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第60話 不穏の帰郷

 久しぶりの我が家は、記憶より随分と小さく感じた。木造の、如何にも田舎で平凡な、しかし俺にとっては掛け替えの無い家だ。その家を遠目に見て立ち尽くし、俺は手を繋いだまま横に立っているメーティスの俯いた顔を中腰で覗いていた。ロベリアはメーティスを挟んで反対に立ち、少し苛ついた様子でメーティスを見下ろしていた。

「なぁメーティス、何とか分かってくれないか?俺達はまだ新米なんだ。実力も経験も無い。それを身に付ける時間の余裕も無いからと焦って来てしまったが、想い一つじゃやっぱりどうにもならないんだよ。本当に仕方無いんだ。…俺だって思うところはあるけどさ、ベテランの人達がたくさんこの村のために集まってくれてるんだから、今はその人達を信じて、俺達は邪魔にならないよう早急に此処を――」

「…そんなの、絶対に嫌!今ここで何もしないなんて、それでダメだったら後になって後悔するのは誰なの!?レム、何も出来ないのは辛いって言ってたでしょ!?」

「言ったさ。だが無理なものは無理だ。そして無理を通す力も俺達には無い」

 俺がどう答えようと、言えることが無くなろうと、メーティスはずっと嫌だと否定し続けている。レシナは我関せずと黄昏て他所を向き、ルイはそうした彼女に溜め息をつきつつ俺達を見守る。ジャックはメーティスとは別にぶつくさとノルビスの文句を言っていたが、キィマがその腕に触れて窘めるので此方には干渉して来なかった。

 そしてロベリアは遂に我慢の限界に達したのか、

「いい加減にして。子供みたいに…」

 と眉を寄せてメーティスに顔を寄せた。

「メーティスが納得しないのはよく分かったから、今はもうそれは置いておいて。話進まないからね。君がそんな感じだと、皆いつまでもレムくん家に行けないよ。自重してよ」

 メーティスはムッと気色ばんでロベリアと眼を合わせ、しかし自分の言動の浅はかさを自覚したのか「…ごめん」と呟いて顔を上げた。少ししょんぼりしたメーティスの頭を軽く撫で、「よし、行くぞ」とロベリアに笑い掛ける。怒っていたロベリアは俺を見て心配そうに眉を垂れ下げ、俺の足に合わせて皆も歩き出した。足取りは意図せずとも重くなる。

 荷車は連絡所に置かせてもらっているので、各々自分の荷物だけ持参してそのまま真っ直ぐ玄関へと近づき、俺は1人前へと出て扉に手を掛ける。俺は憂鬱を吹き飛ばすつもりで大きく息を吸い、「ただいまー!」と声を張りながら扉を開け放った。するとすぐ、短い廊下の先の、そう広くもない居間から親父が顔を見せた。

 その少し疲れたようなシワの増えた顔は、俺を見ると心から嬉しそうに笑みを浮かべ、歩きながらほっと胸を撫で下ろしたようだった。

「おお、帰ったかレム!…ほー、なかなか、一丁前な顔付きになってまぁ…。元気にやってたか?」

「あぁ、それなりにはな。親父こそ、ちょっと痩せたんじゃないか?俺抜きで畑仕事出来てるのかよ?」

「馬鹿言え、寧ろ前にも増して絶好調だ!元々俺の畑なんだからな。お前は気にせず人様のためになれ。…と、それで、後ろの方々は?お前のお連れか?」

 親父は右腕の力こぶをペシペシと叩きながら俺の前で立ち止まり、俺の肩越しに覗いて待機する仲間達を見た。俺が脇に退いて僅かに振り向くと、促されたように皆が小さく会釈し、俺はそうした彼らを手で指しながら親父と眼を合わせた。親父も皆に会釈し返して聞く。

「あぁ、一緒に来てくれてる仲間だ。向かって左の2人がメーティスとロベリアと言って、俺のパーティ仲間だ。それで向かって右の男女2組が、左からルイとその彼女のレシナ、ジャックとその彼女のキィマだよ。この4人は俺達とは別のパーティってことになるんだが、アカデミー時代からの付き合いもあって今日まで協力し合ってる仲だ」

「ほぉ…、そうか。ま、ちゃんと交友関係を築けたようで一安心だな」

 親父はうんうん頷いて何やら気を良くすると、玄関から歩み出て皆を一斉に見回した。その合間に1人1回と眼を合わせる毎に改めて会釈し、一通り済ますと両手を後ろに組んで大きく一礼した。心無しかキリッと顔を作っているように見える。

