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第50話 卒業と始まりの決意

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。


今度も長いので休憩を挟みつつ個人のペースでお読みください。

 3週間に渡って残り3回の試験が実施される間、第1回で合格して学校に行かなくて良くなった俺達は、それでもせめて今後のためにと探査旅行学の教科書を引っ張り出して魔物についての知識を深めていた。特にアムラハンとカーダ村、ラバカ港付近に生息する魔物を重点的に調べたが、ローズトードについての記述はどの文献を探しても大した情報が無かった。やはりアービアンでの訓練をさせてもらいたい所だったが、生憎ながら現在は戦闘訓練は未合格者のみを対象に行っているので、俺達が参加することは叶わなかった。卒業後でも支援局に申請して訓練を行わせてもらえるが、当然金を払わなくてはならない。…やはり、ぶっつけ本番で戦うしかないようだ。

 筆記試験は2回、3回と進むにつれて合格基準点は20点ずつ甘くなっていく。…そんな説明は今までされていなかったのだが、…まぁ先にそんなこと教えられていたら真面目に勉強しない生徒も出てくるだろうし、妥当だろうか。そして第4回試験結果発表日の2月17日、既に合格している生徒も教室に招集され、担任から卒業式の日程表と封筒、大きな便箋とをまとめて配布された。

 その後は翌週1週間を通して卒業式のリハーサルを行う旨を伝えられ、続いて封筒と便箋の意味を説明された。…軍人としては当然の流れなのかもしれないが、実感がなくて考えもしなかった。その便箋は俺達の遺書となるものだった。

「はい、じゃあ晴れて合格した皆さんに、早速家族宛の遺書を書いてもらいたいと思います。…とまぁ、初っぱなからこんな重苦しい作業させられるのは御免かもしれないけど、決まりなんでちゃんとやってもらうわよ。フィールドに出たらいつ死んでもおかしくないんだから、その覚悟もきっちりしておきなさい。遺書に書くことは遺産の処分の要望でも、家族に伝えたいことや思い出なんかでもいいわ。好きになさい。…で、提出期限は来週の水曜日までね。締め切りは守るように。はい、解散!」

 ユーリは手短に告げると軽快に教室を去り、生徒達はそれを見送るとその便箋を手に周囲の者と話し始めた。今後命のやり取りを続けていくということを真剣に受け止めて緊張する生徒と、遺書を書くなどという特異な状況を不謹慎にも面白がる生徒との2つのパターンが教室に見て取れて、少なくとも真っ直ぐ寮へ帰るような平然とした様子は何処にも見られなかった。

 …面白がっている連中も、心の底では酷く怯えていて、冗談として受け止めるしか無くなっているのかも知れないと思うと、その姿は非常に痛々しく映った。ジャックと、それに感化されたルイなどがそちら側だ。2人は互いに「お前何書く?」と訊ね合ってはふざけた遺言を提案してケラケラ笑っていた。

 一方でロベリアは浮かない様子で、切迫とは行かないものの不安を顔に出している。そこへ俺から出向いてやんわり気を紛らせてやっていると、後からメーティスが現れて空元気を振り撒いた。俺は2人を過度にも過少にもならないように程度を抑えて慰めた。どちらかに振れてしまえば結果として彼女らを傷付けるだけに終わってしまうだろう。

 暫くそうして教室にいて、生徒もその足を寮へと向けがちになると、レシナにルイを連れ拐われて談笑を終えたジャックがふと俺達の下へと歩いてくる。その気配を察して振り向いて待っていると、ジャックは気楽に笑って交渉してきた。

