第2話 いろんな人が入学する学校
受付の女性の指示でその場に立って待っていたところ、次々に受付に人が集まり、俺は壁に平べったく沿って立たねばならなかった。そうして、待つ人数が俺を含め10人に達すると、廊下の奥から現れた白衣を着た初老の女性が1人1人の名前を確認した後、「案内をしますのでこちらに」と先導した。その瞳は馬車で見た戦士達より弱いながらも、確かに光っていた。
教員室、食堂、講堂、体育館と案内し、渡り廊下を通って寮のロビーへと進んだ。
「皆さんには寮で生活をしていただくことになりますが、卒業後、世界中を旅をするに当たり、男女協力して行動することも踏まえ、本寮では男子寮と女子寮に分けず、生活空間を共にしてもらうことになりますのでご了承下さい」
案内の女性は情緒もなくそう言って寮の案内を始める。
そう、これだ。俺は密かにこれを楽しみにしていたのだ。ここでは女子と一緒に生活が出来る。1つの部屋に最大3人という部屋割りとなり、女子と同室という可能性まであるという。つまり正式に女子とお近づきになれる男にとってはまさに夢のような出会いスポットなのだ。どうしても気持ちが浮わついてしまう。
女子と同室になれるように、と心の中で唱えまくりながら案内を受けていき、一通りの案内を受けロビーに戻ってくると、案内の女性は、
「では、これから皆さんの部屋をお伝えします。鍵も渡すので荷物を持ち込んでください。その後は部屋でアナウンスの指示があるまで待機して頂いて結構です」
と名簿を捲り始めた。発表と共に鍵を受けとり、階段を上がって4階まで行き、412号室に入室した。鍵は開いていたがまだ誰も来てはいないようだったので一足先に部屋の中を詮索してみることにした。
第一印象は、その辺の安い宿の部屋と同じレベル、というところだった。狭い部屋の左右に2段ベッドと、窓際に勉強机があるだけで、目を惹くものは何も無い。小さいシャワールームにトイレが設置されており、脱衣場はない。入り口のすぐ左に洗面所がありそばの棚に6つ程コップが置かれ、タオルがかけられていた。
うん、生活する分には申し分ないよね。寮には食堂も大浴場もあるからね。けどこんな部屋じゃ女子と同室でもムードが無いね。とにかく大人しくしていることにしました。
左の2段ベッドの下段の枕元に鞄を置き、座って放心するも、なかなか人が入ってこない。壁の向こうで女子2人が楽しそうに笑っているような声が聞こえてくる。いよいよ誰も来ないのではないかと思い壁に両手を添え、耳を押し当てて会話を聞き取ろうと集中していると、遠慮がちにカチャッと音をたててドアノブが下がり、金髪の可愛らしい少女が入室した。
素直そうな丸い目が金色に光り、俺を見つめた。しかし1秒と経たずして眼を反らし、右のベッドの下段に移動していく。
おや、可愛い、恥ずかしがり屋なのかな?違うね、知らない男が壁に耳当てて隣の部屋の会話盗聴しようとしてたからだね。やめます。
何事もないように壁から離れベッドの上に座り直す。部屋に重い沈黙が流れ、少女は逃げるように鞄から本を取り出して読み始めた。俺はそれを見て驚き思わず口を呆けさせた。
本というのは基本的に宗教の教えが書き連ねられた物か、架空の物語を綴った物であり、博識家の勉学や貴族の娯楽といったイメージしかないのである。つまり、一般人が好き好んで読むような物ではない。そもそも一般家庭には宗教以外のことを書いた本は存在しない。
俺はそんなつまらないものを熱心に読もうとする神経が理解できず、堪らず声をかけた。
「君は何教?ネシア?アサワノ?」
少女は少し間を開けてページを捲り、顔を上げ訝しそうに見た。
「ネシア。どうして?」
「熱心に本なんか読んでいるからさ」
彼女は俺の意図するところが分かり、元の素直な表情に還り本の表紙をこちらに向けた。茶色い革に刻まれた文字が金箔で埋まっている。
「教導書(宗教の教えを説く書物)じゃないわ。戯曲よ、『青い獣の愛』」
「君は貴族か?」
「違うわ、どうして?」
「娯楽で本を読むのは貴族と決まってるんだよ」
