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第41話 怠慢の日々

 薄い朱色の照明に照らされたベッドばかりが大きな部屋で、束の間の就眠から立ち返った俺は隣に眠る女に眼を向けた。暫し無垢に寝息を立てていた彼女は不意にパチクリと瞬きして目を覚まし、「もっとする?」と期待した笑みを浮かべた。

 メーティス以外の女に笑顔など向けられても、もう俺にとってそれは何の喜びにもならなかった。…俺達の関係も関係だ。欲求が満たされた今、身体だけを契った相手など煩わしくしかない。俺は彼女を無視して布団を押し退け、雑に投げてあった服を取りにソファーへと歩いていった。

「終わり?なら私の服も頂戴よ」

 彼女、サーシャ・モルダルは布団に包まれたままベッドから要求した。俺は彼女に背を向けて立って着替えながら、

「自分で取れよ」

「嫌よ、めんどくさい。それに布団の中が暖かいもの」

 ピシャリと拒否されて溜め息を溢し、自分の着替えを中断してサーシャの服を「ほらよ」と投げつけた。サーシャはそれを受け取ると「あら、お優しい」と笑って着替え始めた。

「最近切り上げるのが少し早くない?何かあるの?」

「別に。満足したから帰るだけだ。今だってメーティスが1人で部屋で待ってるんだからな」

「愛しのメーティスさん、ね。未だに彼女さんとはこういうことしないの?」

「やってたらお前らなんかとこんな関係にはならない」

「辛辣ねぇ…。まぁ私はそれでいいけど」

 着替え終わると財布から60アルグ取り出してソファーに置き、「金ここに置いとくぞ」と伝えた。サーシャはモゾモゾと横になったまま着替えつつ、顔を此方に向けて聞いた。

「延長してダラダラしたいからお金もっと頂戴」

「アホ、それだと計算狂う。俺とお前らとで出費が釣り合うようにって言い出したのはお前だろうが。ちゃんと寮に帰って休め」

「ちぇー、はーい」

 悪態の割に楽しそうにしているサーシャを放置し、俺は1人でホテルを後にした。既に陽気と微風が草木を彩る季節を迎え、夜になっても然程寒くはないようだった。

 …俺が過ちを犯すのに時間は掛からなかった。自分でも自分の行動の意味が分からず、しかしやめるにやめられず今なおこうして過ちを繰り返していた。

 メーティスと付き合い始めた頃、クリスに渡すつもりだったネックレスを決別と称して売却し、その金も手元に残したくなく早々にメーティスに貢いだ。それが俺からメーティスへの愛情表現へと定番化し、デートの度にメーティスを甘やかすことで自分を癒す癖がついていた。そのような屈折した愛で方がメーティスへの依存を強固にし、きっとそれは過保護に繋がったのだろう。

 初めはそれでも良かった。所持金は湯水の如く消えたが、匙加減が分かり始めるとスキンシップや扱いだけでも彼女を満足に可愛がれるようになった。その時間は幸せで、例え他人に間違いだと諭されても省みない程にのめり込んでいた。

 もう既に日頃からクリスのことを考える癖は鳴りを潜め、ならば理屈の上では心の問題は解決したように思われた。しかし実際には自分の中で理解出来ない新たな問題が浮上し始め、それはすぐにメーティスとの関係に障害を齎した。

 幾ら彼女で心の表層を癒しても、奥深くに染み込んだ鬱憤やどろどろとした激情は消え去らなかったのだと思う。寧ろそれらは表層の軟化に伴って箍を失い、征服欲、嗜虐欲としてメーティスへ矛先を向けるようになった。俺はこのプラトニックに留まった綿細工のような関係を壊したくも、メーティスを単なる性欲の捌け口にもしたくなかったため、必死でそれを自分の中で消化しようとしたが、異常な程に膨らんだ衝動をどうにも出来なかった。挙げ句メーティスに無理に迫り、泣かせてしまうことまであった。