「ようこそお越しくださいました。私が、レムの父親のバトロニック・ベルフラントです。息子がどうもお世話になっております。外じゃあなんです、何分狭い荒ら屋ではございますが、どうぞお入り下さい」

 親父の口から珍しく敬語が飛び出るのを不思議な気分で眺め、また親父が案内するように家の中へ引き返していくとその後に続いて仲間達にも「入ってくれ」と促した。各々で「失礼します」「お邪魔します」と答えながら廊下に踏み入り、すぐ俺の後ろに駆けてきたメーティスはじっと親父の背中を観察していた。

「そういえばラバカ港のことで軍の人らが連絡所に集まってるだろ?もう行ってきたか?」

 親父は思い出したように俺へと振り向きそう訊ねた。メーティスが親父の視線に釣られて俺と眼を合わせ、俺はその瞬間に親父へと眼を移した。

「ああ、さっき。…それで宿が空いてないって聞いたから、暫く家で厄介になれないかとな」

「なるほど。7人とは大所帯だが、まぁ母さんも文句は言わんだろ。あれで世話好きだからな。蓄えも幾らかあるし」

 あっさりした了承に安堵し、「悪い。ありがとう」と笑うと、親父は少し寂しそうに「おう」と頷き前を向いた。そこへメーティスが俺の服の裾を摘まみ、俺はそれを見下ろしながら、俯いて何かを言うまいとする彼女の頭を優しく撫でた。

 居間に着くと皆一様に親父へ、「お世話になります」と簡単な挨拶を済ませ、パーティ毎にまとめて部屋の角に荷物を置いた。真っ先にジャックが脚を放り出して床の真ん中に座り込み、遠慮もなくだらけ始めたので、ルイとレシナが呆れ、キィマは「恥ずかしい真似しないで」とジャックを叱ったりした。親父には逆にそれが好印象だったらしく、気分良さげに微笑んで彼らを眺めていた。

 それから続いて、親父は俺の両脇に立ったまま緊張気味に固まっているメーティスとロベリアを気に掛けた。親父は居間を適当に片付けると、俺の前に歩いて2人に視線をやりつつ軽やかに笑った。

「お嬢さん達はレムとパーティ仲間だそうで。…どうです、レムの普段の様子とかは?何か迷惑とかは掛けてませんかね?」

 むず痒い気分だが、俺は口を挟まず2人がどう答えるかを秘かに期待した。メーティスは何かを伝えたがって弾むように笑顔を浮かべたが、先に口を開いたロベリアに初手を譲っていた。ロベリアは何となく嬉しそうに微笑んで俺を瞥見しつつ告げた。

「いいえ、迷惑なんて…。寧ろ、いつも私達を纏め上げてよく助けてくれています。アカデミーでは色々とありましたけど、私は彼を仲間としても、…いえ、仲間としてとても彼を信頼していますよ、お義父さん」

 ロベリアは言いながら頬を染めてはにかみ、親父は「…お義父さん…」と何か感銘を受けてプルプルと震えている。…『おとうさん』ってそっちの意味?普通に『お父さん』じゃなくて?何か言いかけてやめた様子を見ると『お義父さん』説濃厚だが、彼女が未だにそういう想いで俺を見てくれているのかは最近考えたことも無かったのでまだ分からない。…普通に日頃の感謝とかを期待していたのに、まさかの出来事だった。

 少しして意を決したようにロベリアが俺の腕に飛び付き、得意気に微笑む。…はい、これはもう確定してますね。嫌われてはいないにしろ、流石に恋愛対象としては見切りを付けられているつもりだった。まさかまだ愛想尽かされてなかったとは…。

「そっちの…、メーティスちゃんは?レムとはどうだい?」

 親父はそのように、明らかにロベリアを意識して何かを期待した言い方で訊いた。メーティスは目を丸くして親父から俺へと眼を逃れ、しかし俺とも眼が合って顔を赤くし、迷った視線を下へと彷徨かせた。

「…私は…アカデミーでは同室仲間で…、…その…それだけです…」

「ほほう、そうかそうか。じゃあ、男としてどうだい?考えたこと無いかい?」

 盛り上がってんなぁ四十路、と呆れて溜め息が溢れる。そんな冷ややかな俺と反してメーティスは親父の言葉に耳まで赤くなった。

「…レムとは、あの…色々話し合って…友達として、ちゃんとしていこうって…2人で決めたので…」

 親父は嫌に優しい顔で聞いていたが、最後まで聞くと途端に責めるように俺を見つめ、

「で、お前は本命はどっちなんだ」

「いや、そういうことは暫く考えてない」

 即答だった。…本当に好きなのはクリスだが、そのことはこの2人に直接話してはいないので此処で安易に言いたくはない。それにクリスとどうにかなるためにはするべきことが多く、現状でそんな話題を出せる間柄にはなれない。ならば公言も言及も控えるべきだ。2人から問い詰められればその限りではないが、クリスが役目を果たすその日まで、俺はおおっぴらにこれを話したりはしないでいると決めていた。