彼女は納得がいかない様子で首を傾げながら本を閉じて鞄にしまった。
「あなたは宗教は?」
「無宗教」
「珍しいわね。今の時代、誰もが宗教を頼りに暮らしているのに」
「親はネシアさ。だが俺は神頼みなんかしたくないんでね」
「それは同感だけど、学ぶべき思想も多いと思うわよ?」
「そうかねぇ」
また、パタリと部屋が静まり、俺達は何をするでもなく座り込んでいる。初対面で話題が少ない上にこの少女自体が会話を好んでいない節があるためだが、今のは俺の返答や言葉選びにも問題があったように思う。
何か言い繕うべきだろうかと思案していると、不意にノックと共に静かにドアが開き、グレーのシャツに膝丈の白いスカートを着た黒い短髪の少女が入室した。
少女は緊張した様子で頬を赤くし、俺と金髪の子とを交互に見て笑顔で会釈した。そして左右の2段ベッドを見上げて、真っ直ぐ俺の前に歩いてきた。
彼女の紫の瞳が俺の目を見ているので、話しかけられると思い顔を上げて待っていると、少女は俺の真上のベッドを指差して、
「ねぇねぇ、悪いけど上の方に移れる?今、スカートだから…」
「…あ、あぁ、はい」
荷物を持って梯子を上り、下のベッドを少女に譲る。少女は「ありがと!」と眩しい笑顔を返して大きな旅行鞄をベッドにパサリと置き、立ったまま俺に声を掛けた。
「私、メーティス!今後ともよろしくね!」
「おー、よろしく。俺、レムリアド」
えいっ、とメーティスは右手を伸ばし、俺が握手を返すとニパッと笑った。…何この子、可愛い。
「レムはどこから来たの?私、ペルシャ」
「俺はユダ村。…ペルシャってどこだっけ?」
「マニ大陸の真ん中んとこだよ。ユダ村は…ここから南西に下りたとこだよね。お互い遠くから来たね!」
元気な子だなぁ。…普段はキーキーうるさい女は嫌いなんだが、この子は全く不快にならないな。頬が弛んでるのが自分でも分かる。
メーティスは握手を終えて手を下ろすとくりくりとした丸い目を金髪の子に向けた。本で顔を隠していたその子も、メーティスと眼を合わせて安心したように微笑んでいた。
「あなたは出身は?…えぇと、名前…」
「クリスティーネよ、よろしくね。…出身はアムラハンよ。他の街には行ったこと無いわね」
「そうなんだ。…じゃあ、私、ここのことよく知らないから色々案内してよ!」
クリスティーネが頷くと、メーティスは嬉しそうに無邪気な笑みを湛えた。そうして早くも打ち解け始めていた俺達へと頭上の壁からくぐもった声が電子音と共に、
『今年度新入生の皆さん、準備が整いましたので、至急1階のロビーにてお集まりください』
アナウンスが終わると急いでベッドから動き始める。梯子を降りる手間のせいで最後に部屋を出たのは俺だったが、2人は部屋の外で待ってくれたので足を揃えてロビーへ降りた。
集まった生徒は体育館に連れていかれ、ステージ前に並ぶ椅子に座るよう指示を受けた。長蛇の列が全て椅子に座り終えるまでに数分は掛かり、その間後ろを振り向いて離れた席から手を振ってくるメーティスに手を振り返してやったり、周囲の女子生徒に眼移りしたりして過ごした。
やはり金がある連中が殆どだからなのか、高貴そうな面構えの生徒ばかりで、どうも自分が場違いな気がしてならない。それと、金持ちの娘は美形というジンクスも真実だという気がしてきた。
そんなことを考えている内に校長と思わしきハゲが入学証書を配布し始め、次々に生徒の名前を読んで壇上にて渡していく。始めて経験する入学式に俺は少し背筋を正した。
生徒1人1人が証書を受け取って戻り、クリスとメーティスの番も終わる。漸く番が回ってきて、俺はむず痒い思いで壇上に上がり、校長が証書を渡すのを待った。
「レムリアド・ベルフラント。本日よりそなたを魔王討伐軍学校の生徒として認めることをここに証す。M68、4月20日」
校長は証書を読み、それを手渡した。俺はそれを高く持ち上げ一礼し、壇を降りて椅子に戻る。
途中、眼が合ったメーティスは小さく手を振って『緊張するね』と口を動かす。俺は笑って頷きつつ椅子に着き、証書を膝の上に置いて式の終わりを待った。
