第35話 交錯する投影
平日、陽が傾いて4時間、武道場を4つとも埋め尽くしてほぼ乱戦と言っても差し支えない乱雑な訓練が行われる。戦闘を行う生徒もそうだが、監督役兼訓練のセッティング役である教員や日雇いの討伐軍兵も慌ただしく武道場を駆け回っていた。お蔭で俺は1日に15回も連続して訓練を受けられるため、非常にありがたくはあるのだが、それ以上に申し訳なくなる。
そんな日々が1ヶ月はとうに過ぎ、気付けば夏休みも後半に差し掛かっている。レベルは10まで上がり、後期に入ったら卒業試験用のゴーレムを相手にやらせてほしいと教員に掛け合ったりなどして、経時に伴い着実に実力を付けていた。
そんな折唐突に、思わぬ誘いが俺の下へと舞い込んだ。それはナイターが終わって解散し、武道場を出た瞬間の邂逅であった。メーティスもロベリアも話しながら寮へ先立っていて、俺は1人で歩いていた所だった。
「やぁ、久しぶり」
後ろから追いついて俺の肩をポンと叩いたのは、女子生徒を背後に2人従えて微笑んだリードだった。その表情は確かに笑っているはずだが、何処か白々しくも感じた。
「おう、お久。んでもって、お疲れさん」
「うん、君も精が出るね」
俺が応答するとフッと笑みに安堵を滲ませ、リードは後ろの2人に視線をやって追い払った。俺はすんなり立ち去っていく彼女らを眼で追って「良かったのか?」と訊ねた。リードは微笑を湛えて「いいさ」とポケットに手を入れた。
「それより、誕生日おめでとう。残念ながら大した物じゃないんだけど…」
リードは手の平大の小箱を取り出すと俺に手渡し、俺がそれを開けるのを淡白に眺めた。中身は男物の香水だった。
「サンキュー。こういう洒落たもんは自分で買わないからな。新鮮だよ」
「そう言ってくれれば助かる。…他の子からは何か貰ったのかい?」
「昼間にな。メーティスとロベリアから貰ったが、…まぁ日用品さ。前と同じハンカチとバスセット。ジャックやルイとは情報交換も兼ねて飯食いに出た。シノアからは、…バースデーカードだけだったな。ま、しょうがないか」
「クリスティーネさんからは、何も無しかい?」
「…まぁな。最近ちょっと微妙でさ、ろくに話さねぇんだよ」
全面的に俺が悪い訳だが。リードは神妙な顔をして「そうか…」と頷くと、少し俯いて何やら思い詰めていた。どうかしたのかとそちらに顔を向けていると、リードは深く息を吸って顔を上げ、俺に眼を合わせて笑い掛けてきた。
「少し話さないかい?場所は何処でもいいんだが」
「あぁ、別にいいぞ。…晩飯はもう食ったから、悪いけど寮のロビーかいつぞやの裏手かだな。時期的に話が長引いても気温は下がらないだろうし、人に聞かれたくないなら裏手の方か?」
「大丈夫、内密にしたいような深刻な話にはしないさ。ただ君と話すなら、個人的に外の方が気楽だね」
「そうか。…なら、例の裏手に」
そう決めて寮への道から逸れていく俺達を、それまで少し後方をミファと共に歩いていたらしいクリスが遠慮しつつ盗み見ていた。クリスは俺が振り向くとパッと前を向いて知らん顔をし、暫く俺がそちらを見ていると恐る恐る眼を合わせてきた。
…クリスに謝らなきゃいけないと、分かってはいるんだが…。
「君には謝らないといけないと思った」
寮の裏の軒下で、リードはポケットをまさぐりながらそう独り言ちた。どういう意味かと首を傾げて隣り合い、互いに壁に凭れていると、リードは取り出した煙草のケース口を差し出して「要るかい?」と笑った。
「じゃあお言葉に甘えて」
ジョークを交え合いケラケラと笑うと、1本取ってジッポを受け取る。風避けを作って咥えた煙草の先にチムニーを寄せるが、何度ウィールを弾いても点火しない。
