第48話 優しく短慮な贈り物
くりぼっち…たまごっちの反抗期キャラクター。温厚な性格。クリぼっちではない。
また月日は流れ後期、勉強会のメンバーはジャックとルイを加えた5人へと変わり、時に叱咤し合い、時に賑わう和やかな日常を謳歌していた。夏休み中も稀にこのメンツで集まって遊んだりしたが、俺が平日はいつもバイトに出ていたので労う意味で勉強を避けられていた。
その分勉強時間が削られたような気もしないでもないが、気遣い自体はありがたかった。…まぁ毎日バイトで精神的に疲れてるのに無理に勉強をしたってあまり身にならないし、別に良かっただろうか。その分学校が始まってからほぼ毎日勉強会を開いているし、周囲にも遅れは取っていないはずだから良かったことにしよう。
「俺留年しまぁす!」
その言葉を放ったのはジャックだった。図書館の一角を占領した俺達は、1人も余さずジャックの発言に呆れ返り、大小なり溜め息をついて無視を決め込んだ。ジャックはテーブルに両腕を伸ばして突っ伏し、勉強道具を枕にそのまま一眠りと行こうとしていた。
「おいジャック、まだ1時間も経ってないだろ。真面目に勉強しろよ」
ルイはその横から軽くアイアンクローを食らわせながら窘め、ジャックは「ぐおー…」と冗談で呻き、身体を起こして顔の手を押しやった。
「おいおいルイさんよぉ、お前こん中で誰が1番勉強出来ないかご存知か?勉強出来ない奴に勉強しろとか犬に空飛べって言ってるようなもんだぞ」
「寧ろ1番出来ないならなおのこと必死にやれよ。お前キィマさんにも心配されてるんだろ?もっと焦れよ」
「おいこらマジレスやめろ!お前だって似たようなもんだろ!この前『ルイ、ちゃんと卒業出来るかしら…』ってレシナさん溜め息ついてたぞ!」
ジャックとルイがそうして言い合い、ワーギャーと喧しくしていると俺達を筆頭に辺りの全員が白い目で見た。
「「うるさい」」
とメーティスとロベリアが綺麗にハモり、馬鹿2人はシュンと小さくなって「はい…すいません…」と勉強に戻る。俺はその光景を他所に黙々と参考書を捲り、メーティスは眉を寄せたままピッと俺を指差してジャックを叱りつけた。
「ほらジャック、レムを見習ってちゃんとやらなきゃ。見てよ、ずっと黙ってやってるでしょ?あれくらい真剣にやらないと何にも頭に入らないよ」
「あっ、はい、さーせん!レムさんマジリスペクトッス!」
「真・面・目・に!」
「あ、はい…真面目にします。俺頑張る」
そうしてジャックはまた問題集と睨めっこを始め、この一角も静かになる。…ジャックとメーティスの2人は、俺の知らない内に随分と仲良くなっていたらしい。両方が毎度俺を引き合いに出して言い合ったりしているので、2人がじゃれ合い始めると俺は見て見ぬふりを決め込んだ。…悪く言われた時の対応は慣れてきたが、良く言われた時は未だにどうするのがいいのか分からない。
「ねぇ、ミファって今日もバイトなのかな?」
ふと、それまで勉強しろしろ言っていたメーティスが手を止めて俺に声を掛けた。俺と彼女の他はカリカリとペンの音を絶えず奏で続け、俺は1人彼女に対面した。
「多分な。ミファはあんま自分のこと…特に家のこととか全く話さないから、確かじゃないけどさ。…夏休みに仕事しながら話してた時、『特別に土日も仕事させてもらってます』って言ってたぜ。それって多分さ、あいつの故郷が…そうなったからだろ?」
「…やっぱりそうなんだ。仕送りが無くなっちゃったんだろうね。…けど、カーダ村出身の生徒って奨学金出るんでしょ?受け取らなかったの?」
「さぁ、聞いてない。…けど、ミファのことだからな…。推測しか出来ないけど、認めたくないんじゃないか?…家族がいなくなったこと」
話しながら俺達は気が滅入っていく。メーティスもそれを聞く内に俯き、「ごめん」と呟くように謝った。「いや…」と首を振るが、勉強に戻ろうにも気分が沈み過ぎて頭が働かない。ただ少なくとも、人の眼のある図書館でこうした話は控えるべきだろうというのはメーティスにも伝わったようだった。
「おいお2人さん、俺を見習って勉強しろよ」
俺達が黙り込んで呆然と手元を見下ろしていると、ジャックがこれ見よがしにニッと笑ってペン先を突き付けてきた。それに立て続けて、
