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第76話 望まぬ再会

 馬車はラバカ港、ユダ村と荒廃した跡を通り過ぎてダルパラグに停まる。馭者は門の前で兵に申し出て、食料等の支給を受けるとすぐにまた出発した。馬車を特急にした利点がこれだ。通常は経由地点で1泊の休憩を取ることになるが、特急の場合はこうして速やかに支給だけ受けて出発が出来る。この場合馭者の交代も可能だが、今回は馭者に命令してそのまま担当させている。その分疲労が溜まりフィールド中の休憩頻度が日に日に増してくるが、馭者が替わって厄介なことになるよりはマシだと割り切っていた。

 馬車はまたカーダ村の跡地へと辿り着く。かつて見た時と変わらず悲惨な光景だった。メーティスはそれを眺めてミファの名を呟き、不安そうに膝の上で両手をきゅっと握った。ふと、それと同時に立ち上がったレシナがスタスタと馭者の近くへと歩き出し、俺もその後を追っていった。

「一旦止めなさい」

 レシナは馭者の肩を掴んで耳元で告げ、馭者は急いで「は、はい!」と怯えた返事をして馬車を止めた。レシナは荒れ果てたカーダ村を凝視すると2、3度頷いて続けた。

「アムルシア大陸はここから南に平原が伸びているでしょう?その真ん中をずっと下りていきなさい。そこに用があるわ」

「…け、けど、お客様…そっちには、街も何も…」

「建物があるわ。行けば見える。…ぐずぐずしていると殺すわよ。ここからなら徒歩でも行けるんだから、死にたいなら死んでくれても別に構わない」

「し…従い、ます…」

「結構」

 馭者はまた馬車を走らせ始め、カーダ村に背を向けて進み出す。俺はずっと馭者の横に控えて威圧する彼女の後ろから、馭者に優しく声を掛けた。

「終わってアムラハンに到着したらこの寄り道の報酬を差し上げます。個人的な取り分にしてもらっていいです。そのお金で好きに遊んで、どうか今回のことは嫌な夢だったと忘れてください。それがあなたのためです」

 馭者は驚いた顔で振り返り、俺を一瞥するとまたすぐに前を向いて移動に集中する。レシナは覇気の無い呆けた表情で馬車の行き先を見つめている。俺は何も言わず彼女を見守り、また魔物との遭遇に備えた。


 草原から山並みへ進み、辿り着いた山頂に高い塀に囲まれた石造の建物が見えてきた。修道院のようにも見えるその建物を指差し、レシナは俺達を振り向いた。

「着いたわよ、おめでとう。あれがツェデクスの拠点の一つ」

 その表情に歓喜などの明るいものは感じられない。戸惑い、恐怖と、そうした感情が渦巻いて先に進むことへの懐疑に包まれているようだった。…別に何の不思議も無い。彼女も此処へ来たのは初めてで、ツェデクスの仲間と顔を合わせるのも初めてなのだ。此処で受け入れてもらえなかったら彼女の行ける場所はもう無い。緊張するのは当然だった。

 馭者は怯えきって一切口を開かなかった。レシナが進めと命じるままに塀の入り口へ向かい、…魔鋼の鎧を身に付けた2人の兵士が門番をしている前へと進んだ。

「止まれ。全員馬車を降りて並び、素性を明かして用件を言え」

 兵士2人は鞘から抜いた魔鋼製のロングソードの切っ先を此方に向けて指示し、レシナはそれに緊張した面持ちで頷き俺達に振り返る。

「3人とも、装備を外して降りなさい。あなたも降りなさい」

 レシナは先んじて馬車から飛び降りつつ俺達や馭者に指示をした。メーティスもロベリアも俺に指示を仰ぎたそうに此方を向き、俺は彼女らに頷きながら言われるままに武装を解いた。馭者に続けて丸腰の俺達が降りてくると、門番の2人は剣を構え直し警戒する。…彼らの目を見て驚いた。その瞳は明らかな発光を見せ、その装備と合わせて彼らが魔人であることを示していた。

 …どういうことだ?人間の組織だと聞いていたが、魔人までいるのか…。…まさか、討伐軍のパーティから大量に反逆者が出ているということなのか…?

