第69話 謀略の渦潮
事件の調査と門の警護の今後を打ち合わせるため、翌日は協力するパーティ全員と民兵の代表者3名が立ち会いの下、連絡所の貸し会議室にて会議が行われた。それはポーランシャの民兵長と各パーティリーダーでの話し合いの形式を取るはずであったが、先日決めた警護のローテーションを俺から報告し終えると、以降はぱったり発言の機会が無くなった。会議は俺とレシナを放置して残る3人で進み、1時間と掛からない内に今後の方針は纏まっていった。
そこへ来て、締め括りとばかりに全員を見回した兵長がその視線を俺達に落ち着けて、
「何か不明点がある方はいますか?遠慮なく挙手していただいて結構です。特に、警護の皆さんなど、何かございますか?」
今日までも協力して事を進めていたジーン達やもう1パーティは今更訊くことなど無いのか残る民兵と共に俺達に注視する。特に何も考えていなかった俺達はそれぞれ互いに顔を見合わせながら『何か無いか』と催促し合い、ふとそこでメーティスの手が挙がった。「どうぞ」と手を指されるとメーティスは緊張に頬を赤く染めておずおず口を開いた。
「…あの、警護って門番だけ守っていればいいんですか?街を囲うように見張らないと、犯人が魔人なら容易に逃げられてしまいませんか?」
兵長はうむと頷き口を開きかけたが、それを手を翳して遮ったジーンが代わりに答え始めていた。
「犯人は単独犯だ。事件の規模や、物的証拠による指紋等の一致からそれが窺える。となれば、魔人1人でこの街を脱し、馬車もなく街を移るようなことは考えにくい。馬車は門の傍に管理しているからな、門の前で警護と監視を怠らなければ逃がすこともない。…まぁその場合、馬車を手に入れたとしても犯人はこの街を脱出できないのかもしれないが、念には念を入れてだ」
「…そっか、じゃあ、警護には一度に1パーティ居れば事足りるんですね」
「そういうことだな。また捜査の状況が変われば追って連絡する。一先ずはそれでやっていってくれ」
疑問が解決するとメーティスは「ありがとうございました」と一礼して着席した。「他にはありませんか?」と、また兵長が見渡し、俺達が視線を下げているので合点すると立ち上がった。
「では以上で会議は終わります。警護班は連絡あるまで業務に当たっていただくとして、捜査協力班はまた明日同時刻より会議に出席願います。お疲れ様でした」
終了合図と共に皆バタバタと立ち上がり、俺達はその素早い展開に内心戸惑いながらも邪魔にならないよう逸早く撤退することとした。
真っ先にドアへ歩いていたレシナに続き、その1列の最後尾をついて歩き出していた俺に、「やっ」とサラが歩み寄って肩を叩いた。俺はそれに「ええ」と笑い返して立ち止まるが、折角ドアを通り抜けていたメーティスとロベリアが警戒したような睨む目付きで廊下に留まったので居心地は悪くなってしまった。…何より、メーティス達がそこにいると他の者達が部屋を出辛くなってしまうので俺も焦っていた。
「レムリアドくん達は今日のとこはオフだよね?何か予定とかあるの?」
「あー、いえ、特には決まってませんけど。…強いて言えば、俺は報告書を書き上げなきゃですね。長いこと出払ってて滞納してたんで、早く提出して手帳の機能を回復しないと…。流石に装備の修繕費を自腹切ってはいられませんからね」
「あ、風の神殿行ってたんだっけね。そっかそっか…。うん、頑張ってね」
「何か用事でしたか?」
「いや、単に何して過ごすのかなって思っただけ。じゃ、お疲れ様~」
サラは会話の間にメーティス達の視線に気付いたのか、そちらにチラチラ視線を外しながら手早く打ち切って俺に手を振る。メーティス達が相変わらずじっとサラを眼で追う中、サラは心底気まずそうに顔を逸らして小走りに部屋を去っていった。その後にジーン達やもう一方のパーティの皆も続けざまに部屋を出ていき、流石に邪魔になると分かってかメーティス達はドアの傍から離れて道を譲りだした。