 とは言え親父はそんな事情知る由も無いので、

「レム、侍らせておいて煮え切らない態度ってのは父さんどうかと思うぞ」

 と、『人間の屑がこの野郎…』というキツい視線を浴びせて正論を唱えていた。メーティスはじっと上目に俺の顔を見つめ、ロベリアは不満そうに顔を背けてゆっくりと俺の腕から身体を離していった。

「別に侍らせてない。っていうか、メーティスとは『友達として』話し合ったって言ってるだろ。無理矢理脈あり認定して話進めんなよ」

「お前、全然分かってないぞ!そんなんでその内この子らに愛想尽かされても知らないからな!」

 親父はそう叱りながら俺を指差すが、ぶっちゃけ余計なお世話でしかない。…親父が言いたいのは、『その()()()()()()()()を押し付けられているせいで、メーティスは自分の好意に素直になれない』ということだろう。親父の中ではメーティスが俺への好意を抱いていることはもはや確定しているようだ。

 …まぁ、それが親父1人の思い込みなのか、というのは一概に言えないと理解はしている。その手の機微には多少通じてきた身なので、メーティスから俺への感情が既に『ただの友達』の枠に収まらないものであるのは言うまでもないと気が付いてはいた。しかし、だからと言ってそれを恋や愛だと断じ、此方が一方的に選択するのも妙なことだと思う。…要するに、彼女が自分の意思で何かを訴えたならそれに向き合い、そうでない内は徹底して気付かない姿勢を取るつもりでいるのだ。俺個人の意思は以前から固まっているのだから。

 親父は俺の朴念仁に呆れ返って勝手にメーティスとロベリアを廊下に連れ出していき、そこで「アカデミー時代の色々ってのを詳しく」と尋問し始めていた。2人が断固として丁重にお断りしているのにとりあえず安心した俺は、余所者が故に居心地を悪くしているレシナ達の気を紛らわせに掛かる。レシナ達は引っ張って立たせたジャックと共に部屋の隅で躊躇うように視線を交わし合っていた。

「何もなくて暇だろうけど、まぁ適当に休んでてくれ。お袋も妹も今出掛けてるみたいだから、夕食はまだ先だろうしな」

 そう告げながら歩み寄っていった俺に対し、4人は同時に顔を向けた。申し訳なさそうに眉を寄せたルイが、

「本当に俺達も泊まっていいのか?…何なら、食事は出なくてもいいぞ?」

 と両手をヒラヒラ振って遠慮する。レシナは特に遠慮などの気配りをするつもりは無いのか、単純に俺がどうするのかを観察している様子でいて、キィマはルイに共感し首を縦に振りながら、「ご家族も、ただでさえ今の状況に参ってるだろうし…」と続く。

「いいさ、寧ろ賑やかな方が親父達も嬉しいだろ。元々宴会大好きな親父だしな。…食料の方は確かに心配だが、お袋から何か言われたら俺達も飯抜きにしてもらうから。お前らだけ我慢させる訳にはいかない」

 俺は両手を腰にやり気楽に笑ってみせた。ジャックは俺の発言を待ってから調子良く笑い、

「ほら、レムもこう言ってるぜ?いいんだよお世話になっときゃ。その分後でお礼すりゃいいんだ」

 ルイは目を細めて「お前なぁ…」と呆れ、キィマは乾いた笑い声を上げた。…いや、俺はジャックの言う通りだと思う。そんなに気兼ねしてもらわなくて大丈夫だ。寧ろ、頻りに「申し訳ない」と言われ続ける方が鬱陶しいだろう。

 廊下から戻ってきた親父にレシナ達から改めて挨拶し、早速これから1ヶ月の食事の相談がある。実際、半人分の食事で十分ではあるので、俺からもその方向で口添えしていたが、魔人の生態に理解が及ばない親父は一向に渋っていた。

 そこへバタンと玄関扉の開閉音が響き、2つの足音が廊下を進んできた。俺達が気付いて黙ると親父も共に廊下を向いて黙り、現れた家族2人に「おお、帰ったか」と親父が声を掛けた。2人は変に静まっていた空気に警戒していたらしかったが、親父の声と共に俺の顔を見つけて幾分頬を和らげていた。

