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第89話 ぎせいはわたしだけでいい

次回はおそらく3話同時投稿になります

 5月20日、正午を過ぎた頃、珈琲を注いだ蓋付きの紙カップを両手に部屋の前に立った俺は「開けてくれー」とドア越しに呼び掛けた。今日は非番だというのに、出迎えたメーティスは相変わらずスカートとインナーに適当な上着を羽織るだけの格好でいて、すっかりオシャレをする気力は湧かなくなっている。…仕事柄、女性であることを忘れなければならない時間が長かったのだから仕方がないのかもしれない。

「お帰りなさい、レム。…それ、どうしたの?」

 メーティスは俺を見ると笑顔を浮かべ、その眼が俺の両手に向かうと不思議そうに目を丸くした。俺は片方をメーティスに渡してやりながら部屋の中へと進み、メーティスはドアを閉めながら後ろをついて歩いた。ここまで掛けてきたサングラスも、同時に空いた手で外して畳む。

「広場のとこで買ってきた。あぁ、そっちのはシュガー入りだから安心して飲んでいいぞ」

「…あ、うん。ありがとうだけど……外出て大丈夫だった?」

「別に大丈夫だよ。堂々としてればバレねぇし。ほら、グラサンもしてたし」

「いや、そのグラサン余計に怪しくならない?」

 ちょっとメーティスが笑ってくれたので、気分良くベッドに腰を下ろす。メーティスも隣に座って両手で珈琲を煽り、俺はサングラスを胸ポケットにしまった。

「そこはほら、ダンディーに決めて歩けばイケるイケる」

「だってレム、ダンディーじゃないでしょ。グラサン掛けても面白くなるだけだし」

「えぇ…辛辣」

 俺の応答で楽しそうに笑っているメーティスを眼の保養にして珈琲を飲み進める。珈琲を買いに出るだけで無駄に心労が溜まるので、今後もメーティスのためじゃなければ外出は控えることになりそうだ。

 あの戴冠式を経て世論は独裁支持派と反対派で二極化していた。以前の政治の本質を理解し、その温かみに救われていた人々は確かに存在して、彼らはパトリックの掲げる暴力的な政治を忌み嫌った。しかし、数にすれば支持派が圧倒しており、このまま独裁一色に染まるのは時間の問題と思われた。結局、強いリーダーというものは何にしても好まれるものだ。

 また、魔人の立場は日に日に危うくなっている。それはそうだろう、あの大臣が真っ先に圧力で押さえて制御下に置きたがるのは俺達のような『力を持つ厄介な存在』だ。民兵は既に多額の賄賂で操られてしまい、大臣の思惑に沿った動きしかしなくなっている。俺が訴えた問題に民兵が対処しなかったのもこれが原因だろう。これに加えて魔人を不利にする偏向報道が何処からともなく続いていて、もはやアカデミーが対処できる範囲を超えてしまった。…いや、対処出来る程度だとしてももうどうしようも無い。アカデミーは魔王討伐を最優先とされ、事実上民衆からのバッシングへの対応を禁止されてしまっている。代わってパトリックがわざとらしく演説を行い、

『アカデミー、討伐軍の不祥事も元を辿れば先の政策の負の遺産である。これより私の指導の下、討伐軍は魔物に屈することの無い最強の軍団として纏め上げてみせよう。しかし、これを立て直すには途方も無い資金が要る。諸君らの義務は寛大な心を持って彼らの愚行を許し、諸君らの財力で手助けをすることだ。厳しいか、不満か?しかし彼らが信用に足る軍に生まれ変わらなければこの世界は魔王に平伏す他に無い。我々の力で彼らを強く正しい軍に育て、魔王を打ち倒すのだ。全ては気高き前進のために』

 と、この論調で飽くまでも諸悪の根元を前期国王やアカデミーとしておきながら、魔人への過激な批難を抑え込んでいる。同時に、俺達をダシにすることで増税を行いながらも信頼を勝ち取り団結を強めていった。…大臣の手腕は伊達では無かったということだ。しかし、これは大いに不穏さを残す進捗と言わざるを得なかった。

