第72話 掌上の舞踊
ジーンとの2人、連絡所を出て足を止めるも、地図をパッと見てすぐにまた走り出す。アジトの位置を示す赤丸は予想した通りの場所にあり、深く見る必要もなかったためだ。ルイとの会話の時点でアジトはあの近くにあると踏んでいた。
「しかし、レムリアド…」
ジーンは並走しつつ横目で俺を見て声を掛けた。此方も慌てていたもので「はい!?」と返事が乱暴になってしまうが、ジーンがそれを気にした様子は無い。砂塵が舞おうとも構わず、人にぶつからないことだけに集中して道を走る。少し速度を落として大きく角を曲がりながらジーンの言葉が続いた。
「キィマ・ラルベルはアジトの場所を把握していたんだろう?なら一度はアジトにも行ってみて、それから此方に来たんじゃないか?そうなるとこのままアジトに行っても意味がない」
「意味はありますよ、可能性を確実に潰せて、ヒントも得られるかもしれない!他に手掛かりもありませんから先にそちらを潰すべきです!立ち止まってあれこれ考えるよりはマシです!」
「それもそうか…。なら、話し合いながら走るぞ!」
「はい!」
以降、現状の目的地を目指しながら意見を出し合う。しかしヒントも何もなく発せられるそれらは単なる思いつきに過ぎず、ジーンからの案には一般的な犯罪者の心理は介在してもレシナがそこを選ぶ理由などは存在しない。もう一方の俺も大して有力な発案が出来る訳ではない。『レシナは色仕掛けでの籠絡を多用する傾向にあるためホテルに連れ出しているかもしれない』など、そんな下らない意見しか飛び出さない。現状で向かえる場所は、やはりアジトしかなかった。
アジトまでもうじき、と意気込んで例の場所まで辿り着くが、そこで改めて見直した地図には、赤丸で位置と、その下に横文字で『地下アジト入口』と示されているだけだった。その入口が何であるのかは書かれていない。…焦って細かく確認しなかったツケだ。早歩きで赤丸のあった場所を目指したが、着いたのは団地を抜けた広場で、そこには不自然に地面が盛り上がったような広い小山があるだけだった。
「…どこだよ、入口…!」
地図を睨み、辺りを見回し、焦り苛立つ俺は両手を握り締めて吐き出すように溢した。その手に潰れて皺を作り指先の触れた一部が破れた地図を、ジーンは熱心に見つめて眉を寄せて呟く。
「ここは戦間陸動期のものと推測される巨大避難壕だ。一応は調査でも立ち入った場所だが…まさか調査に穴があった訳では…」
「…センカンリクドウキ…?何ですか、それ…」
「それは今はいい。…とにかく、避難壕の入口まで回るぞ。そうでもないと先に進めない」
聞き慣れないながら薄らと覚えがあるその単語に思わず反応したものの、それは此処で言及すべきことではない。俺もすぐに切り替えて固い表情のままのジーンに続く。小山に沿って走り、しかしそう距離は無く、山肌に設けられた鋼製扉が早々に見えてきた。扉の前には石碑が正方形の碑面を斜め上向きにして横たわっている。
「ジーン先輩、あれですか!?」
「ああ!」
手短に確認を取り、互いに合わせていた足を速めて扉へと急行する。少しでも手掛かりがあれば、と祈ってがむしゃらに走るが、その希望は思わぬ形で叶う。
向かう先の地下から、足下を通じて轟いた振動と爆発音。俺達は驚き戸惑いその足を止めた。続けざまに2、3回目の爆発音が響き、俺達は顔を見合わせて扉の前に進んだ。
爆発音などと、日常でまずあり得ないものが聞こえてきているのだ。レシナがアジトにいて、現在進行形でジャック達に危害を加えているのは明白だった。ジーンと共に口を噤み耳を澄ませると、音は石碑のある場所から響いて聞こえた。俺達は頷き合い、扉に背を向けて石碑に駆け寄る。碑文には避難壕の中で息を引き取った大勢の戦死者への弔意が総括されていた。
「…この、下…?」
信じられないことだった。文面によれば、この石碑は慰霊碑でありながら、同時に共同埋葬の墓標でもある代物だった。つまりこの下には、大勢の人の遺骨がまとめて眠っていたはずなのだ。…戦時中の慌ただしい時期だとしたら、遺体のまま埋められた場合だって考えられる。そこにネウロとレシナのアジトがあるのだとすれば、それらは取り除かれてしまったのだと想像出来てしまう。…墓を暴き死者を愚弄した彼女らは到底許されない。