「卒業したらさぁ、俺らのパーティと一緒に動かねぇか?レシナさんが、お前の実力を考えれば組まない手は無いんだとよ。キィマもその方が心強いって言うし」

 ここ最近で、これ程ホッとした話は無いだろう。心細い気持ちはあっさりと引いていき、俺は自分の頬がだらしなく弛むのを感じながら顔を逸らして頷いていた。

「おう、いいぞ。実際その方が馬車の利用も楽になるしな。ルイにも確認取ったんだろ?」

「おー、取った取った。ま、卒業式が終わったら夕方に寮のロビーで合流して、そっから合同で動くことにしようぜ」

 …本当にルイにも話したんだよな?何か適当過ぎて信じきれないが…。

「まぁ、了解。…けど、一緒に動くのが卒業式後にしても、初日の動きとかある程度の方針決めはしておきたいよな。一遍リーダー同士でスケジュール立てときたいんだが、…そっちのリーダー誰だ?ルイか?」

「は?ちょっと待て、何で俺を差し置いてあいつを例に挙げた今?簡潔に答えろ」

「だってお前アホじゃん」

「アホじゃねぇしー!バカなだけだしー!」

 ジャックはイーッと歯を剥いて中指を立てて言い返す。…結局リーダーの器じゃねぇじゃねぇか…。

 ジャックは不貞腐れて腰に手を当て、笑っていた俺を細い目で見ながら、「レシナさんだよ」とぶっきらぼうに答えた。…俺はいまいち彼女のことは知らないんだが、適任なんだろうか。

「ルイはそれで良かったのか?…あいつ、何だかんだ言って男のメンツとか気にするだろ。彼女にリーダーを任せるなんて状況じゃあ落ち込むんじゃないか?」

「つったってレシナさんが妥当だからな。いつも知らん内に場を仕切ってるし、有無を言わさない発言力ってか強制力だし…、つーか怖ぇし…」

「…お、おう。…じゃあ、まぁ、話通しといてくれ」

 ジャックが何故未だにレシナを『さん』付けで呼び続けているかよく分かった。俺は今更勝手に話を進めていることを省みて、メーティスとロベリアの双方に眼を向けた。彼女らは眼が合うとそれぞれ柔らかく微笑んで頷き、

「私達も賛成。…レム、レシナさんとの打ち合わせよろしくね」

「私もいいよ。頑張ってね、リーダー」

 と快く了承していた。不安の多い未来だったが、僅かながら強い明かりが見えてきた気がした。


 遺書の書き方など誰も知らないし、俺も特別書きたい何かがあった訳ではなく、助言も得られないまま推敲を繰り返す間に締め切りの日が来てしまった。満足行く文章とは言えないが、別段綺麗な文である必要も無いようなのでそれで納得して提出することにした。

 自分が死んだら残された家族はどうなるだろうか、何を思うだろうかと真剣に考える内に感極まって泣いたりしてしまったが、それをメーティスに見られて恥ずかしい思いをしたので一歩引いて考えるようにした。それでスルスルと出てきたことを手短にまとめると、それなりに形になったように見えた。

 まず一に、俺が家に置いている下らないコレクションだとか、生活に必要ない物は全て質屋にでも入れてくれるように(したた)めておいた。そうでないものは取っておいて、何処か使い所があれば皆で生活に役立てて欲しい。また、家族1人1人に小言を添えて、俺の死に深く嘆くことは無いように、自分と残された家族を第一に見つめてそれぞれの未来へと進んで欲しいと伝えた。俺は自分の死が生きている大切な人達の脚を過去へと引っ張るようなことになるのは御免なのだ。

 それだけを便箋に清書すると、折り畳んで髪の毛1本を封筒に同封した。この髪の毛が遺品になるらしいが、もし俺がこれを受け取る立場だとしたら、大切な人が1本の毛になって手元にポツンと残るのは剰りにも悲しいことのように思う。どうせなら遺髪らしく数本を束ねて恭しく扱った方が受け取る側も寂しくないのではないかと思うが、これが討伐軍でのしきたりだというから仕方ない。

 私服のまま、メーティスと2人で教員室へと向かう。メーティスはもう日曜日には書き終えていたようだが、俺が終わってから一緒に提出に行きたかったらしい。そう言われるのは俺も嬉しかった。