「私はレシナ・ダイナと申します。リード様のご命令の下、勇者クリスティーネを引き渡す者達を連れて参りました」

 俺の疑問に答える者はいない。レシナはピッシリと姿勢を整えて畏まり、門番達に真剣な視線を向けて告げた。門番達はなおも警戒の篭った眼を俺達に向け、「…リード様ぁ?」と首を捻っていた。レシナの表情が僅かに曇り不安が表れてきた頃、門番達はやっと合点がいき顔を見合わせてレシナに笑った。

「あぁあぁ、『リード様』ね。了解だ。ようこそレシナ、歓迎しよう」

 レシナはホッと胸を撫で下ろして深く一礼した。ありがとうございます、と彼女が声と共に顔を上げると、門番の1人は馭者の腕を掴んで門の傍に進ませ、残る1人は俺達の顔を見渡してレシナに問い掛けた。

「リード様の指示なら俺達も聞いてる。そのうち3人来るから案内しろってな。レムリアド、メーティス、ロベリア。…この3人がそれで間違いないな?」

「はい、その通りです。確実に連れてきました。出発地点の馬車を使用不能にしてきたので追っ手も無いはずです」

「そうかそうか。よし、ご苦労」

 その門番の男は俺達が誰か判明すると、

「よし、ついてこい。死にたくなければ検査室まで俺が通った場所をなぞれよ」

 と先導した。…初めの警戒に反して呆気無く建物への侵入を許してくれた。道中も俺達をいちいち振り返ったりすることもなく、レシナに隣を歩かせてニヤついている。その手が無遠慮に彼女の尻に伸びているので単にそちらに気を取られているだけかとも感じたが、そうだとしてもやはり俺達を警戒しないのは警戒が要らないと思われているからに他ならないだろう。

 廊下を進んですぐ1つのドアに着き、そのドアの前に立つこれまた魔人の男が適当な敬礼をして、

「客か?身体検査は?」

「いや、要らない。そのまま連れてこいとダムアさんのお達しだ」

「…あぁ、アレの迎えか」

 ドアを開けて通され、案内の男は手短に答えて室内を進んだ。恐らくこれが検査室だろう。明かりも点かない小さな部屋で、進む先にまたドアが1つある。そこを抜けていくと大勢の男が廊下で好き放題している。ダーツやチェスなどして遊んでいる者達もいれば、座り込んで武器やら靴やらの手入れをしているものもいる。女に酒を注がせたり、半裸で抱き着かせたりしてゲラゲラと笑っている者も…。無法地帯と言うのが似合う通路の真ん中を堂々と案内のままに歩いていると、不意に廊下に座っていた1人がニタニタ笑って立ち上がり、ぴったりメーティスの背後をついて歩き始めた。

 気にして振り向く俺やロベリアを意に介さずメーティスの身体を舐め回すように見るその男に、メーティスも身の危険を察したのか怯えた顔で男と俺とを見比べた。

「…あ、あの…」

 おずおずと声を上げたメーティスに男は返事もせず、スッと手を伸ばして尻に触れた。メーティスはヒッと悲鳴を上げて涙目になり飛ぶようにして俺に抱き着いてきた。ロベリアもそれを見て男を睨み、ススッと静かに俺の傍に寄ってきた。

「へへっ、モテるねぇあんた」

 男は皮肉に笑って手を擦り、そのまま去っていく。俺から何か言ってやろうとしていたが、そうなると黙って見送るしかない。もっと俺に寄った方が安心だと告げて案内役の男の背後に陣取ると、彼女ら2人は俺の腕にしがみついて心無しか足を速めた。

 目の前ではやはりレシナが好きなように身体に触れられていて、彼女は唇をきゅっと結んでそれに耐えていた。…彼女はずっとああやって耐えてきたのだ。そしてこれからもずっとそうしていくのだろうと、縮こまった背中を見つめて感じた。

 案内役は階段を降りていく。螺旋階段をぐるぐると、何階にも亘って降りていった。そして、階段が尽きた最下層でまた廊下を進み、重厚な扉の前に立ち止まった。その扉の向こうからは男達、女達の下卑た笑い声が響き、その様子に不快感を感じるのに時間は掛からなかった。

 案内役の男は扉を強くノックした。室内のざわめきはそれだけで綺麗に収まり、その奥から一言、

「…来たな」

 待ち侘びた、遂に来たというような心底嬉しそうな声音が響いてきた。…聞き覚えのある男の声だ。聞いた瞬間に胸が痛み、悲しみと怒りが腹の底で渦巻いた。しかし、その扉はなかなか開かず、目と鼻の先にいるかもしれないクリスのことを思うと居ても立ってもいられなかった。痺れを切らし扉に手を伸ばそうとするとレシナに腕を掴まれ、遅れて気付いた案内役の男は「おい!大人しく待て!」と小声で俺を窘めた。