 不意に、パサッと髪が触れる音と共にメーティスの頭が視界の隅に映り込む。見ると彼女は俺の肩に凭れ掛かり、膝の上で紙カップを捏ねるみたいにして両手でくるくる回していた。

「何か、考え事してる?」

 少し心配した声色で訊いた彼女にクスリと笑い、俺も首を傾けて彼女の頭の上に折り重なるように頭を凭れた。その拍子に彼女は安らいだように静かで深い息をついた。

「まぁ、色々な。アムラハンの雲行きが怪しいし、こんな時にマイクと連絡つかないしさ」

「あぁ……何だっけ、お城からアカデミーに大きな依頼が入ったんでしょ?で、他言無用の依頼だからレムでも内容教えてもらえない、と」

「そう。教員の何人かがそれで駆り出されて、マイクもユーリも他の街に行ってるみたいなんだ。…何となく、嫌な予感がする」

「嫌な予感かぁ…」

 メーティスは言いながらその姿勢のまま珈琲を飲もうとし、俺はそれに気付くと「あ、待った」と退いてやる。「あ、ごめん」と笑ってメーティスが一気に呷り始めたので、合わせて俺も幾らか飲んでしまうことにした。メーティスは焦るように全て飲み下すと、少し歩いて小机にカップを置き戻ってくる。

 メーティスはベッドに上がるとうつ伏せのままノソノソと背後に這ってきて、何かと思ってじっと待つ俺の腰にぎゅーっと抱き着いた。身体を捻って振り向き、空いた手で頭を撫でてやりながら「どした?」と笑うと、メーティスは腕の力を強くしながら頬を擦らせて甘えながら答えた。

「辛い時は、変に我慢するのやめよ?…折角、傍にいるんだから」

「…そうだな。ありがとう」

 俺は飲み掛けのカップを持って立ち上がり、名残惜しそうに伸ばされたまま腰から離れた彼女の手をポンポンとタッチして歩き出した。カップとサングラスを小机に置いて戻り、横になったままじっと見つめてくる彼女と眼を合わせたまま此方も横になって対面する。

「ちょっと寝るか。最近無駄に気ぃ張りっぱなしだったし」

「コーヒー飲んだから眠れなくない?」

「魔人にカフェインって効くか?っていうか、1年生の頃珈琲飲んで眠くなったことあるぞ」

「それストレス掛かってる人がなるやつだよ。…魔人だし効かないかも…」

 言いながらメーティスはふわぁ~っと欠伸し、目付きがトロンとし始めた。召喚師の場合本人が抵抗しなければアルコールもカフェインも普通に効くらしい。…メーティスも疲れてるんだな、と今の話を聞いて腕枕を提供し背中を撫でてやることにした。

「…添い寝って久しぶりだね、学生時代以来かも」

「そうだな。…学生として付き合ってた頃も、よく腕枕したな」

「うん…落ち着く…寝そう…」

 そう言って彼女は瞼を閉じて身を任せてきた。飽きもせずその顔を眺めて背中を撫でていると、不意に彼女はゆったりと身体を起こして「トイレ…」と頼りない口調で告げていく。彼女の奔放な言動すら愛らしく、俺はドアへと歩く彼女を微笑んで見送る。ずっと自分を抑えていたから、その反動もあるのかもしれない。

 しかしふと、俺も気が変わって彼女と部屋を出た。それほど尿意は無いが、眠りについた彼女を置いて途中に抜け出すのも可哀想なので今のうちに済ませておくことにした。共に廊下を歩いて男女と並ぶ便所の入り口で別れる。無駄に耳が良いこの身体では聴くべきでない音をも拾ってしまうので、無心に徹して用を足すようにしていたが、気になると却って聴覚が研がれてしまう。入り口付近の壁にでも凭れ掛かって感覚を断ちながら待っているべきだったかと今更な後悔をしつつ手を洗いに歩くと、若い兵士2人組が廊下を歩いてくるのに注意が傾く。

