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第84話 みどりごをてにかけた

凄く長いので読む時は無理しないようにお願いします。

 飛び出した廊下は灯りも無く、月夜の色味が不穏を煽る。聞いていて気がおかしくなりそうな声の群れを頼りに走り、階段を駆け降りていくと、遠目だが廊下の中央から向かい端に亘って明らかに異様と分かった。…一面が吐瀉物と汚物、踞りのたうち回る者達の絶叫に敷き詰められている。その多くは人間の兵士だが、向かい端の曲がり角からは(確か階段があったと思うが)討伐軍用の鉄底靴を履いた細い脚が悶えるように蠢いて覗いている。知り合いかもしれない、と急ぎかけたが、凄惨な光景が始まっている場所を見てその足は止まる。

 …そこはリーベルが軟禁されていたと伝え聞いている部屋の前だった。部屋のドアは開け放たれ、よく見れば入口付近の床にだけ僅かに血痕が残されていた。リーベルが無事か、などと善人ぶったことは勿論考えない。俺はこの時になって初めてリーベルを魔物として見た。

 部屋に駆け込んで眼にしたのは、廊下の様子とはまた別の意味で凄惨な光景だった。ベッドに半身を凭れるようにして静かに死んでいる召し使いの女は、その右手にセネメイトのナイフを持ち、右腹部がごっそりと削り取られていた。無くなった肉片と腸は反対の壁にぶつかってずるずると血を擦り付けて床に落ち着いている。またそちらの方向に眼をやれば見張りを務めていたはずの教員が装備を焦げ付かせて大量の血と汗を噴いて溺れ、壁と床の角に背中を埋めるような格好で嘔吐している。視線は虚ろ、発言も無く、…そして何を思っているのか、自身の魔鋼の剣の刃を両手で持ち、その刃先をグリグリと自分の腹に突き刺していた。

 …何だ、これ。リーベルがやったのか?本当にそうなのか?しかし、ここに唯一いないリーベルが一番怪しいのは確かだ。侵入者の線を疑えるが、それならわざわざ城の中で暴れ続けたりせず逃げ出しているはずだ。

 …あの召し使いの女はおそらくは話に聞いていた奇特な女中というのだろうが、状況から見て、世話焼きを此処に入り浸る理由にしてリーベルを襲ったと考えられる。監視の眼の中で襲ったとは考え辛いが、セネメイトのナイフなんて城の召し使いが持っているはずは無い。ツェデクスのスパイだろうか。…しかし、ならリーベルは、咄嗟に抵抗しようとして誤って女を殺しただけ…?

 何か判断材料は無いかと女の衣服を探る。後でもいい気もするが、それでは城の役人かアカデミーの教員達が先に調べてしまうかもしれない。俺は極力自分の手でこれを確かめたかった。鳴り止まない絶叫に意識を掻き乱され、リーベルを探したい焦りもあり、少し手元は乱暴になって幾らか服を破いてしまったが、下着の紐に結び付けられた紙札に眼が留まると『これだ』と直感した。

 解いて広げると紙には『指令書』のタイトルと『命に代えても光の末裔を始末せよ。不可能であれば処刑、もしくは永久的な幽閉』との指令、末端には『ダムア・ファル・ケイトリン』とサインが書き添えられている。誰かと思ったが……あぁ、…あぁ!…思い出したよ…。ツェデクスのアジトでは確かに部下にそう呼ばれていたな。

「これもお前の策略だってのか、リード。…どれだけ女を使い捨てる気だ、鬼畜生がッ…。…ぜってぇブッ殺してやる…」

 頭に血が登り、握り締めた指令書がその握力で僅かに擦れる。それに気付くとハッと我に返り、急速に頭が冷えていく。まだ辛うじて読めることを確認して胸を撫で下ろし、同時にこんな場所で立ち尽くしている場合ではないと思い出す。俺は指令書をポケットにしまって、既に行動不能に陥って気を失っていた監視役の手からロングソードを取り上げた。幸い武器には血しか掛かっていないようなので安心して使えるだろう。