入学式が終わると4人の教師がステージ前に現れ、それぞれ自己紹介を始める。教員らは例の戦士と同じく瞳を光らせている。そういえば校長も目が光っていた。頭が光ってるので印象になかった。まず向かって左から、体格のしっかりした若い男前が一歩前に出て生徒を見回した。
「俺がAクラスの責任者のマイク・ローカルだ。武器講習の授業も受け持つ。以上、よろしく」
そして一歩下がり、右の女が前に出た。眼鏡をかけた無愛想な黒い長髪の若い女性だ。
「Bクラス責任者エラルド・コバインです。黒魔法の授業も担当します。以後よろしくお願いします」
そして次は、先程学校の案内をしてくれた白衣のおばさんだった。
「Cクラス責任者ハイローラン・D・ロッドです。白魔法の授業でも一緒になると思いますのでよろしくお願いします」
次は、長い白髪をオールバックにまとめた爺さんが前に出た。
「Dクラスの責任者バッカイン・バルトホーランです。探査旅行学の授業もやっとります。よろしくお願いします」
そして教師全員が自己紹介を終えると、またマイクが前に出て指示を出す。生徒全員の視線がマイクに集まった。
「これから各教室に移動してもらうが、まずはAクラスからだ。それぞれ担当の先生についていくように。じゃ、Aクラス、起立」
そして、俺を含むAクラスの生徒が立ち上がり、マイクの後ろをついて歩き体育館を出た。クリス、メーティスも同じAクラスだ。どうやら同じクラスの中で同室になるメンバーを決めてあるらしい。
1-Aの教室に着くと、それぞれの机に制服数種、教科書数種、名前を書いた紙が置かれている。その名前にしたがって座ると、俺の席は教室の1番後ろの右から2番目だった。クリスは左から4列目のほぼ真ん中、メーティスは俺の左隣に座る。メーティスは楽しそうに笑って「よろしく!」と身を乗り出して囁いた。…あれ?これもしかしてメーティスルート入ったんじゃね?えっ、初日で?
俺の葛藤を他所にメーティスは前を向き、教卓に両手をついたマイクが教卓に広げた名簿を一瞥した。
「それじゃあ、1人ずつ自己紹介するぞ。窓側から始めて、各列前から後ろの順にやってけ。名前と出身、目指すジョブ、抱負と、後は適当でいい。よし、スタート。ほら、お前から」
1番手は困り顔で立ち上がり、おずおずと自己紹介を始める。その後に続く生徒達の自己紹介を聞き流していると、すぐにクリスの番が回ってきた。そのスラッとした立ち姿に思わず尻を見つめていたが、隣にメーティスがいるのを意識してすぐ顔を伏せた。
「クリスティーネ・L・セントマーカです。出身はアムラハンで、剣士を目指す予定です。この学校で魔王討伐に貢献するための知識を学び、世界を救いたいです」
クリスはそう言いきり座り、すぐ次の生徒が立って自己紹介を始めた。世界を救いたい、とは素晴らしい正義の言葉だが、実際この場において一番無難なコメントであるのは確かだ。クリスに限らず何人かが同じようなことを口走っていた。今のうちに言うことを決めておこう。
その内メーティスに出番が回ってくる。メーティスはスッと立ち上がると明るくハキハキ喋り始めた。
「メーティス・V・テラマーテルです。出身はペルシャです。特に希望するジョブはありませんが、みんなの役に立てるように一生懸命頑張りたいです」
メーティスは裏表の無い素直な口調で終えて席に着く。…この子は天使か何かだろうか?心無しかマイクも優しく微笑んでいるように見える。
俺の列の先頭から続き、それからすぐに俺の番が来た。特に考えてないので適当に済ます。
「レムリアド・ベルフラント、出身はユダで、剣士を目指したいと思います。この学校で魔王討伐に貢献するための知識を学び、世界を救いたいです」
そして着席し、次の列の自己紹介も終わるとマイクは「よし」と頷いて出席簿を閉じた。
「授業は明日からだ。時間割表は各部屋に一枚ずつ持っていくように」
それだけ言うとマイクは時間割表を教卓に置いたまま教室を出ていく。皆机の物を持って立ち、何人かは時間割表を取りに前へ、他の者はそのまま教室の外へ向かう。
