第66話 健気な青紫
遠征の準備は滞り無く進み、レベルは全員22に更新、装備は魔鋼製一色へと一斉に改装された。キィマとレシナの武器もヴァイオレットからコバルトのワンドとなり、魔法使いの真価を発揮する環境が整っていた。武器はある程度の予備も用意し、遠征中何度か破損しても代えが利くようにしている。
戦闘自体も遠征の上で安全に行える仕上がりだ。キィマの氷魔法で敵の足を止め、ロベリアとレシナで俺かジャックに支援魔法、残りでパーティの守護を務めれば現状は確実に勝利出来る。惜しまず魔法を使っても彼女らのMPが底をつきるのに1.5日程度は掛かるため、その都度テントで休めるように各パーティ200本ずつ聖水を買い占めておいた。風の神殿への出発を翌日に控え、ほぼ完璧な準備が完了していた。
…と、このように仕事上は何もかも上手くやっていたというのに、妙な所で問題は起きるものだ。プライベート、それも男女間の問題であるために本人達以外には干渉のしようも無いのだが、それでも目の前で繰り広げられるいざこざから眼を逸らす訳にもいかず、俺達は毎日少しずつ胸に疲労が蓄積した。
発端は丁度遠征の準備を始めた前日、俺とルイとで話し合ったあの直後のことだった。ラブホの待合室に急ぎ足で駆けつけたルイが眼にしたのは、足下に鞄を置いてカウンターに向かい、報告書に手をつけながら隣に座る男に言い寄られていたレシナだった。男が討伐兵であったこともあっただろうが、ルイは強くその男を押しやってレシナを連れ去ったらしい。
普通それだけやれば男の方も諦めるはずだが、男は未だに日中見かけることがあればレシナに話し掛けてくるらしい。そしてレシナの方も男を邪険には扱わず、時には俺達すら見ることの無い笑顔を男に振り撒いているらしい。…らしい、というのは、俺はその現場を見たことが無いためだ。つまり、常にレシナと行動するルイでなければ居合わせる機会が無いほどに遭遇率自体は低い。だからこそ、俺達は下手にその問題に介入出来ないでいた。
そして今も、ルイとレシナは口論を繰り返している。
「だから、私は何度も言っているでしょう?ただの知り合いよ。あなたが思うようなことは何も無いの。しつこいのは嫌いよ、私は」
「じゃあ、何であんな態度取ってるんだよ!おかしいだろ!あんな顔、俺にだって滅多に向けてくれないじゃないか…!」
「…あれはただの愛想笑いよ。彼を含めて、そもそも私は誰に対しても滅多に愛想笑いなんかしないわ。あなたがその機会に多く居合わせているだけ」
「…あの頻度で『たまたま』なんて言い張るのか?」
「何?あんな安っぽい笑顔を向けて欲しいの?幾らでも向けてあげるわよ。何なら今夜でも」
「いい加減にしろよ…!」
2人は宿のロビーでテーブルを挟み、毎日のようにそうして言い争う。テーブルに乗り出す勢いのルイに対し、レシナは鬱陶しそうに横を向いて片手で髪を弄っている。他の者達はそれを見て見ぬフリして、俺がこの日のチェックインを済ませるのをただ眺めている(討伐軍は特別な許可がない限り一括では連泊出来ない)。
…この光景はあまり見ていたくない。仲間内での揉め事だからというのもあるが、すれ違いに見える2人の口論を聞いているとロベリアと別れ話になった頃のことを思い出して胃が痛くなってくるのだ。ルイが不安がる気持ちも同じ男としてよく分かるし、レシナの方も『故郷で知人に会ってしかもそれが討伐軍だった』とか、『やりたいことがあってその相談に付き合ってもらっている』とか、彼女なりのエピソードがあった上でこの状況にいるのかもしれないと色々考えてしまう。…レシナの方は勝手に俺が過去の自分と重ねて見ているだけなのだが、とにかくどちらの味方にもなれない心情だった。
「ねぇねぇ、レム」
チェックインが終わるタイミングを見計らい、傍にいたメーティスがクイクイと俺の袖を引っ張る。向こうの怒号に負けないようにか、彼女は無理をしたような満面の笑みで言った。