 教員室にユーリの姿は無かった。入れ違いで出て行ったらしく、マイクが俺達の来訪に対処した。しかし流石に遺書ともなると受け取る側も責任を重んじ、代わりに受け取っていいものかと悩んだ果てに、

「アナウンスしてくる。そう掛からないだろうし2人ともここで待っててくれ」

 と、俺達をユーリのデスクの傍に待機させて放送室へと出ていった。見渡す限りの教員が書類と睨めっこして小声で会議などしているので、メーティスと顔を合わせ、「居辛ぇなぁ…」「我慢我慢っ」と苦笑いして立ち尽していた。

 それから1分と経たず、見ない顔の女性が事務員に連れられてドアを通り、真っ直ぐ俺達の近くまで歩いてくる。女性は教員が穿いているような黒いスカートに、ヘソを出した黒いインナー、薄手の赤いコートを着合わせた出で立ちで悠々としている。事務員の初老の男は室内をキョロキョロと探し、近くを通り掛かろうとしていたゾルガーロに声を掛けた。

「すみません、ムカイ先生はどちらに…?」

「ユーリ先生ですか?今席を外しておられるので、少しお待ちいただけますか。マイク先生が呼び出しに行きましたから」

 承知致しました、と深く頭を下げた事務員に、ゾルガーロも一礼を返して自分のデスクへ歩く。…いけすかない印象ばかりだったが、ゾルガーロも仕事仲間には礼儀正しいんだな…。感心して彼の背中を眺めていると、不意に先の女性が事務員に1歩近寄ってにこやかに声を掛けた。ラズベリーレッドの巻き髪が動作毎に揺れて、緑色の瞳は眩く輝いていた。

「では、私は此方で待たせていただいて構いませんでしょうか」

「あ、はい、構わないと思います。…私は事務室へ戻りますが、宜しいでしょうか?何かあればまた仰せいただければ対応致しますので」

「はい、お願いします。私も大した用事ではないので、そうお気遣いしていただくこともありませんよ」

「ありがとうございます。では、失礼致します。どうぞごゆっくり」

 事務員は改めてお辞儀して退室し、残されたその女性は教員室を一目見回して俺達の横に同じ方を向いて並んだ。俺達がデスクの傍にいたのでユーリに用事があって待っているのを察したのだろう。女性は俺が首を傾げて見ていると眼を合わせ、にこっと優しく笑って話し掛けてきた。

「君達は今年の卒業生かな?時期とその封筒を見るにそうでしょ?」

「…えっと、はい。今週、金曜日に卒業です」

「へー、明後日かぁ!なるほどねぇ…。まぁ色々大変だけど、頑張ってね。頑張っただけお金がたくさん入るからね!」

「あ、はい。ありがとうございます」

 俺が勢いに圧されてやや腰を引き気味に愛想笑いしていると、俺を挟んでじーっと見ていたメーティスに気が付いたその女性は、また愛想良く笑って矛先をメーティスに向けた。

「君も卒業生?ユーリ先生に遺書の提出に来たの?」

 メーティスは会話先が自分に移るとピシッと背筋を正し、「は、はいっ」と緊張で上擦った声を上げた。女性はその緊張に気付いてか物腰を幾分か柔らかくして独り言のように告げながらうんうん頷いた。

「いきなり遺書って言われても書くの大変だったでしょ。私もさ、『こんな辛気臭いことしてられるかー!』ってなって遺書1文で終わらせたんだよね。そしたら当時の担任からすっごい怒られてさー。めんどくさいもんはめんどくさいから友達に書いてもらったんだけど、…今思えばやっぱり自分で書かなきゃ駄目よねぇ…。あ、卒業してからちゃんと書き直して家族に渡したんだけどね」

 俺はそれを聞きながら『適当な人だなぁ…』と若干呆れていたが、メーティスはそのお蔭で緊張も解れたようで段々といつもの調子で元気良く会話に応じ始めた。俺を置いて会話が続く中、マイクのアナウンスがあり、呼ばれたユーリは数分後早足で教員室へと駆けつけた。

