えて、しばらく間を置いてから口を開く。
「まず魔術に関して知っておくべきことは三つあります」
クロルは指を三本立てた。
一つは魔法。
一つは深淵以前の魔術。
一つは深淵後の魔術。
「元々魔法というものがありました。これは世界的にも希少なもので、いわゆる仙人など人の境地を捨て神に近づいた人だけが使えるとされています」
魔法というのは極めて奇跡的なもので、あらゆる代償を無視して超常的な力を発揮する。例えば指先で山を動かすほどの怪力を宿すことも出来るし、あるいは死した生き物を蘇生させることが出来る。
簡単に言えば、どう考えても不可能な事象を発生させる力だ。
それは奇跡とも神通力とも呼ばれていたが、やがて魔法という言葉に統一されていった。
「これを魔術に昇華させたのが、今の深淵――かつてウィフト公国の大公の一人であった『クラフ・ウィフト十三世』です。彼は生まれながら魔法の才を持ち、またこれを人々の暮らしの助けとなるよう、誰でも扱えるものにしたいと考え魔術を開発したとされています」
彼は幼少より頭脳明晰であることが有名で、その生涯を魔術に捧げたとされている。
故に彼が大公を務めて以降、ウィフト公国は魔術の国と呼ばれるほど文化が発達し、それはやがて文明へと育ち、魔術先進国として世界的に名を馳せていた。
クラフ・ウィフト十三世が残した魔術の基本的な理念は、人を助けるもの。ゆえにその力は重い物を持ち上げるために筋力を発達させたり、あるいは傷ついた肉体を癒やす為であったり、手を使わずに物を運んだり……その用途は多岐に渡る。
大公の教えによれば、人は誰しも魔術を扱う才を持つ。必要なものは魔術に対する深い理解と、教養と、正しい心だと言う。
ウィフト公国の教えは瞬く間に世界に広がり、今では考えられないほど魔術は多くの人の手の中にあった。
「お師匠さまは、これを魔術の源流だと言っていました。魔術はかくあるべきで、今の力は亜流に過ぎない、と」
この源流の基本理念とは別に、その仕様として術の行使は人間の『精神力』を元に、『世界』を利用する。物を生むこと、動かすこと――その全ては大地から生まれ、己を世界に同調させることによって発現する。
例えるならば、傷を癒やすのは奇跡ではなく、その新陳代謝を限りなく高め回復力を底上げしているだけ。炎を生むのは周囲の熱量を一点に集中させ、あるいは風などその他利用できるものを活用して発熱、それからなる発火現象を促すもの。
その作用の大小は飽くまで術者自身が精神力を代償にするかに過ぎず、利用する世界はほんの僅かで、個人間での影響によって始まり、終えるものである。
「いわゆる今の魔術……エルさんを始めとして広まったいわゆる亜流の魔術は、大公『ジャーク・ウィフト十六世』です。深淵の始祖と呼ばれる……今からおよそ千年前にこの世に生を受けた人です」
ジャーク・ウィフトは曽祖父であるクラフ・ウィフトに次ぐ天才と呼ばれていた。幼年の頃より息をするように魔術を扱い、そして新たな魔術の開発に着手し始めた。
だが彼は生まれながらに邪悪な性格を持ち、何よりも光を憎んでいた。自分の性格と正反対のその明るさが何よりも気に食わなかったと言われているが、それに関しては諸説ある。
「明確なのは、彼は何より力を求めた。天才ゆえにこの世に広まる全ての魔術を修めたのは、齢十八の頃だったと言われています。彼が求める力とは、破壊……破滅の術。己の力、その才能を示すには人を恐れさせ、服従させる方法が最も早いからです」
だから彼が生み出した魔術は、自身への負担を軽減させ、その代わりに世界を使う比重を重くした。それ故に魔術は、いわゆる源流と呼ばれるものに比べて遥かに簡易的で、強力なものに変貌したのだ。