 気付けば廊下の外から聞こえていた絶叫もパタパタと少しずつ止んでいっている。気を取り直して急ごう、と廊下へ出て醜い液溜まりを飛び越えて進むと、脚しか見えていなかった人物の正体が明かされていった。

 脚を覗かせていたのはエラルドだった。エラルドは登り階段に這いつくばり、低迷する意識の中で何とか粗相の一線を堪えながら上を目指そうとしていた。

「大丈夫ですか!?エラルド先生、俺です!レムリアドです!返事をしてください!」

 エラルドはただ呻いたり叫んだりを繰り返すだけで、声も届かず、視界にも俺の姿を認めていないようだった。あまり時間を取ってもいられないため階段を駆け上がると、今度はユーリが倒れている。腹の内が勢いよく吐き出された跡があり、彼女はその跡から5m程登った先に額を段に擦る形で呻いていた。

「ユーリ先生、しっかり!俺が分かりますか!?」

 ユーリは絶叫して俺を真横に突き飛ばすと、頭を抱えて瀕死の芋虫のように弱々しくグネグネと身を捩る。…急がないと…。この2人がこの様子ということはリーベルは誰にも止められずどんどん移動していってしまう。万が一にもリーベルが街に出ていったらそれこそ大惨事だ。この事件だけに留まらずその後にも大きな傷痕を残すことになる。それだけは絶対に避けなければならない。

 俺は脇目も振らず走った。壁に頭を打ち付け続けるマイク、焦点の合わない眼を天井に向けて譫言(うわごと)を繰り返すカトリーヌも見ぬフリで、続出する犠牲者という名の道標に従って階段を駆け上がる。登り終えて廊下に飛び出すと、同時に向かいから大臣が逃げてきた。その表情の奇妙なこと…目は血走り、口元はニヤけ、顔は興奮で赤く染まっている。大臣の手に血で濡れた細いサーベルが握られているのを見つけた時、俺は殆ど無意識で「待て!」と無礼にも呼び止めていた。大臣はそんなもの気にすること無く階段を駆け降りていき、俺も自分が何故呼んだのか分からなくなったため諦めて前を向く。しかし正面のそれを見た時、これを感覚的に予感したのだろうと、俺は大臣を呼び止めようとした理由を自覚した。

 そこには国王とアレキサンダーの2人が勇敢にもサーベルを手に取って並び、しかし無残にも背中を刺されて倒れていた。…リーベルが刺したのではない。現にリーベルは最初の女以外誰も殺さずにいた上に、突き刺すような用途の得物を持たない。これは明らかに、この混乱に乗じて大臣が2人を殺害したということだ。

 2人の無念を想う暇も、大臣を憎んでいる暇も今は無い。今はただ、敬愛する2人に小さな一礼を以て鎮魂とする。これが終わり次第、大臣の凶行は必ず俺が明るみにすると誓って俺は柄を握り直す。身体に汗を滲ませ、行き場に迷うようにして倒れる2人の前をグルグルと小さく旋回しているリーベルへと、俺は睨みを利かせた。

「なぁリーベル、ここで終わりだ。…少し痛いが、悪くは思うなよ。手っ取り早く終わらせなきゃなんだ、大臣への用事が控えてる」

 姿勢を低く、出し惜しみ無く全力で走り出す。2人を避けるべく壁を駆け、そのまま腕を伸ばして刃をリーベルへと突き出す。リーベルは勘が利いたのか咄嗟に反対の壁へ駆け出して事なきを得た。しかし速度にはやはり俺の方が分がある。他の教員達だってそうだったはずだ。リーベルがレベル9程度しかない身体能力でここまで圧倒してきたのは妙だと感じた。

 宙を舞って着地し、リーベルへと振り返る。キー…キー…と、寂しい鳴き声を上げたリーベルの瞳から、雫くらいの小ささしかない涙が伝っていった。それを見て俺の足は動かなくなる。…分かってはいた、リーベルは何も悪くない。全部仕方無かったんだ。リーベルは殺さずに済むようにここまでやってきたのだ。それを追い立てて怖がらせたのは俺達だ。…俺も魔物の容姿に囚われてそんな当たり前の情緒が一瞬欠けていた。だがその容姿を偏見の正当な理由にしてはならない。リーベルが生まれてきたことだって全て、俺達の都合なのだ。