 この男は魔人だが、俺達よりもレベル自体は低い。ここまで見掛けた者達も同様に、せいぜい5~10程度のレベルであると見られた。この室内にいるのも同様であり、此処にクリスやミファが居るのだとすれば、上手く隙をつけば2人とも逃がしてやれるのではないか。…とはいえ、レシナが俺を警戒していて今のようにすぐに察知してくるので、あまり現実的ではない。

「いいぜ、入れ」

 また扉の先から、アカデミー時代に何度も聞いた声が聞こえた。男が扉を開けるのを、急かす気持ちで見届ける。通されて中に入ると、魔鋼の鎧を身に付けた大勢の魔人達が広い室内に散らばって待ち構え、その中央にどっしりと佇む大きな玉座の前に声の主が笑い立つ。

 ネウロと同様の血の色の鎧兜、同色の盾とロングソードを身に付けた彼は、その赤い髪と合わさりギラギラと威圧的な雰囲気を醸す。…あの色の鋼のことはジーンから聞いていた。セネメイトと呼ばれる超硬度の合金だという話だったが、元々加工が難しい金属とのことで現在の研究所の技術では防具等への適切な加工法が見つかっていないはずだった。…対魔人用の催眠ガスにしろ、セネメイト製の防具にしろ、…どうやらツェデクスの組織力と技術開発力は相当なものらしい。

 彼の瞳にはかつて見た穏やかさや涼しさなど無く、ただただ獣のような獰猛さを湛えた醜悪な笑みに、俺の知る彼ではないことを悟らされた。…今に至るまで実感も無く、信じきれないでいた彼の裏切りという事実が強烈な怒りを伴ってフツフツと沸き上がった。

「…リード…!」

 自ずと唸るように飛び出した呼び声に、リードは嫌らしい程の爽やかな笑顔を湛え直した。

「やあ、レム。久しぶりだね。調子はどうだい?」

「…あぁ、いい調子さ。勢い余って殺しそうだ…」

「怖いな。君にはつくづくすまないと思ってるよ。だから彼女を君に返そう。それで手を打って仲直りとしようじゃないか」

 リードはその笑みを残し、此方を向いたまま玉座の後ろに右手を向けた。周囲の魔人の幾人かが玉座に回り、音も会話も無く1人の少女をリードの脇まで連れ出した。現れたその少女は足首まで覆い隠す青いドレスを身に纏い、その身なりの美しさに反して頭頂から泥水を浴びたようにみすぼらしく濡れていた。彼女の可憐さを象徴するかのように美しかったはずの金の長髪も汚れきり、俺が渡して以来いつも付けてくれた銀のヘアピンも何処にも見当たらなかった。

「クリス!無事か!?」

 危うく走り出しそうな程に前のめって叫び、案内役の男を始めとした数人が刃を向けて俺を睨んだ。呼ばれて初めて顔を上げたクリスは暫し不思議そうに呆けて此方を見つめていたが、目の前にいるのが俺だと認識すると突然目を見張りガクガクと身体を震わせた。…その顔色を表するなら、死人としか言いようがない蒼白さだった。

「…ど…どうし…て…」

 か細く、消え入りそうな声だった。…1年ぶりの彼女の声が、これ程に悲しいものになるだなんて思わなかった。全ての元凶となる男は、クリスを見下して嬉しそうに笑っていた。

「…クリスに何をした…。…答えろ、リード…!てめぇクリスに何をした!?」

 剣を抜こうと手を伸ばしながら叫ぶが、武器は馬車に置いてきてしまったのだった。明確な戦意を表した俺に、取り囲んで刃を向けていた魔人達は警戒を強める。息を呑んだ彼らが改めて武器を構え直すと、メーティスとロベリアは武器が無いながらも各々に戦闘の態勢を取った。リードは俺達を満足そうに眺め、クククッと額を押さえて笑った。

「何だ、聞きたいか?どこから聞きたい?何から何まで滑稽だったぜ。こいつが人間やめ始めた辺りから話してやろうか?」

「やめてっ!やめて!いや、いや、いやぁ、いやぁぁああああああああああああ!!!」

 金切るように絶叫し言葉を遮ったクリスに、リードは腹を抱えて大笑いした。両手で頭を掻きむしり、身を捩って叫び、その嘆きが届かないと絶望するような悲しい嗚咽を繰り返す。その光景の痛ましさは恐怖にも通じ、この世のものとは思えない壮絶さだった。

