第97話 どうぐじゃないわたしはにんげん
今週も残念ですが1話だけです。
残り20話も無いので勢い良く書きたいんですが…なかなか…。
「…よし、一先ずはこのくらいか」
マイクは出揃った意見を纏めると、納得のいった様子で頷いて俺に笑い掛けた。俺も、楽観は出来ないながら先ず先ずの進捗に気を休めていた所だった。あとは今後とも作戦を有利に進められるように身の振りに気を付ければいい、と考えていた所に、
「…話し合いが終わりなら、これもついでに報せておきたいんだが…」
とマリックから思わぬ報告がある。マリックは俺とメーティスを見て一瞬発言を渋ったが、敢えて話して聞かせることにしたらしかった。
「…アムラハンの現状についてだ。…まぁ、1つは、中央広場を中心に悪臭や伝染病が蔓延し始めたことに苦情があって公開処刑の形式が変わった。政治的に深い意味を持つ処刑のみ公開することにされ、そちらも火刑に統一されるらしい。あの大臣らしいが、早速これまでの処刑法を立案した人物というのが大々的に発表されて処刑されている。分かり易い目眩ましだな。…そして2つ目に、件数は少ないが魔人を対象にした強盗や集団暴行事件が起きている。その上被害者の魔人は冤罪で死刑にされることまである。アムラハンや各港が主な発生地点だが、ここから拡大する可能性は極めて高い。こいつも、どう考えてもこの政策のせいだ。魔人相手になら何をしてもいいと考える輩が現れ始めたということだ」
会議の光景と打って変わってそれぞれ眉間にシワを寄せる。…今起きている問題は何もクリスのことばかりではない。不完全な独裁体制が、不安と恐怖に彩られた人達を狂気に走らせている。そしてその波は、アムラハンだけに留まらず今この瞬間にも拡大している。
「また、クリスティーネの誘拐に関わったとされるツェデクスだが、近頃それらしき集団が街へ奇襲を掛けて白昼堂々住人を連れ去っているらしい」
マリックの続きの発言に、俺は思わず立ち上がりかけた。メーティスも息を呑み、教員達は揃って俺達を見つめた。俺は咄嗟に言葉が出ず、何度か口を開き直した挙げ句に「…どうぞ、詳しく…」と促して座る。
「…ツェデクスの出没地点はハールポプラ、パンジャ、ポーランシャ…。いずれも門や港口の防衛をいとも簡単に突破して街の中心部に進み、演説で住民を懐柔して仲間に引き入れている。『自分についてくれば魔王の下で平和を手に入れられる』と言ってな。…この演説をしている男が鬼神のように強く、防衛陣営はその殆どがこいつによって全滅させられたようだ。…お前なら誰か分かるな?」
「……リード・I・ベトル…いや、ダムアですか」
「あぁ、そうだ。ダムア・ファル・ケイトリンと名乗る男…この事態を引き起こした全ての元凶だ。…俺はこれを受けて、ようやく一連の出来事が繋がったと感じた。これは分かるか?」
マリックは、試すように視線を突き刺して俺の返事を待つ。俺はそれに頷いてメーティスの手を強く握り、順を追って事を整理した。
「…クリスティーネ様誘拐の目的は、ダムアの管理下で確実に魔人との子供を孕ませること、そしてそれを過程に含めた精神的拷問によってクリスティーネ様を精神崩壊に至らしめ、出産後の再起が不能な状態に陥れることだと推測されます。リーベルのような子供が産まれることを予期できた理由は不明ですが、それは一先ず置きます。…そして、城にスパイを用意してクリスティーネ様の子の殺害を企てたこと。これは勿論、光の血筋をこの代で終わらせるためでしょう。とはいえ女性1人にその役を任せたことから見て、ダムアにとっては『念のための処置』だったと思われます。リーベルが生きていた所で人々はリーベルを光の勇者などとは認めないでしょうし、リーベルに生殖器が無かったことからどのみち実質的な光の血筋はクリスティーネ様で終わることになっていたからです。……これらが、現在ダムアが行っている庶民の懐柔に繋がっている」
メーティスも見当がついたようで俺を見つめたまま目を見張り、呼吸も忘れたように身動き一つ取らなくなる。俺は眼が合ったマイクと頷き合ってから再びマリックと眼を交わす。マリックは俺の言葉に逐一頷き、相互の予想の一致を示した。
「光の血が機能しなくなったことで、人々は討伐軍に可能性を見出だせなくなりました。このままでは人類ではなく魔王が勝つ可能性の方が圧倒的に高い。この状況でなら、ダムアを支持しツェデクスに亡命する人々は大勢いるでしょう。…実際、それはどうでしたか?」