「…恨んでくれていい。ただ、誓ってこれだけは言う。俺はお前を殺したりなんかしない。誰にも殺させたりなんかしない。だから、頼む。…ここで大人しく…」

 その時、頭の中にイメージが入り込んでくる。それはおそらく全てリーベルの目で見た出来事だろう。優しくしてくれた召し使いの女がニコニコ笑ってナイフを突き立てに来たこと。逃げようとしたら女は動かなくなってしまい、ずっと一緒の部屋だった監視が途端に斬り掛かってきたこと。訳が分からず暴れて、しかし不意に監視の男も女みたく動かなくなってしまうかもしれないと怖くなって超能力を発動したこと。そこから騒ぎを聞き付けて兵士達が追い回してきたこと。…そして今、お父さんに斬り掛かられたこと。

 信じてたのに…。もしかしたらお父さんなら、本当に優しくしてくれるかもと思ったのに…。…そんな感情をイメージと共にリーベルは送り込んできた。

「……すまない、リーベル。…俺は、本当に…」

 もはや謝罪に意味は無い。リーベルは父親にも見放された。それがリーベルにとって事実となってしまい、人の言葉でしか何も伝えられない俺ではリーベルに愛を説くことも出来ない。リーベルが進んでいる行き先も、もう納得していた。リーベルは助けを求めてクリスの部屋を目指したのだ。光の力を司る者同士で通じ合えるのか、リーベルにはクリスの居場所が分かっていたようだ。お母さんなら助けてくれるはずだと、リーベルはそう考えているのだろう。

 不意に、リーベルの瞳が虹色に光る。視界はその光に眩まされ、辺り全てが暗闇と化す。直後ズルズルと尾を床に擦る音が廊下の先へと遠ざかっていく。俺は気が動転しながらもリーベルを追わなければと音だけを頼りに歩き出した。しかし視界は闇を抜けると現実から遠い場所へと誘われ、足も躓くようにしてそこで止まった。



 ――どういうつもり…?私、あなたとそんな関係になった気は無いわ。…そんなことする人だなんて、思わなかった――

 ――そうは言うけどね、君、僕がどうして君のパーティに加わりたがったのか忘れたのかい?…僕は言ったはずだよ。君が好きだとね。なら、僕がそうした関係を求めて近づいたことも分かるはずだ――

 クリスとリードの問答が聞こえた。これは、…知ってる。まだクリスが俺との約束を信じて誘惑と戦っていた頃、最初にリードが言い寄った時の会話だ。徐々にその会話に伴ったクリスの視界や、当時に体感した気温まで伝わってくる。クリスが喋れば口と喉にその感覚が伝わる。視界では、あの爽やかぶった表情に偽りの真剣さを滲ませたリードがクリスの両肩を掴み、クリスはその手首を掴んで必死に顔を背けようとしていた。

 ――私は断ったじゃない。あなたが勝手に求めていただけで、私がそれに応える義務は無いはずでしょう――

 ――そうかな。責任はあるだろう――

 ――無いわ――

 ――あるよ――

 2人の口調は素早く、語気も荒くなる。そして頑なに拒絶するクリスをリードは力任せに振り向かせようとし、

 ――放して――

 ――嫌だね――

 その問答が繰り返される。両者譲らぬ綱引きの末に熱くなったリードの怒号が、ピシャリとクリスの手を止める。

 ――なら僕が君のために命を張る対価は何だ!?――

 …あぁ、この言葉はクリスには効果覿面だった。真剣そうな眼で真っ直ぐ見つめながらのこの言葉に、クリスはリードを邪険にしてはならない暗示に掛かったのだ。…本当によく出来た演技だよリード、役者にでもなれば良かったんだ。

 ――…部屋で、話だけは聞くわ。でも、了承はしないから――

 ――ああ、それでいい――

 リードの浮かべた満足そうな笑みに、俺は一発殴り掛かってやりたかった。しかしこれは幻覚だ。リーベルの特殊能力…おそらくは魔法のはずだが、それにより見せている幻に過ぎない。