その列が去り、部屋に残るのが俺を除き民兵だけとなると、彼らは静まった室内で四角を描いて連なった長テーブルの一角にて小声で調査の模様を話し合う。…勝手に聞くべきでは無いし邪魔でしかないであろうため、俺はタッと走り出す勢いで廊下に出る。そこではやはり2人が物言いたげな眼をして待ち構えていた。
「…女誑し」
「たらし」
ロベリア、メーティスと続いてブー垂れ、流石の俺も少し呆れて頭を掻きつつ首を振った。溢れる声音は溜め息のそれである。俺の返答にロベリアは噛み付き、メーティスは完全に拗ねて頬を膨らませている。
「いや、違うから。あの人はそーゆーのじゃねぇから。前からお世話になってるっていうか、単に距離が近いだけだから。お姉さん枠だから」
「一夜を明かしたのに?」
えっ、何で知ってんの…?別に隠してはなかったけど明言もしてないはずだぞ…。サラさんから訊き出したのか?もしそうだとしたらサラさんがまた色々気にして落ち込んでしまいそうだが…。
胸中に疑問が渦巻くが、それよりもはっきりするべきことがあると思い、重くなった口を開いた。
「…いや、それは…まぁ今でも反省してるし今後は絶対にしないと誓ってる。一晩限りだったとか、過去のことだとか、そういう言い訳はしない。ただはっきりさせておきたいのは、今後サラさんとはそんな関係にはならないってことで互いに納得してるってことだ。…だから、まぁ、なに……あの人の前でもそれは蒸し返さないであげてくれ。サラさん結構繊細だから、とことん自分を追い詰めると思う…」
「……私が言ってるのは一晩中酒場で飲んでたことなんだけど?」
おーっとやらかしましたねこれは。
今更両手をブンブン胸の前で振って違う違うと誤魔化しに掛かった俺に、ロベリアは軽蔑と嫌悪の眼を向けて腕を組みフンと身体を背けた。
「ホンット信じられない!これ以上女の子増やしてどうするの!?いい加減本当にクリスティーネ様一筋なのか疑わしいよ!?」
「い、いや、互いに恋愛感情が無いってのは本当だぜ?関係を持ってしまったのは、あれだ、両方とも精神的に追い込まれてたというか、サラさんにしてみれば気の迷いみたいなものだったというか…!とにかくお前らが心配するような浮いた話はまず無いからそこだけは安心しとけ…」
「あの先輩がレムくんをどう思ってるかは、レムくんが決めることじゃないでしょ!もういいから、とにかく女の子と2人きりは禁止!私達も2人きりは避けるから、クリスティーネ様ともそうして!それが私達のルールってことで決まったから!いい!?」
ロベリアは眉間にシワを寄せて俺を指差して言い放つと、「行くよ!」とメーティスを引っ張って早足に離れていった。メーティスは不意のことでわたわたと脚を縺れさせながらも駆け足でついて行った。俺はドッと溢れた疲労に肩を落として溜め息を溢し、先の騒動を聞き付けた兵長から「すいません、お静かに…」と声を掛けられると速やかに詫びて去った。
…女性との距離なんて未だ上手く掴めない。とりあえず面倒が起きないようにするには、ロベリアが言うように特定の誰かとの関係など仄めかさないことが第一だろう。それは、クリスに対しても同様のことだ。実際クリスが現時点での交際を望まないのならば、その距離感は慎重に測るべきだ。なるべくどの女性にも平等に接するのが無難という所だろう。
まぁ、それを下手に意識し過ぎるのもまた厄介の素だ。今はとりあえず普通にしているのがいい。さっさと報告書を書いて休むことにした。
2月23日には今年度の卒業式があり、俺達は極力それに合わせてクリスと合流するのが望ましい。…しかし、調査は思うような進展も見られず、1月を迎えてもなお俺達はこの街で足踏みしていた。
とは言え、犯人自体の目星は付いている。最初の会議から1週間足らずの内に、民兵はポーランシャへの入出街記録から滞在中の可能性のあるパーティと、そのパーティの現状を護衛を設けて精査したのだ。その結果行き着いたのは、唯一生き残り、街へ帰ったまま何故か消息の途絶えている1人の魔人だった。ネウロ・タルパという男だと聞いているが、それ以上の詳しい素性は知らない。
