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第7話 鳥籠の外の世界

 激しい風雨に窓が騒々しく叩かれ、食後の休憩だと云うのに円かな空気を微塵も感じない。1、2限の探査旅行学の時はまだ小降りだったのと、そこからはトレーニングに充てられていたため授業を妨げるようなことは無かったのだが、5限目は黒魔法学、6限目は白魔法学の授業のため、午後は鋭い雨音とエラルド、ハイルの生真面目な口調に辟易すること請け合いだった。

 ジャックとルイは自席へ帰り、昼食の話題に挙がった宿題を急いで仕上げている。昨日はジャックが何処かから買ってきたというエロ本を拝見して夜9時まで3人で過ごしたが、それでも俺は自室に帰ってちゃんと宿題に手をつけていた。宿題を忘れたのはあの2人の責任ということだ。…まぁ、俺もクリスが勉強見てくれるから真面目にやってるだけなんだけどね。

 ふと、机に突っ伏した俺を、隣の席に着いたメーティスが宿題のプリントを手に媚びるような笑みを浮かべて覗いてくる。…一見、容姿性格学力と完璧に見えていたメーティスにも、ちゃんと穴があることがここ最近よく分かってきた。

「レームっ、宿題見ーせてっ」

「はいはい、自力でやりましょうね」

 そう、メーティスは寮に帰った後はほぼ確実に勉強しないため、宿題は当日の空き時間に済ませてばかりいるのだ。授業前がトレーニングや武器講習・演習で潰されるような曜日、つまり月曜日以外の日は必ずと言っていい程宿題を写しに来る。

「えー!や~だ~!おーねーがーいー見ーせーてー!」

 メーティスに左肩をグワングワン揺らされながらも、「毎日写される身になれ」と言い返してやる。しかし諦めてはくれず、メーティスは下げた頭の上で合掌し、

「ねーホントにお願い!後で何か好きなもの買ってあげるから!一生のお願い!」

 ん?今何でもするって言ったよね?(難聴)

 …どうせ俺が断った所で、過保護なクリスがメーティスに写させるだけの話だ。何でも買ってくれるそうなので此処はその十数回目の一生のお願いを聞いてやることにしよう。

「しゃーねぇな、ほら。見たけりゃ見ろよ。間違ってても文句言うなよ」

「言わない言わないっ。レムありがとー大好き!」

 俺が机から引っ張り出した2枚のプリントを受け取ったメーティスは、黒魔法学の方を突き返して速やかに白魔法学のプリントを読み始めた。白魔法学は記述問題が主なので、読みながら微妙に文章構成を変えて同じ主旨のものを即興でしたためていく。

 …そこに知恵を絞れるなら自分でやればいいのにといつも思うが、黒魔法学の宿題は自分でやっていたと考えればまだマシだろう。ジャック達は黒魔法学の穴埋めすらやっていなかった。

「あら、またやってるの?」

 傍に歩いてきたクリスがメーティスの手元を見下ろして声を掛け、メーティスはてへへと上を向いて笑うとすぐにまた宿題を再開した。

「私達が夜勉強している時に一緒にやっておけばいいのに。言ってくれれば勉強机の椅子、メーティスの分も貰ってくるわよ?」

「ううん、椅子が足りないから勉強しないんじゃなくて、そもそも勉強のやる気が出なくって…。実家では毎日勉強だったから、こっちに来てお父様の眼が無いと途端に気が抜けてさ…」

「そうなの。でも、自分でやらないと身にならないんじゃないかしら。もうすぐテストだけど、大丈夫?」

「授業はちゃんと聞いてるから大丈夫。…多分」

 受け答えしながらも最後まで書き終えたメーティスは、プリントを俺に返して笑い、

「はい、どーもありがとう!」

「おー。…さて、何を買ってもらおうか。いいもん頼むぜ、いいもん」

 冗談で意地悪く言ったのだが、メーティスはまるで気にする様子も無く、グッと胸の前でガッツポーズを取って「任せて!」と笑顔で答えた。…別に何も悪いことしてないはずだが、何故か後ろめたい気がする。

