第4話 誘惑だらけの体力勝負
金曜日の正午、早くも授業についていけなくなっていた俺は魂が抜け出そうに放心して時計を見つめていた。白魔法講習の授業が終わって机の窪みに嵌まった瓶のインクを見下ろすと、その水面に頭の悪い人みたいな顔が映っている。…あっ、これ俺か。
教科書とノート、インク瓶を鞄にしまい、ペンを水に浸して拭いているところに、いつも通りメーティスがクリスを引き連れて来る。メーティスは授業が終わる1分前から片付け始めていたらしい。
「レムー、お昼行こー!」
「おう、ちょっと待て」
ペンをしまって席を立ち、3人並んで食堂へ向かう。食堂は既に生徒で溢れ、食欲を煽る香りで満たされている。
厨房に近寄り、料理の並べられたトレイを受け取る。今日もライス、スープ、サラダ、肉とボリュームたっぷりな献立だ。トレイを渡してくれた調理員さんも若くて可愛いし本当最高…ん?…えっ、何だこの美人!?
その人は白い長髪と赤い瞳、そして骨董のような美しい乳白色の肌の清純と調理師白衣という健気なギャップによって世にも不思議な魅惑を湛えていた。彼女は少女がそうするように上目遣いにはにかんで笑っていた。…メーティスといいこの人といい、何だ…とうとう恋愛の神が俺に微笑んだのか?
「レム?どーしたの?」
美女に眼を奪われて立ち止まっていた俺に、メーティスが丸っこい目で首を傾げた。振り返ると列が出来ているので俺は急いでまた歩き出し、窓側の4人用テーブルを占領しておいた。
後からメーティスとクリスが追いつき、食事の合間にお喋りしていた2人に切り出した。
「なぁ、さっきの人、名前知ってるか?」
2人はぽけーっと俺を見て手を止め、クリスがフォークを置いてそれに答えた。
「確か…カトリーヌ・ケリー先生じゃなかったかしら?」
「へぇー…へ?先生?」
「そうよ、学校のパンフレットは読んでいないの?事務処理、清掃、調理員と多数の雑務を手伝う傍らで召喚術の講習・演習も受け持っているの」
…パンフレットの教職員名の頁にあったそうな。凄い人なんだな、と先程見た無垢な笑顔を思い浮かべながら感心していたが、ふとそこへ浮いた疑問を俺に代わりメーティスからクリスに問い掛けた。
「でもさっき、目は光ってなかったよ?他の先生は大抵光ってるのに」
「目が光るのは先生達が魔人だからよ。多分、カトリーヌ先生は召喚師だから光らないんじゃないかしら」
「へぇ~…」
メーティスはコクコクと頷いて感心し、クリスを向いたままパクリと一口運んだ。それを皮切りに俺達はまた食事を再開する。
…あんな綺麗な人が厨房に立っているとは…来週からはカトリーヌに必ず一言声を掛けるようにしようと秘かに心に決めた。女教師との隠れた関係って燃えるよね。
「今日のトレーニングは何かなぁ?」
完食後、メーティスが椅子に背もたれてキコキコと前後に揺れながらクリスに訊ねる。横に座るクリスは「危ないわよ」とメーティスの椅子を止めて答えた。
「今日は体力測定も兼ねたトレーニングの様よ。その後、組み手もあると聞いてるわ」
「…う、組み手…」
メーティスは嫌そうに肩を竦めて眉を寄せ、膝の上に置いていた両手を見下ろした。十中八九先日の武器演習の時間を思い出しているんだろう。
「メーティス、お前、いい加減に慣れた方がいいぞ。そりゃ暴力はよくないかもしれんが、組み手なんだから誰も恨みやしねぇよ。第一、討伐軍なんて職業柄、戦いは避けられないもんだろ」
「だって、人叩いたことなんて1度も無かったもん。卒業して戦う相手は魔物だし、人となんて…」
メーティスは口を尖らせて俯き、ゴニョゴニョと眼を逸らして呟いた。先日の授業の最後で合空拳での組み手が行われた訳だが、メーティスはそこで相手を殴れず、終始柔の構えしか使わなかった。そしてその結果相手に上手いこと出し抜かれて1分で脚を掬われたのだ。…まぁその相手って俺なんだけどね。
「私、今日もトレーニングは走るだけがいいなぁ。私、走るのは結構好きだし」
メーティスがテーブルに頬杖をついて溜め息をつくと、その横でクリスはメーティスを横目で見ながら、
「私は組み手の方がまだやりがいがあるわ。トレーニングは退屈だもの」
