第63話 小さな涙
バーへと出向き封筒を渡してみせると、メアリーはパッと封を開けて中身に眼を通し、カウンター裏のコンロに火を点けて炙り始めた。何をするのかと初めは慌てたが、意味を解してから大人しくそれを見守り、手紙の内容はどうかとメアリーの顔色を窺う。内心ではその一挙一動が恐ろしく、『早く結果を』と急かしたい思いだった。
メアリーは炙り出された文を読み終えると、悲しい顔で俺達を見渡し、額を押さえて面倒臭そうに溜め息をついた。
「…これ、読んだの?」
メアリーは手紙をヒラヒラと振りながら訊ね、俺はそれに「いいえ」と首を振った。予想がついたために、声は消え入りそうになっていた。渡された手紙を受け取る手も細かく震え続けている。その文面に眼を落として、もはや全てを諦める他無いことに気付いた。
魔王討伐軍第70期50号パーティ御一同様へ
これを君達が読む頃には、おそらく作戦は終わっているだろう。作戦が失敗した場合、君達のサポートをしてくれていた彼らを同じくダルパラグへ避難させるつもりだ。君達はダルパラグで待機して報告を待ってくれ。決して自棄などは起こさないようにお願いするよ。
君達を騙してしまったことについて、許して欲しいとは言わないが、理解して欲しい。君達にはポテンシャルがある。レベル20に達したばかりの君達の才能を、こんな所で失わせる訳にはいかなかった。それはジーンくん達も同じことだ。彼らについても作戦の行方が怪しくなれば即退避を命じるつもりでいる。この作戦は初めから望みが薄かったんだ。住民を逃がすことは出来なかったが、ならばせめて君達はと考えた。
今後、魔王軍はより勢いを増して侵略の手を伸ばす。君達はこれから力を付け、より大きな戦いに立ち向かわなければならない。
今はただ、とにかく生き延びてくれ。
本作戦指揮官ノルビス・ハルより
左右から覗き見たメーティスとロベリアは青白い顔をしていた。俺は初めは悲しみに、次第に怒りへと震えていった両手で手紙を握り潰した。
「…んだよ…これ…」
「言葉通りでしょう」
声に顔を上げると、メアリーは背を向けてカウンターに凭れ掛かっていた。まだ何も聞いていない内から俺は彼女を憎らしく思った。
「あなた達はここで死ぬべきじゃなかった。だから逃がされた。そういうことでしょう」
「…そんなこと、俺は頼んでなんか…」
「そうね、彼らの都合よ。でもそのために人が死んだわ。あなたが恨むその男も、ことによっては…」
「まだ失敗に終わったかなんか分かりませんよ。勝ってユダ村を守り通したはずです。…そうだ、俺達よりずっとレベルの高い人達が大勢で戦ったんだ。敗けるなんてことあるわけがない」
メアリーは溜め息を一つつき、「そう祈るわ」と僅かに振り向いた。…もう用事は無い。俺は無言で踵を返し、バーを出て宿へと向かった。後について歩く2人は数度俺に手を伸ばしては、掛ける言葉もなくただ俯いていた。
俺達が宿に戻ると、レシナ達はもう夕食を食べ終え、各自シャワーを浴びるなり部屋で寛ぐなり自由に過ごしていた。その中でレシナは1人リーダーとしてアカデミー通信のチェックを行っていたが、ロビーに現れた俺達に振り向いて立ち上がる。普段は此方に殆ど無関心でいる彼女がわざわざ声を掛けたということは、俺達の様子はそれほどに分かり易く沈んでいたのだろう。
「バーでの用事は済んだの?あなた達が夕食時間に現れないからジャックが全部食べたわよ。文句なら彼に言いなさいね」
俺が彼女の前で足を止めると2人も一斉に立ち止まり、黙る俺をメーティスが困惑した表情で見上げていた。レシナも普段と変わらないつまらなそうな顔ではいたが、俺の明らかな異変に静かに首を傾げ、訝しむように目を細めていた。
俺に代わってロベリアが1歩踏み出し、作り笑いを浮かべて首を振りながら答えていた。レシナはロベリアに向き直ると俺を一瞥して聞いた。
