第47話 絆の語らい
クリスとの繋がりの別れに泣き腫らしてから約3ヶ月後、夏休みを目前に控えた俺はメーティスに勉強を見てもらっていた。教え方は然して上手くないメーティスだが、やはりそれでも人に見てもらっての勉強だと身に付けた知識に自信が湧いて捗ってくるものだ。
サラに教えられていた勉強法は言ってしまえば『定期テストで点を取るための勉強』であり、長期に亘って知識が身に付くものではなかった。その点はサラから念を押されていたのだが、2年生になって大会優勝を目指し始めてから勉学を疎かにしていた俺は完全に座学知識を忘れ去っていた。それでも1年初め頃の内容…要するにクリスに教えられていた部分は不思議なほど細かく覚えているので、やはりクリスは教える才能があったのだなと痛感した。…つーかヤマばかり張ってた当時の俺を叱りたい。
何故今更熱心に勉強しているかと言うと、卒業試験には筆記試験というものがあるからだ。1、2年期の全教科を対象としたその試験ではテストを大まかに3つ(1つが200点、2つが100点)に分類し、その400点満点中で300点を取らなくてはならない。つまり、それぞれ4分の3の点数を取らなければ不合格と見なされてしまうのだ。…一応4回までなら再試出来るのだが、何かもう無理そう…。
他の生徒は今の所そこまで熱心に勉強している様ではなく、夏休みに入ってから本格的に勉強する予定のようだ。しかし俺の場合はそうもいかず、6月には勉強を始めていた。
きっかけはメーティスの言葉だった。「夏休みはナイター、やるの?」という素朴な質問に対し、俺は頷くと同時に、
「ナイターもやるし、アカデミーでバイトもするつもりだ。…お前に金返さなきゃだしな」
と夏の予定を話した。…親に手紙を送って今年分の生活費を前借りしてメーティスに貢ぎ続け、ホテル代に散財していた俺は、6月に入って今後について考え、もう2ヶ月も使えば財布が空になってしまうことを今更真剣に受け取った。そのため残った金は保険として一先ず預けておき、バイトが出来る夏休みまでは食費をメーティスに負担してもらうことにした。
メーティスも自分が貢がれてばかりなのが申し訳なかったと言い、快くそれを引き受けた。日頃から自分に出来ることは無いかと持ち掛けて来るので、メーティスの罪悪感を解消する意味合いでも少し頼るくらいはした方がいいと感じている。そのまま返さなくて良いとも言われたが、自分がしたことに責任を持ちたいのでそれは断った。
しかし、そうなると俺は夏休みを多忙に過ごすこととなる。メーティスはそれを見越して、
「じゃあ今から勉強しないと時間が足りなくなるよ!一緒に勉強しよう!」
と教師役を買って出たのだった。ありがてぇありがてぇ…。
休日はロベリアと3人で集まって勉強するようになった。5月にきっちり話し合い、メーティスとロベリアは互いが別々に正しいことをしたという見解で和解していた。会話に激情が灯ることも無く、2人はすんなり仲を修復した。
一方ミファとはどうかと言うと、クリスのことがあるので頻繁には会わないことにしている。しかし不和が生じている訳ではないので、学校で鉢合わせて気が向いたりすると会う約束をして話すこともある。会話の殆どは互いの近況報告に留まり、ミファも俺とクリスが会わないでいるのを渋々容認しているようだ。
リードとクリスは仲間として日々親睦を深め、支え合える良い関係を築いているらしい。しかしミファが見る限り、どちらも互いの深い部分には立ち入らないように、一定の距離を保ち続けているらしい。リードはクリスに対し、男女としてのアピールは一切行っていないという。
…リードは確かクリスが好きだったと思ったが、クリスの方がその好意をやんわりと拒否するのだろうか。俺を遠ざけたのもそれに似た理由だったりするんだろうか?