 そんな折に、突如として俺に近づく女が現れた。それがサーシャだった。身体だけ、と言われた俺は呆気なく過ちを犯し、関係を断とうと持ち掛けるフリをして会っている内に毎週決まった曜日に会うようになった。しかし征服欲は増すばかりで、あろうことか俺はその欲求を女の数で満たそうとした。身体だけの相手は今日で4人にまで増え、当然それはメーティスにもバレていた。

 メーティスは構わないと言った。私が嫌がったのだから自分のせいだ、私のことを大事にしてくれるならそれでいい、と。俺は口先では渋りながらもそれに甘え、全ての関係をなあなあに続けていた。一時期は自分の不可解な思考に葛藤もあったが、メーティスが剰りにも普通に接するのでそれも時間と共に気にしなくなっていた。

 クズと言われても否定しない。それでもこの状況が途切れたら生きていけないという謎めいた強迫観念があり、俺は無我夢中でそうした最低な時間に埋没した。

 …寮に戻り、「ただいま」と部屋のドアを開けると、メーティスが微笑んでお帰りのハグをしてくれる。その感触が温かくて、メーティスに手を出さないために4人と会っているのだという利己的な思考回路に自分を納得させた。俺を否定しそうな知人など俺の方から先に関わりを断ってしまい、面と向かって否定されることは今日まで1度も無いままだった。


 教室では1人だった。ジャック、ルイ、ロベリアも俺と同じAクラスだったが、大会後以来話すことはまず無くなった。メーティスはDクラスだし、クリスとリードはFクラスだが関係無く顔を合わせない。だから休み時間の他、この教室にいなくてはならない間はずっと机に伏して過ごしていた。

 しかし、それらは言う程の苦ではない。1日中戦闘訓練かダンジョン演習をするだけのカリキュラムでは教室にいる時間などHRや演習のための僅かな講義、昼休みの間くらいなものだ。そもそもこの組分け自体、戦闘スタイル(魔法戦士、魔法特化、戦士特化、召喚師…)毎の講義を行うためのものであるため、実質『クラス』としての機能は殆ど無い。昼休みも専らメーティスと過ごす。

 メーティスとの昼休みは昼食を食べさせあったり、膝枕やハグをしたりなどして過ごすことが多いため、ある程度公共の場を借りるスリルを楽しんではいたが人目は少ない場所を選ぶようにしていた。会話少なに甘え合う、こうした子供のじゃれ合いのような付き合いが、俺とメーティスとの時間が例の4人と混同し得ない最たる理由だった。

 メーティスを可愛がって傷を癒し、他の女で膿を出す。その関係と目的の明確化が、今の俺のバランスを保ってくれていた。そうした視点でも、メーティスは俺と周囲との歪な関係を許容し、自分の関係に専念してくれていたように思う。…しかしそれは、全く以てロベリアの思想に相反する関係性と言わざるを得ず、次第に俺達とロベリアとの仲は険悪化していった。

 ロベリアは以前、『俺のためにならない』と告げて俺を拒絶した。しかし、あのまま途方に暮れていたなら俺は今より酷い有り様になっていた自信がある。それにその言葉は現在のみならず以前までのメーティスの姿勢をも否定していた。そうした理由から俺はロベリアと顔を合わせる度に腸が煮えていた。

 メーティスからロベリアに対して負の感情は一先ず無いであろう。しかし、ロベリアはメーティスに言いたいことがあるようで、メーティスを冷たい眼で盗み見ては顔を合わせかけた途端あからさまに顔を背けていた。3人揃うとそれも無くなり、三竦みに背を向けて不干渉になった。ダンジョン演習中も会話が無いため意思の疎通が取れず、同行するパーティに何回となく迷惑を掛けてしまった。その場合は3人揃って平謝りだが、その後はまた険悪なムードに逆戻りしていた。

 …一方、クリス達のパーティは首尾良く絆を深めているらしかった。以前メーティスとのデートの途中、クリス、リード、ミファの3人で買い物に出ているのを眼にしたことがあった。3人は遠慮が先行しているのか明らかにはしゃいでいる訳ではなかったが、居心地は悪くないようで穏やかに笑みを湛えて会話を弾ませたりしていた。