「反面教師くらいにはなりそうだな」
「すぐ調子に乗るとこ直したら?」
とルイとロベリアがジト目を向けると幾ばくか空気が明るくなり、「辛辣ゥ!」とジャックが宣うと、とうとうメーティスはカラカラ笑い出した。
元気が出たならまた勉強に戻る。ジャックの然り気無い手助けには、後で2人になってから礼を言った。
「12月25日はクリス先輩の誕生日なんですよっ」
まだ始業して間もない10月15日であったが、カフェに誘われて出向くとそんな一方的な助言を浴びせられた。オーダーを決めたら即本題という所がミファの爽快明瞭な人柄を如実に示しているが、そうした正直さがお節介染みてしまうのは頂けなかった。
「そうなんだな」
「はい、そうなんですよ」
ミファは丸い目をクリクリと純真に向けて大きく頷き、じっと俺の目を覗いていた。明確に顔を逸らす訳にもいかず、頬杖を突いて顔を向けたまま、視線はテーブルの中央を彷徨かせて話題を変えた。
「今日はバイト大丈夫か?前はそれで会えなかったろ?」
「あっ、大丈夫です!事前にお休み貰いましたから!…あ」
前に会えなかった時は「用事があるから」としか言われなかったが、それが何度もあったからにはバイトの線が濃厚だった。それで鎌を掛けてみればこの通りすんなり自爆してくれる。…こう言っては何だが、ミファももう少しくらい疑うことを知った方がいいと思う。いつかのいじめの件も踏まえると多分に心配だ。
ミファはバイトの件は隠しておきたかったらしく決まり悪そうに俯き、その様子はまるで叱られた子供のようだった。探られるくらいなら白状しようと云うことだろうか、ミファは小声で自白した。
「…バイト、実は今も続けてるんです。お金を人から借りるのも悪いので…」
「そっか。…頑張れよ」
ミファは応援されるとは思わなかったのか顔を上げてポカンとし、その顔のまま俯くと頬を赤くして「はい…」と小声で答えた。
…こんなに簡単に話を逸らせてしまった。そのつもりで話したのだが、何だか罪悪感が膨れてくる。
そこへ珈琲とオレンジジュースが運ばれ、店員の「こちら先にお持ちしました」との一声に気分を切り替えたミファはストローを咥えてチーっと飲みながらぼんやり俺を見つめた。そうして思い返す内に本題に辿り着いてしまったらしく、パッとストローから口を離して少し身を乗り出す。…流されるのも振り返るのも早い…。
「誕生日プレゼント、何かあげたらいいと思います」
それはミファなら言い出しそうなことだとは思っていた。殊に去年、俺への誕生日プレゼントを用意しておきながら結局渡すことが出来なかったクリスの様子を間近で見ていたミファなら切実にそう思うことだろう。…しかし、俺とクリスはもう会うことも話すこともない。それはクリスたっての希望であり、俺の一存で変えられるものではない。結局今年のプレゼントだって俺は貰っていないのだ。
「此方も卒業試験の勉強で忙しいからな。12月なんて尚更…。普段会わないのに片手間で選んだもの渡されてもクリスだって迷惑だろ。気遣いは嬉しいけど、引き受けられないよ」
「そんな…」
こんなのは勿論建前だ。ミファ相手でなければもっと正直に、『今プレゼントを渡したら俺とクリスとの約束が意味をなさなくなって、何かにつけて会おうとしてしまう』と言っていた所だ。しかしミファを最も傷付けず、かつ尤もそうな言い訳はこれくらいしか思い付かなかった。
…本音を言えば、プレゼントを渡してそれをきっかけに関係を戻したい。クリスからのプレゼントもちゃんと受け取り直したい。それでクリスが笑ってくれたら嬉しい。あんな約束無視してしまうのが俺にとって1番幸せなことだった。しかしそれで結果としてクリスが苦しむなら遠慮したい所でもある。
ミファは落ち込んだ様子で両手で支えたコップを見下ろし、密かに息をつくとまた俺の目を見て告げた。その表情は諦めではなく、信頼の微笑だった。
「じゃあ、待ってます。片手間でも何でも、プレゼントを買う勇気が出せるのを待ってます。…本当に簡単な物でいいんです。小さくて手頃なアクセサリーでも、本の栞でも、文房具や消耗品でもいいんです。…寧ろ、多分その方がクリス先輩も受け取り易いですし。だから、ちょっとだけ頑張ってみてください」
