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第93話 おしめをかえられわらわれる

 木曜日の授業実習は失敗に終わった。黒板の文字が小さ過ぎたり、殆ど教科書を音読しているだけと変わらなかったりして終始グダグダしていた。マイクは先日のことを気にせずきちんとアドバイスをくれたので、金曜日は反省を活かして多少はマシな授業を行うことが出来た。マイクには頭が上がらない。

 また、実習を通して生徒と少し仲良くなった。授業が終わって教室を出るまでの間に女子生徒から妙に話し掛けられるようになり、金曜日には廊下で会った子に呼び止められたりした。教育実習前は何をしていたのかなど経歴について何度も訊かれるのだが、俺は仕事があるので未だまともに相手をしてやれていない。折角興味を持ってくれたのに申し訳ないが、俺だって忙しくてそれ所ではないのだ。

 そして、そんな生徒達の中でも特に印象深かったのが2年Bクラスの3人だった。彼女らは授業が終わって黒板を消していた俺に向かって、唐突に「レムリアド先生って有名ですよね」と予想外なことを言ってきたのだった。

 最初にそれを言ったのはイノギア・パスカルという少女だった。承和色の長髪を元気良く揺らす彼女は、同じく活発そうな白百合の目をキラキラさせていた。儚さを感じる色彩の容姿とは裏腹に明るい彼女の姿勢は見ていて心地好く、何処か幼少への追憶をイメージさせた。

 彼女の隣左右には男女が連れ添う。左手にはラスト・J・セニウスという少女が、右手にはアロガン・ツァルノという少年が立つ。シアン色の三つ編み髪と瞳を持つラストも、鮮やかなオレンジ色の髪を坊ちゃん刈りにして同色の目を持つアロガンも、その明るい色彩の割にはイノギアと比較して控え目な性格で、3人揃うとそのチグハグさが面白く見えた。

 イノギアは俺の返答も待たずに「3年の先輩がめっちゃ噂してますよ」と続けた。俺はそれに溜め息混じりに返す。

「噂って何でまた…。もしかしてマイク先生絡みか?」

「マイク先生?…いやいや、違いますよ。何て言うか、先生って今の3年生が1年生だった時に卒業したんですよね?武勇伝っていうか、色々残ってますよ」

 マイクのホモ疑惑に巻き込まれて噂になったという訳ではないと安心したのも束の間にまた話が嫌な方へ進んできた。左右の2人は飽くまで付き添っているだけなのか特に喋ることはなく、イノギアが会話を独占していた。

「卒業後の1年もクリスティーネが学校にいたから、ずーっと先生のことは話題に挙がってたらしいですよ。…入学してからずっとクリスティーネを熱心に追い掛けて、なのにクリスティーネの従士になるための大会か何かで、ギリギリ優勝を逃したんですよね。それから1年は荒れちゃってたくさんの女子と寝たりしてたのが、また急に落ち着いて、今度はクリスティーネとも微妙に復縁しそうになったけどそのまま卒業、って流れ。……噂の方は大分尾ひれが付いてて壮大なラブストーリーが展開されてたので自分なりに纏めてみたんですけど、これで合ってます?」

 大体合ってはいるが、昔のことを掘り返されるのは気分が良くない。俺はガーッと一気に黒板を消し終え、手早く片付けながら溜め息を返した。付き添いの2人も呆れた顔でイノギアを見つめている。

「そんなことに時間使ってもしょうがないだろ…。別に勉強だけしろとは言わないけど、遊ぶのは程々にしとけよ。今が大切な時期なんだから」

「えー、冷たいなぁ…。もーちょっと付き合ってくれてもいいじゃないですかぁー。私ぃ、先生のこともーっと知りたいなぁー」

「やめろってのはそーゆーのだよ、そーゆーの。先生だって人なんだからあんまりしつこいと怒るぞ。俺とクリスティーネ様がどんな関係でも別に面白くも何ともないだろ?」

「クリスティーネ()って!様付けて呼んでる人なんてもう先生以外いませんよ!…へぇ~、やっぱり本当にクリスティーネと深い仲だったんですねぇ~。ふ~ん」

 何だか面倒になってきたし、会話も嫌になってきた。俺は乱暴に授業資料や学級名簿を脇に持つと早足に廊下へと歩いた。イノギアはその背中に「あっ、ちょっとぉ!」と呼び掛けてきたが、それをアロガンとラストが「おい」「先生困ってるでしょう」と制してくれたので捕まらずに済む。