 ユーリは俺達を見て頭を軽く下げかけていたが、手を振って「よっ、おひさー!」と楽しそうに笑っている巻き髪の女性を見ると、途端にうんざりした顔になって溜め息をつきながらだらだらと足を遅くした。

「はいはい、久しぶり。どうしたのよ、ここに顔見せるなんて」

「いやぁ、久しぶりに今夜飲みに行こうぜって誘いに来たのよ」

「そんなことで昼間に呼び出すんじゃないわよ。放課後にでも来れば良かったでしょう?」

「来ちゃったもんはしょうがないわね!私と君の仲でしょ?ほら、…能力(ちから)を均しくし、焔に選ばれた宿命の好敵手(とも)として…」

「『Bクラスのよしみ』でいいでしょ」

 ユーリはいつにもまして真面目そうに装って肩を竦め、「用事はそれだけ?」と訊ねた。女性はむーっと不満そうに口を尖らせ、「ノリ悪くない?」と顔を寄せていった。

「教え子の前でしょうが。年甲斐の無い真似はしないわよ」

 いや、ユーリ先生あんた授業中似たような変なセリフぶっ放してますよ?

 心の中でツッコミを入れながら2人の会話を眺めていると、不意に女性はユーリの耳元で素早く何かを告げた。その声はまるで俺達には聞こえなかったが、ユーリは息を呑んで女性と眼を合わせ、何か重大な会話であったことを図らずも示唆していた。

「…応接室で待ってて。すぐ行くわ」

「ん、お願いね。……それと、お若いカップルさん」

 真剣な表情で見つめたままでいるユーリを他所に、その女性は俺達に振り返って先程までの気楽そうな惚けた笑みを向けた。しかしその立ち姿には歴戦の戦士としての明らかな蓄積が滲み出ていた。

「カーダ村の全焼、アムラハン周辺の極端な強敵化に、ダルパラグへの魔王直々の奇襲……情勢は過去に無い程に苛烈よ。君達はその中を立ち止まることなく突き進まなくちゃならない。…勇敢でありなさい。誇りを高く持ちなさい。甘えでこの世は生き抜けないのだから」

 一瞬彼女はその表情に陰を差し、「シーユー!」と手を振り立ち去っていく。やはりその背には重いものが伸し掛かっている。ドアの向こうへ消えていった彼女を見届けて、ユーリは俺達に振り返り歩み寄った。

「メーティスさん…と、彼氏さん、遺書の提出に来たのよね?受け取るわよ」

「いや、もう彼氏じゃねぇッス…」

 軽口と共に差し出されたユーリの両手に俺とメーティスはその封筒を乗せる。ユーリはそれを右脇にまとめて抱え、メーティスは不思議そうな丸い目をして彼女に首を傾げた。

「さっきの人、誰だったんですか?」

「ん…まぁ同郷の…友達ね。悪かったわね、ちゃらんぽらんに付き合わせて」

「いえ、…素敵な方ですね」

 メーティスの発言にユーリは驚きつつも上機嫌になり、かと思うと染々と俺達を見比べて微笑んだ。

「当日は私も忙しいから、今言っとくわ。卒業おめでとう、お2人さん。…レムリアドくん、メーティスさんのこと任せるわよ」

 ユーリはそう告げると背を向けて歩き出した。俺はその背中に声を少し張り上げ、

「任されました」

 ユーリは少しだけ振り向き、口元で笑いながら教員室を去っていった。俺達も用事が済んで寮へと戻り、俺はレシナとのミーティングのためロビーへと赴いた。


 卒業式当日、天候は快晴、桜はその花吹雪を以て賀していた。体育館を敷き詰めるシートと椅子、花道を作る花瓶、また壁を彩る紅白幕は全て俺達へ向けて用意されたものである。入場では後方に控えた吹奏楽団の演奏が出迎え、俺はそうした恒例のもてなしに強く感謝した。