 戦闘訓練やダンジョン演習もクリスとリードの2人でこなしているのを遠目に見掛けるので、その様子が順風満帆であることは承知している。…俺を差し置いて何不自由なく精進しているクリス達を妬むことも少なくなく、それを感じる度に肉体関係へと発散していた。負け犬の末路だ。

 3年期のカリキュラムは月・水・金と戦闘訓練、火・木とダンジョン演習。…定式化した1週間に誰もが学校生活にメリハリを感じなくなり、きっと俺達以外の皆も退屈と苛立ちを覚えているのだろう。始業して数週間で風紀は乱れきり、その風潮のためか俺の女性関係が一部に漏洩しても名指しして詰る外野は現れなかった。

 ただ、時折鉢合わせる知人達の表情が常に優れないのは当然のことであった。それをどうにかしたいと焦る気持ちも無いし、彼らは滅多に俺に話し掛けない。このまま彼らとは縁が切れていくのだろうと悟ったが、今の俺にはメーティスと4人の痴女が世界の全てだった。だから俺も彼らに話し掛けたりしなかった。


 Aクラスの担任はユーリだった。2年期では戦闘訓練の監督を担当していた彼女は、近頃は俺のことを気に掛けて度々声を掛けてくるようになった。

『元気出しなさい!道は1つじゃないんだから!』

『あんたは優等生よ、私は認めてるわ』

『まだまだ先は長いんだから、今だけ見て不貞腐れちゃ損よ!』

 鬱陶しかった。分かった口を利くなと心中で毒づいた。見え透いた同情など罵声に等しいものだ。俺は「どうも」としか返事をせず、顔も合わせないまま彼女から離れるようにしていたが、彼女は飽きもせず俺に同情してきた。

 そんなユーリがLHRにて神妙な顔をして教卓から生徒を1人ずつ見回して、柄にも無くゆっくりと言葉を選んで語り始めた。本日は4月26日、外の世界は今月に入って魔物内で動きがあり討伐軍の調査隊が組まれるなど不穏な情勢へと移り変わっていた。そうした中でのユーリの表情から、恐ろしい話であろうことは生徒から見ても明白だった。

「今日は業務連絡は無いわ。けどその代わりに、あなた達に1つ話しておきたいことがある。カーダ村のことよ。…既に知ってる人もいるとは思うけど、そうでない人は心して聴いてちょうだい」

 ユーリは一拍子置いて本題に入った。…カーダ村というと、ミファの故郷だったのではないだろうか。そう思い返しながら聞いていて、俺は身構えることを忘れていた。

「昨日異変に気づいたパーティが独自に調査して一報を入れてきたの。実際に便りが届いたのは今日の昼過ぎ。事実確認はしなくちゃならないけど、ほぼ確実な情報と考えていいわ。…それによると、カーダ村が全焼したようなの」

 ユーリからの通達に、出身の如何に関わらず生徒達はポカンと呆けていた。突然にも程がある事件に、誰もが現実味を失っているようだ。かく言う俺も昔話を聞かされているような感覚で、実感も湧かないままぼんやりと耳を傾けていた。

「この約1年間、カーダ村からの手紙が殆どアムラハンに届かなくなっていたわ。その時点で異常を察知するべきだった。この全焼の件はおそらく以前から計画された犯行で、状況を見るに裏側には組織的な運動がある。…それが人間によるテロにせよ、魔物が間接的に仕掛けた攻撃であるにせよ、今までとは完全に違う流れへと情勢が変わってきているの。…カーダ村が出身だという生徒には、この場を借りて、…お悔やみ申し上げます。…けど、まず何より私からあなた達に伝えたいのは、あなた達はこの激動の時代で戦っていかなくてはならないルーキーだということよ。あなた達はこれから、それこそ世界の命運を左右する戦いに否応無く深く巻き込まれていく。…そのことを肝に銘じて、今後の訓練に打ち込んでいくようお願いするわ」

 ユーリはそうして1人1人に顔を向けながら鼓舞していく。その視線が俺にも向いた。ユーリは俺と眼が合うと、

「もはや勇者だけでどうにかなる戦いじゃないわ。あなた達それぞれが勇者の力にならなくてはならないの」

 と、明らかに俺を意識したような言い方で士気を促した。…『勇者のパーティでなくとも、勇者の力にはなれる。だからこれからも頑張りなさい』。…そう言われた気がしたが、だから何だ、余計なお世話だと少し苛ついて顔を背けた。