 と、それも束の間に妙案を思いつき、クリスにも顔を向けてそれを提案した。OKしてもらえるかは知らないが、言うだけ言ってみようと思ったのだ。

「なぁ、折角だしどっか出掛けようぜ。何か貰うなら色々見て回ってからの方がいいだろ」

 クリスとメーティスは2人揃ってきょとんと目を丸くし、互いに顔を合わせると、一緒になって俺に笑い返した。

「ええ、構わないわ。今週末でどうかしら?」

「私もいいよ!3人で出掛けるの初めてだよね!」

 2人共一瞬悩んだようだったが、…まだ微妙に好感度が足りなかったか?まぁ了承してくれたし問題無いだろう。ともかく俺にとっては人生初の女の子とのお出掛けだ(フルは妹なので例外)。今から気合い入れていこう。


「皆さん、席に着いてください。今から大事な話をしますので、どうか皆さん静かに聞いてください」

 5限目の初め、教卓の向こうにマイクと並んだエラルドが冷静に再度生徒数を確認して語り出した。マイクはその手に黒く小さな四角い機械(通信機とかいう物だろうか)を持って見下ろし、エラルドはチラチラとそちらを瞥見している。何か異常事態が起きたのだと云う予測は生徒全員についていたであろう。

 教師2人の珍しい慌て方に、誰1人茶化す者はいなかった。

「先に、皆さんの身の安全は私達教員が確実に保証することを明言しておきます。また、街の方も滞在中の討伐軍の方々に秘密裏でのパトロールを依頼したので、アムラハンに保護者が居られる方もどうかご安心ください。…それでは、要件をお伝えします。この街に、ラズウルフ1体の侵入を確認しました。先程ゾルガーロ先生から通信が入り、渡り廊下付近にてその1体を駆除したとのことですが、他にも侵入の可能性が考えられるため現在捜索を続行しています。午後の授業は全て自習としますので、警戒体勢が解かれるまで皆さん教室を出ないようにお願いします」

 自習だひゃっほう!…と言える状況では無い。ラズウルフとは魔物の中でも最弱と言われる種なのだが、それでも普通の人間では足下にも及ばない程の化け物だ。そんなものが1匹でもアムラハンに侵入してきた日には、街の住民は大混乱に陥るだろう。

 エラルドとマイクは教卓の傍に立ったまま教室を監督し、そこから先は重々しい空気の中やることも無くじっとしていなくてはならなかった。生徒間での会話も無い。トイレに向かうのも教員の同行が必要となり、余計に生徒は席から動かなくなっていた。

 ふとコクンと鳴った喉の音が気になって横を向くと、メーティスが青冷めて固まったまま黒板の方を凝視している。魔物という当然の恐怖に全身を凍結され、その指先をガクガクと震わせていた。

「…メーティス」

 声を掛け、その手を握った俺を、メーティスは驚愕して振り向き、ゆっくりとぎこちない笑みを返して机の一点を見つめた。…出過ぎた真似だったかと手を離し、ふと眼についた遠くのクリスも、メーティスと同様に震えているように見えた。どうにかしてやりたくて堪らないが、席を立って近づく訳にもいかない。…俺は出来るだけクリスの方を見ないように俯いていた。

 …緊急時にこんなことを思うのは不謹慎かもしれないが、じっとしているのはつまらない。自習なら自習用のプリントでも用意してくれればまだやることがあるのだが、急遽だったためかその用意が無かった。…仕方なく、俺は教科書を読んで過ごすことにした。先生がいる限りここは安全なのだから、気を揉んでいては損だろう。

 探査旅行学の教科書を開いて、第3章の魔物に関する記載を流し読みしていく。ラズウルフと聞いて読む気になった訳だが、こうして好奇心を持って勉強に挑んだ方が身になるというものだ。これを機に難解な探査旅行学にも理解が追い付くかもしれない。



 3.1.3 魔物の発生とそれに伴う社会現象


 J88、突発した未確認生物の大量出現により人的被害が多発し、生物兵器による武力行使を疑った国家間での戦争(魔女戦争)が勃発する。未確認生物の出現を人為的なものではなく災害的なものであると判断したアムラハンは他国からの疑惑の眼と不当な攻撃を受けながら特別害獣駆除部隊(特獣隊)を組織する。

 特獣隊の古代兵器による応戦も虚しく、僅か半年で地上の7割が荒野と化した。魔女戦争は主導した2ヶ国の共倒れで終結するも、その煽りを受けた迫害の嵐が人口激減に手を貸す。この過程で未確認生物は『魔女戦争』に因み、『魔物』と呼称され始めた。