「神殿に行ったら、召喚獣増えるよね?もっとちゃんとした召喚師になれるよね?」
「そうだな。今までもガブノレは役に立ってたけどな」
「クリスとミファの役にも立てるよねっ?」
彼女の笑みは嘘では無いと思った。本当に心から、あの2人を導く立場に立てることを喜んでいるのだと分かった。俺はフッと頬を和らげ、「だな」とその頭をふわりと撫でた。擽ったそうに目を瞑って笑うメーティスの背後でロベリアが冷めた眼をして俺を見つめていた。
「いつまで眼を背けるの?」
夜中、風呂を終えて部屋へと戻る道中に擦れ違ったロベリアがそう訊ねてきた。自前らしいモコモコした赤白ボーダーの寝間着とショートパンツの格好をした彼女は、一見して和やかな様相に似つかわぬ鋭い眼を俺に向けて壁に背凭れていた。もしかしなくとも、俺を待ち構えていたのだろう。
「背ける?何から」
「惚けてるの?メーティスのことよ」
「あぁ、なるほど」
俺はその場に足を止めて僅かに振り向き、納得すると頷いた。ここ最近のルイ達を見て、彼女も自らの恋愛について考え直したのだろう。そうしてメーティスの問題が浮かび上がってきたという所か。
俺を見て、ロベリアは小さく息をつき壁から背を離した。
「…一応、背けてはいなかったんだね。…けど、やっぱり真っ直ぐに見ようとはしてない。視界に入れただけで満足してる風にしか見えない」
「…的確に痛いとこ突くよな、本当に」
「最近はレムくんに対してだけだよ」
ロベリアはクスクスと意地の悪い笑い方をして、じっと俺と眼を合わせていた。『それで、言いたいことは?』と聞こえてくるようだった。
「…メーティスのことは、これでも考えてはいる。あいつがどうしてあんなにも俺に尽くしてくれるのか…。今更、『友達だから』で逃げるつもりはない。ただ現状で動くと厄介なことにしかならないのも確かだろう。せめてクリスとの合流を果たしてから…」
「それこそが『逃げ』でしょ?」
ロベリアは俺の言い分をバッサリと切り裂いた。俺もそれに返せる言い訳が無い。ロベリアは訪れた沈黙に静かに眼を落としながら、寝間着のポケットに両手を深く突っ込んで脳裡に言葉を転がした。そしてまとまると、またはっきりと俺の目を捉えて告げた。
「一番の問題は、メーティスが自分の気持ちに上手く気付けてないことだよ。だから『クリスとレムのため』なんて言って心と身を削る。君はそれに安住しているだけだよね」
「…その通りだな」
「君は人の気持ちには敏感だけど、その粗を見つけるのも早い。それで自分の都合に合わせて、見ないフリして欺いてる。…私と付き合ってた時も、ずっとそうだった」
「……ホント、その通りだよな。どうも根っこの部分は成長してないな、俺」
誰よりもその事を知る彼女からの言葉は、他の何よりも重く俺に伸し掛かる。彼女は表情を和らげたりもせずそのままに、「いや」と首を振った。
「素直にそれを受け止められるのが成長の証だと思う。この歳で人格なんてそうそう変わらないから」
「まぁ、そう言われたらそうなのかもしれないけど。…けど、それじゃあ一生解決はしないことになるだろ」
「…さっきの私が言い過ぎたのかな。ごめん。ちゃんと理解してるならそんなに背負い込むことは無いよ。ただ、だから、相談とかしてくれたらいいなって思うの。1人じゃやり方を変えられないなら、他の人も交えれば変えていけるから。…未だに私は奴隷を許せない、けど、レムくんのお蔭で許し方があるって理解は出来たから。話し合うって、きっとそういうことだと思う」
会話が結論らしきものへと辿り着くと、同時に廊下を子連れの一般客が通り過ぎていく。ロベリアと2人、それを見送った。
「分かった。じゃあ、神殿から帰ったらまた話そう。…けど、お前はいいのか?」
