第85話 それもきっとわたしへのばつ
…リーベルの事件は城内の全員に知れ渡った。その事件がクリスによるリーベル刺殺に終結し、またクリスがリーベルを食べるという奇行に走ったことも、全ての者に伝わっていた。俺はクリスの監視を命じられ、装備を整えてクリスの部屋に滞在することとなった。
身の周りの世話は引き続きシノアや看護師、クリスに直接触れるような世話もエラルドとレイラが交代で引き受け、俺は万が一クリスが暴れ出した時に確実に行動不能に陥らせるための保険に務める。装備など無くともエラルドもレイラも素手でクリスを止めるくらい出来るだろうが、城の者がそれに納得しない。かと言って2人が装備を整えて世話をしていてもクリスを下手に刺激する結果にしかならない。そうした話し合いの結果、俺が部屋の壁際に立って監視しているのが最適となった。…つまり言えば、城の意見など気にしなければ俺の存在意義など微塵も無いのだ。俺のやることはクリスの回復に対し、一切の意味を持たない。
それはまだいい。それ以上に気に入らないことがある。クリスの奇行に気を取られて報告が遅れたものの、俺はあの日の内にマイクに大臣の犯行について報せていた。大臣が事件に紛れて国王とアレキサンダーを暗殺した旨を、はっきりと伝えたのだ。しかしマイクは首を振った。
「お前1人が見たというだけでは証言としては剰りに弱い。国王や王子の死体を細かく検死すれば傷の形から人の手で殺されたことを立証出来るかも知れないが、=大臣の仕業とはならないし、まず王族の検死結果なんて一般層に持ち出せる代物じゃない。お前が言っていた大臣のサーベルについても同様だ。そのサーベルは大臣が私的に所有している物じゃない、王族とそれに認められた僅かの者だけが扱える国宝級の剣なんだ。まず捜査の手が伸びる範囲に無い。だからこれを証拠にも出来ない。…そもそもの話、国王がいない現状で最高位の権力を持っているのはあの大臣だ。最悪、証拠が出揃ったところで揉み消されるのがオチだろう。この話は俺から民兵に託けるが、あまり良い結果は期待しないでくれ」
俺は悔しさの剰り握った手の平から血を滴らせた。あんな男の好きなようにされるなど、我慢がならない。しかしそれをマイクにぶつけても仕方が無い。俺は指令書を預けて後のことをマイクに任せ、自分の持ち場に戻ることにした。
『自分の持ち場』とはクリスの監視のことだが、これが早くに取り決められたのは、急を要したためだ。当然のことながら、2人の国葬のため城中の兵を動員しなければならず、クリスという不安要素は片付けておかなければならなかった。
俺は国葬の様子を見ることは叶わなかったが、城下に降りて大通りで執り行われたらしく、喪に伏した民衆も多く参列したとのことだ。色々と言われていたが、悲しむ者も多かったとのことで、国王を慕う国民がいたことを俺は嬉しく思った。
…しかし、国王とアレキサンダーの死因に民衆の眼が向くのも、当たり前のことだ。俺は『暗殺者が入った』など適当な言い訳を作るものと考えていたが、それは最悪の形で否定される。あろうことか大臣は、リーベルの存在そのものを明かし、リーベルの手によって2人が殺されたのだと国葬の場を借りて発表したのだった。真実を知らない兵達もそれで納得していたし、民衆の誰も大臣を疑わなかった。民衆の怒りはリーベルという『魔物』に、そしてその魔物の産みの親であるクリスに向けられた。
…こんなことをして何になる。クリスが人々の支持を得られなくなれば、益々魔王軍との戦況が思わしくなくなるだけだ。利点などあるはずがない。何て馬鹿なことをしてくれたのかと、そう思った。
王位の継承はもう暫し時間を置き、正式な場を設けて行われる。それまで政治関連の仕事は、あの大臣が行っていく。…アレキサンダーから聞かされた話に裏付けられ、俺から大臣への不信感は募るばかりだった。
4月16日、コンコンと控え目にドアがノックされる。シノアが「どうぞ」と応答すると、遠慮した手つきでノブが回りマイクとマリックが現れる。マリックの方は鉄の鎧を身に付けてナイフを腰のホルスターに納めており、マイクがドアの前で立ち止まったのを通り過ぎて此方に歩いてくる。2人とも、ベッドの上で積み木で遊んでいるクリスを一瞥して怯えた顔をしていた。