「あぁ、その通り…大勢いた。それぞれの街で半数もの人々がダムアに従っていった」
「そうなりますよね…。初めはツェデクスがクリスティーネ様を殺さずに帰したことが腑に落ちませんでしたが、今なら分かります。ダムアは、ツェデクスとしてのやり方で人々を救済するためにクリスティーネ様を利用した。おそらく、可能な限り多くの人々を抱き込んでからクリスティーネ様を殺すつもりなんでしょう。そうすれば多くの人が魔王の支配下とはいえ生活を保証されます。もし人員を集めたツェデクスが総力戦に出れば、クリスティーネ様がアムラハンにいる現状でも十分ツェデクスに軍配が上がる。…その内、ダムアはアムラハンに顔を見せに来るでしょうね」
俺の冷静な最後の一言に、マリックもマイクも不思議そうに視線で探ってきた。しかし2人はそれをずけずけとは訊けず、唯一それを許された関係のメーティスだけが俺に問い掛けた。メーティスの眼は怒りや悲しみに潤み、或いは復讐に誘うような脅迫感をも滲ませている。俺はそれに返すべき感情と表情を見失ったまま静かに俯いていた。
「…ダムアが……リードが憎くないの?…レムなら、当然リードを恨んでると思ったけど…」
「……恨むさ。…だけど、憎みきれないんだ。…あいつが悪だとするなら、その悪を育てた別の悪がいるんだ。…リードもクリスと同じ社会の被害者に思えて仕方がない。…あいつを許せないのは確かだけど、…けど、俺はそれだけであいつを憎むことが出来ないんだ」
俺の返事に、メーティスは一転して申し訳なさそうに俯く。「優しいのねぇ…」とユーリが呆れたように笑い、俺達の視線を集めた。
「レムリアドくん、その論法が通るなら私達も『悪を育てた悪』よ。私達が情けなかったばかりにダムアの凶行を許してしまった。私達…アカデミーは、アカデミーの事情だけに眼が眩んでダムアをクリスティーネのパーティに加入させ、結果奴の犯行を助けた。これは悪と呼んでいいわ」
「…いえ、それは違うでしょう。…だって、あなた達には悪意なんて――」
「無かったなんて言わせないわ。悪意は人を害しようという思いだけじゃない。人の想いを無視してでも自分のために行おうという利己的な感情も悪意の一例に当たるのよ。私達は当時、汲もうという気持ちさえあればあなた達の気持ちを汲むことが出来たのに、それをせず大会の形を採った。…あなた達をパーティメンバーに進言する言い分だって有ったのに、それをしなかった」
ユーリは熱が入り、半ば叫ぶように続けたが、誰も遮ろうとはしなかった。彼女の顔は悔しさに泣き出すのではと思う程に赤く染まり、見れば両拳を震える程に強く握っていた。レイラはそんな彼女を労って肩や手に触れた。
「…知ってるかしら、マリックみたく力も魔法も持った魔人なんて少数派なのよ。生まれ持った素質でそれは決まる。けど、例外的にそんな少数派が1ヶ所に集まることがあるわ。それは、環境によって後天的にその素質を身に付けてた場合よ。エラルドやマイクやゾルガーロがそう。…自分で気づいていたか知らないけど、あなた達もそうなのよ。光の血筋と信頼を築き、共に過ごしたあなた達は、優れた能力を持っていることが約束されていたの。……これだけ言えば分かるでしょう?私達は、それを知っていて何も言わなかったのよ。強く訴えればあなた達を彼女と共に旅に出させてあげられたのに、そうしなかった!誰も不用意に責任を負いたくなくて流されていただけだったの!…これが悪意じゃなくて何だって言うの!?……あんたが責めてくれなくちゃ、誰が私達を許してくれるの……」
…彼女が、ユーリがこれ程に自責の念に潰されていたとは、俺達は今まで知る由も無かった。彼女は辛うじて涙は見せなかった。声は僅かに震えたものの、俺達に涙を見せることだけは許されないと戒めたようだった。
「…ユーリ先生は、本当に正義感が強い人なんですね。…マイク先生からお聞きした通りです」
微笑み掛けて慰める俺に、ユーリは「…そんなんじゃないわ」と首を振る。なおも自分を責めるように、ユーリは寄せた眉の下で熱くなった眼を足下に落とした。
「…ただ、私は自分の信念に反したことに後悔しているだけよ。魔人として、魔法使いとして、世界のために唯一無二の功績を残すこと…。他の誰とも違う偉業で、この世界に道を示すこと…。それが私の思い描いた夢だったのに、私は違う道を進んでる。…それが、ただ許せなかっただけよ…」
「…それは立派なことでしょう。だって、それを正義感と言わずに何て呼ぶんですか?」
俺は彼女の言葉を借りて慰め、笑い掛けた。彼女はその言葉に黙り込み、その内堪えられず漏れ出したように鼻の奥で笑い声を震わせた。