 クリスとリードは2年生席の隣に特別枠として席を設けられ、他の在校生と同じように俺達を送り出す。どんな心境なのか気になるが、式の間はステージを向いていなければならず、その様子は僅かにしか窺えなかった。

 式は式辞が間延びしつつも進み、在校生の送辞へと移る。答辞は最優等生であるメーティスが務めるので今日までその練習に付き合ってきた。だからこそ送辞は誰が務めるのか気になっていたが、その担当は俺の予想した通りの人物だった。

 卒業生の座席群は真ん中が割れて道になっているが、それは飽くまで卒業生が退場するための道であるため、送辞者は壁に沿うように脇を回ってステージ前へと歩み出た。…練習中のメーティスが噛み噛みになっていた光景と対比して、奉書紙を広げる彼女の姿は毅然としていて、緊張など微塵も感じさせなかった。

 俺のいる場所からは探せないが、メーティスも思う所があるだろう。メーティスは答辞をする側に、そして送辞をする側に彼女…クリスが立っていた。一瞬クリスはたった1人のDクラスへ眼を向けると、それから卒業生全員を見渡して送辞を始めた。

「遠くの山々は未だ白雪に覆われていますが、麓はすっかり暖かくなって参りました。卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。在校生一同、心よりお祝い申し上げます。私は皆様とは共に勉学、鍛練に励み、この学生生活を共有して参りましたので、こうして皆様を送り出す立場にあることと皆様の卒業に深い感慨を噛み締めております」

 クリスは紙に眼を移さず、ゆったりと構えて見回しながら送辞を続けていく。同級生の目線で語られる送辞というのも風変わりだが、勇者に見送られる旅立ちというのも貴重だろう。多くの生徒はそうした思いで聞いていたと思う。

 俺はと言えば、そうしてこの学校に取り残され、リード以外が下級生となる中でクリスは不安を覚えないだろうかという心配を掛けていた。ミファもいるし、リードも守ってくれると信じるが、遠慮され距離を置かれ、周囲に馴染めずポツンと佇むようなことになりはしないかと危惧していた。

 膝の上の手を固く握って見つめていた俺の目に、クリスはそれまでの視線の移動に反した形でスッと眼を合わせた。そしてクリスはその眼を逸らすことなく、微睡むような柔らかい笑みを浮かべた。

「在校生を代表しての送辞ではありますが、私から皆様へ個人として送りたい言葉があります。…私、クリスティーネ・L・セントマーカは、必ず魔王を倒します。それが勇者の子孫としての私の使命であり、私が生まれてきた意味です。しかし天命を受けたのは私1人ではありません。きっと皆様1人1人が、人間として何か大きな使命を受けて生きていくと思います。…あなたが、それか、あなたの仲間がその局面に立つ日が訪れ、それぞれが傍で立ち合うのだと思います。その時は、どうか1人では戦わないでください。仲間と手を取り合ってください。手を取り合える人々がいることを、どうか忘れないでください。……最後に卒業生の皆様のご健康と、さらなるご発展を心よりお祈り申し上げ、在校生代表の送辞とさせていただきます」

 クリスは一礼し、卒業生は拍手で以て感謝した。その拍手の中、顔を上げたクリスは奉書紙を閉じながら短く何か告げ、自分の席へと戻っていった。声は聞こえなかったが、口の動きは明らかだった。

 続いてメーティスが答辞を始め、その遂行を見守りながらも、俺はクリスの密かな一言に思いを馳せていた。

『どうか、私のような過ちは繰り返さないで』


「最後に、クリスに会わなくていいの?」

 最後のLHRを終えて寮の部屋へと戻ると、すっかり片付いて殺風景なその部屋の真ん中で、大きな荷物を手に提げたメーティスは憂わしげに俺の顔を見つめた。俺もリュックを背負って身体を向けて立ち、笑ってそれに頷いた。