 その最中、勇者リアスの『囲い巡り』により聖水林(魔物を寄せつけない樹を模した物体。未だその構成、機能共に不明である)に囲まれた集落での安全な生活が実現されたため、暴動はその尾を引きつつも低減していった。

 J89、勇者リアスの貢献により魔物に対抗する手段、『魔人化(魔物の細胞から抽出した魔因子を人間の肉体に植え込み、魔物と対等に戦う力を得る手法)』の検討が始まり、リアスは聖なる巫女ソプラ・ネシアドを連れて各地の魔物の駆除を進める。同時期、『共生の会(魔物との共存を目指す会)』による無差別暴行事件が長期間に亘って続き、リサーユ大陸北西の街インジャスでは大虐殺事件へと発展した(『インジャス事件』)。インジャスは土地が放射能に侵されて以降放棄されている。共生の会の会員は全て街を追い出されたまま消息を絶ち、一説には魔物により全滅したとされている。

 J95、6月6~10日、『潮引き事件(3日間魔物が一斉に身を隠し、人間の勝利と取り違えた住民が許可無く大量に街を出た)』。同時期に魔人化施術に問題が発生し、システムの再検討が行われる。これにより特獣隊内での反対勢力が増長するが、その後の施術において問題が認められなかったため反対勢力は沈黙する。

 J96、7月2日、特獣隊は魔王討伐軍へ改名し、本格的に魔人部隊として機能し始める。同年9月18日、ソプラ・ネシアドの自殺。勇者リアス、並びに魔王の消息が一切不明となる。

 ………



 何かもう、ここまで読んだだけでもう嫌になる。頭が疲れた、寝たい。…1度机に伏せたが、この状況で寝られる訳も無かった。もっと軽く読めるものを読もう。…つーか、歴史なんか知って何になるんだ?社会に出て討伐軍に入ってからその雑学何に使うんだよ。

 数頁捲って魔物の種類別紹介欄に進むと、ラズウルフから順に眺めていく。これは先程までの小難しい説明に比べて楽しく読むことが出来た。回復薬や解毒助薬などの探査旅行用具の説明もこの一覧と同じ形式にしてくれれば読み易いと言うのに…。

 …それはそうと、聖水林によって守られているはずの街に魔物が侵入するなどあり得るのだろうか?聖水林がどんな仕組みで街を守っているかも分からないが、侵入できるものならとっくにどの街も襲われているはずだ。後で先生に聞いてみよう。

 ……未だ恐怖している皆を見て、ふと気づいた。…何故俺はこんなに落ち着いているんだ?

 考えると頭痛がしてきた。


 教科書を読んで過ごし、いつの間にか寝ていた。6限目の終わり頃になって通信機に一報があったらしく、マイクはエラルドに見せて2人で頷き合うと俺達に向けて声を張り上げた。

「ラズウルフの侵入の原因が判明したそうだ。加えて、街に侵入したラズウルフは1体だけだったとほぼ確定したらしい。このまま解散にする。LHR(ロングホームルーム)も無しだ。全員、今日は寮に戻っても外出は控えてくれ。じゃ、お疲れ!」

 それだけ言うとマイクはエラルドを連れて退室し、ポカンとしていた生徒達も1人、1人と立ち上がって下校し始めた。自然とメーティスと顔を合わせてしまい、メーティスは俺の顔を見るとフッと笑っていた。

「…何だよ?どうかしたか?」

「ううん、レムって図太い性格だなぁって。こんな時でも寝てるなんて」

「…あー、寝不足だったんだよ」

 …俺も不思議だ。俺は元々こんなに強い人間だっただろうか?