 その日の放課後は、夜の予定のために金を崩そうと外で珈琲を買って飲んだ。紙のカップを手に公園へ赴き、子供達の賑やかな声を聞きながらベンチに腰掛けた。

 今日の相手はイシュルビアだ。…未だに妙な縁だと思うが、大会から少しして彼女の方から俺に話し掛けてきた。あんなことがあったので怖がられているとばかり思っていたが、何故か彼女は俺と話す度に懐いていった。その分関係を結ぶ際には飽くまで肉体関係だと強調していたが、イシュルビアは気にしないどころか寧ろそれを喜んでいた。4人の中でも彼女は際立って変態と言えるだろう。…俺が言えたことじゃねぇな。

 遊具も少ない公園を、子供達は無邪気に走り回って心底楽しそうにしている。純粋…穢れを知らない、無垢な笑い声…。ちびちびと珈琲を飲み進めながら賑わいを眺め、LHRの話を思い返す。

 …ミファは大丈夫だろうか。盛大に罵倒して別れた手前俺が気に掛けるのもおこがましく思うが、心配なものは心配だった。きっとクリスもリードも傍にいるのだから、俺が心配することではないだろうか。…俺からしてやれることなんか、何も無いだろうか。

 空を見上げて息をつき、ベンチに深く背凭れた。空はもう日没で朱色に染まり、俺も珈琲を飲み終えてそろそろ夕食を摂りに戻ろうかと考えていた所だった。しかし、公衆トイレの裏手から子供の怒号と女の子の泣き声が聞こえてきたために、俺はゴミ箱にカップを捨ててそちらに歩み寄っていった。

「おまえみたいのが公園来るからいけないんだぞ!一生家にとじ込もってろ!」

 幼稚な少年の罵声と、ゴツッと骨を蹴ったような音。それから少女のか弱い悲鳴があり、4、5人の笑い声。最初は子供の喧嘩だろうと思っていたが、すぐにリンチだと分かって音を潜めながら足を速めた。俺が駆けつけるまで罵倒は続いていた。

「1年たってもモラシはモラシかよ!くせぇしキモいしサイアクだな!お前がいるとおれ達まで同じに見られるだろ!もう近よってくんなよ!」

「ねぇ赤ちゃん、みんなめいわくしてんの分かんないの?しょんべんもらしが外出ちゃダメよ。早く帰ってお母さんにパンツ替えてもらいなさい。キャハハ!」

 辿り着くと同年代の子供達に囲まれた少女が地面に頭を抱えて丸くなって啜り泣いていた。その子の口角は切れて血を滲ませ、執拗に蹴られていたらしいスカートの下腹部は泥だらけになり、尻の辺りから地面へと濡れ広がっていた。

「おい、クソガキ共」

 唸るように低く作った声を掛けると、囲って笑っていた子供達は一斉に振り返り、忽ち顔色を青白くした。俺は怒りを隠すことなくぶつけながら歩み寄り、子供達は後退りながら膝を笑わせていた。

「その子泣いてんだろ、もうやめろ。それ以上やるってんなら――」

 淡々と告げながら公衆トイレの外壁に近づくと、左手の甲を壁に沿わせ、

「――お前ら、一生笑えなくしてやる」

 子供達を睨みながら全力で壁を打ち壊した。豪快に崩壊した石の壁は、その破片を衝撃で飛ばしボロボロと地面に転がした。子供達は大泣きして絶叫し、洩れなく失禁して走り去っていった。その場に踞ったまま残った少女も、歯をガチガチ鳴らしながら目を見開いて腰を抜かしている。