「いいさ。これでもう一生会えないって訳でもない。今は体育館の片付け手伝ってるだろうしな。それに、そういう約束なんだから」

「…そっか。…本当にいいの?」

「いいって。…早く行こうぜ、ロベリアもあいつらも待ってるだろうし」

 メーティスは釈然としないまま、俺に手を引かれて部屋を出る。ドアに鍵を掛け、520と綴られたプレートを暫し立ち止まって眺めると、事務室へその鍵を返却しに赴いた。…この寮には2度と戻れない。それを深く胸に刻み込んだ。

「あっ、来た。もう皆いるよ?」

 ロビーに着くと、既にロベリアはジャック達と合流しており、男女別に固まってロビー中央で待ち構えていた。見渡すとあちこちに立って待つ卒業生がおり、俺達のような考えのパーティは他にもいるのだろうと理解した。

「悪い、待ったか?」

 少し駆け足で合流して声を掛けると、「おー待った待った」とジャック1人が冗談を飛ばし、それを無視したルイが笑って首を振った。キィマは溜め息をつき、レシナは鬱陶しそうにジャックを見ている。…何か日に日にジャックの扱いが悪く…。良い奴なんだけどなぁ…。

「いや、皆さっき集まったとこだよ。とりあえずもう今から卒業後初日ってことになるけど、予定に変更は無しか?」

「あぁ、これから全員で固まってフィールド出よう。どんなもんか様子が見たいからな」

「うん、了解。じゃ、とりあえず行くか。ここいてもあれだし」

 ルイはそう言いながら寮の外へと歩き出し、それを先頭に俺達6人もついて歩き出す。寮を出て、背中を押すような優しく暖かな微風に、爽やかに広がる青空を仰ぐ。

 …これで俺は社会人の仲間入りだ。アカデミーに無理やり入学させられただけで志しも無かった俺は、とうとうこんな所まで来た。この3年で、俺も少しは経験を積めただろうか。先へと進む準備が出来ただろうか。

 そうであることを祈って、校門へと突き進む。




「――ま、待って!」




 …形振り構わぬ大声が、俺達の足を引き止める。振り向くと両手を握り締めて肩を竦め、下を向いて叫んだクリスがいた。クリスは唇を結んで震わせて、銀の髪留めの下で瞳を潤わせていた。

 …どうして此処に…式の片付けは…いや、そんなことより……。

 眼を見開いて固まっていた俺の背を、メーティスとロベリアが叩いて押し出す。一瞬振り返って見た2人は笑って頷いていた。泳ぐ身体に任せて歩きクリスの前に立ち止まる。

 クリスは深く呼吸した。俺は彼女の目を見て待った。彼女の背後の寮舎も校舎も、地面に続いた足跡も関係無い。その静寂に拒絶は無く、けれど甘えも馴れ合いもそこには無い。

 前言を撤回するのではない。俺と彼女の間に聳える境界は消え去らない。ただ彼女は、そのフェンス越しに声を掛け合う決意をしただけだ。それはそのもどかしさと向き合いながら、それぞれの場所で戦うという決意だった。

「……M70期、第50号パーティの皆さんに、勇者の末裔…クリスティーネ・L・セントマーカから依頼を申し入れます」

「…はい、伺いましょう」

 クリスは顔を上げ、真っ直ぐに俺の目を見ていた。俺もそれに真っ向から対面する。クライアントとサプライヤー、その関係を守った上で関わり合うことを決めた。

「私は来年卒業します。しかし世界は既に窮地に立っている。私達には時間がありません。…そこで、私が最も信頼の置けるパーティであるあなた方にお願いがあります。来年、私達が卒業した時、またアムラハンに帰ってきてください。先に世界へ旅立った者として、未熟な私達に檄を飛ばし、導いて欲しく思っています。…引き受けて、頂けますか?」

「お引き受けします、クリスティーネ様。来年の3月、また此処へ帰って来ます。その時はどうか、よろしくお願いします」

 互いに一礼、それのみで背を向ける。クリスの視線を背中に受けて、俺は校門の外へと歩み行く。

 雲一つ無く澄み渡った青空の下、新たな目標と決意を胸に、俺は親しんだ学校を後にした。

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