「レムリアド、マリック先生が少しの間代わってくださる。用があるから来てくれ」
マイクはドアからそう俺を呼び出して、マリックがポンと俺の肩を叩きながら「お疲れ様。任せてくれていい」と笑い掛けた。俺はそれに小さく頭を下げ、
「はい、ありがとうございます」
と答えてクリスの傍に歩いていく。クリスはパッと顔を上げて俺を見ると、心の底から嬉しそうに笑った。
「ちょっと出掛けてくるよ。代わりに彼処にいるおじさんが付いててくれるから、いい子にして待っててくれ」
「うん、分かった。いってらっしゃい、お父さん」
マイクもマリックも、その光景に唖然とした。…これは、俺とクリスの会話だ。クリスはリーベルを食べた翌日から、自分をリーベルだと思い込んで話す瞬間が現れるようになった。クリス本来の人格の時は会話すらないため、俺が会話を行うのはこうしてリーベルの人格が発動している間だけだ。
理屈は分からないが、シノアによるとあの『食べる』という行為もリーベルを殺さなければならなかった事実への償いの意図が推察され、その罪悪感の延長でリーベルの人格が生まれたと考えられるらしい。…俺には全く分からないので、こうしてリーベルの人格に合わせてやることしか出来ない。クリスの異常行動はもう俺の理解を遠く離れた域に達していた。
俺はマイクへと歩み寄り、「行きましょう」と声を掛ける。マイクはその声に我に返り、「…あ、ああ。行こう」と俺を連れて歩き出した。マイクはクリスの様子が気に掛かるのか無言で眉間にしわを寄せ、俺はそれに探り探り声を掛けた。
「…あの、それで用事というのは…?」
マイクはハッと顔を上げて勢いよく俺に振り向き、俺の質問を理解すると緊張を解いて答えた。…相当さっきのことが衝撃だったのだろう。
「いや、メーティス達が調査から戻ったからな。その報告を受けるのと一緒に此方の状況を伝えておきたい。お前がいてくれればメーティス達もスムーズに現実のことだと理解出来るだろうし、調査のことはお前も知っておくべきだろう。…あと、お前達のパーティに対しての報告もある」
マイクはそれ以上をその場では明かさなかった。連れられたのは俺用に与えられていた寝室だった。そこではメーティスとロベリアが装備のまま部屋の中心に立って待っていて、窓際に新しく設置されたらしき椅子にチェルスが座っていた。2人は項垂れて暗い空気を漂わせているチェルスに声を掛けられずにいたらしく、俺達が現れると、俺達とチェルスとを見比べてみせて『どうしたらいいの?』と訴えるように見つめてきた。
マイクは俺の背中を押し、俺は彼に頷いてから彼女らの傍に駆け寄った。2人は不安そうな顔で俺を見つめ、俺はそれに微笑み返して「お疲れさん、2人とも」と労った。
「…うん、ありがとう。レムも、何だか大変だったみたいだね。凄く顔色悪くなってる。一瞬誰か分かんなかったくらい」
「だね。…レムくん、私達帰ってきたし、少し休んでいいよ。私達で仕事代わるから」
メーティス、ロベリアと、そうして優しい言葉を掛けてくれる。俺はそれを素直に嬉しく思い、「うん」と微笑み返す。2人は俺の笑顔を見て余計に不安を煽られるようだった。
「…それじゃあ」
マイクの一声に俺達は振り返る。マイクは数秒悩んだ後、ロベリアにその眼を向けた。
「先に調査の報告を頼めるか?此方の話を聞いた後では、なかなか普通に報告など出来ないだろうから」
ロベリアはマイクの言い分に首を傾げつつも、「分かりました」と口を開き始めた。メーティスはロベリアの報告をうんうんと頷いて聞き、俺とマイクは黙って聞き届けた。