「ええ、ええ、市場の人らがレムを見たって言うんで急いで帰りましたよ。…久しぶりだねぇレム。何やらたくさんお連れがいるじゃないか。こんな狭いとこですまないねぇ」

 以前より少しぷっくりしてきたお袋はお手製の買い物袋を手に提げたままそう言って笑った。短めの銀髪の弾むような様も相まって、この家が数年平和であったことが漠然と窺え、俺は少し微笑んでそれに言い返した。

「此方こそ、この人数で急に押し掛けたりして申し訳ない。飯は1日1回半人分ずつ出してもらえれば足りるから、そうしてくれるか?討伐軍の兵士の身体は人間と違ってそんなに食わなくていいんだ」

「…ふん?よく分からないが、朝食だけ出せばいいのかい?遠慮して言ってるのなら、そんな必要は…」

「いやいや、俺達は普通の身体じゃないんだって。ほら、見ろよこの瞳の発光。人外なのさ、半分魔物みたいなものなんだよ。ぶっちゃけ飯食わなくても生きていけるんだ。だから遠慮とかで言ってるんじゃなくて、本当に食事が必要無いんだ」

「…はぁ、そうかい?…しかし、そうは言ってもねぇ。お客に飯も出さないというのはねぇ。…なら、朝と夜に少しずつ食べるのでどうだい?うちはそこまで食べ物に困っちゃいないよ」

 説明しても理解は得られず、意見は並行する。「…まぁ、じゃあそれで頼む」と此方が折れ、お袋はうむと大きく頷くと仲間達を見回してポンと自らの胸を叩いた。

「あたしゃ母親のレミリア・ベルフラントだよ。狭っ苦しい家だがお前さん達もどうか寛いでっておくれ。いつもレムの面倒を見てくれてるお礼だよ」

 速やかにロベリアが頭を下げ、皆もその直後に続きながら「ありがとうございます」と感謝の合唱を奏でる。お袋はそれに満足すると親父を手招きし、

「お父さん、奥に客間が2つ空いてましたでしょう?お連れになって下さいな。こんな居間に雑魚寝させる訳にはいきませんよ」

「おお、それもそうだな。よし、じゃあ皆さん、どうぞこっちへ。寝室に案内します」

 レシナ達、メーティス達は自分の荷物を手に、そうして案内する親父の後を歩いていった。お袋はそれを見送ると、それまで部屋の端で立ち竦んでいたフルへと振り返った。白く細いリボンで纏めたローポニーが大人びているフルだったが、大所帯に圧倒されていた様子を見るにまだまだ子供と言った所だ。そんなフルはお袋と眼が合うと物静かに壁から歩いてきて、俺と少し眼を合わせるも、此方が笑い掛けた途端フイッとお袋に眼を戻していた。

「フル、あんたはあたしと夕食の準備だ。人が多いからね」

 フルは頷きかけたが、ふと俺の方にまた視線を向けると僅かに俯いて、

「お母さん、先に始めてて。後からすぐ行くから」

「…あぁ、そうだね。わかったよ」

 お袋は俺とフルを見比べて穏やかに笑うと、トタトタ台所に歩いていった。フルはその背中を見送るとゆっくり俺を振り返り、近寄るでもなく静かに微笑んでいた。

「お帰り、兄さん」

「ああ、ただいま。すっかりお姉さんな感じだな。その髪型、よく似合ってるよ」

「…あ、ありがとう。…何だか、兄さんも変わったのね。もう殆ど大人の人みたい」

「そいつはどうも」

 フルは楽しそうに、しかし少しだけ寂しそうに俯き気味に微笑んで、小さい歩幅で歩いてくる。そして俺の前に立つと、じっと俺の手を見つめていた。そのまま何かを言おうとしていたが、親父が廊下を歩いて戻ってくるのに足音で気が付き、フルは一瞬音の方を一瞥して俺の耳に口を寄せた。

「…ご飯が済んだら、ちょっと付き合って」

 俺の返事より先に、フルは台所に駆けていった。


 夕食は宴会用の客間に長机を広げて行われた。親父は例によって酒を荒く呑み、悪酔いしてジャックと猥談を繰り広げている。ルイが独りで必死になって会話の軌道修正を図り、女性陣は皆呆れ果てていた。そんな中、パッと食事を済ませたフルがこっそり俺の傍に歩いてきて、「行こう?」と服を引っ張った。俺は僅かな残りを平らげて大人しくフルについていく。横で座って寛いでいたメーティスが、そんな俺達を不思議そうに凝視していた。