「ううん、いいよ。ちょっと今は料理が喉を通らなそうだから」
「そう。…バーで、何かあったの?」
「…それが、ね…。…ちょっと…」
ロベリアは言い淀み、笑みを引き攣らせて俺を見る。レシナの視線も俺を向くが、彼女は俺と眼が合うとすぐに在らぬ方を向いて誤魔化した。…此処にいても、気を遣われるだけだ。
俺はまた踵を返し、宿からも逃げ出した。振り返る3人の足音が折り重なり、続いて俺の背中にメーティスが声を荒げた。
「どこに行くの!?」
「散歩だ。1人になりたい」
静かに言い返すと反論は来なかった。ドアへと歩くまで3人の視線を浴び、しかしドアに手を掛ける頃、1人が向きを変えて靴底を擦り鳴らし、もう1人が駆け出すような足音を鳴らし始めていた。
ロベリアがレシナに振り返ったのだろうことも、メーティスが俺を追い掛けてくるであろうことも分かっていた。ロベリアはいつも自分の中の正しさを見ている。それはひたすら『道理』への厳しさに繋がる信念であり、彼女は『道理』に合わないことを嫌う。だから彼女の不利益にならない限り、俺が来るなと言えば彼女は来ない。だから追ってくるのはメーティスだけだった。
夜空の下、街道の真ん中でメーティスの手が俺の腕を掴み止める。走って逃げる気力も無い俺は力無く制止を受け、振り返らずに呟いた。
「1人になりたいって言ったろ」
「独りになんかしないよ」
メーティスは震えた声で言い返した。メーティスの手に力が増し、俺は拒絶する気を無くして振り返った。彼女は涙を流しながら俯いていた。
「…私、レムの気持ちが分かるよ。…知ってるの。レムが私から隠そうとしてたこと、メアリーから訊き出したの。マニ大陸がもう駄目だって、知ってるの」
「…そうか」
「だから、分かるんだよ。私もレムと一緒なの。…独りになんて、本当はなりたくないって分かるんだよ」
俺が1人になりたかったのは、皆が俺に気を遣ってくるのが嫌だからだ。分かっているように装って優しくしてくるのが癪に障るのだ。…しかし、メーティスなら側にいて欲しいと思った。彼女が俺を支える気持ちは、いつだって偽りが無かったから。
「そっか、そうだな。ありがとう」
「ううん。…これから先も、私はレムと一緒にいるよ…レムが一人ぼっちにならないように…。だからね、クリスが側にいない内は、私がレムの側にいる」
「…そっか、ありがとう」
俺はそう答えて彼女を抱き締めた。これはもしかすると、彼女への甘えかもしれない。いつか俺が犯した過ちと相違無いのかもしれない。しかし、それはきっと、彼女にとっても救いなのだと思う。背中に回ってきた彼女の腕の震えからもそれを感じた。
…現実を理解して、それを受け止めながら、信頼出来る人の腕の中へ縋る。そうした『支え』を求めることは、きっと逃げることにはならない。それは人が前に進むための必要な過程なのだ。だから彼女は俺の支えに、俺は彼女の支えになればいい。
…それは名前を付けようとすれば忽ち壊れてしまう関係とも言えた。俺はそれに目を瞑った。
ジャックやルイの提案もありユダ村へ様子を見に行くことも考えたが、結局は報せが来るまで大人しく宿で待つことにしていた。その間メーティスは何をするにもついてきて、良くも悪くも例の約束を守ってくれた。流石に水着を買ってまで風呂について来ようとした時には止めたが、そんなハチャメチャも気分を転換するには多いに助かった。そして3日後、真相を知るに至る。
門の前、正午に訪れた馬車から3パーティ程が暗い面持ちで降り、そこにジーン達も混ざっていた。連絡を求めて出掛けてきていた俺とメーティス、ロベリアの3人はすぐに彼らの下へと駆け出し、彼らもすぐ俺達の存在に気付いた。