「アジトの内部では床に大量の罠が仕掛けられていて、調査には慎重なマッピングを要しました。その中で罠に掛かり亡くなられる方も数名出てしまいましたが、今回得られた成果はそれとはあまり割に合っていません。…お分かりとは思いますが、ツェデクスは既にあのアジトを放棄して移動を済ませていました。情報を渡さないように徹底して物品が持ち出され、殆ど蛻の殻の状態ではありました。しかし、ゴミ箱や便槽に捨てられた物や、アジトの敷地の構成などから彼らがあの場所でどのように暮らしていたかということ、また奴隷を留置・管理していたことを確認できました。どうやらツェデクスは各地から誘拐した人々を一定期間幽閉し、恐怖を植え付けた上で暴力により奴隷として従えていたようです。そのための拷問部屋なども確認出来ています。また奴隷を何処か別の場所へ輸送していたものと思われ、そのために数台の馬車を保有していたと考えられます。実際に馬の飼育環境も見て取れました。…また、もう1つ気になる点としては、隠し部屋のように配置された奇妙な部屋に巨大な黒鳥の羽根が散見されたことです。屋内に鳥を飼っていたにしては屋外から位置が離れ過ぎていて、しかも羽根の大きさから考えてそのサイズは屋内で飼うのは違和感があるものと推測されました。場合によっては鳥の姿を模した魔物の可能性もあると、調査長のご判断がありました。他にも細々とした懸念がありますが、それらも含めて調査資料と証拠品、カメラで撮影した写真などもアカデミーに提出してありますので、また後程確認をお願い致します」
マイクはそれを聞き終えると「ありがとう」と頷いて顎に手をやった。黒い鳥の魔物…とマイクは記憶を巡らせ、しかし思い当たらなかったらしく「魔物については此方でも調べておく」と告げた。
「さて、…じゃあ、次は此方から連絡だな。少し過激な話になる。心して聞いてもらいたい。レムリアドも改めて確認されるのはキツいだろうが、少しの間我慢してくれ」
マイクはそう覚悟を促しつつ俺達を見回して、メーティスとロベリアに状況説明を行った。クリスの出産、リーベルの事件、国王や第1王子の不在を事実通り包み隠さず告げていた。それは、チェルスにも向けられた報告だったかもしれない。チェルスは目に見えた反応は示さなかったが、ずっとあの邸宅にいたのでは詳しい事情は知り得なかったはずだ。今此処で聞いて初めて理解した現状に、チェルスは何も言わず項垂れたままでいた。
「…本当に…本当の、話ですか?……クリスが、魔物の子供を産むなんて…そんな……そんな話…」
「ああ、現実だ。理由もおそらくさっき話した通りだろう。そしてリーベルが起こした事件も、クリスティーネがそれを食い止めたことも事実だ。…その直後の奇行だって、嘘で言っている訳じゃない」
メーティスは信じられないような顔でマイクの目を見て確かめた。マイクも眼を逸らさずに答え、ロベリアは茫然と視線を床に下ろして頭が働かない様子だった。メーティスは俺にも振り返り、その手で俺の袖を掴んで顔を寄せた。
「レム、ほんとなの…?…本当に、クリスは……」
「…本当の話さ。俺は、傍で全部見てきた」
「……そん…な………酷すぎる…こんなのって…」
メーティスは静かに涙を頬に伝わせ、それを拭う余裕も失っていた。ロベリアはメーティスに視線を移し、思い詰めた様子でいる。そこへマイクがまた切り出しにくそうに口を開き、その視線はチェルスへと何度か逸れる。
「更に、ここからはレムリアドに対しても報告することだ。レムリアドはこの数日、ずっとクリスティーネの監視についていたから、街の様子は知らないだろう?」
「街の様子?…何かあったんですか?」
俺が聞き返すとマイクはメーティス達に視線をやり、
「お前達はここに来る途中眼にしたかもしれないな。どうだ?」
と訊ねる。しかし2人は首を振っていた。
「そうか。なら、順を追って説明しないとな。…リーベルの事件のことは、大臣の発表によって住民達にも伝わった。しかしそこに曲解が生まれ、光の勇者を非難する声が上がり始めたんだ」
メーティス達は『そんなばかな』と驚愕していたが、俺はこれを聞いて『ほら見たことか』と大臣への憎しみを強くした。大臣の発表は、リーベルをただの魔物ということにして、クリスがそれを生み出した元凶という風に表現した明らかな情報操作だった。こうなることを狙ったとしか思えないような事態の悪化だ。
「一部の者がデモ活動に訴え始め、現在アカデミーと民兵で連携して対処に当たっているが、鎮静化の兆しが未だ見えない。チェルシーさんは住民に追われてこの城に住居を移さなければならなくなったんだ。以前住んでいたあの家も今は空き家だ。彼処に置いていた荷物も、ほら、そこに纏めてあるだろう。もうあの家には戻れないんだ」