 家を出て暫く歩くと河川敷を下り、田んぼに続く小川の前に仲良く並んで座り込み、夏の虫達が涼しく鳴くのに耳を貸した。此処には昔から、何かとフルを連れてきた。家族喧嘩をしたフルの話を聞いてやった時、村の子に虐められたフルを慰めた時、ふと何かに嫌気が差して何となく互いに甘えたくなった時、俺達は必ず此処に足を運んだ。

 自然の囀ずりに心が落ち着いてきた頃、フルはススッと俺に身体を寄せてきて、柔らかい視線を俺の手元に下ろした。

「寂しかったか?俺がいなくて、退屈しなかったか?」

 フルの様子にそれを感じて訊ねてみると、フルは嬉しそうに頬を弛ませて小さく頷いた。

「それは、ね。…だって、兄さんが居てくれた頃は兄さんのお蔭で家が明るかったもの。それにいつもふざけてたし、セクハラするから気が抜けないし、確かに退屈はしなかったわね」

 俺はバツが悪く苦笑いして頭を掻き、フルはそんな俺を見上げてクスクスと笑う。しかしまた物欲しそうに俺の手を見つめて、黙っていると不意に悲しそうに眼を合わせてきた。

「本当に、兄さんは大人になったのね。…昔なら、すぐ私の頭に手が伸びてきたのに」

「…頭、撫でて欲しいのか?もうお前もお姉さんだろ?それとも、まだ子供だったか?」

「そういう意地悪な所は変わらないのね。…久しぶりに会ったんだから、今日くらいいいでしょう?」

 きっとこのために家を離れたのだろうな、と気付いて俺は笑った。この歳になって兄に頭を撫でてもらうなど、フルにしてみれば恥ずかしいに決まってる。見ると僅かに耳が赤らんでいる。恥を忍んででも、フルは俺との時間をもう一度過ごしたいと思ってくれたのだろう。

 しかし、そういう訳にもいかない。俺が優しく笑い掛けて首を振ると、フルは潤んだ目を見開いた。

「お袋にも言ってたろ、俺はもう普通の人間じゃないんだ。この目の光が物語ってる。俺のこの手は魔物を殺すための手だ。お前を撫でてやるには力があり過ぎて、触れるだけでお前を傷付けかねない手だ。…だから悪いけど、もう撫でてやることも抱き締めてやることも出来ない。それは諦めてくれ」

 フルは泣きそうになって俯いた。俺は堪らなく胸を痛めた。しかしすぐ、俺に気負わせないためだろうか、フルは見せたことのないような明るい笑みを湛えて控え目に首を振った。

「仕方ないわね。…いいよ。兄さんがそうして笑ってくれるなら、私はそれでいい」

「…そっか」

 何とかして応えたい、とそう思い、俺は無理をすることにした。右手を、フルに触れさせないように大きく動かして頭の上に運ぶ。フルは目を丸くして「兄さん…?」と真意を訊ね、「動くなよ」と俺は言い返した。そして慎重にその手をフルの頭に乗せる。

 一度手から、腕からも力を抜いて少し休む。そして全神経を集中させて手を1mm浮かせ、そのままゆっくりと左右に手を動かす。…これはもはや、『撫でる』なんて気楽な行為ではない。全てにおいてぎこちない。しかし、形としてそれを達成することは出来た。その程度が限界だった。俺は手を下ろし、解放されたフルと視線を交わす。フルは優しく微笑んで俺の手を握った。

「…悪い、こんな風にしか出来なかった。…ごめんな」

「ううん、いいの。…嬉しかった。…凄く、嬉しかったわ」

 フルは衝動的に俺に抱き付き、ぎゅっとその腕に力を込めた。俺は抱き返すことはなく、ただその背中に腕を回した。ふと周囲に眼を向けてみると、少し離れた場所の木の陰から、メーティスが此方を覗き見ていた。…どうしても気になって付いてきてしまった、という所だろうか。見られて困ることはないが、後で説教しておこう。

 フルの身体が離れ、正面からじっと俺の目を覗き込む。その表情には探るような様子が見て取れた。どうしたのかと見つめ返していると、フルは不意に、縋るような頼りない声音で訊ねてきた。

「ねぇ、レム…セサリーには会った?」

 その一言に、色褪せた光景が脳裏を駆け回り、脊髄に恐ろしい寒気が走ったような気がした。

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