「おい」
ジッポを顎で指して笑うが、リードは自分の煙草を二指でケースから取りつつ目を丸くして此方を見ていた。…どうやらわざとオイル切れを寄越した訳ではないらしい。リードは俺からジッポを受け取ると数回ほど着火を試みて、3度で漸く成功する。
しかし火はすぐに小さくなり、そのまま音もなく消え去る。食い入るようにそれを見下ろしたリードは、ジッポを持つ手を俺の方へ差し向け、俺は今一度手で覆って煙草を近づけた。
極小の火に煙草を突っ込み、消える前に吸い上げると何とか引火してくれた。白煙を上げて一息つく俺を見たリードはホッとして微笑み、自分の煙草にも着火を試みた。しかし今度はまるで火が点かなかった。
諦めてジッポをポケットにしまったリードに向けて、「火、やるよ」と煙草を揺らしてみせる。リードは驚いたが、神妙な顔をして煙草を咥え直し、二指で支えながら顔を寄せてきた。
俺も同様にして顔を近づけ、煙草の先を合わせて互いに喫む。ボロッと俺の方の吸殻が崩れ落ちるが、ほぼ同時にリードの方にも火が回る。俺達はそれで眼を合わすとすぐに顔を離して壁に凭れた。
「久しく喫まなかったからオイル切れを忘れてたよ。思いつきで動くとこうだな」
「はっ…。ま、面白かったからいいさ。…しかしあれだな、この身体じゃあ喫んでも味も酩酊も無いから、楽しみ8割減って所だ」
「君はあれ以来も喫んでたりしたのかい?少しは様になったじゃないか」
「喫んでたけど、そんなに何か変わったのか?特に喫み方は気にしなかったんだが…」
話しながら夜空を見上げて煙草を呷っていると、また沈黙が伸し掛かった。煙を吹きながらリードの方を向くと、何処か気落ちした様子で俯いた彼は口から離した煙草の火を凝視して発言を渋っていた。…リードが思い悩む顔などその時に初めて見たように思った。
「…君は他の連中とは違うな」
「他の連中?」
「本当は誰でもいい癖に慰められたくて擦り寄ってくる女や、そんなつまらない女の身体を目当てに関わってくる男や、下らないコンプレックスから突っ掛かる輩達さ…」
「そりゃあ、そんな気は確かに微塵も無いが…それが普通だろ」
「それだけじゃない。君は僕に近い物を持ってる。…君は俺に似てる」
リードはそう溢して笑うとまた煙草を口に戻した。その表情は自虐的だった。
「…それが謝りたい理由か?…つーか、謝るって何をよ?別にお前が謝ることなんか何にも無かったろ」
「…これまでのことじゃない。…この先のことさ」
リードは煙を吐いて俺を向くと真剣に続けた。その視線にただならぬものを感じたが、用件は然程大したものに思えなかった。
「僕は今度の試験、必ず勝ち残る。そしてクリスティーネさんと共に旅に出る。…君には申し訳ないけど、僕にはやらなくてはならないことがあるんだ。君を悲しませることになったとしても、僕にはそれしか選べない」
「…それを、謝りたかったのか?……前に言ったろ、恨みっこ無しだって。それに俺だって誰にも負ける気は無い。必ず俺が勝つんだ。お前が相手でも俺は容赦しないし、お前だって俺に手加減してくれなくていい。…万が一それで俺が負けたとして、俺がどうなろうと、お前がそれに引け目を感じる必要は無いんだから」
「話はそう簡単じゃないんだよ、レム。僕から君に伝えられるのはこれだけだが、僕は明確に君を裏切る立場にいるんだ。…いや、そうと言うなら、僕は未来だけでなく過去、現在すらも君を裏切っている。…もう、謝罪なんて意味は無いんだろうな」