「どうも、そのようだな…」
ジーンも同じように怒りに拳を震わせて答えた。また1つ爆発音が石碑の下から響いてくる。…こうしている間にもジャック達は危険に晒されている。ましてや彼らは現在何の装備も無い状態だ。抵抗しレシナと戦ったとしても防戦一方ということもあり得る。すぐにでも俺達で助けにいかなくてはならないのだ。
「…石碑を、退かしましょう。音の漏れる場所はどう考えてもその下しかあり得ません。…やりましょう」
自分に言い聞かせるためにも、俺ははっきりとそう告げた。ジーンは俺に手を伸ばし、止めようとしたが、状況を鑑みてそれ以上は動けなかった。…石碑は碑面の板を大きな台が支えるような、逆立ちの凸の字のような形をしていた。俺はその碑面の裏に両手を添えて、迷いを断つように一気に押し上げた。台は動かぬまま石板は簡単にひっくり返り、蓋のように開いて繋ぎ目の大きな金具を露わにした。そして空洞の台の中には梯子が設けられ、暗闇の奥まで続いていた。
…気のせいであって、欲しかった…。奥歯を噛んで見下ろして、「…行きましょう」とジーンに呼び掛けて中へと飛び降りる。ジーンも動揺していたが、「あ、ああ…」と頷いて直ぐ様後を追う。それ程の高さもなく、内部の床はすぐに迫ってきた。着地してすぐ脇へ退いてジーンの着地を見届け、魔人が故に際限無く夜目の利く俺達はランプも持たず周囲を見渡した。
20平米の空間の一方に、マットやシーツ、衣服が纏めて積まれており、そこが寝床なのだと分かる。そちらを向いて右手には水入りのボトルが1ダースほど箱の中に立てて置かれている。それらは所狭しと寄り添って生活感を凝縮した出で立ちであるが、そちらから反対を向くと別世界がある。重厚そうに黒く横長い棺桶のような木箱が隙間無く群がり、この場の床の3分の1を覆い隠している。…ふと、手前の箱の内、真ん中の1つが開いているのに気付き、見るとその箱には金塊がぎっしりと詰まって俺達の瞳に照されて輝いていた。
「…これは何だ…?…貴族達を襲った金を金塊にしたのか?…いや、おおっぴらにそんな手間を掛けるはずはないが…」
ジーンは箱に駆け寄って金塊の1つを手に取る。金塊はその手の上であっさりと曲がって手形を残し、それが純金そのものであると如実に物語る。
「ジーン先輩、金塊は今はいいです!それよりレシナ達を――」
呼び掛けたその時、また爆発音がくぐもって響く。さっきよりも近く、振動も大きいが、直接空気の振動がある訳ではない。見る限りこの部屋の何処にも他の場所に続く扉や通路は無い。…まさか、間違えたのか!?アジトは此処で合っていたが、レシナ達がいたのはさっきの避難壕だったのか!?
時間を無駄にしたと焦って引き返そうとする俺の腕を、ジーンは「待て!」と掴み止める。俺は振り返ってジーンを睨みその手を振り解くが、ジーンはその態度を気に留めることもなく俺を窘めた。その言葉に俺も少し冷静になる。
「木箱群の左角だ!どうも音はそこから漏れ出てる!すぐに箱を退かして調べる、金塊はどうなってもいい!入口は必ずここにある!」
ジーンは俺の返事を待たず左端へ駆け出し、背中に掛けていたホルスターの大剣を引き抜いて一遍に箱を薙ぎ払う。木箱は壊れて宙を舞い、右方向へ飛んでいく。大剣は続けて箱を飛ばし、俺が介入する余地は無い。
俺はジーンの背後に駆けつけ、箱が除かれて露出した床を凝視する。そして発見した。左の壁沿いに、手前から2番目の箱があった場所の床には手を差し込める窪みがあり、それを取っ手とするならばそこから先に続く四角い切れ目はまさに蓋のようである。箱を退かしていたジーンの肩を掴み、「これです!入口です!」と呼び掛けると、ジーンもすぐに気付いて頷きその取っ手に手を掛けた。
それはやはり蓋だった。蓋の下の四隅からは骨組みが伸び、真上にスライドするようになっている。そしてその下には急傾斜の階段が続き、今度こそ直接の爆発音と小さく赤い光が届いてきた。…あぁ、ここだ!やっと辿り着いた…!