訊くと、さっぱり心当たりが無いというように、ロベリアはきょとんと目を丸くして首を傾げた。
「何が?」
「いや、ユダ村での言動見てて、俺の自惚れじゃなければ、お前がまだ俺を諦めないでいてくれてるように見えてたんだが…。それでも、俺とメーティスのことで相談に乗ってくれるのか?」
「あぁ…」
ロベリアは納得してフンフンと頷き、腰に手を当てて歩み寄った。鼻先が合わさるように近づいた彼女は真剣な眼をして、
「勘違いしないで、メーティスを応援するとかじゃないから。けど、今の状況は三者の誰にとってもフェアじゃない。もっと状況をはっきりさせたいだけよ。誰が勝っても後腐れないようにね」
「…な、なるほど…」
「…本当はクリスティーネ様も交えて話し合いたいんだけどね」
ロベリアは少し俯いてぼそりとそう溢した。…俺は暫しポカンと呆けて彼女の顔を見つめ、ロベリアはそれに気付くと不思議そうに俺を見上げた。
「何?どうかした?」
「あ、ああ、いや…そうだったな。クリスティーネ『様』だよな」
「うん、そうだよ」
次に会う時、クリスは勇者としての地位が確立し、俺達が気安く呼べる存在ではなくなっている。俺もそれは理解していたし、卒業後の約束の時だってそのつもりで会話を取り繕った。…しかし、旅の経験を経た今、かつては薄かった実感がそこに生まれていた。クリス自身はそんなこと気にせず接してくるかもしれないが、俺達はそれに気を遣わなくてはならないのだ。もう昔のように気軽く話せる立場にはない。
「ともかく、また落ち着いたら相談ね。じゃあ、おやすみ」
「……あ、うん。おやすみ」
ロベリアはぼんやりしている俺を置いてにこやかに手を振って去った。俺はポツンと佇んだままそれを見送り、その影が曲がり角に消えていくと後から部屋へ歩き出した。メーティスのことを話し合っていたはずなのに、胸にはやはりクリスのことが渦巻いていた。
…神殿への行きの日数はおよそ50日程度。単純な往復と考えて遠征に掛かる日数は100日と少しだ。つまりポーランシャに戻るのは少なくとも12月ということになる。そこからクリスの卒業までが2ヶ月。早めにアムラハンに戻っておくべきだろうか。
…そもそも、果たして俺達の助けが彼女らに本当に必要なのか。それに疑問を持ってしまえばこの1年が無に帰してしまうことは分かっている。しかし考えずにはいられない。彼女らの使命に比べれば俺達がやっていることや、してやれることなんて微々たるものでしかない。力になれても最初の数ヶ月だけだ。すぐに俺達を必要とはしなくなる。
…この先どうなるのだろうと、いつかも描いた未来への不安を再び思い描いた。
翌日に出発し、地図を睨んで歩き続ける日々が始まる。ポーランシャを離れたことで、一時的ではあるがルイとレシナの諍いも鳴りを潜めた。引き換えに沈黙が広がり、それに唯一抗ってキィマとイチャついていられたジャックも途中から長い徒歩に不満しか洩らさなくなった。
休まず歩き、日に2回程度の戦闘、そして残りMPと相談して時折のテント。戦う相手もこれまでと変わらないため、日に日に緊張感も薄まっていく。予備を買い貯めた甲斐あって遠征中に武器を失う心配も無かったが、そうなると剰りにも毎日が代わり映えせず、10日過ぎた頃には本当に誰も喋らなくなった。テントの相談すらアイコンタクトで終わる。メーティスのやる気も底を尽きていた。
もう日数を数えるのもやめ、山を迂回し終えて幾十日か経った頃、漸く見える景色に変化が訪れた。茶色ばんだ草原の先に、大きく、広く聳えた黒煉瓦の神殿が現れる。
「…ね、ねぇ!あれ!あれ!」
全員俯き気味に歩いていた中、最初に気付いたメーティスが俺の肩をパシパシ叩きながら笑って呼び掛けた。その声にやれやれと顔を上げた俺達は、神殿を見て忽ち生気を吹き返し互いに顔を見合わせた。
「あれだ!間違いない、やっと着いたぞ!」
