閑話 ②
忘れてた。ゼノはそう呟くと、宿で荷物の整理をしていたクロルに布袋を放り投げた。
彼女の居る寝台の上で鈍く弾むそれは、その中でジャラジャラと硬質な音をがなりたてる。
「……? なんですか、これ」
言いながら袋を手に取る。ずっしりとした重さを彼女は持て余すように、一度膝の上に置いて開けてみた。
中には金色のコインが何枚……否、何十、あるいは数百枚と収まっている。
貨幣である。金銭である。それを理解したのは少ししてからだった。
「昨日の報酬だそうだ。クロルも何か必要なものがあったら、それで買うといいよ。足りなくなったらまた言ってくれれば――」
「ま、待ってください! ちょっとちょっと、どんな額ですかこれはっ」
「……どうだろう、僕も確認してないからわからないけど、町長がくれたんだから三○○万くらいはあるんじゃないかな」
「ひゃっ」
クロルはしゃっくりでも出たかのように声を上げた。
三○○万ルド。それはおよそ、その簡素な布袋に収められている金貨の数だ。
金貨一枚で銀貨の十枚分の価値。銀貨一枚は、銅貨一○○枚分の価値。銅貨十枚でりんごが一つ買えるかどうかの価値だ。この銅貨一枚を一ルドとされ、基本的には銅貨換算で貨幣の単位を決めて呼んでいる。
最も地域や国ごとに流通している通貨や、貨幣自体の価値も異なるが、現在の世情からしてそこまで極端に振れ幅があるわけでもない。
「そそそ、そんな大金……預かれませんっ!」
「大丈夫、預けたわけじゃなくてあげたんだから。今回の旅に関して前金もなかったし……」
「いやいやいや、私はそんな、お金が目当てでここに居るわけじゃないです!」
クロルは現実離れした金額を前にプルプルと小刻みに震えながら、不躾なゼノの言動に必死に反対していた。
無論、ゼノとてわかっている。ただクロルには迷惑をかける。そのせめてもの謝礼として受け取っておいてほしかったのだ。加えて彼が言ったことは本心であり、行く先々でゼノが気づかない彼女なりに欲しいもの、必要な物を自分で管理できるようにして貰いたい。
つまり旅とは言え、不自由にさせたくはない。一種の親心のようなものだった。
だから、
「それはいわば上限額だよ。君が欲しいもの、必要なものを買うためにそこから出して欲しい。必要なかったり、余ったりすれば渡してくれればいいよ。一々買い物の度に僕にねだるのも嫌だろう? 僕だったら嫌だからね」
簡単に、正論めかしくそう語ってみせた。
クロルはそれでも少し困ったように眉根をしかめていたが、しばらく考えた末に、ようやくリュックの奥底にその袋を入れる事を決意したようだった。
「確かに、ゼノさんに度々ご迷惑をかけるのも申し訳ない話なので……一応、私が持つことにしますね……」
荷物を纏め、必要なものをその上に整頓しながら詰めていく。
その折に、でもでも、とクロルが言った。
「な、失くしてしまったり、盗まれてしまったらどうしましょう!?」
「失くしたら、まあその時はその時だね。あと忘れてるのかもしれないけど、そんな輩から君を守るって約束したろう?」
「……うん、そう……ですよね。大丈夫、ですよね?」
不安げな様子を隠せないクロルは、旅立った頃とは打って変わって萎んだリュックをしっかり閉じると、また落ち着かないように中身の確認を再度始める。
ゼノはそれに苦笑しながら、彼女の隣に腰掛けた。
「あんまり考えないほうがいいよ。中身の減らない財布を拾ったと思えばいい」
「……そうですね。いつもポケットに入るだけの額しか持ったことがないので、き、緊張しちゃって」
「ははっ――それはそうと、随分と荷物が減ったね?」
毛皮の毛布こそ丸められリュックに固定されているが、中身は随分と余剰があるように見える。
そしてその証左となるように、彼女が不要だと判断した品々が寝台の上で一つに纏められていた。目立つのは食器類に、まだ綺麗な衣類、未使用らしき布等々。
「はい、ゼノさんを見習って荷物は必要な分だけにしようかと。食器などはその場で適当な物を使えばいいし、衣料は必要な時に近くの町で調達すればいいかなって」
「でも、もったいなくない? こんなに綺麗な服があって」
「お恥ずかしい話――王子さまの旅のお供、という事を考えて、恥ずかしくないように精一杯オシャレな服をいっぱい持ってきちゃってて……」
「なるほど」
言われてみれば確かに、機能性を軽視したおしゃれ着ばかりだ。一部にはちょっとしたドレスのようなものもある――その全ては、クロルに似合いそうだ、と思う。
ただ彼女の言う通り、旅にこれほどの道具や衣類は邪魔でしかない。無論、必要ないというわけではないが、長旅になる可能性があり、それらを運ぶのが人力ならば持ち歩く荷物は最低限の方が良い、とゼノは思う。
最低限の食料に、地図に、コンパス。ゼノは鎧を着込まないからまだ気も楽だが、ガンズのような甲冑姿ではとても長い時間を歩ける気がしない。
クロルにとっての鎧が、この荷物だったのだ、と思う。彼女が必要ないと考えたならば、そうなのだろう。
「でも、これだけの物をどうするんだい?」
ゼノはちょっとイタズラっぽく訊く。まさか道中で捨てていくわけにもいくまい。
彼女はちゃんと考えている、と誇るように胸を逸らして言った。
「この宿に寄付していこうかと。服はともかく、布類は役に立つと思いますし、鍋も食器もまだまだ綺麗ですし!」
「ああ、いい考えだね。それがいい」
ゼノはそう言って微笑んだ。クロルは嬉しそうにそれに頷き返す。
何の気なしに窓の外を眺めると、外はようやく早朝の肌寒さが和らぎ陽が世界を暖かく照らし始めているようだった。
よし、と膝を叩くようにして立ち上がったゼノは、改めてクロルへ顔を向けて口を開く。
「そろそろ行こうか。頼りにしてるよ、クロル」
「はい! 精一杯頑張らせて頂きますっ!」
差し伸べられた手を、クロルはしっかり、力強く握る。そのまま引っ張られるように立ち上がり、二人は顔を合わせたまま示し合わせたように頷いた。




