旅路 ② グラン・ドレイグへ
血で汚れ爪で裂かれた衣類は、無情にもクロルによって処分された。
彼女に渡した金の使いみちは、果たして青年の新しい衣装の購入に使われた。
「……似合うかな?」
白地のシャツは薄手で軽いものの、クロルが選んでくれた黒い袖なしの胴着は生地が厚く、丈夫そうだった。店員が言うには具足師から仕入れた甲冑の下にも着れる布製の鎧のようなものだとのことで、刃を通しにくくなっているらしい。
さらにその上に膝丈までの長さの白い外套。今まで使用していたものとは異なり、首元だけをボタンで締めるタイプのそれは、先程の胴着と同じような素材で作られているようで、見た目に反してやや重さのある衣類に妙な安心感を覚えた。
下は黒いズボンに、脛ほどまでの編上げの長靴。
女の子に服を選んでもらった事は初めてだったが、思っていたよりシンプルに纏まって内心少し安心していた。
「とっても素敵だと思いますよっ! やっぱりゼノさんは、変に着飾るよりはすっきりしたデザインの方が似合うと思います!」
そういう彼女も服を新調していた。
黒を基調としたケープは細やかな刺繍が施されていて、その下に身につけるコルセットは身体を締め付けるせいで余計に目立つたわやかな胸を強調していた。コルセットと一体になっているスカートは腿までの丈で、その健康的な足はちょうど隠れるほどの長さの長靴を身に着けている。
踵が少しだけ高いその靴のおかげか、クロルを見る位置がわずかに高くなる。
彼女はそれが嬉しいようで、ニコニコしながら隣を歩いていた。そのお陰か、この人混みの中でも手をつなぐ事に抵抗はなく、傍から見れば兄妹か、恋人同士にでも見えることだろう。
「ありがとう。クロルは随分と、大人っぽい格好にしたんだね」
店を出て往来に出る最中、そんな言葉にふとクロルが立ち止まる。前を向いた視線を隣に落とすと、彼女はむっと頬を膨らませてゼノを睨みあげていた。
「私は大人ですっ! もう十六だし、ゼノさんの背が大きいだけで、私だって小さくないんですから!」
言いながら、クロルは自分の頭に手を乗せ、平行に動かす。彼女の小さな手がゼノの胸板あたりに水平チョップをかまし、ほら! ほら! と繰り返される言葉に呼応するように何度もゼノを叩いた。
「ごめんごめん、クロルは大人だ、クロルは大人」
言いながら、落ち着くようにゆっくりと頭を撫でてやる。それに対して彼女はまたむっとした顔をしたが、ゼノは構わず手を差し伸べると、ゆっくりとクロルはその手を握る。
往来は人が多い。日が昇ってきて少し経ったくらいの時間だから、ちょうど買い物に、出立に、様々な人が出ている。ガンズのような鎧姿もあれば、軽装な旅人のような格好、あるいは主婦たちのような集団に、荷馬車を引く商人など。
そんな中だから、さしものクロルも手を繋ぐ事を拒絶しない。もう慣れたというのもあるかもしれない。
「確かにクロルを子供扱いしてるかもしれないけど、でも君を一人の人間として、そして何より旅の相棒としても認めてるよ」
それはわかってるだろう? と少し大人の意地悪として言ってみてしまうのが、やはり彼女を子供扱いしてるという事なのだろうか。
彼女はまだ少しむくれていたが、小さく頷く。不承不承ながらも納得した、といったところだろう。
❖ ❖ ❖
町の中はともかく、その外周のあたりは非常に慌ただしかった。
死体の処理は済んでいたが、爆発によって破壊され、延焼した家屋や建物を一度潰し、再建しているのだ。全てが元通りになるまでにはまだまだ時間がかかることだろう。
「さて、また長い時間歩く事になりそうだね」
消し炭になった門を抜けた先は、また平原が広がっている。馬車の通りが多い為道は整備されているから歩きやすいが……馬でも買っておけば良かったか、と思う。
ただ馬とて不要になったときが困る。恐らく馬の必要がない時間の方が長いだろう。これからの道は険しく厳しい、その可能性が大きい。
「次の目的地まではどれくらいかかりそうですか?」
歩きながらクロルが訊く。ゼノは少し考えるように間を置いてから口を開いた。
「ここからグラン・ドレイグは北北東の位置にある。距離はそうだな、一週間も歩き通せば着くんじゃないかな、トラブルがなければ、だけど」
それに、とゼノは続ける。
「クモッグを抜けた道だから、あの四方に伸びる道は行商が良く通るんだ。運が良ければ拾ってもらえるかもしれない」
「なるほど。人が二人余計に乗れるほどおっきい馬車ならいいですね」
「そうだね。グラン・ドレイグは要塞であると同時に、鉱業の街としても有名だ。そこに仕入れに行く商人だったら都合がいいかもね」
「鉱業?」
「うん。後ろに大きな火山があって、そこから貴重な鉱石が採れるらしくて世界各地から色んな鍛冶師が集まってるんだよ」
それに麓の方では小さな集落のような形で、大きな天然の温泉が存在する。それゆえ城郭都市として存在する以外にも、観光や武具の物流などが盛んな街でもある。
基本的にこのアラリット共和国はそういった点が際立っている。大陸でも中央に存在するから、様々な人、物が集まりやすいのだ。