「今日は昼に会議入ってるんだ。話したきゃ別の日にしてくれ」

 そう言い残して教員室へ向かうと、「分かりましたぁ!」と後から聞こえる。…要らんこと言ったな。


 約束の土曜日になって、釣具を担いだマイクと共に寮を出る。道中では俺の女子生徒からの人気が急上昇しているらしいという実に不名誉な話題を挟み、行き着いた公園近くの湖でボードを借りた。湖の真ん中に漕ぎ進むとマイクから釣竿を譲られ、二十を越えた男2人がボートに並んで釣りをするシュールな画の出来上がり。辺りに客足も無いので余計に目立っているような様子だったが、先日俺が下らない内容で騒いだこともあって、もし『俺達の接触を見張る人物』がいたとしても逆に警戒されなくて済むような気がした。ここまで全て、マイクの期待通りなのだろう。

「…あのー、あー…水曜はすみません。アホな勘違いしちゃって変な眼で見られる感じにしちゃって」

 そうやって此方が謝ると、マイクは眼を回して辺りを探ってから声を小さく落として、

「…気にすんな。確かに酷い目に遭ったが、これはこれで良い目眩ましになる。あれのお蔭で弛い空気になったから、後を付けられる心配もほぼ無くなったんだ。…実はな、お前が下手な動きを起こさないように制御するのが上から与えられた俺の役割なんだ。だが俺自身がお前に同調することも上は想定してるだろう。場合によっては纏めて監視されることも考えられる。だから、俺達への警戒は可能なだけ解いておくに限るんだ。あれで良かったよ」

「…そう…ですか」

 俺は彼に合わせて小声で相槌を打った。『上』というのは例の委員会や、校長を含むアカデミーの上層部のことだろう。その『上』が俺を警戒しているとはどういうことだろうかと、怪しい雰囲気を強く感じた。

「まぁ、酷い目には遭ったな」

 マイクは普通の声で、拗ねた感じにそう呟く。万が一監視されていても会話に違和感が無くなるようにしたのだと理解し、俺も同じトーンで返して頭を下げる。

「…マジですんません」

「ほんとだよ」

 マイクはそう言いながらも笑い、俺は顔を上げて少し笑った。それと同時に浮き玉が沈んだので竿を引いて1匹釣ると、マイクは感心して「おぉ…」と獲物を眺めた。俺は腕に抱いたニジマスから針を外し、バケツに入れて再び餌を取り付けた。身体を起こして遠く飛ばすと、それを見送ってまたマイクが小声で訊ねた。

「…今のクリスティーネの状況、どう考えてる?」

 マイクは試すような口振りで言いながら、周囲からの見た目を誤魔化すように浮き玉を眺め続けた。俺は返答に少し困って彼を一瞥し、また同様に自身の浮き玉に眼を移した。

「どう考えるも何も、殆ど把握していませんからね…。ヨヒラさん達が俺達の仕事を引き継いで、クリスティーネ様の監視と警護をして下さってるということだけ…。後のことは何も聞いていませんから…」

「なら、研究所から派遣されたユニフェスさんが今何をしているか分かるか?」

「いいえ、全然。…何も知りません」

「なら、委員会が打ち出した、光の血についての世継ぎ問題の解決案ってのは、何だと思う?」

「……分かりません。…一体、何なんですか?」

 マイクは次々に挙げて俺に考えさせた。これら3つが全部繋がるということだ。あの大臣が関与するということで嫌な予感しかしていなかったが、それを具体的なイメージにすることは叶わなかった。