 理屈など知らないが、リーベルはクリスの記憶を俺のように受け取っているのだ。これまで廊下で正視に耐えない苦しみ方をしていた者達は皆、クリスの記憶を基に作り出された幻覚によって、クリスの悲劇を追体験させられていたのだと悟った。わざわざそれを選んだというよりは、産まれて間も無いリーベルには他の幻覚を創造出来なかったのだろう。

 状況を見破った俺へのサービスのつもりか、幻覚の進行速度は急激に速まる。明らかに高速な幻覚のはずなのに、体感的には内容の実時間に則るような伸びやかな地獄を与えられる。リードに騙され虐げられ、アジトを出ても恐怖が拭えず、腹に巣食った我が子に怯え、使命を強いる罪悪感に幾夜も幾夜も泣き縋る。それらは全て、クリスが俺に渡した記憶と、俺が傍で見ていた光景そのままだ。他の人間は耐えきれなかろうが、今日まで何度も直視してきた俺にはまだ少しは耐えられる。

 勿論平気ではない。ただ過去のものとして記憶を、しかも他者のものとして受け取るのとでは、当時の本人の感覚まで体験させられることは比べようが無い程に苦痛だった。

 …だが、心が折れることはない。その苦痛が予期出来るなら、苦痛の終わりが見えているなら、繰り返し気を強く持つことで乗り越えられる。終わりの見えない地獄こそ恐ろしいことを俺はよく知っているからだ。

 とうとう幻覚は終わりを迎えようとしていた。場面はクリスの出産の時にまで進んでいる。リーベルが腹を降りていき、クリスも決死の覚悟で苦痛を共にする。…その時の心情を知れたことだけはこの幻覚に感謝した。クリスはそれまでのあらゆる後悔や罪悪感は抜きにして、この時だけは純粋に産まれる我が子に愛情を向けていたのだった。

 そしてリーベルが産まれ、クリスの眼がその姿を捉えると同時に幻覚は途絶え視界は暗転する。…もう終わったのだと思った。これで目を開けられるのだと安心していた。そのはずが、再び視界は廊下とは別の世界を映し始めていた。

 恐怖の滲んだ少年の喘ぎが喉から響いている。暗く広い洞窟のような場所で、目の前には手足を縛られて立たされる骨のように痩せた少女と、手元には彼女に照準を合わせた散弾銃がある。握る手は10歳かそこらの子供の小さな手だった。

 そっと後ろから大きな硬い手が触れる。大人の手だ。優しくなぞるような手つきだが、悪魔に心臓を握られたような恐怖が少年から伝わってきた。そしてその大人は左耳にゆっくりと顔を寄せる。少年の息は荒れ、視界は歪んで辺りを往き来する。ねっとりとした低い声が、囁くように告げる。

 ――さぁ、ダムア、その引き金を引いてごらん。指先を1つ動かすだけさ。壁を狙ってはいけないよ。両耳だけ撃ち抜くなんてのも駄目だ。これは射撃の訓練じゃない、『射殺』の訓練なんだ。その一発で頭か胸を壊しておやり――

 ――…先生、許して…許してください……む、…無理…です…――

 ――無理なことがあるもんか、君の射撃は正確だよ。僕がそう仕込んだからね。さぁ、撃つんだ――

 ――ごめんなさい、許して!オレ…オレは、あの子だけは……あの子、ずっとオレを支えてくれてたんです!愛してるんです!だから、だからこの子だけは…!――

 …これは、リードの過去なのか?何でそんなものが……遺伝子に記憶が組み込まれているものか?……いや、今更常識の尺度で考えてどうなる。…それよりも、…これが、このあどけない物言いの彼が、本当にあのリードなのか…?…こんなに、優しそうな少年が…。

 ――あぁ知ってるとも。君の観察も僕の仕事だよ。お似合いだったじゃないか、仲良くお手々繋いで。君があんなに嬉しそうに笑うのは初めて見たよ――

 ――は、はい…。だから――

 ――殺せ――

 男の声は恐ろしい程に低く、唸るように彼の耳に響いた。幼き日のリードにはそれは耐え難い程の恐怖で、全身が震えて竦んで動かなかった。

 数秒経ってもリードは撃たない。…撃ちたいとも思っていなければ、身体も震えて撃たせてくれなかった。リードは黙り込んでそのままでいる。男の大きな溜め息にビクリとリードが震え、そして次の瞬間、頭上で乾いた銃声が鳴って少女の耳が吹き飛んでいた。