先頭に立つジーンは苦痛に眉を寄せていたが、逃げないように決意した視線を俺から離さずにいた。そしてその横に立つサラは、此方が何も言わない内から大粒の涙を溢して地面に崩れ落ち、そのまま啜り泣き続けていた。
この数日で何度も覚悟したはずだったそれを悟った俺は、力無くサラを見下ろし、食い縛るようにジーンから告げられたそれに耳を貸した。グルスとドナは心苦しそうに眼を逸らし、誰からも声を掛けられたくない様子だった。
「…すまない、レムリアド。…すまなかった。…守れなかった。お前の故郷を守ると約束したのに…俺達は、力及ばず、逃げ出すしか出来なかった…」
「…いいえ……」
俺にはそれ以上の慰めの言葉は紡げなかった。辛うじて問い掛けた一言も、俺の本音とは関係の無い真っ白なものだった。
「…フル……俺の妹は、どんな最期でしたか?…別れたあの日、俺達の見送りに来ていた少女です。…もし、知っていれば、教えてもらえませんか…?」
ジーンは大きく目を見開いて俺を見ると、とうとう堪えきれず俺から逸らすように眼を伏せた。そして一言、「…知らない方がいい」と溢して黙り込んでしまった。
…これ以上、彼らを責める訳にはいかない。何も出来なかったのは此方も同じだ。彼らは彼らの任されていたことに力を尽くしただけなのだから。
「…分かりました。俺達は、一先ず帰ります。…あまり気を落とさないで下さい。皆さんを責めるつもりはありません」
俺はそう残して宿へと帰っていく。サラの泣き声が遠退く度に大きくなり、メーティスとロベリアは彼女を何度も振り返りながら俺を慰めようと身を寄せて歩いた。
宿に戻るとレシナ達はロビーのソファーに腰掛けて俺達を待っていた。俺達には構わず資金調達なりしてくれていいと伝えていたのだが、そんな気は起きなかったらしい。いの一番にジャックが立ち上がり、俺の前まで駆け寄って訊ねた。後の3人も続いて駆け寄った。
「どうだった?何か連絡来てたか?」
俺の顔を見て、何かがあったということは把握したのだろう。ジャックはいつもと違って探るように俺の目を覗き込んでいた。
「あぁ、来てたよ。…ユダ村は、守れなかったらしい」
「……そうか」
ジャックは悩んだ挙げ句にその一言を絞り出し、軽く俺の肩を叩いた。そして一歩身を引くと、今度は自分の胸をポンと叩いて真剣な眼差しで告げた。
「俺達は今後もお前らと一緒に動くぜ。お前が思い詰めたりして、しでかさないように見張らないといけねぇしな」
「ああ、そうだな。頼む」
「おう」
俺は極力周囲に気負わせないようにと微笑んで答えた。この数日がその余裕を俺に与えてくれていた。誰も下手に言葉で慰めようとしてこないでいてくれたことも俺にはありがたかった。彼らも真剣に俺のことを案じてくれたのだろう。
ジャックは暫し俺と眼を合わせると、「行くぞ」と宿の外へ3人を引っ張り出した。俺の事情がはっきりして、伝えたいことも伝え終えたので、今度は普段の仕事に戻ることにしたのだろう。今日1日は俺をそっとしておこうという意図もあるのだろうが、ジャックはそういう考え方をする男ではない。おそらくルイやレシナの差し金だ。ということは、4人で話し合ったのだろうか。
心配し過ぎだ、と俺は少し笑って彼らを見送った。去り際にそれぞれが俺を見たが、俺がそうして笑っているので皆不思議そうにしていた。傍に残ったメーティスとロベリアは、笑う俺を余計に心配して手を取って詰め寄った。
「今日はどうする?…ジャック達についていく?…やっぱり、今日は部屋でゆっくりして過ごす?」
ロベリアは問いながら掴む手に力を込めた。その下がった眉を見下ろしながら俺は少し考えて答えた。
「…そうだな。今日は休むよ。一旦整理しないとな。今フィールドに出てもあまり集中出来なさそうだ」
「そっか。そうだね」