ともかく俺の周囲との関係は以前に比べ大きく変化してはいるが、前進もしている感触だ。ただ、今でもクラスメイトの中には俺を忌み嫌い真正面から暴言を掛ける者もいて(以前より俺の態度が軟化しているのも要因かもしれないが)、俺はそれを甘んじて受け入れ、謝罪が必要な相手には頭を下げて引き取ってもらうことにしている。剰りに酷く言われて、ロベリアやメーティスが敵意を剥き出しにして抗議したりするのは避けたかったからだ。彼女らには平穏に学生生活を送ってほしい。
俺の悪評に対して、遠目に見るジャックの人気ぶりは脱帽する程のものだ。男女問わず常にジャックを取り囲んでいて、その外野は時にキィマを引き合いに出してジャックを英雄視している。ジャックもそれに調子を良くしてキィマとの惚気話を吹聴し、その度にキィマの恥ずかしい失敗やハプニングなども暴露してしまって痴話喧嘩に発展したりする。…長いこと自分しか見えていなくて知らなかったが、その光景は日々の糧に出来るくらいには見ていて面白かった。
ルイはその喧騒から離れた場所にいて、ジャックと、時々俺の方も見てきて、酷く寂しそうにしている。しかし流石はジャックと言った所か、そこはちゃんと察していて頃合いを見て無理にでも外野の壁を抜け出してルイに絡みに行っている。2人の友情はそう簡単に砕けるものではないのだろう。
…俺も2人と話したい。しかし、向こうが俺をどう思っているのか分からないし、もし迷惑になってしまうなら自粛した方がいい。ジャックは人気者の愛妻家、かたや俺は嫌われ者の好色家だ。ならばルイとならどうかと言えば、やはりそちらも叶わない。彼と友達をやり直すための資格が俺には持てないのだ。
大会の時のことは既に謝っているので、2人にこれ以上謝らなければならないことは無いし、またこの数ヶ月のことを弁明するのも違う気がする。…俺の方から彼らに友達になって欲しいと頼むのは烏滸がましいと考えていた。
しかし、悩んでいたのは俺の方だけではなかったらしい。終業式の後、教室に戻って席に着き、LHRの時間を待っていると、ジャックとルイが揃って俺の傍まで歩いてきて、緊張した面持ちで俺を見下ろしてきた。俺は座ったまま2人を見上げ、2人が口を開くのを待った。
こういう時ジャックが率先して話し掛けるものだと思っていたが、此処で先に声を掛けたのはルイの方だった。
「よう」
辿々しく、短く、取り繕って軽いように見せた挨拶と、懐かしさや迷いやらが入り交じった微笑とが、俺にも小声の「おう」という返事を促した。すぐにまた沈黙が俺達を隔て、ルイが次の一言に辿り着くまでを俺はルイと眼を合わせて待った。
「今日、どっか食べに行かないか?俺達3人でさ」
「…ほお…3人で……」
俺はジャックをチラリと見てそう繰り返した。ジャックは俺を見ているが、傍観を決め込むように気の抜けた顔をしていて、それは眼を合わせようとも変わらなかった。
ジャックが何を考えているのか計り知れないが、ルイが誘ってくれるなら断る理由は無い。俺はまたルイに視線を戻して頷いた。
「…行ってもいいなら、是非とも」
「そうか…!よし、じゃあ、放課後とりあえず俺達の部屋まで来てくれ!一緒に行こう!」
ルイはパッと笑顔を咲かせて俺の肩をパサッと叩いた。と、同時にユーリが教卓へと現れたので、ルイはそちらと俺とを交互に見てジャックの腕を引き、
「じゃ、そういう訳だから、後でな!」
と小さく手を振って席へと戻っていった。その嬉しそうな様子に俺も安心して会える気になっていたが、それに対してジャックの心中を察するには至らなかった。
「おお、来た!遅かったから部屋の場所でも忘れてるのかと思ったよ」
ドアをノックして入ると左右のベッドで胡座を掻いてだらけていた2人の視線が一斉に俺を向き、ルイはホッと胸を撫で下ろすようにして笑った。ジャックはじっと観察するように無表情のまま口を噤んで俺を凝視している。
「いや、流石にそこまでは記憶力衰えてねぇよ。悪い、メーティスに此方のこと伝えてきたんだ」
「そっか、それはそうか。…よし、じゃあ行こうか。ほら、ジャック立てよ」
ルイは手の平を上向いた左手の先をクイッと曲げて合図し、ジャックはそれに「んー」と適当な返事をして立ち上がり、俺の傍まで歩いてくる。…その言動のやる気無さに不安になった俺は、少し首を傾げてジャックの目を覗き込んだ。
「…ジャック、気が乗らないなら無理しなくていいんだぜ?別に俺なんか誘わないで、ルイと2人で行ってきても構わないんだからさ…」