「よし、行くぞレムリアド!」
「はい!」
ジーンは達成に安堵しつつ緊褌一番と眉を寄せて、蓋を天井に突き飛ばしてその階段を駆け降りた。俺は骨組みが壊れて宙に浮いたその蓋を抜いた剣で他所へ弾き飛ばしてから階段を降りた。足の速い俺がジーンに後ろから追い付くと、ジーンは俺を見て僅かに頷く。
階段から細い廊下に出て、すぐそこにジャックが倒れているのを見つけた。縋る思いで「ジャック!」と叫び2人して傍に膝をつくが、ジャックの身体には特に異常も無く、ただ静かに息をつき眠り込んでいるだけだった。…これ程の轟音で眠り続けている異様な事態に、レシナがキィマに使ったという睡眠ガスのせいだろうと判断がついた。
目の前の不安が去ればその先に意識が向く。今更に廊下の一本筋の先に火の海となった部屋を見つけると、ジーンはまた俺に叫ぶ。
「レムリアド、先に行け!こいつの容態は確認しておく!」
「…ッ!…ありがとうございます!」
指示通り、俺は彼らを置いて部屋を目指す。燃え上がる部屋にまた一つ爆発があり、轟音と閃光に紛れてルイの悲鳴が漏れ聞こえた。『まだルイは無事だ』と一時は喜ぶが、それも到着までの僅かのことでしかない。
足を踏み入れたその部屋では彼方此方が朱の光を揺らし、床には大量の爆炎弾が散らばっている。燃え盛る左手の壁は爆発で抉られ、その下に踞るように倒れたルイは黒ずんだ肌をして必死に正面を見つめている。…その正面には、左手に爆炎弾、右手に赤いナイフを持ち、白い下着を身に付けて全身に血を浴びたレシナが息を切らしていた。
「ルイ!」
叫び、俺はルイの下へと急いだ。レシナは俺の声を聞くと怯えたように此方を振り向き、何処か放心していた。俺がルイに接近していく中、レシナは遅れて正気に返り、慌てて逆手のナイフを頭上に振り上げる。その動きは魔法で強化したのか目で追いきれない速さだったが、振り下ろす速度は酷く遅かった。
ルイの眼がレシナの眼と交わされる。レシナの手は止まっていた。俺の蹴りに突き飛ばされるまでの間レシナはそうして立ち止まり、その表情は凍えて眼は焦点を失っていた。
「ルイ、無事か!?」
呼び掛けた俺にルイは反応を示さなかった。ルイは茫然自失で床に眼を落とし、混乱と絶望の只中にいた。痛ましくルイを見下ろしていた僅かな静寂の間、炎の中に倒れ込んでいたレシナはゆっくりと立ち上がって俺を見ていた。その視線に感応して顔を上げた俺に、レシナは咄嗟に不敵な笑みを作った。その直前の彼女の顔は、何処かホッとした様子に思われた。
「…随分遅かったわね。もう1歩で、大事なお友達が死ぬ所だったわよ…」
「レシナ…お前は…何故…!」
紡がれる言葉は怒りではなく、困惑と悲しみだった。レシナは俺達を、ルイを、全てを裏切っていた。それにより殺された人々もいる。それらを許すことは決して出来ない。…しかし、今のレシナを見てはそんな感情も悲しみを助長するだけだった。ただの直感だったが、彼女が心から全てを裏切り通しているようにはとても見えなかったのだ。…『何故』と問うことしか、俺には出来なかった。
「…何故…?…何故、ね。…話してあげてもいいわ。あなたには話してあげる。ええ、それも、私に与えられた使命ですもの」
「使命…?何の話だ、どういうつもりだ…!ルイを裏切ったのも、お前の使命だとでも言うのか…!?」
「…そう、…使命よ」
「ふざけるな…!」
レシナは爆炎弾を横に放り投げ、フフフと肩を揺らして笑う。そうした火種は炎に炙られ一斉に彼方此方で爆発を上げた。ルイを庇って前に立ち睨む俺の傍に、駆けつけたジーンが並ぶ。そして彼はルイを見つけると、急いで彼を肩に担ぎ上げてレシナを怒鳴り付けた。
「レシナ・ダイナ!お前の身柄は拘束させてもらう!事の経緯は何から何まで吐いてもらうぞ、どんなことをしてでもな!」
「…あら、怖いわね…。…あまり私に手荒なことはしないでもらいたいわ」