 彼らも周りに人がいないと思っていたのか、無用心な発言が飛び込んできた。

「下で民衆に公開されてるってんだろ?見たきゃお前だけで見てこいよ。流石に趣味悪くて俺はパスだ」

「でもよ、滅多に見れないぜ?こんな大掛かりな死刑。しかも相手はアレだ」

「別に死刑なんざ珍しくなくなるさ。前国王が異例だっただけだ。…まぁ、確かに魔人が死ぬとこなんて普通は拝めないだろうけどな。俺は御免だぜ」

 思わず俺は蛇口に手を伸ばしたまま固まっていた。そして彼らは入り口から顔を見せると、急に何でもないように装って無言を決め込んだ。俺は手洗いを再開して足早に出ると、外で待っていたメーティスに近づいていった。

 彼女も話を聞いていたのか、面持ちは暗い。

「メーティス、俺ちょっと城下まで降りてくる。部屋で待っていてくれ」

「やだよ、一緒にいよう?疲れてるでしょ?…これ以上、変なことに首突っ込んでも……」

「俺は確かめなきゃ気が済まない。…不安なまま、休んでなんかいられない」

 メーティスは懇願するように悲壮に眉を寄せ、「なら私も…」と顔を寄せた。俺は即座に首を振り、「駄目だ」と窘めた。

「部屋には1人が残ってないと、ロベリアの方で何か問題が起きた時に困ることになる。そうならないにしても、誰も控えてなかったら前みたいに責任を問われるだろ。だから、メーティスは残っててくれ」

「だったら私が行く!私が見てくるから、レムは部屋で待ってて!」

「どうしてだ!?」

 知らず知らず口調が乱暴になり、互いに鼻先が触れる程距離を詰めて言い合っていた。メーティスはぎゅっと俺の服の裾を摘まみ、絞り出すような苦しげな声を上げた。

「…嫌な感じがするから…。また、レムが傷付くって、そんな予感がするから。これ以上、必要の無い傷をつけて戻って欲しくないの…!…レム、今日はここに居よう。行ったって意味が無いよ!」

「……俺は、それでも黙っていられないんだ。ずっと逃げてばかりだった。辛いから、苦しいからって、もう俺は眼を背けていられない」

 俺は彼女の手を振り払って歩き出した。彼女はまた駆け出して手を伸ばそうとしたが、その手が俺に触れることは無く、廊下を曲がるまで彼女の視線が凍り付いて離れなかった。その内俺の足は速まって、最後には走り出していた。


 階段を駆け降りる度に騒ぎは近づき、その声は大きくなる。律儀に降りるのが億劫になってからは50mを超える高さも構わず踊り場から地面へ飛び降りて進む。足が街門の場所へと近づいていくと、距離はまだありながらもとうとうその騒ぎの声がはっきりと耳に入るようになる。道が人集りで混んでくるとぶつからないように気を付けられる速度を保つのが苦痛で堪らなくなり、屋根を跳んで進むために元来た道を戻って人目の無い場所を探す。その間にも騒ぎは進行していく。声の主は勿論、大臣の傀儡と化したパトリックだ。

「この者達は皆、以前よりアカデミーが野放しにしていた罪科持ちの魔人である!この者は窃盗、この者は恐喝、そしてこの者は暴行だ!この仕打ちはあんまりか?それは違う、そう感じた者は明確に思い違いをしているのだ!諸君らの知る通り、魔人共はその超常の力を生業の必携としている。それだけならばいい、しかし、中にはこの者達のようにその力で人々を脅かす存在が必然として現れる。人が人に罪を犯すことと、魔人が罪を犯すことでは重みが違う。魔人はその身体を武器とする者達だ!彼らは常に武器を持ち歩いている!彼らは何時々々(いつなんどき)にも諸君らを殺せる凶器をぶら下げているのだ!」

 漸く人目を避けられる通りを見つけ、路地裏にひっそりと入り込むと、壁を蹴って屋根へと登る。そこからはただ必死に屋根を跳び移り、全速力で声を追う。

「この者達は凶器を手に窃盗し、恐喝し、暴力を振るった!それも単なる凶器ではない!包丁でも、サーベルでも、拳銃でもない!その気になれば1分に数百人と殺せる、残忍な殺戮兵器を所持しているのだ!ここに磔となった十数人は皆兵器を振りかざし、怯える人々を相手にその罪を犯した!これを許し、蔓延らせていれば、いずれ彼らは我々人類を家畜のように扱い始めるだろう!何としても阻止せねばならない!魔人達を強く正しい軍として纏めるには、一切の罪をも許してはならないのだ!」

 馬鹿を言うな…!現時点で理不尽なまでの冷遇を強いられる俺達に、まだ束縛を与えるというのか!現行法で釈放されている魔人ということは、その罪だってこじつけレベルの些細な罪のはずだ!それを大々的な見せしめの上死刑とするなんて、絶対に許されることじゃない!