 その会話の直後、すぐにクリスが近づいてきた。不安そうな面持ちも、何故か俺を見て安らいだようだった。…それどころか、顔を背けて下を向いたクリスは肩を揺らして笑っていた。

「…おいおい、今度は何だ?」

 訊ねてもクリスは答えず、口を覆って余計に笑っている。メーティスも釣られて笑い始め、「ほら、鏡」と鞄からピンクの手鏡を出して見せた。見ると、映った俺の頬がペタンと平らになり赤い寝跡が付いている。流石に恥ずかしいので手で頬を隠すと、とうとうクリスが腹を抱えて笑い始めたので俺はその頭を軽く小突いてやった。

 …まぁ、何にしても、元気になってくれたならいいだろう。


 約束の土曜日、魔物への警戒も解かれ、街は平和そのものに見えた。それぞれ私服に着替えて寮を出て、何故か真っ先に服屋へと向かう。…まぁ、メーティス基準でのプレゼントだと服と云うことになるのであろう。男の俺にはピンと来ないが。

「うーん…レム、どういうのが好き?私、男物って選んだことないから分かんなくて…」

「別に服にはそんなに拘り無いぞ」

 メーティスは困り果てて首を傾げながらあれやこれやとハンガーを手に取った。…服以外にプレゼントの選択肢は無いのか、と訊きたくなったが、メーティスが選んでくれるなら別に何だっていい気がして口を閉じる。メーティスはクリスに視線を送り、

「ねぇ、クリス。男の人ってどんな服がいいの?」

「いえ、私、自分の服すら選んだことが無いから…」

「でも、彼氏いたって…」

「…そうだけど、彼とは服を見たりしなかったのよ…」

 クリスは申し訳無さそうにペコッと頭を下げ、メーティスはそれに俯くと、今度は俺に困った顔をした。…いや、俺に助け求めてどうする。

 …男物の服が分からないというだけで、メーティス自身の格好は割とオシャレな気がする。ベージュのスカートに白い長袖シャツ、白黒チェックのキャスケットというまさに女の子な格好だ。清楚で良さげ。

 クリスも自分で選んだ経験が少ないと言う割には中々の着こなしに見える。灰色のロングスカートに紺のカーディガンを身につけ、肩からは地味に高そうな黒い革のバッグを提げている。

 …やっぱお嬢様な気がするんだよな。今となってはクリスだけでなくメーティスもお嬢様だと確信している。そしてそんな2人と一緒に歩く茅色カーゴパンツと白いTシャツのダボダボ男が俺である。…部屋着のまま外出るもんじゃないな。

 つまり言いたいのは、こんな男にファッションのことを訊くなということだ。別に何渡されても文句は言わないんだから。…などと言っても困らせるだけなので、センスが無いながらも少し仕切ることにした。

「…そうだなぁ…。じゃあ、メーティスは男らしいのと爽やかなの、どっちが好きだ?」

 俺からの質問に、メーティスは驚きつつも、

「…どっちもいいと思うけど。…男の子って元気があるイメージが強いかな」

「じゃあその方向で。…ほれ、これとかどうだ?」

 俺はすぐ眼に入った黒のタンクトップを持ち上げて見せ、メーティスは丸い目でじーっと見た。

「えっと、うん、いいと思うけど。若者って感じで」

「そっか。…俺、こういう服よく着るんだよ。楽に着れるし。これにしようぜ」

「…えっ、いいの?それだけで?」

 メーティスは意外そうに俺を見つめ、クリスは感心しているのかどうなのか、微笑んで俺達を眺めていた。俺はそのハンガーを胸に当ててみたりしつつ頷き、

「いいよ。つーか、高が宿題でそんな大層なもん要求しねぇだろ普通」

「あぁ…そっか」

 メーティスは何故か気の抜けたような細い笑みを浮かべて息をつき、俺の手からハンガーを奪って会計へ進みながら、

「今回はこれだけね」

 とよく分からないことを告げていった。クリスに首を傾げるも、さぁ、と顔を横に振るばかりだ。とにかくこれで用事は終わり、後はのんびり過ごそうと云うことになった。

 レストランへ、カフェへ、雑貨店へと歩き回り、その内2人は俺のことなど忘れたように盛り上がって化粧品にまで手を伸ばし始める。…まぁ、俺は美少女の戯れが見れて眼福だ。

 キャッキャッと楽しそうに買い物袋を手に談笑する2人の前を、俺は次の行き先へと先導して歩いた。会話中の2人についていくと3人揃って迷子になるからだ。…これだとフルのお守りと大して変わらないな。

 良くも悪くもそうしてのんびり遊んでいた俺達は、不意に路地裏から上がった悲鳴に驚いて足を止める。そしてその悲鳴は立て続いて建物の陰から飛び出して真っ直ぐ俺へと飛び掛かってきた。

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