レシナは左手で髪を耳の後ろへ掻き上げて、余裕を装うように口元を笑わせて告げた。そして次の瞬間、此方が身構える間も無い程の素早い動きで俺へと迫った。ルイを気遣ったジーンは咄嗟に動けず、そうでなくとも速すぎるレシナに対し此方は対応しきれない。懐に入り込んだレシナはナイフを俺の胸へと突き立てに掛かる。
しかし彼女の力ではそのナイフで鎧を突き破るには至らなかった。俺は離れられる前に両腕を彼女の背に回し、力一杯抱き締める。これで彼女は逃れられない。…しかし、彼女は元より逃げる気など無かったようだ。
「クリスティーネを救いたいならね」
彼女は俺だけに聞こえるように耳元で囁いた。直後、ジーンは拾い上げたルイのロングソードで彼女の横腹を突き破った。レシナはその一撃の内に行動不能に陥り、意図せず俺に凭れ掛かる。ジーンは彼女から引き抜いた剣をルイの腰の鞘に納めてやり、彼女の行動を不審がるように目を細めた。
「…何のつもりだ、こうもあっさり…」
「フフフ。あっさり、というならここに始まったことじゃないでしょう?ほら、捕まってあげるわ。さっさと連行なさい」
「…言われなくとも。レムリアド、一旦廊下に出して消火だ」
笑うレシナにジーンは顔をしかめ、ルイを連れ出しながら俺に指示を出した。俺はそれに声無く頷いて従い、消火と爆炎弾の回収に当たった。それが終わり、ネウロと同様の仕打ちを以て彼女を連絡所へ連行する準備に取り組む間にも、俺の思考は彼女の言葉で埋め尽くされていた。
クリスを助けたければ自分を手荒く扱うな、と彼女は言った。…何故クリスが出てくる?今回の裏切りとクリスが繋がるというのか?…この女、クリスに一体何を…。いや、それよりも、この状況にこそ異を唱えるべきだ。彼女が言った通り、あっさりというなら今に始まったことではない。ネウロ確保の一幕から此処に至るまで、全て綺麗に事が進んでいる。…俺達は彼女を見事捕らえたのではない。彼女が見事俺達に捕らえさせたのだ。そして彼女の態度を見るに、この流れはまだまだ続く。そしてその果てにはクリスの存在があり、クリスの処遇を握るのは彼女だということだ。…何がどうあれ、レシナの真意を問い質さなくてはならない。
「レムリアド、俺はレシナを連行して、同時に復帰魔法を扱える奴も誰か連れてくる。お前はここで2人を護衛して待て。ネウロにこいつにと、今日は2度も連行することになるんだ。ここでそいつらも連れていけば、勘繰られて不当な視線を受けさせることになる」
ジーンはレシナの腕を掴み、彼女の横で壁に背凭れて動けないでいる2人を見て告げた。ルイはレシナを何度も横目に見ながら唇を噛み、既に目を覚ましていたジャックもルイの落ち込みように下手なことは言えずただレシナを睨み付けている。…まだジャックにはキィマのことは告げていない。それを考えると俺も心苦しかった。
俺はジーンの手を掴み、眼を合わせて首を振った。俺の眼に真剣さを感じたのか、ジーンはレシナの腕を放して此方に身体を向けた。
「彼女の連行は、俺にやらせてください。此方にはグルスさんを連れてきます。お願いします」
「いや、それは俺がやる。外に出て視線を受けるのはこの女だけじゃない。嫌な思いをする羽目になるぞ」
「構いません。…お願いします。どうしても、彼女と直接話さなければ気が済みません。お願いします」
ジーンは、そうして繰り返し頭を下げる俺を見て、断りきれないと悟ったらしい。「…なら、頼む」と俺の肩をポンと叩き、ジャックとルイの正面に立って大剣を床に刺した。俺は彼に今一度大きく礼をした。レシナの焦げた衣服やらをしまった袋を左手に提げ、その手で彼女の肩を掴み横抱きにして立ち上がった。歩き出す直前になり、ルイはぼそりと、とても小さな声で問い掛けた。
「…俺との時間は…嘘だったのか…」
レシナは一瞬、身を強張らせた。そして暫し間を開けてわざとらしく鼻で笑って告げた。
「誰があなたなんか」
俺は何も言わず彼女を連れ出した。俺の左腕に後頭部を支えられ、彼女はずっと顔を俺に向けていなければならなかった。…彼女はルイに言い返して暫くの間、気の抜けたような虚ろな顔をしていた。