 マイクは此方を向いて打ち明けた。残虐非道なその真実は、確かに盗聴される恐れの無い場所を選んだ訳だと瞬時に納得する程の衝撃を与えた。マイクの浮き玉がポチャンと沈んだが、彼はそれを無視して告げた。

「クリスティーネは今、アムラハンの第2総合研究所に収容され、LB(l)計画(b)被験(-)体第(0)1号(1)と名付けられて人権を無視した繁殖実験を繰り返されている」

 絶句した。言葉も出なければ反応も出来なかった。マイクはそんな俺に遠慮などはせず、そのまま続けて話していった。

「ユニフェス所長がパンジャからわざわざアムラハンに呼ばれて指揮を任されているのは、あの人が非人道の研究でも顔色一つ変えずにやってしまえるからだ。まずクリスティーネが温情を受けられるとは期待しない方がいい。光の守護者の皆さんも、この処置を必要な犠牲として受け入れ、使命に徹してしまっている。彼らもクリスティーネの味方はしてくれないだろう。…確かお前達とは学生時代からの知り合いだったよな、医療的な観点からの助力のためシノア医師(せんせい)が研究に参加している。現状、研究所の中で彼女だけが唯一の味方と言えるだろうが、明確にクリスティーネの味方としての行動を取れる立場にはないから何とも…。要するに、クリスティーネは考え得た中でも最悪の状況に身を投じているんだ。全身を拘束されたままモルモット同然の世話を受け、城から推薦された武闘派の兵士達との交配を毎日強要されている。ここから待遇が更に悪化する可能性も大いにある」

 そこまで聞き手に専念してなお、俺はまだ口を利ける心境に無かった。マイクは俺が反応を示すまでじっと見つめながら待ち、俺は何か言わなければ、訊かなければと考えて口を慌ただしく開閉した。それから順を追って頭の中で整理していくと、感情が追い付かないままに一言、溢れるように口に出た。

「…過剰な処刑に荷担して、…サーシャを殺して、今度はクリスのことも見て見ぬフリをしたんですか…」

 マイクは俯いて眉を寄せ、「今はまだ、大きく出られなかったんだ」と言い訳した。それを聞いて漸く俺の中に燻っていた怒りに火種が点いた。俺は釣り竿を手放してボートの上に立ち上がり、誰かが見ているかもしれないなどとも考えず胸の内を吐き出した。

「あんたも大臣達と同じだッ!本当はクリスがどうなろうが知ったこっちゃないんだ!あんたまで女1人の人権を踏み荒らすだけで世界が生き延びるなら安いなんてほざくのか!?あいつを…たった1人の清廉な少女を尊くさえ思えないのなら、そんな人間に生きている価値があるもんかッ!大臣も国王も城の奴らも、民兵も、アカデミーの連中もッ…どいつもこいつも一遍死んでクリスに詫び入れろッ!!」

 マイクは俯いたまま、ボソリと呟くように、

「クリスティーネは人権を奪われるだけじゃない。この研究が陽の目を見て世継ぎが十分に用意出来たなら、きっと惨めに殺されて世界中に晒されるだろうな。諸悪の根元をクリスティーネだと偽った上でな」

「……あんた、空気読めねぇのか?…これ以上俺を怒らせて、何か良いことあるのか?……もう分かった。お前から先に殺してやる。クリスの敵になる奴は全員…全員だ!片っ端から殺して回ってやる!」

「クリスクリスと他人事に言うが、彼女が処刑される時、お前だって用済みとして殺されるんだぞ。今動こうもんならそれこそ容赦無く殺される」

「上等だクソッタレ!そっちがその気なら話が早い、守護者の奴らも纏めて殺してやる!その果てに死のうが後悔なんざ残らねぇ!少しでもクリスの敵を減らして死んでやる!!」