「温泉! へえ、楽しみですねっ」
クロルはわかりやすいくらいに笑顔になって、先程までの不機嫌をすっかり忘れてしまったような様子だった。
ゼノもつられるように微笑む。その無邪気さが凝り固まった心をゆっくりとほぐしてくれるような気がした。
こんな旅でなければ、クモッグでも、グラン・ドレイグでももう少しゆっくり出来ただろう。この旅が終わればもっと色々な世界を見せてやりたい、その反応を隣で眺めてみたい、と少し思う。
大人だとは言い張っているが、まだ十六の少女だ。自分が十六の頃など、自身の幼さや無力さに腹が立っていたくらいだ。
まだまだ経験も、考え方も十分とは言えない。だからこそ、彼女がこの先どう生きるのか気になってきた。
十六年、リリィ・ブランカの弟子として生き魔術を学んだ少女が外の世界を知り、何の夢を抱き、現実を知り、どう進んでいくのか。
――自分では叶わぬかもしれない未来があるからこそ、不意に託してみたくなる。
そう思うのはこの短い時間の中で確かに仲間であると認めた証拠であるのか、あるいは……。
「そういえば、今更なんだけどさ」
お天道様が頭上に上りきった所で、軽い休憩をとる。
道から逸れた原っぱに座り込み、軽い食事をとりながら身体を休めていた時のことだった。
「お師匠さんのトコに居た給仕さんは、どういう関係なんだい?」
不意に思い出した事を、何も考えずにゼノは口にする。
言ってみて、確かに気になる。あのヘンピな森の中、しかもあのリリィ・ブランカに仕えるただ一人の女性だ。一体何者なのだろうか。
「ああ、彼女はキャロルさんですよ。元々野良猫さんだったんです」
「……ん?」
猫? とゼノが問う前に、クロルが補足する。
「私がクモッグまで買い出しに出た帰りに、拾ってきた子猫ちゃんなんですよ。怪我をしてて、親猫も居なくて……家で飼うことにしたんです。そしたら、お師匠さまが遊びで術を教え込んで」
「ちょ、ちょっと待って。猫が術を?」
「はい。あの子も元々頭がいい子だったみたいで……お手伝いをする為に人に变化して、言葉も覚えて、現在に至るという感じですね」
「猫が術を使えるのかい?」
にわかに説明が入ってこない。ゼノはまだその段階の話をしていた。
クロルはそれがなんだか嬉しいように微笑みながら、自慢げに胸を反らしながら言った。
「魔術っていうのは適性があれば誰でも使えるんですよ。たとえ猫でも、赤ちゃんだって」
ただ現在のように魔術に関して盛んではない時代では、先入観や固定観念が邪魔をして、素質があっても扱えない人は多い。リリィ・ブランカは、その素質がある者のほうが多い筈だと話していた。
クロルはそう言って、手を差し出した。
「……なんだい?」
言いながらその手を握る。彼女はしっかりと握り返しながら、何かに集中するかのように目を瞑った。
刹那――身体の中を何かが駆け抜けた。電撃のような鋭い痛みが身体の芯を一瞬にして貫いたかのような感覚だった。
「んん……どうやら」
クロルは短く息を吐きながら手を離す。上目遣いにゼノを見ながら、何か気まずそうに言葉を止める。
ややあってから、意を決したように続けた。
「素質がない方みたい……ですね」
「お師匠さんに言わせれば、少数派の方ってことかな」
「ええ……そういう方は無理に術を使おうとしても使えないので、もし覚えようと思うのなら諦めて頂くしか……」
「なるほど」
元々使うつもりはなかったが、それがわかっただけ気が楽だ。もしあの時術の勉強をしていれば――なんて無駄な後悔をしなくて済むからだ。
「でもすごいね。クロルほどになれば、そういうのもわかるんだね」
「ふふっ、すごいでしょう?」
珍しく、クロルはいたずらっぽくそう言った。気のせいか、大人びたその表情は妙な色気があって、不意にドキリとする。
「私、もっとゼノさんのお役に立ちますからね。あなたが守ってくれるなら、私もあなたを守ります。夕べのガンズさんのようにはなれませんけど、私なりの力で」
だから、とクロルは続けた。
「何か……まだ話せない、だけどやがて話せるなら、その時に教えてください。あなたの胸に秘めている事、心配な事――私で良ければ、あなたの背負うものを分けて欲しいです」
クロルは夕べの事を思い出していた。
彼はひどく辛い笑顔を湛えて戦っていた。あれは喜びや楽しい事から生まれるものではない筈だ。自分の中で溢れる怒りや憎しみ、悲しみなどを押し殺して、完全になくして、僅かでも出てこないように笑っている。そんな風にしか見えなかった。
仲間として、そして一人の人間として心配になる。
いつからそうしていたかわからない。もし生まれてからずっとだとしたら――およそクロルには想像も出来ないほどの苦労があったのだろう。
そんな想いが顔に出てしまっていたのだろうか。不意に、頭に重く伸し掛かる手の感触を彼女は覚えた。
「クロル、ありがとう。君の言葉に甘えて……今じゃないけど、いつか、必ず話すよ」
少し見上げたゼノの表情は、いつにも増して柔らかく、優しい笑顔で満たされていた。