民衆の視線の只中でも、レシナは屈辱も何も感じないように見えた。俺が隠すべき場所が隠れるように彼女の手の位置や脚の曲がり方などを工夫したせいもあるだろうが、彼女のそんな様子は、…何となく『苦痛慣れ』している風に見えた。
「…変な男ね」
ふと、レシナは俺の目を見て妙に安らかに笑った。俺は首を傾げて見下ろし、「何が」と訊ねた。
「今の私をどうしてそんな悲しそうに見るのか、不思議でならないわ。もっと憎むべきでしょうに。あなたは今、裏切られ、仲間を傷付けられ、愛しの女も人質に取られているのよ。…あなた、状況が呑み込めていないんじゃない?」
レシナは呆れた声で言って笑った。…今度は本気で鼻で笑っている。俺はじっと彼女と眼を合わせて真意を確かめんとし、彼女はそんな俺を見飽きたのか視線を逸らして溜め息をついた。俺はそこで簡単に纏まった言葉を口に出した。
「…クリスのことはまだ何も聞いてない。その事は君から聞かなければ恨みようが無い」
「そうね、まだ具体的なことは言ってないわ。…けど、それでも恨むには十分なはずじゃない?」
「君がしたことについてはな。…けど、恨みきれないんだ。君が後悔しているように見えて仕方無いから」
レシナはそれにポカンと目を丸くした。俺が会話ばかりで遅くなっていた足をまた速めて前を向くと、レシナは気を取り直して声を大きくした。
「はぁ?馬鹿じゃないの?妄想が過ぎるわね。それとも甘いのかしら。気持ち悪い男ね」
レシナは考え付くままに俺を罵倒した。俺は相槌も無く聞き流して歩き続け、団地を迂回するように道を選んだ。彼女が脇目も振らずに騒ぐせいで視線が俺にも集中していたし、何より連絡所に引き渡す前に彼女には俺個人で聞いておかなければならなかったからだ。
彼女も人気の無い道に入ったのに気が付いたのだろう。「あら、気は利くのね。誰かとは大違い」と半ば感心、半ば馬鹿にした言い方で告げて笑った。俺は今度はペースを抑えて歩いた。
「クリスのことについて、聞かせてもらう。あの時耳打ちしたってことは、俺にだけ伝えるべきことがあるんだろ?」
「ええ、そうよ。この先は他言無用。あなたと、あなたのパーティだけに報せなさい。他の誰かに話せば、私はあなた達に一切協力しない」
「…協力?何のことだ」
訊ねると、レシナは希望が差したように目を輝かせて答えた。覚悟を決め、彼女の言うことの全てを聞き逃すまいとした俺だったが、実際に聞かされるそれに動揺しないではいられず、俺は言葉を失った。
「クリスティーネは卒業を迎えた今日、魔王軍直属の人間組織『ツェデクス』に捕らわれる。私はこの場でその基地の場所を知っている唯一の人物ということになるわ。彼女を救いたいなら、私の機嫌を損ねないこと。…伝えるべきは以上よ」
彼女はその恐ろしい事実をさらりと打ち明けた。…自分で真実を言えと言っておきながら、俺は彼女のそれを世迷い言のように思った。聞き間違いか、何かの冗談か、とにかく真実と反した何かであろうと決めつけたがった。…しかし俺はその感情に覚えがある。大会で敗退したあの時と同じ感情だと自分で理解していた。だから挫けずその先を促すことが出来た。
「…クリスを…捕らえるのは、誰だ。お前の部下か?お前はそのツェデクスとかのメンバーだってことか?」
「部下なんていないわ。それに私もキィマも構成員じゃない。ただのお手伝いよ。この作戦の完遂を以て、私達は構成員になれるってこと」
「じゃあ誰だ!?お前がクリスの誘拐を命じたのは!?」
「私は命令なんかしないわ。誘拐するのは私達のご主人様よ」
「だから誰だよそれは!あいつの傍にはミファも、リードだって付いてるんだ!そうそう敗けるはずがない!半端な人間の刺客くらいどうとでもなる!あいつらを負かせる奴だってんなら言ってみろよ!」
レシナはここぞと笑みを浮かべ、勿体振る発言に焦って憤慨する俺を楽しそうに見つめた。そしてその唇は、最悪の真実を突きつけた。
「私達の主は、リード様よ」