そう言ってマイクは部屋のベッドへと指差した。見れば言われたように俺達の荷物が纏められている。おそらく荷車も此方に移動されているのだろう。俺の知らない所で状況がまた進んでいたのだと理解した。
「対処には全力を尽くすが、このままではいずれ民衆の活動もより過激なものへと変わっていきかねない。お前達にはクリスティーネの監視を続けてもらわなければならないし、今後また別の仕事が与えられる可能性がある分、アムラハンを離れることは出来ない。3人で同じ部屋ということになってしまうが、今後は此処で過ごすようにしてもらいたい」
マイクの指示に、俺達は静かに頷いた。これはアカデミーの指示だ。言われれば従うだけ。特に文句も無い上、最低限の給料は支給されるためこのままやっていけばいい。メーティスは状況に思考が上手く追い付かず額を押さえているが、ロベリアは感情を抜きにしたような事務的な態度で小さく手を挙げてマイクに確認した。
「クリスティーネ様の監視、というのは、何もレムくんだけが行う必要は無いんですよね?私達で交代で行えばいいですか?」
「あぁ、それは勿論構わない。今後の方針が固まるまで少し時間が必要でな、長期間の監視になるから3人で交代して当たるべきだ」
「分かりました。…レムくん、どうしたい?流石に休みたかったら私達のどっちかで監視を代わるけど」
ロベリアがそうして俺を向き訊ねる。俺はすぐにそれに頷いた。そしてメーティスの肩を引き寄せ、驚いて丸い目をしたメーティスを一瞥して告げる。
「…じゃあ、ロベリアに今日は頼みたい。俺はちょっと、気分を変えたい。…メーティス、付き合ってくれるか?」
「…えっと、…うん、いいけど…」
メーティスは困惑した様子で俺を見つめて答え、ロベリアはじっと俺を凝視してから、
「うん、分かった。じゃあ、私が監視に当たります。マイク先生、案内してもらえますか?」
「ああ、いいだろう。監視を頼む。…チェルシーさん、行きましょう」
マイクはロベリアに頷くと、速やかにチェルスの下へと歩み寄って声を掛けた。チェルスは小さく「…はい」と答えて力無く立ち上がり、マイクに手を引かれて歩く。
「すみません、チェルシーさんの目から見た住民達の態度などをお聞かせいただけたらと考えたのですが、私が浅はかでした。どうかゆっくり休まれてください」
マイクはチェルスに気遣って声を掛けながらロベリアを連れて部屋を出ていった。俺達は暫くそのドアを見つめて放心し、それからメーティスが俺に何とか作った笑みを向けて「着替えよっか」と提案した。俺達は装備を解いて部屋の隅に固めておき、インナーとボトムだけの格好になった。メーティスは荷物に手を伸ばしかけたが、悩んだ様子で立ち止まって振り返る。
「…えっと、どうしようか?出掛ける?」
「…そうしようと思ってたけど、今はあまり外に出ない方が良さそうだよな。大人しく部屋で過ごした方がいいか」
「ん、そうだね」
メーティスはテテッと小走りでドアに近付き、鍵を閉めて戻ってきた。そして俺の前に向かい合うようにして立つと、『どうしたい?』と訊ねるように俺を見上げた。俺は真っ直ぐベッドに歩いてそこに腰掛け、メーティスもそれを見ると右隣に同じようにして座る。
「…大変だったな。お疲れ」
「ううん、レムこそ。…本当にお疲れ様」
顔を見ることなく会話を交わす。すぐにまた静かになる。ぼんやり向かいの壁を見つめていた俺は、耐えきれずメーティスの方に倒れ込み、メーティスの太腿の上に頭を置いた。メーティスも特に驚いた様子は無く、左手を頬に添え、右手で優しく頭を撫でてくれた。
「…本当に、大変だったね」
メーティスは母性に満ちた優しい声で、俺の心を撫でていく。その声にじわりと目元が熱くなり、喉が苦しくなる。
「休んでいいからね…、甘えていいからね…」
とうとう涙が滲み始めた。咄嗟に俺は身体を起こしてメーティスのお腹に顔を埋め、両腕を背中に回してしがみついた。メーティスは変わらず俺の頭を撫でて、『大変だったね』『偉かったね』と、子供をあやすように優しい声を掛けてくれた。その日の間、涙に追い立てられるように啜り泣く俺に、メーティスはいつまでもいつまでも、優しく頭を撫でてくれた。