アカデミーから経歴等の詳細情報を報されたのは上の方々だけで、警護を務めるだけの俺達には殆ど教えなかった。ただそれでも1つ忠告されていることには、その男はレベル31の猛者でありながら、犯行以前から報告書で問題視されていた精神疾患者でもあり接触には厳重な注意が必要だということだ。魔人はレベルの上昇に伴い、精神疾患を患う例が報告されている。多くの場合はレベル40を境に問題が発生すると授業に聞いたが、より早期に疾患が現れることもある。ネウロの所属したパーティの平均レベルが27とのことだが、それではポーランシャ付近での戦闘で全滅したことに違和感が残る。…そのため、上はネウロが犯行に際して自らの手で仲間を殺めた可能性も呈示している。その真偽は不確かだが、要はそれ程の危険人物であるということだ。
さて、ならば何故そこまで把握していながら捜査が停滞しているのかと言えば、犯行頻度の明らかな減少も然ることながら、ネウロの根城が判明していないことも原因である。当然宿の利用は無く、街に存在する全ての家宅を調査しても足取りが掴めなかった。住民に扮した民兵のパトロールも甲斐無く、事件発覚と同時に現場へ直行しても後の祭りで、凄惨な血の池の他に得るものは無い。事件の頻度は減る一方で、然りとて此方が『街からのネウロの脱出』を視野に入れるとそれを否定するようにパトロールの眼を掻い潜った場所で事件が巻き起こる。…この異様な事態にはジーン達も勘付いているが、はっきりと口に出すことはなく互いを疑り合い、寧ろ連携を阻害しているだけの結果となった。
警護を務めるばかりの俺達には、何が何だか分からなかった。
そして、状況の変化はもう1つある。これはネウロの事件には関係無く、同時に進行した俺達の問題だった。風の神殿へ発つ前レシナが度々男と会っていたが、今回もレシナとルイに絡んだ騒動が起きたのだ。…ただ、その本質は真逆に思われる。
騒動はやはり、警護役を俺達が替わる拍子に、何処へとも告げずに1人出掛けようとしたレシナと、それを怪しんで腕を掴み引き止めたルイとの言い合いに始まった。3日置いてのオフに浮わついて先を歩いていたジャックとキィマも振り返り、門の真ん前で不穏な空気を漂わせたルイ達は周囲の視線を引き付けていた。
「何よ、別にどこへだって好きに行けばいいでしょう?あなたの許可をいちいち取るなんて御免よ」
「いいや、ダメだ。前科があるだろ。またあの男と会うんじゃないのか」
「…呆れた。何て心の狭い男なの。あの人に私から会いに行ったことなんて一度も無いわ。単に顔見知りなだけで何も無いし、それをまるで罪でも犯したように言われるのも我慢がならない。私が愛してるのはあなただけよ、ルイ。もう何度も愛し合っておきながら、まだ私を信じられないの?」
「なら、まずあの男のことを話してくれよ!何度訊いてもはぐらかされて、『ただの知り合い』とばかり言われたんじゃ信用のしようも無いじゃないか!別に他の男と話すなとまで言ってないんだ、ただ信用して欲しいならある程度事情は話してくれてもいいだろ!」
ルイの声が大きくなると、レシナは顔を背けて「本当にしつこい…」と小声で辟易し、そのまま黙り込んでしまう。…以前の言い合いと同様に、重苦しい空気に此方が息苦しくなり、周囲も場所を変えて欲しそうに眉を潜めて他人のフリに徹していた。
暫しの無言無音が一面に瘴気を広め、そこへふと、キィマが小さく手を挙げて首を傾げながら探り探りという風にルイへ笑い掛けた。
「…あの、じゃあ私、レシナについて行こうか?…男の人には言えない用事ってあると思うし、それなりに付き合いが長い私がついて行く分には、レシナも文句は無いでしょ?」