その慈愛の笑みに俺は見惚れていた。包み込むような大きな母性が、その小さなミファの身体から際限無く湧き続けているような感覚を覚えた。そしてそれはきっと事実であり、それほどに彼女は俺とクリスを気に掛けてくれていた。
本当は何を言われても断るつもりだった。しかしその笑みに心が揺らいだ。そして俺は軽くなった心で、押し込まれていたそれを口にした。
「…プレゼント、あげたいな」
殆ど無意識だった。言ってから俺はハッと息を呑んで口元を押さえ、しかしミファはその返答に素直に喜んで明るく笑いながら身を乗り出した。
「はい、あげましょう!一緒に選ぶ時間はあんまり取れないですけど、私も相談にはしっかり乗りますから!」
自分のことのように嬉しそうに笑うミファを見ていると、本当にそれで納得してもいいような気がしてくる。…しかし、そう簡単に決めていいことではない。プレゼントを渡すことが本当に正しいことなのか、クリスのことをきちんと考えなければならないことだ。
「…まぁ、うん。頼む…」
今はとにかくミファを傷付けたくはない。思う所があることは隠さず、それでいて同調する姿勢を見せて話を合わせるべきだ。今日限りミファに頷いて、後日意見を変える。そうすれば不用意に彼女を否定せず決着が付くと思った。
「はいっ!」
ミファは裏表無くはしゃいで、あれだこれだとプレゼントの案を出した。俺はそれに微笑んで頷き、当たり障り無く一言ずつ返した。
しかし3時間はそうして話していると、俺の気持ちはプレゼントを渡す方向に傾いていた。ミファが真っ直ぐだから俺も本音を見易かったのか、最初からその本心に抗う気が無かったのか、俺は如何にクリスの心に影響を及ぼさず、プレゼントを渡してやれるかを考え始めていた。
消耗品なら良いだろう。貰う分にも気楽だし、万が一クリスがそれを嫌がったとしても、消耗品ならその日に使い切るなり捨てるなりして処理してもらえるはずだ。何より親しくない間柄でも適用出来る選択だ。…その結論が出てしまえば、俺がプレゼントを渡すことに躊躇う理由は無くなってしまっていた。
「でも、本当にそれでクリスは困らないの?」
平日、放課後の自学の合間に話してみると、メーティスはそう言って難色を示した。それは全く当然の意見であり、ミファの提案に流されるまま進みつつあった俺にはありがたい助言だった。
メーティスは両手で頬杖を突いて俺を見つめ、これもまた真っ直ぐに話した。俺もミファと話した時より腰を入れて構え、自分の意見を大事に聞いていた。
「私も2人の事情をちゃんと理解してる訳じゃないけど、多分クリスはレムに甘えたくないんじゃないの?ずっと勇者としての使命に悩まされてきたクリスなら、勇者パーティメンバーの決定に乗じて、レムへの未練を断ち切るために距離を取るって考えだと思う。…もしそうだとしたら、レムがクリスにわざわざ近づくのはその決心を鈍らせるだけのことだと思うよ。それこそクリスにとっては邪魔にしかならないと思う」
「…未練…ってのは、何の未練なんだ?」
「レムへの恋の未練」
俺は目を大きく開いてメーティスを見た。メーティスは自分のその考えを信じて曲げず、未だ真っ直ぐに俺を見ていた。
「…レム、ちゃんとその耳で聞いてるでしょ?クリスは言ったよ、君が好きって」
「…けど、それは…単に…」
「友達としての好きじゃないよ、絶対。1年傍で見てきたんだもん。絶対に見間違えじゃない。…クリスが辛い中でも私達に優しくいてくれたのは、レムが自分のために必死になってくれるのを支えにしてたからだよ。でもクリスはそれに感謝と責任を感じてると思う。結局レムは一緒に行けないから。…それだけの葛藤があって、クリスがレムを好きにならない訳がないよ」
…自覚はあった。クリスが俺を愛してくれているような気配は会話の節々に感じた。クリスの言葉の意味も、そういう意味に捉えたいとずっと思っていた。自信が無くて直視しないで来た。
「けど、だったら尚更俺はクリスにプレゼントくらいはあげたい。傍で支えられなくても、明確に力になれる訳じゃなくても、…ただ遠くからクリスのことを想ってるんだって、それくらいは伝えたい。…離れ離れでも、俺がクリスのことを大切に思ってることを、クリスの心の支えに出来たらいいと俺は思う」