リードはそうして申し訳無さそうにするが、その中身を見せようとはしない。俺も俺で、口ではリードを恨まないと言っているが、結局は自分が負ける未来から逃げてしかいない。どちらも虚言を通して本音を語っていたのだと思う。
リードは一息に煙草を喫み切ると、煙を吹き、指先で弾いて煙草を捨てた。その火を爪先で擦り消すリードの足下を見下ろして、口に溜めた煙をポッと吐いて輪を作って見せたが、大して空気は良くならなかった。
「悪いね、レム。意味の無いことに付き合わせてしまって」
「別にいいさ。ただ、お前が言いたくないならそれで構わないけど、俺はお前が謝りたいことが何なのか分からなかったよ。だから許しようも無い。…その上で言わせてもらえば、俺は例の試験でお前に負けたとしても、お前を恨むようなことはしない。逆も然り。俺が勝った場合も、お前さえ気にしないなら今後も仲良くやる気はあるんだ。…それでいいんじゃないか?」
リードは笑って首を振った。
「僕はもう、これっきり君とは無闇に関わらないよ。…結果がどうあれね」
その顔は酷く寂しそうで、絶交と言うには歯切れが悪かった。リードは俺が訊ねるより先に、また被ったような笑顔を浮かべて口を開いた。それ以上踏み込むなと言われた気がして、俺は予ての質問を取り下げた。
「僕はもう帰ることにするけど、君はまだ帰らないかい?」
「あぁ、俺はこれが無くなるまで此処に居るよ。…香水、早速使わせてもらうわ。メーティスが煙草の臭い苦手だからな」
「ああ、それがいいね。……レム、最後に一つ」
そうしてリードは歩き出して背を向けたまま告げた。それは剰りに唐突で重い一言で、俺はそれに返事も出来なかった。
「俺は君に会えて、本当に嬉しかった」
リードの背は寮の入口へと消えていった。俺はポツンとその場に留まってそれを眺め、胸にポッカリと穴が空いた気持ちで空を見上げた。…理屈がどうあれ、友人に絶交されたら気持ちは沈むものだ。彼がどんなつもりであんなことを言ったのか、どうにかして問い詰めてみたい気分だった。
煙草を喫んでも全く気が晴れない。思考が暗くなると色々なことが急激に気に掛かり、それは先月のシノアのことに結び付かせた。…それもまた絶交とは違うものの、関係の断絶に近しい出来事だった。
シノアはメーティスから、進級後の俺達の様子を話して聞かされた。シノアは「はぁ、そうなんですか」と微笑みながら当たり障り無く応答し、つまらなそうな眼をメーティスだけに向けていた。
初めの内はそうでもなく、ある程度穏やかに聞いているようであったが、俺がクリスと旅に出る資格を得るために無理をしていると話題に上がると、シノアは俺を一瞥してフッと冷笑し、それ以降ずっと淡白な反応だった。
……シノアとは改めて友人として付き合ってきたが、それは俺が彼女の恋心を蔑ろにした過去を払拭したことにはなっていない。彼女は俺に好意を抱いてくれていたが、同時に自分を受け入れてくれない俺に憎しみに近しいものを抱えていたに違いなかった。
彼女は俺にこう思うだろう。…『私には資格を得る機会すら無かった。あなたは私よりずっと贅沢な問題で苦労している』、と。
事実そうである。シノアは俺と恋仲になりたがったが、俺が魔人になるとのことで手を引くしかなかった。一方、俺はクリスの傍にいることを望んだが、クリスが伝説の勇者の末裔であるため相応の資格が必要とされ、その資格を手にするために躍起になっている。
彼女の苦悩と俺のそれとは、性質が非常に似通っており、なおかつ俺にはチャンスが用意されていた。…彼女からしてみれば、この話題は俺の姿に自分を重ねて同族嫌悪を催し、同時にその不公平を嘆きたく思ったことだろう。