ルイは思わぬ提案に面食らい、それに対する返答に迷った。レシナはというと、門の傍にいる俺達からはルイを挟んで向こうに立つ彼女の顔は窺えないながらも、その声音の弾みから安堵を感じ取れた。
「ええ、それは助かるわ。デリカシーの無い彼には、是非見習ってもらいたいものね」
ルイは流石に反論も出来ず、また周囲からの視線も相俟って気まずそうに俯いた。そしてとうとうレシナの腕から手を離し、「…ごめん。キィマさん、頼んだ」とぽそぽそ呟くようにして告げると重い足取りでレシナを通り過ぎていった。…その一瞬、レシナはピクリと身体を揺らし、心無しか、その手はルイを引き止めるかのように僅かに浮いたように思えた。
ジャックやキィマも彼が行くのをただ横で見つめ、その背中が少し遠退いてから動き出した。ジャックはルイへ追い付き「おう、元気だせよ」と色々捲し立て、キィマはレシナに駆け寄って「じゃあ、行こう」と横に並ぶ。
レシナはハッと息を呑み、呼び掛けに遅れて「…ええ」と口籠ったような返事をして歩き出した。
その日以来、2人の間には妙な距離が開き、会話は短く、共に過ごす時間も少なくなった。それまでは2人の間に何か問題があるとそれを誤魔化すようにホテルへ誘ったレシナも、そうした安易な行為に躊躇いを覚えているらしかった。2人の態度は初めて見る程に遠慮がちになり、互いに干渉しないように気を張っているのが見受けられた。
しかし、それは本心から想い合っているがためだ。それまでの付き合い方や接し方を省みて、後悔が生まれたからだ。2人の間に真剣な想いが無い限り、後悔などしようはずが無い。2人はそれぞれで考えて話し合うことで、より深い関係と愛情を育んでいけるという確信があった。ただそれは容易ではない。
事は女性間でしか相談の出来ない用事とのことで、それがレシナからルイに打ち明けられるものかは定かでない。現状レシナは何度か出掛けているが、キィマ以外を用事に連れ出したり、相談したりはしていない。一応キィマにそれとなく訊ねてみたが、「個人的なことだから訊かないであげて」と言われた。…こう言われてしまえば何も訊けない。故にこの問題は俺には関与出来ないし、幾ら俺がルイに話し合うことを推奨してもレシナがその気にならない限りどうにもならない。
ともかくは問題を2人に任せ、俺は俺のことに気を配ることにした。どのみち俺が手を出すより本人達で悩み合う方がいいし、そうしなければ解決にならない。俺も人の恋愛に口を出せる立場には無いのだから、自分のことに専念すべきだろう。
そんなことを思いながら休日を無為に過ごしたり、業務に明け暮れたりしている間に2月へと突入した。…この様子では、残念だが卒業日に間に合わないだろう。初っ端からクリスの期待を裏切ることになって剰りにも申し訳ないが、かと言って無責任に仕事を投げ出して行けるはずもない。どうにもならない事情だった。
差し当たって、アカデミーを介してクリスへ手紙を出すことにした。クリスの家に直接出せればいいのだろうが、生憎住所も郵便番号も知らないし調べようもない。仕方なく宛先をアカデミーとして、業務連絡的に認めたものをクリスに託けるよう依頼することにした。従って、その内容は随分と事務的で他人行儀な文章に埋め尽くされ、およそ俺らしくない手紙となってしまった。…もしこれを教員の誰かがポンとクリスに渡したとしても、クリスは俺からの手紙とは思わないかもしれない。その様子を想像して少し笑みが溢れたが、やはり俺と彼女との距離を表すようなこの手紙はとても笑えた代物ではない。
投函してから万が一の奇跡を明くる日毎に祈ったが、それが天に届くことは無く、とうとう2月23日を迎えてしまう。相変わらず調査はほぼ進展が無く、事件そのものもめっきり起きなくなっていた。
…いや、ある意味では願いは天に届いたのかもしれない。しかしそれを神が叶えるではなく、寧ろ悪意を以てして突き返したと言える。まるで誰かが意図して狙ったように、クリスが卒業したであろうその日、制止された時間が動き始めたのだ。