「…こんなおばさんにすらそんなこと言うから、あんたってどこでも女誑しなのよ」
軽口を言える程度には落ち着いたらしく、俺はそれに安心して「気を付けますよ」と寛容に往なした。心配そうに見守っていたメーティスや他の教員達も深く息をついて、その場は穏やかな空気に移り変わりつつあったが、またしてもマリックが思い返したように表情を暗くして口を開き始める。
「…ユーリが落ち着いたなら、また話を続けさせてもらいたいんだが…いいか…?」
ユーリは気恥ずかしいのかマリックから眼を反らし、「…まだ何かあるの?」とぶっきらぼうに訊ねる。マリックはそれに頷くと、顔を俺に向けつつ、
「安心しろ、次で俺の報告は終わりだ。…それに、今度は一応…規模としてはここまでの報告に比べて小さなものだ。…内容も、本当に下らないものだ」
マリックの言い様に不安を抱かない者がいるはずもなく、俺達はその言葉の裏をあれこれ想像して独りでに気を重くする。マリックは、また俺を見て告げていった。それを見て、またクリスに関することだと容易に想像がつく。メーティスの握る手が益々強まっていく。
「…近頃、住民の間でクリスティーネに関する噂が大量に出回っている。根も葉も無い噂が大半を占めていて、不要に干渉するよりは放置しておくのが利口だと思っていたんだがな」
「…何か、マズイことが…?」
住民達がクリスのことを勝手に悪く言っているのは今更なことで、俺は以前から気に入らなく思ってはいたのだが、マリックがわざわざ空気を破ってまで話したということは単にその噂が酷過ぎるというだけではないのだろう。何かそれ以上の影響があるからこそ言っているのだと感じ、実際にその予想は当たっていた。マリックは俺が促すと益々言い辛そうにして続けた。
「内容が妙に意図的なんだ。…『アカデミーでは多くの男子生徒や教員とまで関係を持っていた』というものや、『幼少期には生まれ持った力を濫用して他の子供達を脅して従えていた』というもの、『王家の資産を目的に第2王子に言い寄ったと思えば、それが叶わないと分かるや即座に王子を毒殺し、勇者の末裔という権力を盾に刑罰を逃れた』などというもの………これらは全て事実無根だが、総じてクリスティーネの地位を貶めることを明らかな目的としている。…ただの悪戯とするには不自然な程に明確な悪意が乗せられていて、とても人々が笑いの種として流した噂とは思えないんだ」
流石にこれは聞いていて腸が煮え繰り返った。彼女を貶める行為だからというのもあるが、その内容が剰りにも本当の彼女と真逆を行き、彼女が大切にしてきた全てを侮辱していたからだ。
彼女は使命を受けて以来、光の神が人と交わったことを元凶の罪と考え、また使命を全うするまでその資格を持てないとして、自身に男女交際を禁じていた。そうでなくとも彼女はファウドとの日々を大切にしていて、恋愛感情やそれに纏わるあらゆる行為についても神聖視していた。彼女は愛を信条にしていた。辺り構わず肉体関係を持つなど、あり得るはずがないのだ。
幼少期の噂も事実と反転している。彼女は生まれ持った力に苦しめられたことはあれど、それによって周囲の人間を故意に傷付けた試しなどほんの1度きりすらもない。それ以前に彼女は他人を傷付けることをこよなく嫌う優しい女性だ。人を虐げて従わせるなど絶対にしない。
極め付けには、その噂は彼女の優しさや気高さ、聡明さを作り上げた原点であるファウドとの絶対の絆すらも踏み躙った。彼女が辿った人生の一つ一つを罵声で書き換えられたような感覚に陥り、マリックに俺は口を利く余裕すら失った。
「…そして、…これだけなら、俺も住民の誰かがクリスティーネを呪って流した噂かもしれないと思えたんだが、…少し気になる内容のものもあった。…ただの民間人が流したとは思えなかったからな」
マリックはそう告げて此方の反応を待ち、しかし歯を食い縛る俺はそれに対して返事が出来なかった。俺を一瞥しつつ代わったメーティスが「どんな内容ですか…?」と促す。
「『クリスティーネは現在、富豪向きの娼婦になって隠れ住み、下品な媚びを売って生き長らえている』。…ここの噂だけ、事実を知っている者が流したとしか思えない程鮮明で具体的なものに仕上がっている。…これを表面的に受け取ると、クリスティーネの研究の内情に通じた誰かが噂に荷担していると考えることが出来る」