 少女の悲鳴にリードの震えは止む。驚愕に顔を上げたリードに男は微笑を返す。それは俺が知るリードの作り笑いとよく似た爽やかな微笑だった。

 ――君が殺さないとあの女の子は風穴だらけになるよ。両耳、両腕、両足。それらが無くなってもまだ君が殺さないなら、あの子がどこまで死なないか僕が遊んであげようじゃないか。両目、鼻、口、股間や乳首なんかを狙ってやろう。最後の2箇所なんか、そんな場所を撃たれて死ぬなんて最高にお笑いだろう?君が彼女の無様な死を見たいというならそれもいいけどね――

 ――や、やめて…――

 ――なら殺せ――

 リードは目を見張って手を震わせた。男は容赦無く少女のもう片方の耳を撃ち落とした。少女の悲鳴が木霊す。リードはついに少女に銃を向けた。震える手で照準を合わせ、リードは瞳一杯の涙を頬に溢した。

 ――ごめん…ごめんっ…ごめん!――

 少女は恐怖に強張った顔を必死に横に振った。明確な命乞いだ。少女が彼の行為を許すはずが無かった。しかし、彼は撃った。撃つしか道が残されていなかった。幼いとはいえ真剣に育まれた愛を、彼は自ら手放して殺すしかなかったのだ。

 少女は胸から腹に掛けて無数の弾を一度に受け、確実に絶命した。近距離から散弾を受けたのだから、血だらけの服の下では胴体が原形を留めず肉塊と化していたことだろう。衝撃で壁に打ち付けられるようにして倒れた少女に、リードは膝をついて泣いていた。

 背後からハンマーを起こす音。リードは耳を疑って振り向いた。しかしリードの思いなど易々と無下にして、男は銃声を響かせていた。リードが急いで振り向いた先では少女の右目に穴が開いていた。

 ――何で……何で…!――

 ――うん?6つ詰めたのに2発じゃ終われないからね。撃てる日に撃っておかないと腕が鈍る――

 やめて、やめてくれ!リードは泣き叫びながら立ち上がって男の前に立ちはだかるが、男は関係無く少女の左目を撃ち抜く。

 ――やめろって言ってるだろ!――

 リードは初めて男にそんな言葉遣いで怒鳴り、あろうことか散弾銃を男の顔に突きつけた。男はきょとんとそれを見ると、表情を変える間も無くリードを蹴り倒した。その手加減の無い蹴りにリードは嘔吐し、身体に力が入らず散弾銃も手放していた。

 ――まさか君が僕に銃口を向ける日が来るとはねぇ。いや、嬉しいよ凄く。やっと度胸が付いてくれたみたいで。祝砲を捧げよう――

 リードの身体は軽々と持ち上げられ、俯せのまま少女の方へと向けられる。そして男はリードに覆い被さってリボルバーの引き金にリードの指を掛けさせ、その指に自らの人差し指を乗せる。フロントサイトの先には少女の鼻がある。

 ――い、嫌だ…!…やめろ…!やめろやめろやめろッ!!――

 リードの声は無視され、その銃弾は呆気なく少女の鼻を潰す。そして間を置かずハンマーが起こされ、銃口は少女の唇を指し、リードの指は引き金を引かされる。リードは絶望の中絶叫して潰れた少女の顔を見つめた。

 …俺はその光景が、指の感触が、血の香りが恐ろしくなった。クリスの記憶を追体験するのとは訳が違う。全く無知の出来事に身を投じ、あたかも俺がそれをさせられたかのような心地になった。