ロベリアは頷くと少し目線を下げ、俺の肩の辺りをぼんやり眺めながらその場に立ち止まっていた。メーティスは両手で握った俺の手を見下ろして静かにしている。2人が俺が歩き出すのを待ってくれていると気づき、俺は2人を連れて部屋へと戻った。
昼時ではあるが、食事をする気力は無い。俺は部屋に着いて時計を眺めると、「飯食って来ていいぞ」と促した。しかし2人は首を振る。
「今、何も喉通らないよ」
「私も」
メーティス、ロベリアと順に答え、俺も「そっか」と短く受け答える。そして壁に背凭れて座り込むと、その両隣に2人も座った。長い空白が続き、俺は対面の壁を見つめて放心していた。
俺は何も考えずに過ごす時間が欲しかったからそうしていたが、2人はそれに困惑するしか無かったであろう。ロベリアは何度か俺の顔を窺った後、唐突に立ち上がって、
「ちょっと出掛けてくるね」
と部屋を去っていった。そしてその場には俺とメーティスの2人きりとなる。気になって、それまで前を向いていた顔をメーティスに向けてみると、メーティスはじっと俺の顔を見上げていた。
「メーティスは行かないのか?」
「私は一緒にいるよ」
「そうだったな」
言葉少なに納得して前を向いたが、視線を感じて振り向くとやはりメーティスは俺を見ていた。…用事がある訳ではないのだろう。何か思う所があって俺の様子を窺っているのだろうか。そう考えて見つめ返していると、また突然にメーティスが立ち上がり、胡座をかいていた俺の脚の上にストンと腰を落としてきた。どうしたのかとその後ろ姿を見ていると、メーティスは俺の胸に体重を預けた。
…メーティスと付き合っていた頃のことを思い出す。今彼女が俺に甘えているのはそういうことだろう。彼女は自ら甘えてくることで、俺が彼女に甘えるきっかけを提供しているのだ。
俺は彼女の首に両腕を回した。彼女は溜め息を溢して力を抜き、全身を俺に預けた。俺は鼻先をうなじに突いて瞼を閉じ、深い呼吸に身を投じた。
部屋に近づく足音に目を覚ました。どうやら安らぎのままに眠りに落ちていたらしい。俺が顔を上げると身体の動きに反応してメーティスも目を覚ます。足早に近づく誰かに急かされ、俺とメーティスは立ち上がって距離を作った。時計を見て、数十分は寝ていたらしいと知った。
現れたのは当然ながらロベリアだった。彼女は俺達の配置と、立っていることに違和感を覚えたようだが、それには触れず、「レムくん、見せたいものが」と俺達を連れ出した。
目的は未開のままついて歩くと、その先は街の広場だった。着いてすぐ普段とは違う光景に辺りを見回し、待ち構えていたジーン達に気付く。彼らが立って指し示す方向に俺は眼を向けた。
大勢の人集りの中、瓦礫を削って作られた大きな慰霊碑がその存在を頭頂で報せていた。ジーンは俺を視線で呼び寄せると、人に道を開けさせて俺を慰霊碑の前まで誘い出した。その後にはメーティスが続くだけで、ロベリアやサラ達は遠慮したようだった。
「レムリアド、これは、今回ユダ村で亡くなった方々の慰霊碑だ。お前の家族もここに眠っている。…償いじゃないが、俺達に出来たのはこんなことだけだ」
ジーンはそう言い渡すと俺の後ろへと下がっていった。俺の横に並んだメーティスは、共に慰霊碑を見つめながら俺の手を握った。俺は彼女を一瞥してそれに思い耽った。
目前に聳える大きな石。…ここに親父も、お袋も、フルも眠っている。皆死んでしまったと、そう言われても実感は無い。『死』ということの悲しみは分からない。…ただ、もう3人とも会えないのだと考え始めると、俺はそれが悲しかった。
これから先、俺は家族に会いたいと思う度に此処に足を運ぶのだろう。…この瓦礫の塊を通じて家族に会うのだ。…俺の家族は、皆こんな瓦礫の塊にされてしまったのだ。
メーティスは俺を強く抱き締めた。その身体は震え、固く瞑った目からは涙が流れていた。それを見て、今更自分も泣いていたのに気が付いた。