ジャックは俺の言葉を聞くと大きく見開いた目を怪訝そうに俺に向け、「3人で行くっつってるだろ」と不機嫌そうな低い声で答えた。…何を怒っているのかよく分からないが、俺が何か失礼なことをしたらしいのは分かったため「あ、ごめん」と頭を下げた。
一瞬にして空気が悪くなり、時間がピッシリと静止した中で、「行くぞ」と俺を通り過ぎたジャックが先を行く。ルイは顔を上げた俺の肩にポンと手を置き、「ほら、行こう」と穏やかに笑い掛けた。俺はそれに声も無く頷いて、3人共に寮を出た。
辿り着いたのは肉類を中心に扱ったバイキング形式の店だった。飲み屋に行く案もあったらしいが、魔人の身体で酒を飲んでもどうしようもないと考えて此方に決めたようだ。…俺はついサラの話を聞かせたくなったが、彼らの選択にケチを付ける結果になるのを危惧して言葉を呑んだ。
俺は最後尾について歩き、ルイが選んだものに沿うものを選ぶようにした。3人が皆テーブルに戻ると、取った料理を嗜みながらルイから俺へ話題が振られた。
「メーティスとは別れたんだってな。噂で聞いて、ロベリアに確認したんだけどさ」
「ああ、うん。友達としてやり直してるよ」
「そうらしいな。…ロベリアには悪いけど、結構お前らお似合いだと思ったんだけどな」
「どうかな…。メーティスには俺より良い相手なんか幾らでもいるだろうし、俺はあいつのためを思ってやれないから…」
「そんなことないだろ。お前ほど真剣に人のこと考える奴なんてあんまりいないと思うぞ」
「他に4人も身体の関係を持ってたのにか?」
自嘲して呟いた一言にルイは微笑んでいた顔を凍り付かせ、俺は言った後で失言と気付き、「…ごめん」と俯いた。
「…そういえば、今日はメーティスは?」
ルイは顔を逸らして話を変え、俺も顔を上げてその転換に乗った。ジャックは頬杖を突いて手を止めがちに俺を見ていた。
「ロベリアと…他にも誰か約束してるっぽいけど、何か数人で女子会開いてるらしい。だからまぁ、今日は誘ってくれて嬉しかったよ」
「そうなのか。…お前は呼ばれなかったのか?」
「俺がいてもあんまり会話盛り上がらないだろうしな。お邪魔だろ、多分」
「あぁ、いや、冗談だよ…。『そもそも女子じゃねぇよ』とかツッコミ待ちだったんだけど」
「あ、ごめん」
話に乗れなかったのを謝ると、チッ、とジャックが舌打ちして俺とルイは同時に振り向いた。ジャックは苛立たしそうに顔をしかめてフォークを皿に置き、俺を睨んでいる。…やっぱり俺が此処にいても迷惑だよな。頃合いを見て帰った方がいいだろうか。
去り時を悩みつつ見ていると、ジャックは両手をテーブルに突いて立ち上がり、スタスタと早足に俺の横へ回ってきた。何のつもりだろうかと眼を合わせていると、ジャックは俺を見下ろして右手を高く上げ、
「目ぇ覚ませぇッ!」
と俺の旋毛に真っ直ぐ手刀を打ち込んだ。
「ぐぉお!?」
突然の遠慮の無い攻撃に悲鳴を上げて困惑し、俺は手刀が離れると痛む頭を両手で押さえながら無言でジャックを見つめた。何が起きたのかさっぱりな俺に、ジャックは腰に手を当てて指差しながら顔を寄せて怒鳴り付けた。ルイは止める様子もなく苦笑いして俺達を眺めている。
「さっきから見てりゃあ何だその卑屈キャラ!全然似合ってねぇしそもそも誰得だ!?それでも大会準優勝かぁお前!?」
ジャックの大声に近くのテーブルの客が此方を気にしていたが、それらの視線はつまらなそうに立ち去っていき、俺は息を巻くジャックを両手でドウドウと制した。
「い、いやな、そうは言ったって俺、色々悪く言われてもしょうがない奴だし…」
「そうだよ、それだよ!お前なぁ、ここ最近ずっと見てたけど文句言われて何で言い返したりしねぇんだよ!面と向かって好き勝手悪口言われてんだぜ!?悔しくねぇのかよ!?」
「いや、だからさ、無理だって…。客観的に見て俺がダメな奴なのは事実なんだから…」
落ち着かせようと愛想笑いで説明していると、不意にジャックは俺の胸ぐらを掴んで立たせ、額を擦る距離で声を荒げた。ルイはそこに至って俺達に手を伸ばしながら立ち上がったが、やはり仲裁には入らず俺達を無言で見つめていた。