「それがダメなんだよ。クリスは今、レムに支えられたくないの。……ちょっと、敢えて酷いこと言うよ。君はクリスの事情にでしゃばり過ぎたの。勇者の使命でそれどころじゃないはずのクリスに、人並みの恋の期待を与えてしまった。それが君の一番の失態なんだよ。傍にいるなら大会でも勝って、ずっと傍に居続けて愛し合いながら旅をするのが最善だった。そうじゃないなら、レムは1歩身を引いた場所で細々と、クリスに知られないように献身するべきだった。…でも、レムが実際にしたことは、クリスの耳元で愛を囁くだけ囁いて立ち去るのと同じ事。クリスを生殺しにする仕打ちでしかなかった」
俺はそれを聞いていて芯まで凍える心地で黙るしかなかった。受け止めるでも対立するでも、真っ向からそれに意見するような真似など出来ない。急に自分がしてきたことが全て裏目に出ているように思えてきて、何とか振り絞れたのは「…よく分かるんだな…」と外見を繕っただけの繋ぎの言葉だった。
「…前、クリスとロベリアとで女子会した時、クリスに色々訊かれたって言ったよね?…その時の様子とか、訊かれたこととかを冷静にまとめてみたら、レムがそれくらい大きな存在になってるんだろうなって想像ついたよ」
「…そうなのか。…じゃあ、俺、渡さない方がいいのかな」
「だと、私は思うよ。…でも、そうだね。ちゃんとクリスに期待を持たせないやり方でなら、プレゼントを渡すのもいいかもしれないね。…そっか、そう考えたら別に消耗品あげる分にはいいのかな。そのプレゼントなら距離感は守ってるんだもんね」
「…まぁ、受け取り易いかなって…」
ふーん、とメーティスは顎に手を当てて暫し考え、コクコクと数回頷くと、「うん」と一際大きく納得したような頷き方をして俺を見た。
「レム、さっきまでの話、無しね。渡して大丈夫だよ」
「…本当か?」
「うん。…ただし、『傍には居られない』ってことは強調すること。それが無いとクリスが困るからね」
「分かった。…バースデーカードにそうした主旨のことを書いて同梱する。どうかな?」
メーティスはフッと笑って俺の頭を撫でた。
「うん、いいよ。けど、私も眼を通すね」
「ああ、助かるよ」
そうして俺は後ろ楯を得て、クリスにプレゼントを渡すことを決めた。もうその気分ではなくなった勉強を再開するべく、俺とメーティスは水を飲みに給湯室へ出向いた。
ジャスミンのアロマキャンドル。手の平大のそれを白い包装に赤いリボンで閉じ、小さなカードを添えて用意した。カードにはただ一言、『互いの場所で頑張ろう』と簡素に綴っておき、それを当日の朝、寮のロビーでミファに手渡した。
既に冬休みを迎え、街は一面雪の様相だった。
「ミファ、出来ればこれ、誰が寄越したのか分からないようにして欲しいんだ。その上でクリスが嫌がったら、素直に突き返してくれて構わないから」
「はい、わかりました。…あの、一ついいですか?」
ミファは大切そうにその袋を抱えると、真剣な目で俺を見上げた。俺はそれに検討がつかないながらも、「ん、何だ?」と真っ直ぐ見下ろして頷く。ミファは寸前に大きく息を吸い、何かを決心するようであった。
「世界を救ったら、クリス先輩とどうなりたいですか?」
それはミファらしく、正直で偽りない疑問だった。俺はそれに正直に、嘘偽りなく答えていた。
「結婚したい」
ミファは驚かなかった。そして柔らかく目を閉じると、満足そうに笑って大きく頷いた。
「じゃあ、私はそれを目指して戦い続けます。…レム先輩、今日はありがとうございました」
ミファはそうして頭を下げ、元気良く外へと駆け出していった。誕生日会はクリスの家でやるのだろう。俺は駆け足で玄関の外まで付いていき、「気をつけて行けよ!」と声を上げて手を振った。
ミファは走りながら振り返って大きく手を振り、その拍子に雪に躓きかけながらも校門を過ぎ去っていった。微笑みながらそれを見届け、寮へと引き返そうとしたその時、向かって右手、寮の建物の裏へと、息を呑む声と共に金の長髪がそよいで消えていくのが見えた。
急いで駆け寄っても既に誰もおらず、地面の雪は女の子の小さな足跡を残して寒々としていた。