 俺が目の前の少女を殺した。そんな感覚に、堪らなく恐ろしくなった。この先の幻覚に、もうこれ以上の恐怖は無いだろうと、期待に縋った虚構の楽観視に陥る。

 ――ごめん…ごめんっ…ごめん!――

 次の瞬間、リードは必死に謝りながら、あの死んだはずの少女をまた殺していた。そして男が少女の死体を撃ち、またリードが無理やり少女の死体を撃たされる。

 恐怖が繰り返す。徐々に素早く、目紛しく銃殺が展開される。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度も。しつこい程に俺は少女を無慈悲に殺させられる。何度も右手の人差し指に銃殺の衝撃が届く。何度も少女の悲鳴を聞く。何度も喉から絶叫が響き渡る。頭がおかしくなる。心が苦しくなる。もういい加減にしてくれ!いつになったらこの地獄は終わるんだ!?どんなに願ってもそのループから抜け出せない。延々と少女を殺し続ける。絶命の叫び絶命の叫び絶命の叫び絶命の叫び…!もう聞いていられない!許してくれ、助けてくれ!もうこんなもの見たくない!吐き気が止まない、胸が苦しい、頭が痛い!誰かこの悪夢を終わらせてくれ!

 …その時、ふわりと俺の両目を女の手が覆う。その手は温かくて、優しくて、俺の胸に溜まった恐怖を濯ぎ落としていく。

 銃声と悲鳴が遠く離れていく。リードの記憶からも俺の意識が離れていく。心の底から安らいで、不安が綺麗に無くなっていく。

 目を開くと、そこにはクリスがいた。俺がよく知っている、かつての優しく美しいクリスが、目の前で笑ってくれていた。

 …どういうことだ…?…何でクリスが…。俺の問いにクリスは答えない。ただゆっくりと俺の身体は上に浮かんでいって、クリスの姿がどんどん小さくなっていく。嫌だ、折角会えたんだ!このまま一緒に…!…そう考えるのは俺だけで、クリスはただ微笑んで俺を見送っていった。



 気が付くと俺は床に倒れて自らの人差し指を左手で殴り付けていた。人差し指から床に広がる血溜まりを見つめながら、…俺の中のクリスが助けてくれたのか、と理解した。

 俺はまた立ち上がって走り出した。今度は剣など投げ捨てて行く。…リーベルを止めなくては。けどそれは力で捩じ伏せるんじゃない。リーベルを抱き締めてやれるのは、俺とクリスだけだ。俺達がリーベルを受け止めてやらなければならないんだ。他の誰が何を言おうと、俺達は家族なのだから。

 俺の足はクリスの部屋に着いた。ドアの傍ではレイラが倒れて気を失っている。それを見てリーベルが来たことを理解出来たが、一目でリーベルと分かる姿はその部屋の何処にも無かった。俺の視線は、茫然とした思考のままクリスの方へと向けられていた。

 クリスの傍には、全身に蜂の巣のように無数の小さな穴を開けて、そこから湧水のように血を吹いた何かがいた。それは首元が囓られたように削れていて、クリスはその上に覆い被さっていた。クリスは動物のように目を血走らせ、その『何か』にしがみつくようにしている。

 クリスの右手が妙な所から飛び出している。クリスの手は、『何か』の腹を通って背中を突き破るかのような見た目で飛び出ていた。クリスの口は血だらけで、その血は首から下まで垂れて白い患者衣を汚していた。

 ……変だ……あの『何か』が、リーベルのシルエットを模して見える。そんなはずがない。そんなことがあっていいはずが…。

 『何か』の首が繋ぎ目を失いぼとりと落ちる。落ちた顔が転がって血を床に拭き取られる。…紛れもなく、リーベルの顔だった。

 …クリスがリーベルを殺して、食べている。……………俺は、先程の地獄がまだ続いているのだと思おうとした。しかし続けて部屋に駆けつけたマイク達の驚愕した様子に、これが現実のことだと諦めるしかなかった。

リーベル

HP38 MP34 攻20 防18 速30 精18 無効:状態異常

行動 引っ掻く、体当たり、浮遊、

ヒール(HP30回復、消費MP3)、

フレイム((秒数×1.2)小数点以上分ダメージ、60秒後消火、消費MP10)、

コールド(50秒間防10低下、消費MP6)、

ディープパンク(相手を術者のイメージに沿った幻覚に陥れる、相手が強烈な恐怖を覚えた場面が延々と繰り返される、解術は術者の意志か術者の行動不能によってのみ、消費MP無し)

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