 …マズった。助けるつもりがリンチされてた子まで怖がらせてしまった。っていうかそうだ、公共物壊してどうすんだよ俺。…腹を立てすぎて周囲を見失っていたようだ。

「…あー…なぁ君、立てるか?」

 今更に表情を柔らかくすることに努めて手を差し伸べるが、少女は余計に身体を震わせて涙を溢すばかりだった。…弱ったな、これじゃあどうにもなりそうにない。

 また同時に、此方に駆けてくる女の足音に気づいた。…やべぇ、これ俺が犯人にされるやつだ。慌てて逃げ出そうとしたが、…何だかどうでもいい気がした。そもそもこんな俺が善人ぶるからこうなるのだ。この際俺は悪役になって駆け付けた女をヒーローに仕立てあげよう。それで信用を勝ち取った女にこの子のことは任せてやって、俺はそのままこの場を立ち去ろう。

 そう心に決めて待ち構え、チンピラ台詞を用意していたが、駆けつけた女の正体が予想外で俺はそれまでの思惑をすっかり忘れてしまった。現れたのはメーティスだった。

「あれ、レム?…さっき子供が泣いて逃げてったんだけど、何か知って……」

 メーティスは目を丸くして俺に訊ねながら、公衆トイレの壁の穴と俺の傍で泣く少女とに交互に眼を移した。少女の風貌を見たメーティスは、俺が何の説明もしなかったにも関わらず、「そっか…」と嬉しそうに微笑んでゆったりと近づいてきた。

 そしてポンと俺の肩に手を置くと、

「お疲れ様、あとは任せて」

 と頷いてから少女の前にしゃがんで目線を合わせていた。少女は緊張を僅かに崩し、赤く腫らした頼りない目でメーティスを見つめた。

「口、怪我してるね。痛くなかった?もう大丈夫だよ。よく頑張ったね。…ね、何があったか私にも教えてくれる?」

 メーティスは優しく声を掛けながら少女を抱き締めて背を擦った。召喚師であるメーティスは自由に人間の腕力へと戻ることが出来る。常時超人の俺に対して、メーティスは人間に触れる際の危険を考慮する必要は無かった。

 召喚師は純粋な心を持つと言うだけあり、少女はメーティスから曇り無い良心を感じ取ったのかすぐにメーティスに心を許した。少女はメーティスを抱き返している内に落ち着いてきて、おずおずと俺の顔を見上げてきた。

「…みんなに…いじめられてて……お兄ちゃんが…来てくれて…」

「…そうなんだ……じゃあ、お兄ちゃんにお礼言わないとねっ!…ほら!」

 メーティスは一層嬉しそうにすると俺を一瞥して少女に笑い掛ける。少女は小さくコクリと頷くと遠慮がちに少しずつ俺に顔を向け、「…あの…ありがとう…」と半ば申し訳なさそうに微笑んだ。

 俺は向かい合っていることに耐えられず背を向けて歩き出した。メーティスがいるなら俺がこれ以上ここにいる必要も無いだろう。後始末をメーティスに押し付けることになってしまうが、どうせ俺がいてもやれることは無い。

「レム!」

 メーティスが俺を呼び止め、俺は背を向けたまま立ち止まった。

「…悪いメーティス、あとは頼むわ。…イシュルビアのとこに行く」

「うん、大丈夫。行っていいよ」

 メーティスは明るい声で答え、俺はまた歩き出す。メーティスは直後呼び止めるでもなく俺に告げた。

「レム、やっぱり優しいね。…変わっちゃったと思ったけど、でも、やっぱりレムは皆に優しいんだよねっ。それが見れて、ちょっと嬉しかった!」

 そんな、検討違いの感想に、俺は振り返って訂正させたくなった。…別に優しくはない。ただミファのことを考えていて、自分にも出来ることがあると思いたくなっただけだ。だから、少女を助けたのは自分のためでしかなかった。

 思えば俺の今までの善行は、殆ど自分のためのものだった。人が笑ってくれていると気持ちがいいから、頼られると嬉しいから、人に好かれたいから、…そうして自分が嬉しくなるために率先して人には優しくしてきた。今までは別にそれでいいと思ってきたが、今ではそれを素直に感謝されることに強い抵抗を感じる。

 きっと、前より随分と卑屈になったのだろう。だからユーリの励ましにも過剰に憤慨するし、今だってこんなどうでもいいことに一々思い悩む。

 漠然としたまま消えてくれない強烈な敗北感が、確実に俺の心を蝕んでいた。

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