 …もう、耐えきれない!俺は衝動のまま駆け出そうとした。その途端に冗談めかしたリードが「おぉっと、見えないか?」と横にずれた。彼のいた背後からその姿が現れ、俺は立ち止まらずを得なかった。そこには赤いドレスを身に纏い、全てを諦めてしまったような陰鬱な顔を俯かせた銀髪の少女がいた。銀髪は短く、斬首の後首だけが戻ったかのように直線に切られていた。またその肌は行動不能の黒に染まり、傍に控える魔人の2人が交差させた魔鋼の槍の、その重なった柄に首を凭れていた。

「…ミファっ!」

 声を張り上げて呼び掛けたが、ミファは返事をする所か俺を見向きもしない。緑色の瞳は老いたように薄く開かれ、失意の底へと向けられるばかりだった。リードは今一度満足げな笑みを浮かべると、未だ頭を抱えて「わたしじゃない…わたしじゃない…わたしじゃない…」と自らに言い聞かせているクリスに刃先を向けた。同時に寄ってきた数人がミファの腹部に一斉に刃を向ける。

「さて、よくやってくれたな、レシナ。お前は本当にいい子だ。約束通り一生傍で遣えさせてやるよ」

「…はい…リード様!」

 レシナはリードが差し伸べた手に頷いて応え、その傍まで駆け寄っていった。そして病的なまでに晴れ渡った笑みをリードに向けて抱き着き、しかしそっと引き離したリードの態度にその顔も凍り付いて見えた。

「本当によくやってくれた。…早速だ、正式な仲間として最初の仕事をやる。クリスを奴に返してやれ」

「……はい…リード様…」

 レシナは言われた通りクリスの腕を引いて此方に戻ってくる。リードは同時に剣をミファの方へ向けた。此方に下手なことはさせまいとしたことだろうが、俺の注意はレシナに向いていた。…リードはレシナが望んだような理解者ではない。すがりつける相手でもない。レシナはこのまま、文字通りただ使われ続けるのだ。リードは最初から彼女に価値など期待していない。レシナにもそれは、今度こそよく分かったはずだ。

 レシナはクリスを物か何かのように引き摺って俺に投げ渡す。抱き止めた彼女は自分の脚で立つ気力すら失い、そのドレスの下からは吐瀉物や汚物や血を混ぜた酷い臭いがした。

 レシナはすぐに背を向けてリードの下へと歩き出した。その腕を掴んで止めると、彼女は暫く振り解かないでいた。

「…ルイの所に帰る気はあるか?」

 彼女は確かに迷った。一瞬振り返ろうとすらした。もはやリードの傍に居た所で彼女が満たされることはあり得ない。彼女もそれは分かっていた。しかし、結局彼女に許された選択は1つしかなかったのかもしれない。その声音は泣き笑いのようだと感じた。

「帰られるわけないじゃない」

 ゆっくりと離れていく腕を掴み直すことはせず、レシナはリードの懐へと帰っていった。彼女を安易に腕の中に抱いた彼は、俺達を案内してきた男に「送り出してやれ」と命じた。男は「はい!」と声を張り上げて了解し、俺達に外へ出ろと命じた。

 俺は最後に訊かずにはいられなかった。

「…何故クリスを返して、ミファを捕らえておくんだ…?お前達の目的は、何なんだ…」

「いずれ分かるよ、レム。少なくとも今は、彼女には人質になってもらわないと困る。今の僕が君に勝てるか分からないからね」

 リードはそう言いながらも自信満々に笑う。睨む俺を男が押し、観念した俺はリードに背を向けてクリスをしっかりと抱き直した。部屋を出ていく間リードは静かに見送り、俺達もミファを救う手立てが無く断腸の思いで基地を離れるしかなかった。

 馬車に乗り込むと疲れた顔をした馭者が俺を見つめ、俺は「行ってください」と指示を出した。警戒しきった門番達に見送られて、クリスと隣り合って座り馬車に揺られていく。

 生気無く静まっていたクリスがふと、聞き取るのも難しい声でぽそりと、

「…へあぴん…よごしちゃった………ごめんなさい…」

 舌足らずな子供のような口調で、そんなことを謝罪した。見る限り何処にもヘアピンを持っていない。汚しただけではなく、無くしてしまったようだった。俺は彼女の背を出来るだけ優しく撫でて、甘く囁くように声を掛けた。

「大丈夫だよ。また、新しく買おう」

 それはまるで幼児に向けたような声で、そんなやりとりが悲しかった。クリスはまた、ポツリと…、

「…しにたい…」

 俺は無言で彼女を抱き寄せた。今更、思い出したようにメーティスとロベリアの様子を見てみると、2人は俺達へ向けて悲しい微笑を湛えていた。

クリスが受けた仕打ちをどうしても想像したい人は『家畜人ヤプー』を読んだりアブグレイブ刑務所を調べたりしてみてください。

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