メーティスは「え~?」と不満そうにテーブルに伏せ、俺は右腕で頬杖をついた。
「俺は退屈になる以前に疲れて嫌になるぞ。動き回ってばかりで割とスパルタだし」
「…私、疲れたこと無いのよ。皆、動くと疲れて汗を掻くんでしょう?私はどれだけ動いても疲れない身体みたいで、昔から1度も汗を掻かなかったわ。疲れるという気持ちが分からないのよ」
クリスの唐突の告白に、俺もメーティスもきょとんと首を傾げた。沈んだ面持ちで告げられたので、そういう病気があるのだろうかと思い返事を躊躇うが、きっと単に体力があることを自慢しているだけだろうと考え直して軽いノリで返してやることにした。
コップに残った水を飲み干して人差し指を立て、クリスとメーティスの視線が集まると笑って切り出した。
「なぁクリス、トレーニングの競技で勝負するってのはどうだ?それなら退屈も凌げるだろ?何なら賭け有りでもいいぜ」
クリスは驚き目を丸くして首を傾げる。メーティスは「いいね!」と面白そうに笑って賛同した。
「俺が勝ったら明日ワンツーワンで勉強教えてくれ。クリス、お前も何か賭けろ」
クリスは釈然としないといった表情のまま考え、
「それなら、私が勝ったら中間テストで10位以内を取りなさい。…けれど、別に勉強くらい賭けがなくても教えてあげるわよ?」
「お前、賭けがどういうものか分かってないのか?それじゃあどっちが勝っても勉強を教えてもらってテストで良い点取るだけだぞ。まぁ勉強は教えてもらうとして、賭けの内容は変えさせてもらうぜ。…じゃあ、俺が勝ったら今晩背中流してくれ」
そこまでニコニコして聞いていたメーティスは目を丸くして固まり、遅れて「ふぇっ!?」と赤面してワタワタしだした。慌てて俺とクリスを何度も見比べるメーティスに反し、クリスは特に表情を変えたりもせず、俺と眼を合わせたまま考え込む。
疲れないとか大口叩いてるからふざけて言ってみただけッス、と撤回しようとしていると、クリスは静かに頷いて「分かったわ」と了承していた。…えっ、分かっちゃったの?マジで?いいの?
「それなら私は、私が勝ったら朝の掃除を全部あなたにやってもらうことにするわ」
クリスが俺に文句も言わず淡々とそれを要求するので、俺の方が申し訳なくなってくる。そこへ、メーティスも右手を上げて「私もやる!」と参加を希望してきた。
「…お、おう。いいけど、何賭けるんだ?…て言うか、3人でやるんならビリの奴が賭けの相手になる感じでいいか?」
そうなるわね、とクリスが頷き、メーティスも頷くと自分が賭けるものを考え始める。
「じゃあねー、…私が勝ったら、んー、…5クルドちょうだい?」
ナチュラルに金賭けてきた。しかも5クルドだと?…5クルド取られたら死活問題だ。2ヶ月以上何も買えなくなってしまう。
「…それでその、ねぇレム、一緒にお風呂に入るのはちょっとやり過ぎだと思うから、…変えない?」
メーティスは顔を赤くしながらも空かさずそう提案し、俺はそれに乗っかって頷いた。これを言うために無茶な要求にしたのだろう。…危うく流れがおかしくなるところだったのでメーティスには感謝だ。
「うん、そうだな。ちょっと調子に乗ってた。…じゃあ、添い寝で」
「…それもまだやり過ぎな気がするけど、…うーん…、じゃあそれでいいよ。私も500アルグに負けるね」
苦笑いして渋ったままメーティスは頷き、クリスはメーティスに顔を向けて問い掛けた。
「私も賭けを変えた方がいいかしら?3年間1人で掃除って結構辛いと思うけど」
「…えっと、じゃあ、1年間くらいで…」
メーティスが答えるとクリスもホッとした様子で頷き、そこからはクリスとメーティスだけで会話が進む。…やべぇ、これは流石に嫌われたかも。
食堂から教室、そこから体操着を手に体育館へ向かった。午前にも使っていたため体操着は少し濡れて冷たく不快だが、その内トレーニングが始まれば気にならなくなるだろう。俺は2人より先に更衣室を出たので1人で体育館の入り口に立って待った。
暫くして2人が現れるが、メーティスは体操着の襟をパタパタさせて眉間にシワを寄せた。