「あぁそうかよ、じゃあ俺目線でお前がどんな奴か教えてやる…!お前は全校生徒の中で2番目に強い男で、2年生の時にはDクラスに在籍したくらいの成績優秀者だ!その癖自分に厳しくてなぁ、妥協を許さない完璧主義者なんだ!プライベートですらそうだ!男でも女でも、眼を逸らさず正面から接して、絶対に上部の付き合いなんかに満足しない真面目な男だ!そんで愛想や媚び売りなんかじゃなく、真っ直ぐ誰にでも優しく出来る良い奴だ!…何が客観的に見てダメな奴だ、お前は俺の憧れた男だ!そのお前が、何も知らない馬鹿共に勝手に決めつけられて、何も言い返せないのが俺には我慢ならねぇんだよ!」
ジャックの声は店内に響き、俺は瞠若唖然としてジャックの目を見ていた。その目は痛い程に真っ直ぐで、俺は胸の奥深くまで熱くなった。
様子を窺いに来た店員へとルイが謝りに行き、そうした中俺は胸の熱を吐くように呟いた。
「…けど、俺、負け犬で…」
「俺にも、他の奴にも勝ってる。リードの野郎もお前をそんな眼で見てねぇ。お前より下の奴らが僻んでそう言ってるだけだ」
「…大会の態度とか、最悪だったし……」
「お前は必死だった。余裕が無くなれば誰だってそうなる。その上でもお前は良い奴だった。他の奴らが自分を棚に上げてんだよ」
「………女誑しのクズで…」
「おうその通りだ反省しやがれこの野郎!…けどな、その誑された女子ってのはお前を恨んでるか?破局ぐらいあったにしても、誰か1人でもお前に人生をぶち壊された奴がいたのか?…いねぇだろ。お前が関係を持った女を蔑ろにする訳がねぇんだ。全員お前に会えて本望だったはずだ。ならお前が非難される謂れはどこにもねぇ。お前は大勢に愛される奴で、それが傷心中で拗れただけだ。だから全部にケリを付けてきた今、お前が無駄に気負う必要なんか全くねぇのさ」
俺は暫し言葉を失ってジャックを見つめた。…しかし不意に、ハハッと上擦った笑い声が出て、「…無茶苦茶だな、お前…」と震えた声で言い返す。ジャックはなおも真っ直ぐに俺の目を見ていた。
ふと視界が滲んできて、俺は見られないように顔を伏せた。その頭上から、今度は優しく元気付けるような声が響いてきた。
「無茶苦茶じゃねぇ、全部本気だ!俺はお前に何があったかとか詳しく知らねぇし、別に訊き出す気もねぇ。完全に蚊帳の外の、外野の人間だ。その俺が、ダチとして連れ添ってきた仲として客観的に言ってやる。…お前は良い奴だ。胸を張って生きていいんだぜ」
ジャックに肩を抱かれ、俺は泣いた。俺の顔を覗くジャックはニッとあの快活な笑みを向け、ペシペシと俺の肩を叩いて力強く慰めた。その内戻ってきたルイも俺の前に立ち、見上げた俺に微笑んで告げた。
「俺らは友達だ。しんどい時はちゃんと言ってくれ。俺達に出来ることなんか少ないし、頼りないのも分かってるけどさ、俺達はお前の力になりたいっていつも思ってるんだよ。だから、少しは俺達も頼ってくれ」
トン、と拳を俺の胸に当て、ルイはジャックと顔を合わせて笑い合った。俺は2人に「ありがとう」と縺れた口調で感謝して、落ち着くまで2人に慰められた。
…耐え忍び、1人で抱えて生きることは、強い人間のやることではない。自分の弱さを知ったからと言って、それを乗り越えようと自分を追い込むのも賢いやり方ではない。…大事なのは、自分と人の弱さを理解して、気の置ける仲間達と支え合うことだった。それぞれが弱くとも、共に心を汲み合って現実に立ち向かっていける。だから俺達は人間なのだ。
俺はいい友達を持った。ジャックにルイに、メーティスもロベリアもいる。手の届かない場所にいても、俺はクリス達を案じていられる。それが分かると俺は今更に、自分が幸せな人間なのだということを理解した。
外食を終えた帰り道、対向して現れた一団に知人達を見つけた。その一団はメーティス、ロベリア、そしてクリスの一行だった。ジャックが声を掛けて引き留めるとクリスは足早に去っていき、メーティスに訳を訊ねると優しく微笑まれた。
「クリス、レムの事情が知りたくて色々訊いてきたんだよ。ちゃんとレムのこと心配してくれてた。…レム、良かったね」
俺はそれに頷いた。細かいことは置いて、素直に嬉しかった。もう会わないと決まっても、心の奥では気に掛けてくれている。立場が変わっても、いつかは顔を見ることが無くなっても、俺達は友達でいられるのだ。
この絆を永遠に…。俺はそう願った。だからこそ俺は、今出来る最大の努力をしたい。自分のためではなく、彼ら、彼女らのための研鑽を決意する。そして、その努力は場所を違えど、遠くからクリスを助けると信じる。
俺は大切な友人達を今度こそ裏切らないと心に決めた。…その決意は、絆は絶対であると、俺は信じて疑わなかった。