俺が振り向きながら皆に大声でそう告げると、ジャックがキィマを抱き寄せながら「っしゃあ!!」とガッツポーズする。キィマは突然のそれに初めは驚くも、すぐに笑ってジャックを抱き返し「うん!」と大きく頷いた。ルイはホッとした様子で肩を下ろして笑い、その視線をレシナへと移す。ルイの反応を眺めていたレシナは、ルイから視線を向けられると途端にフイッと他所を向く。ルイは顔を背けられるとムッとして顔を背け、しかしまた2人同時に顔を向けてしまっていた。
「やったね、レムくん!」
不意にロベリアが俺の背中に抱き着いた。彼女からこうも大胆に行動してくるのは本当に久し振りのことだった。一瞬、彼女の行動は神殿に着いた喜びから湧いた突発的なものかと考えたが、すぐにそれは違うと気付く。
彼女の視線は俺ではなく、メーティスの方を向いていたからだ。俺はロベリアを振り向いた直後、視線を追ってメーティスを見た。メーティスは俺に抱き着いて笑うロベリアの顔を、凍り付いた表情で見つめていた。
メーティスは俺のために、そしてクリスのために尽くしてくれる。俺がクリスを想うことを認め、それを助けようとしてくれる。これまでそうしてくれていた。…友人だから、とメーティスは言っていた。しかし、ならばロベリアはどうなるのか。ロベリアもメーティスにとっては共に苦悩した友人に違いなかった。
しかしメーティスは今、ロベリアが俺に抱き着くのを好ましくない様子でいる。俺がクリスを愛していると知っているからだ。メーティスは全面的に俺の味方をしている。…そう考えていくと浮かび上がる疑問が1つ――クリスが俺に好意を向けることに納得し、ロベリアが俺に好意を向けることを許せないのは何故なのか。
その疑問の正体に気が付いた時、メーティスは俺への感情を自覚するのだろう。ただ、今がその時だとはとても思えなかった。
「…ロベリア、離れろ」
言い付けてロベリアの肩に触れ、ロベリアを押し剥がそうとした。しかしロベリアは余計に俺を抱き締める腕に力を込めた。俺は言葉にならない焦りからメーティスを見た。メーティスはおどおどした様子で俺の目を見て、自信無さげにロベリアに手を伸ばした。
「…ねぇ、ロベリア。レムが困ってるし…離してあげたら?」
「困るのはメーティスじゃないの?」
ロベリアはメーティスの言い分に鋭く反論した。メーティスは「え…?」と小さく洩らして困惑し、俺は油断したロベリアの隙を突いて腕から逃れ、「行くぞ!」と声を張り上げて強引に先へと進んだ。皆が頷いて歩き出す中、メーティスとロベリアは向かい合ったまま暫し立ち尽くしていた。
少し進んだ先で待っていると、小声で何やら話した2人がゆっくりと追い付いてくる。ロベリアは怒ったような顔で、メーティスは困ったような悲しんだような顔でいた。何を話したのかおおよその予想がつくせいで、その後も俺はメーティスの方を振り向いてばかりいた。
神殿内には殆ど魔物がいなかった。神殿に入って最初、十数体が一斉に奥から駆けつけただけで、それを倒すとそれきり戦闘は無い。その敵も外で戦ってきたものと同じ種しかおらず、苦戦するようなことも無かった。事前準備が整っていたためだと考えれば喜ばしいことなのだが、剰りにも張り合いがなく複雑な心境だった。
神殿の奥にある礼拝堂は天井が抜けて光芒が差し、陰になった場所には水溜まりが出来ている。冷えきった室内の中央に石の台座、またその上に大きな金の石が置かれている。…どうやらあれが召喚師の魔石のようだ。
「じゃあ、行ってくるね」
皆で囲むように見守る中、メーティスは俺にそう笑い掛けて魔石に駆け寄っていく。そっと手を触れ、眠りに落ちていくように瞼を閉じてメーティスは契約に入っていく。
見守りながら、俺は彼女との日々を振り返った。…そして、その日々のケジメをつけなければならないと決意した。