「…うぅ~…汗臭い~…冷たい~…気持ち悪い~……」
「……何だか、大変そうね。下に何か着るといいのかしら。でも、レオタードだと難しいわね…」
機嫌の悪いメーティスを気遣ったクリスは懸命に打開策を探して首を傾げている。メーティスの胸がチラチラと見えるが、さっきの今でエロい眼を向けるのは申し訳ないので顔を背けていることにした。
しかしメーティスがそのまま俺の方に歩いてくるので俺も背を向け続ける訳にはいかず、煩悩と戦いながらひたすらクリスの顔だけを見るようにした。
「レム~、服乾かすものって何か無い~?」
メーティスも近づいてからは流石に襟から手を離していたが、それでも胸がデカいのでくっきりと谷が出来ており直視は憚られる。…ちゃんと普通に話し掛けてくれるところを見るとそこまで嫌われてはいないようだ。首の皮が繋がって一先ず安心だが、今は誘惑に耐えるので精一杯だ。
「残念だが我慢するしかねぇな。また動き始めたら気にならなくなるだろう」
「何で私に言うの?」
クリスが訝しそうに俺を見つめているが、「気にするな」と告げてそのまま過ごした。そして10分後、徐々に生徒が集まり始め、担当指導員のニフラヌ・ケインズも顔を出してトレーニングの準備を始めた。
この指導員ニフラヌ、一見雑魚っぽい名前だが、実際はとんでもなく強そうな外見をしている。短い白髪に緑の瞳(発光無し)、体つきは逞しく身長は2mはあるように思われる。眉間から左下に向け6cmの傷痕があり、常に眉を寄せた恐ろしい形相であり、まさに武道の達人のような外見をしている。
見た目だけでなく、トレーニング中は常に怒声を上げて足を止めがちな生徒の尻を叩く。俺はそれなりに体力はあるので個人的に叱られたことはないが、過半数の生徒が体力皆無なためよく怒鳴られている。
トレーニングが始まる前から既に皆2列に別れて整列している。ニフラヌは時計の秒針が上を向くと同時に声を上げた。声量自体普段から大きいため普通に喋るだけで何人かの生徒はビクッと肩を跳ねさせる。
「徒手空拳は授業で触り程度に習ったと聞いている。今日からは組み手もトレーニング中取り入れることとなる。気を引き締めろ。まずは各自準備運動、10分後に20分走を行う。開始!」
ニフラヌが手を叩き、同時に生徒が互いに距離を取り合い準備運動を始める。手順は最初の授業で教えられており、ニフラヌが監視する中でその手順通りに身体を動かす。
俺は他の日は屈んだり伸びをしたりして揺れる女子の胸やらに眼を向けているが、今日だけはいつも以上に念入りに身体を解した。勝敗が懸かってるから今日は真面目にやろう。
10分いっぱい準備運動をし、ニフラヌの号令によって壁際の床の白線の前に生徒が並ぶ。20分走はその名前通り、20分間体育館を時計回りに走るものだ。俺はクリスの右横に並び、クリスの左横にメーティスが並ぶ。
俺は2人に顔を向け、2人も俺が話しかける直前から此方を向いていた。クリスの目には真剣勝負に挑むような熱意は無く、ただただ退屈そうである。メーティスはフンスッと楽しそうに息を巻き、足首を回しながらグッと両手に気合いを入れていた。
「時間内に何周したかで勝負だ。いいな?」
「ええ、分かったわ」
「うんっ!」
俺はニフラヌの方に眼をやり、いつでも走り出せるように構える。ニフラヌが右手を上げ、それを振り下ろしながら、
「始め!」
俺は誰よりも早く走り出し、後から追い付いたクリスと並んでまずは1周回る。クリスのスピードに合わせて走り、そのまま速さを増していく。3周目の途中からは持久力など考えず両方全力で走り始める。その内俺はクリスについていけなくなり、息も上がり始める。そこへ温存していたメーティスが追い上げて足を並べた。
その後はメーティスと共に走り続け、クリスとの差はどうしても縮められない。果てに何周分もの差をつけられ、とうとう時間になるとニフラヌは体育館の中心で手を上げて声を張り上げた。
「20分走止め!1分間そのまま歩いて呼吸を整えろ」
俺とメーティスの最終的なスコアは51周、クリスは少なくとも30周以上は俺を追い越して行ったはずである。完全に俺達の敗けだ。