「よってここに、罪を犯した魔人の全てを死刑とすることを宣言する!魔人は兵器である!その暴走が危惧されるなら廃棄するのは当然の義務だ!全ては気高き前進のために!」

 勢い余ったその一跳びの間、辿り着いた眼下の光景に目を見張る。人々が群れ成す視線の先で、多くの魔人が十字架に掛けられている。その魔人は皆行動不能で肌を灰色に染め、服装は布切れを纏うだけのものだった。そして彼らの前にはほぼ同人数の兵士が膝を突き、民衆に背を向けたまま小銃を構えていた。パトリックは兵士達が並ぶ横に立ち両腕を広げ、民衆の歓声を浴びていた。

 魔人達は皆、諦め、恐怖、悲しみに満ちた強張った表情で涙を流している。その中に1人、知った顔があって俺は驚愕した。十字架群の左側に、サーシャ・モルダルの姿がある。彼女は失意の底に陥り、涙の一つも無いままに俯いている。彼女の罪も経歴も、儚さや弱さも俺は知っている。その体温すら思い出される程に彼女は身近な存在だった。それが今、目の前で絶体絶命の危機に瀕している。…俺の理性は激情に上塗られ、その爆発に吹き飛ばされるように身体が動いた。

 させて堪るか…!怒りのままパトリックを睨み、屋根への着地と同時に跳び掛かった。後のことなど考えてはいない。何がなんでもこの凶行を止めなければならない。サーシャを救わなくてはと、そればかりを考えていた。

 1秒の間にもパトリックへの距離が縮まっていく。加減などしていない。おそらく目前に着地すると同時にその衝撃でパトリックは怪我を負うだろうと予想が出来る速度が出ていた。王に何かあれば処刑を続行している場合ではあるまい。場が混乱している間に十字架を引き抜いてでもサーシャを連れ去ってやると、そう意気込んでいた。

 しかし、残り10m程度と接近したその時、右方向から知らぬ間に接近したゾルガーロの蹴りに押される形で進路は逸らされた。その瞬間に見えた彼の顔は苦痛を食い縛るように歪んでいた。その蹴りは容赦無く俺の懐に深く沈み、俺は肉体の損傷を起こしながら十字架から遠くの地面に転がっていく。地面のタイルを削って剥がし、土埃に塗れながら勢いを失うと、同時に背後に現れていたマイクに両腕を捕まれ取り押さえられる。見回すと物陰に他の教員の姿もある。この見せしめの警備を命じられているのだろう。身を捩って見上げた彼の顔も、やはり悲痛に歪んでいた。

「あんたら、何でッ…!」

 その時、無数の銃声が響く。急いで俺はサーシャへと眼を向けた。一瞬辺り全ての物音が掻き消えた。視線の先には、全身を蜂の巣のように穴だらけにされて血を噴いたサーシャの身体があった。喉は呼吸を、瞼は瞬きを忘れ、俺は苦痛に歪む彼女を見つめた。

 彼女は俺に気が付き、此方に振り向いた。驚いていた様子の彼女は、何処か嬉しそうに俺に微笑んで一筋の涙を溢し、…その身体は忽ち黒い液体へと溶けていった。

 俺は絶叫し、人々は喝采した。俺の声は歓声の数に呑まれ、射殺を遂行した兵士らは発生したスライム達に火炎瓶を投げ付けてその場を退く。そして民衆は、スライムを燃やす火の中に、それぞれ持参した爆炎弾を投げ込んで楽しげに叫び上げる。元は人間だった彼女らを殺してはしゃぐ行為に、民衆はまるで疑問も持たない。俺は決して届くことの無い絶叫を、その騒ぎの鎮静まで決してやめなかった。

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