マリックは、飽くまでも冷静なスタンスでそう明かした。不意にメーティスが身体を飛び上がらせて「痛っ…!」と呻き、自分が怒りの剰りメーティスの手を握り潰してしまったことに気付く。ベッタリと手の平に血が染み付き、俺は彼女の手を放して言葉だけの謝罪を投げ掛けるとハンカチを手渡した。…意図せず彼女を傷付けてしまったことに反省はするが、そのことで怒りを忘れる訳ではない。彼女に誠心誠意の謝罪を行う精神状態にはなかった。
「…確実に犯人がいると言うなら、すぐにでも探しましょう。目的がどうあれ、彼女が貶められているのに黙ってなどいられません」
当然の返事のつもりだった。しかし、そう告げた俺に対してマリックは堪えるような表情で首を振る。訝しく見つめても、彼はその態度を撤回することもなく、
「一応報告しただけだ。その事は放っておけ」
愕然とした。彼自身もこの状態を問題と明確に認識しているにも関わらず、現状では措置を取れないというのだ。何故だと声を張り上げた俺に被せるようにして「分かるだろ」とマイクが窘める。俺は彼の強い眼差しに、その意味を悟って引き下がるしかなかった。彼はその意味を確認するようにゆっくりと囁くようにして続けた。
「今ここでお前が動けばまた警戒が高まるんだ。ここまでの話にあったように、そう遠くない未来にクリスティーネを救うチャンスが現れる。今は堪えるべきだ、そうだろう」
「そう、でしょうか?」
ふと、今まで静かにしていたカトリーヌが異議を唱え、周囲の眼を引いた。彼女は膝の上に組んだ両手を置いたままに見回して自分なりの意見を述べる。マリックはそれを聞く前から感心して、カトリーヌが言うならと賛同するように背に腕を回して微笑んでいた。
「マイク先生に対立するようで申し訳無いです。…おそらくですが、レムリアドくんへの警戒が完全に晴れることは無いと思います。レムリアドくんがクリスティーネさんに掛ける想いの強さは誰が見ても明らかですし、現国王様も大臣様も目の当たりにしていてそれを承知していると思います。…だから、ここでレムリアドくんが動かないとなると逆に疑いが掛かるんじゃないかな、と…」
マリックも同調して前の発言を撤回しようもしたが、その発言はレイラに奪われた。ただその旨は同じだったのかマリックは納得して頷いたまま彼女に後を任せて楽な姿勢に戻る。レイラはここまで聞き手に留まっていた分を発散するように積極的に意見し、
「彼方もレムリアドくんが単独でそのくらいの動きを見せることは折り込み済みでしょうし、寧ろ好きに動いてもらった方がいいです。此方の連携を誤魔化すには、度が過ぎない程度にそういったことも必要なんじゃないでしょうか」
続いて感化されたエラルドも口を開く。
「マイク先生、私もレイラ先生と同意見です。ここは少し方針を変えてもいいかもしれません。レムリアドくんには一個人として、クリスティーネさんの身を案じての行動を正直に行ってもらって構わないのではと思います。その上でマイク先生がレムリアドくんを制御しているとアピール出来れば確実に信用されるでしょう」
立て続いた言葉にもマイクは難色を示した。腕を組んで難しい顔で唸り、「そういう芝居っぽいのは苦手で…な」と苦笑。エラルドもそれに「…そうでしたね」と笑い返す。
彼はまた俺と眼を合わせ、意思を確認した。許されるなら犯人を突き止めるだけでも動きたいと思い、まっすぐに見つめ返していると、彼はハァー…と大きな溜め息をついて「分かった」と頷いた。
「いいだろう、気が済むようにしろ。ただ、何度も言うが動き過ぎるなよ。本当は慎重過ぎるくらいが丁度いいんだ」
「はい、承知してます。絶対に今後の作戦に響くようなことはしません。…何なら、時間がお有りならついてきていただいても…」
此方の勝手な言い分ではあったものの、マイクは眉を寄せて長考してから、
「なら、俺も行くことにしよう。…犯人や動機が予想通りだった場合、お前が自制出来るとも限らないからな…」
それは俺が約束を破って暴走するであろうと決めて掛かった発言だったが、他の教員達の同意するような神妙な沈黙もあって何処か予言めいてすらいた。
「…誰ですか?」
訊ねると、マイクは即座に首を振る。
「ただの予想だ。だから言わん。…決めつけて騒ぐようじゃ住民達と変わらないからな」
「…そうですね、自分で調べます」
叱られた気分で引き下がり、ふと此方を心配そうに見つめていたメーティスに気付いて微笑み掛ける。私も手伝う、とハンカチを巻いた手を繋いでくる彼女に「ごめん…ありがとう」と握り返す中、手を叩いて注目を集めたマイクが会議の終了を告げた。