俺達の部屋の分はメーティスが取りに出て、何この天使と深く感激しながら俺はメーティスの机の物を持って傍に駆け寄っていった。クリスも同様にメーティスの下へ歩いてきていた。
「あっ、レムありがと!」
「いや、此方こそだよ。…じゃ、部屋に戻るか」
俺が部屋の鍵をポケットから持ち上げて提案すると2人はそれに頷き、かと思えばクリスが時計を見上げて別案を出した。
「もうお昼だし先に食堂へ行ってはどうかしら?荷物は教室の机に置いて、食堂と寮は反対方向なのだからまた部屋に戻る途中で教室に立ち寄ればいいと思うの」
メーティスは「頭いい!」と屈託無く笑って賛成したが、…他の生徒に荷物を取られる可能性とか考えないんだろうか?2人とも危機管理能力が低過ぎる。性格が良過ぎて他人を疑わないのだろうか?…クリスも天使だったようだ。
廊下を歩きながらメーティスとクリスが仲良く横に並んで会話を弾ませ、時折メーティスが自然な流れで俺にも会話を振った。…こんなにいい子、俺見たこと無い。
「クリスは何だかお嬢様って感じね。出身も都会だし」
「アムラハンは都会なの?…レムにも言われたけれど、別に普通の家よ」
「両親は何をしてる人なの?」
「親はいないわ。物心ついた頃にはいなかったの。けど、婆やが世話をしてくれていたから」
「そ、そっか…不躾なこと訊いてごめんね。…私も父子家庭だったから、母親がいないのが気になったかな。他の家と違ってると、ちょっとだけ寂しいよね。…レムはどうだったの?」
と、こうした要領である。俺はクリスの方を気にしながらそれに答えるが、クリスは然して辛い顔でもない。
「俺んとこは普通の家だよ。両親と妹1人とで4人家族。農村だったから一家で畑を切り盛りしてたな」
「へぇ、農家の人かぁ。じゃあ結構体力あるんだね!」
「まぁ、人並みにはな」
メーティスのお蔭で非常に話し易い。入学式初日にしてこんないい子に巡り会えるとは…初めて神を信じる気になった。女運の神ありがとう!
そうこうしている内に食堂へ辿り着き、トレイに食器を取りテーブルにつく。食堂の献立は日によって調理師が決めて作るようで、このシステムを『給食』と言うらしい。
食事が終わると教室を経由して部屋に戻る。ベッドの横の壁が引き戸になっており、中から机になる板が引き出せたり、純粋に物をしまうこともできるので、教室の荷物と合わせて持ち物を全て分別してしまうことにする。
その後はただただのんびり、メーティスが持ってきていたトランプで遊んだ。クリスがトランプを知らないと言うので、メーティスは逐一教えながらババ抜きを始めた。…トランプを知らないって大分珍しいが、…もしかして…友達がいなかったのだろうか…。…い、いや、何も言うまい。
遊んでいる間に夕方になり、3人で夕食、そして入浴を済ませる。…残念ながら入浴は3人一緒ではない。チクショウ!共同生活だと言うのに何故混浴は許されないんだ!管理人考え直せ!
入浴時には部屋から着替えやタオルと共に、巾着のように口に紐と留め具がついた緑色の洗濯網を持ち出す。洗濯網は洗面所の下の物入れからクリスが取り出して配り、留め具下に縫い付けられた白い布にそれぞれ名前を書き込んだ。そして大浴場前のフロアで男女別に別れる。
脱衣場で脱いだ物を洗濯網に入れて口を縛り、洗濯機に放り込む。そして引き戸を開け放って洗い場へ向かい、身体を洗うと湯に浸かりに行く。右を見ても左を見ても湯気の中をうごめく全裸の男達。むさ苦しくて堪らないのでさっさと身体を洗い直して脱衣場に出る。
寝間着に着替えるとすぐ部屋に帰った。流石にまだ2人は戻っていないので、教科書を少し読み進めて時間を潰すことにした。
いつの間にか眠りについていたらしく、目を覚ましたのは深夜1時であり、部屋の灯りは消えていた。耳を済ますと下の方からすうすうと穏やかな寝息が聞こえる。
明日からは勉強三昧の日々だ。どんなことが待っているか想像もつかないが、この2人がついているなら、何とかやっていけそうな気がした。部屋を包む優しい静寂に身を委ね、俺はまた眠りについた。