俺は全身に玉の汗を浮かばせてクリスに近づいた。クリスは汗1つ掻いていないどころか息も上がっていない。メーティスは俺のタンクトップの裾を掴み、ゼイゼイ息を切らして前屈みになっていた。
「俺の敗けか。つかお前、マジで疲れてないな」
「まだ勝負は終わってないわよ。この後も競技が残ってるでしょう?」
クリスはクスッと笑ってそう告げる。俺は勝負はこの1度きりだと思っていたが、あまりに張り合いの無い結果だったからかチャンスをくれるらしい。チャンスをくれると言うならありがたく勝負を続行させてもらうこととする。
「よし、5分休憩」
ニフラヌが言い、生徒達はその場で立ち止まって、あるいは座って身体を休める。俺も次の勝負に向けて身体を再度解しつつ座って休む。
「…メーティス、大丈夫?」
「うん…大丈夫…」
ペタンと床に座って俯いているメーティスの背中をクリスが擦り、俺はそれを横から眺めた。女の子同士が仲良く触れ合う光景は俺の疲れを一気に吹き飛ばした。これなら次こそ勝てるはずだ。
「そういえば、これって優勝とかビリとかどうやって決めるの?点数式?」
ふとメーティスが俺を向いて訊ね、クリスも同時に俺を見た。
「あー、そんな深く考えてなかったけど、決めないと分かんなくなるよな。どうするのがいい?」
「んー、じゃあ、こうしよっか。結果が良かった順に2点、1点、0点って割り振るの。さっきのは私とレムが同着だから、クリスが2点で私達が1点」
メーティスはそうして素早く提案し、俺は「おぉ…」と驚嘆して頷くとクリスを向いた。
「いいんじゃないか。クリスはそれでいいか?」
「えぇ、いいと思うわ」
クリスの同意があったのでそれで行くことに決まる。…こう言っては失礼だが、メーティスって普段はアホっぽいのに記憶力や頭の回転の早さは桁違いだな。クリスとメーティスって頭の良さはどっちが上なのだろうか。
5分後、ニフラヌの号令により次の勝負が始まる。勝負は腕立て伏せをより早く20回行うものだ。3人で隣り合い、ニフラヌの号令で腕立て伏せを始める。
出だしは俺の方が早かったのだが、左に並ぶ2人の我が儘ボディが挙動の度に大きく揺れて、俺の集中力をごっそり削っていく。
「おい、そこ、真面目にやれ!」
ニフラヌの怒声が初めて俺に向かって飛び、俺はハッと目を覚まし、邪念を振り払うように一心不乱に身体を伏せる。結果、クリスには4回、メーティスには1回の差で敗北した。
その次の勝負は30秒以内に上体起こしをより多く行うものだ。ニフラヌは好きにペアを決めて始めるように言いつけ、皆すぐにペアを組み始める。クリスはメーティスとペアを組み、俺は誰か適当に探さなくてはならなかった。前回近くにいたために強制的に組まされた子は既に仲のいい相手の下へ向かっていた。
少し焦って見回していると、泣きそうな顔でキョロキョロしているロベリアを見つける。眼が合うとロベリアは自信無さげに上目に見て、『組む?』と口を動かした。
ヘイ!ヘイカモン!アーリーカモン!ヘイ!と急いで手招きして呼び寄せ、ロベリアは頬を赤くして引き攣った笑みを浮かべると「よろしく」と言ってペコッと頭を下げた。あの時声掛けておいて良かった。
まず先にロベリアの番だ。俺は脹ら脛に手を回し、正座になり膝でロベリアの足を挟んで固定する。
「んっ…!」
ふと、ロベリアが色っぽい声を上げて身体を強張らせ、急いで口を押さえていた。俺は冷や汗を掻いて周囲を見回し、バクバクと心臓を鳴らしていた。
「ちょっ、変な声出すなお前!男子の眼に殺意滲んでるだろうが!」
「ご、ごめんっ…擽ったくて、…つい…」
小声でやりとりしている俺達をニフラヌがじっと睨み、俺は「すんません、すんません!」とペコペコ謝る。ニフラヌは暫し眼を合わせると何事も無かったように全員を見渡して声を上げた。
「全員準備したな?よし、始め!」
合図と共に一斉に始まり、ロベリアも上体を起こし、そして高速で起きては倒れを繰り返す。目を固く瞑って頑張っていたロベリアだが、体力が無くなってきて次第に速度は遅く、息は荒くなっていく。…いちいちエロいのは何?誘ってるの?俺の集中を削いで何か得があるの?ねぇ?