 激昂して叫ぶ俺にマイクが強い口調で窘め、俺は今すぐ彼と戦えるように拳に力を込める。

「俺がそうはさせない。お前の暴走を止めるのが俺の役目だ。お前の好きなようには決してさせない」

 俺はまたマイクに怒鳴り付けて拳を振り上げようとしていた。マイクは敵だ、殺すべき相手だと怒りのまま貫くつもりだった。

 マイクは直後、口元に笑みを浮かべ、戦意に満ちた鋭い眼で俺を見上げて他人に聞こえない音量で告げた。

「機が熟すまではな」

 俺は目を見張って息を止め、彼の決意の眼と向かい合った。知らず知らず拳から力が抜ける。マイクは暫く俺を見上げると、ふと気付いたように脇を見て柔らかい笑みを浮かべる。

「丁度来たな」

 見ると、そちらからは別のボートを借り、エラルドが漕いで現れていた。そのボートにはエラルドと対面してメーティスが座り、彼女は強気な笑みを浮かべて俺の顔を見ると意思を伝えるように大きく頷いた。エラルドはマイク、俺と真剣な眼を向けて真横にボートを付ける。

「…エラルド先生、見張りはいましたか?」

「いえ、いませんでしたよ。いたとしても今のやり取りで安心して去っていったと思います。レムリアドくんの反応も予想通りだし、マイク先生の返答も立場を厳守していましたから。此方も、上手く誤魔化しながらメーティスさんに伝えられたと思います」

 マイクはエラルドと小声で確認し合うと満足げに笑い、俺とメーティスを交互に見て小声のまま、

「ロベリアにはユーリ先生が現状を伝えているはずだ。武器工房でしょっちゅう出会すから俺達みたくカモフラージュを重ねなくていいだろうしな。今後のこともそのままユーリ先生に伝えてもらうことにしてる」

 俺は要領を得ず、マイクとメーティスとを見比べて眉を寄せていた。メーティスはこの先を知っているのか安心した顔で笑い、未だ状況認識が漠然としながらも俺の中の怒りは徐々に薄れて消えていく。マイクはそんな俺の様子を見て苦笑しつつ、

「ややこしくして悪かったな」

 と小声で告げて立ち上がる。

「仲間はここにいる4人だけじゃない。ユーリ先生とロベリアも仲間だし、他にもレイラ先生、マリック先生、カトリーヌ先生も仲間として協力してくれるって話だ。…本当はゾルグの奴…いや、ゾルガーロ先生も仲間にしたかったんだがな、あいつにはあいつの信念がある。今回は諦めることにしたよ」

 マイクは続けてそう話した。俺が本当に聞きたいことは置いて、ずんずんと話が進む。メーティスやエラルドがうんうんと頷いてマイクの話に聞き入り、俺は情報を纏めるのに必死になった。

「本当はもっと早く命を懸けておくべきだったんだ。そうすればこんな酷いことになる前にクリスティーネを救えたかもしれない。決心するのが遅すぎたんだ。…レムリアド、お前が言う通り、俺達はクリスティーネに降り掛かる災難を見過ごすしか出来なかった。心が決まらず、対策出来なかった。だから今度こそ、命懸けで何とかする」

 マイクも熱意に抑えが効かず、独り走り気味に決意を打ち明けた。俺は彼の目を見ながら、待ち望んだ救いに期待し、しかしそんなことが有り得るのかと信じられない思いだった。彼やエラルド、他の教員達まで、本当にその気だなんて信じられなかった。

「…仲間って…命懸けでって……一体…何の話を……」

「分からないか?…そうだな、ちゃんと言うよ」

 虚言でも、言葉の綾でもなく、マイクは真っ直ぐ俺の目を見て宣言した。その眼には積み重ねた強い想いでしか成り得ない、疑いの余地の無い程の鮮明で確実な決死の覚悟が宿っていた。ともすれば目の前の人物を威圧して震い上がらせ得る鋭い視線に、俺は身動き一つ取らずその言葉を受け止めた。彼は景気付けとばかりに笑みを浮かべ、その様はまるで狩りに出る寸前の狼のように勇ましく映った。

「俺達は命を捨てる覚悟を決めたんだ。世界と戦う覚悟が決まった。レムリアド、お前も一緒に命を懸けてくれ。…全員で力を合わせて、クリスティーネを救い出すぞ」

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