そんな彼の魔術がもたらした結果は、戦争だった。
ウィフト公国は南東の最果てにある島国である。否、島国であった。
ジャーク・ウィフトの力によって島国と大陸とを繋ぐ巨大な地殻変動が発生し、島と大陸は結合した。
今ではもう存在しないが、近くにはラウド王国と呼ばれた小国があり、彼らはそこを攻め入って領地を広げることに成功した。
だがその力の使い方に対して、国民の反発は大きかった。そして戦争を起こした事によって、その力を手に入れんとする欲深き国王たちが立ち上がり、ウィフト公国へ攻め入る算段を企てた。
「ジャーク・ウィフトの力は、たしかに全世界に知られ、恐れられました。だからこそ世界を敵にした。世界を使いすぎた魔術は、巡り巡って己を滅ぼす結果になったのです」
ただ――ジャーク・ウィフトは諦めなかった。
否、諦めたが故、なのだろう。
「滅びることを恐れた彼は、それを恐れるあまり、自らの手で国を滅ぼしたのです」
最も、飽くまでそれは結果論だ。彼はあるいは、守ろうとしたのかもしれない。
ジャーク・ウィフトは己が幼少より育てていた邪を、全身全霊をもって術に変えた。その術は瞬く間に空を覆い尽くし、公国から光を奪い、命を奪い、闇で飲み込んだのだ。
それがいわゆる深淵の始まりだとされている。
深淵は公国の人間全てを魔物に変えた。それを逃れた者たちは、しかしそれでも肉体が変態し、人とは異なる存在へと変貌を遂げた。そんな彼らは命からがら生き延び――今では亜人類として、その数を増やしつつある。
やがて魔術は忌避され始め、術者はその最盛期に比べ十分の一以下の数しか存在しない。
そして現在使われている魔術の殆どは、その亜流だ。確かに源流に比べ負担は少ないし、簡単に扱うことも出来る。簡単の割に威力は甚大で、何も知らぬ者からすれば確かに重宝するかもしれない。
ただあまり使いすぎれば、その心はやがて深淵に引き込まれるだろう――リリィ・ブランカが言っていた事を、ふとクロルは思い出した。
「この深淵は間もなく世界を飲み込もうとしていました。これをウィフト領内に留めたのが、白銀竜だとされています」
「なるほどねぇ……クロルが使ってるのは、源流の方なの?」
腕を組み、静かに聞いていたエルファが問う。
クロルは小さく頷いた。
「お師匠さまの教えは源流でしたので。ただ世の中にはまだ、いわゆる魔法を扱える方も居ます。そういった人が生み出した、また別の魔術というのもこの世界にはたくさんあるのかもしれません」
だから私が知っているのは、飽くまで基礎的な部分だけです。クロルはそう言って、少し長めに息を吐いた。
疲れたように背もたれに身体を委ねる。
「人に教えを説けるほど偉くなったつもりもないので、少し疲れちゃいました」
「ふふっ、ありがとね、術師さま」
「いえいえ……ふわぁ、今朝も早かったので、少し眠くなっちゃいました」
あくびを噛み殺し、目の端に浮かんだ涙を拭う。それにつられるようにエルファも大きなあくびをして、御者台を背にして座るクロルの隣へ移動してきた。
自分がくるまっていた布を横にしてクロルと自分にかけ、頭を少女の肩に乗せる。
「だったら少し休みましょう? あたしもまだ寝足りないし」
「……そうですね、ゼノさんたちには悪いですけど、寝ちゃいましょっか」
そう言って、クロルもエルファの頭に沿わすように身体を委ねる。
目を閉じると、ゆっくりと睡魔が全身を支配してくる。身体が重くなっていき、意識がドロのように穏やかに流れるように落ちていく。
エルファと良い友人に慣れたらいいな、とクロルは思いながら、気がついた時にはすっかり意識を手放していた。