30秒経って終了し、ロベリアのスコアは31回となる。…女子にしては多い方ということになるのだろうか。精神がゴリゴリ削られたが、ともかく次は俺の番だ。
ロベリアに押さえてもらいながら両腕を胸の前で交差する。ロベリアは下を向き、足を挟んで固定すると、不意に目を丸くして顔を背けた。何事かとロベリアの視線が向かっていた先を見ると、そこには大きく張ったインナーパンツが…。
開始の合図と共に、恥ずかしさでどうにかなりそうな中、早く終われと念じながら一心不乱に上体起こしに専念した。結果は驚異の62回だが、何かを失ったような気がする。
「…え、えっと、組んでくれてありがとうね。…じゃ、じゃあ」
「お、おう…。サンキュー…」
…ロベリアと手を振って別れ、クリス達と合流する。2分程休憩の時間があるので次の競技のために気を取り直さなくてはならない。何やらはしゃいでいるメーティスと少し表情が暗いクリスが口を揃えて俺に訊ねた。
「何回?」
「62」
答えると2人は驚いて目を見張り、その反応を見て少し俺の気が安らぐと、同時にメーティスが、
「クリスも62回だったんだよ!2人ともすごいね!」
…この気持ちどこにぶつけようか。
気を取り直して、次は背筋運動だ。これは寝転んだ状態からニフラヌが数えるのに合わせて20回身体を反らすものなので、勝負には出来ない。先程の上体起こしで体力をすり減らした俺には嬉しいものだったが、同時に先程の鬱憤を払えずやきもきした。
そしてその次は片足立ちでの体幹トレーニングだ。片足でバランスを保ち、出来るだけ長く立ち続ける。これなら体力は関係なく勝負が出来る。因みに、あまりに早くバランスを崩したものはニフラヌに叩かれる。
「よし、始め!」
ニフラヌの号令と同時に始まり、広い館内がシンと静まる。緊張が走る中、少しずつ片足に疲労が蓄積され、1人、また1人と足をついて脱落していく。メーティスは既にヨロヨロと大きく揺れており、ずっと動いているのによく倒れないものだと驚く程である。俺ももうじき限界というところまで来ていた。
ふと、そこへニフラヌがパァンッと手を叩いて館内に響かせる。驚いた生徒の大半が一気に足を着き、俺、メーティスと順に脱落した。それでもなお残っていた数名の中にクリスもいる。その数名は終了の合図まで生き残り続け、ニフラヌから称賛の言葉を貰っていた。
残るは組み手のみ。この時点で俺とメーティスの点数は3点、クリスが8点だ。勝者はクリスに決まっていた。後は俺とメーティスのどちらが朝の掃除を1年間させられるかを決めるだけ。
クリス強い。いや、強すぎだろ。チートやんこんなん。
「我こそがと言うものは名乗れ。誰も名乗らなければ此方で指名する」
ニフラヌは怒鳴るような声量で告げて見回し、そこへクリスが俺の手を掴んで上げさせる。最初の組み手は俺達となった。