その日シノアは俺とは一言も口を利かなかった。メーティスがトイレに立つなどすると、戻ってくるまで部屋は静まり返った。最後には、用事があるから、と言って俺達を豪邸から追い出していたが、眼が笑っていなかったので真意はメーティスにも良く分かったと思う。
…最近、益々俺の周りから人が離れていく。俺にはどうするべきか分からなかった。何をすれば全てを元通りに出来るのか、そればかりを考えた。…それとも、もう元になど戻せないのだろうか。
気づくとフィルターまで火が届いた煙草から、吸殻が手の甲にボロリと落ちた。その熱に我に返った俺は、煙草を左手に握り締めて火を消し、月を眺めて寮へ帰る。
部屋に着いた途端に笑って出迎えてくれたメーティスに、堪らず俺は抱きついた。メーティスは困惑し、鼻先を俺の胸に宛がうと「タバコ!」と眉を寄せて俺を叱った。…メーティスとまで疎遠になったらどうにかなってしまいそうだと不安になって、その夜は俺がメーティスの布団に入っていった。
また変わらぬナイターの日々を過ごし、その時間もあっという間に終わりを迎えて学校が始業した。毎日午前は戦闘訓練、午後は魔法演習と、曜日感覚など消え失せる程に変化の乏しい時間割となった。
魔法演習は1週目で炎属性魔法第1種系統と回復魔法、2週目で炎属性魔法第2種系統とステータス強化魔法の使い方と戦闘時の対処法を学び、それらの知識は習得可能な連中から順に戦闘訓練へと組み込み始めていく。
周囲の人間が次々に魔法を使うようになって焦った俺は、遅れを誤魔化すつもりで魔法学の教科書や参考書を読み直し、ジャックやルイからは回復魔法を使う感覚やら、適切なタイミングやら、雑学諸々を訊き出したりしていた。
そしてその3週目に、
「先週までにマリック先生、ユーリ先生により炎属性魔法をご教授いただいたと思うが、今週は俺が担当して氷属性魔法の用途などを説明する。前期に行った診断で氷属性と推測された者は前に出て聞け」
担当指導員はゾルガーロへと移って氷属性魔法が伝授された。厳密には5限目に氷属性魔法、6限目には氷属性無効化魔法を習う週だ。
今回も毎回と同じように、月曜日は魔法学のお復習から始まり、それからゴーレムを相手に魔法未習得の者が1人ずつゾルガーロに倣って魔法を実践していく。回復魔法を習得したロベリアや召喚師であるメーティス、また初めから白魔法しか習得出来ないクリスはローテーションに交ざらず後方で見学していた。彼女らが参加するのは氷属性魔法の対処法を学ぶ段階になってからだ。
「氷属性の初歩、『コールド』は触れた対象を冷気で包み肉体構造を虚弱化する魔法だ。考え方としては、まず対象の全体像を把握した上で触れた箇所から対象全体に掛けて膜で覆う感覚を念頭に入れろ。後のことは脳内に明確な魔法の形としてイメージが浮かび、身体が勝手に実行してくれる。…だが、魔法の使用時には『コールド』とはっきり唱えるように心掛けろ。魔法を使う意思を明確にし、そのイメージを想像のまま終わらせないために必要なことだ。慣れれば唱える必要も無くなるが、見習いのお前達は手本を無視するな。原則に忠実になることが何よりの近道だ」
ゾルガーロがそう言いながらゴーレムの頭に手を置き、その手からゴーレムの全身を霧のような白い冷気が包み、浸透していく。やってみろ、とゾルガーロは下がって生徒に言い渡し、列に並んだ生徒が順番に真似してゴーレムに触れる。
『コールド』を成功させた者から順に列を外れ、失敗の者は推測された属性の如何に関わらず列の後方に戻る。
その内俺の番になって俺もゴーレムの胸に手を置く。腕をしっかり伸ばしてゴーレムを見渡せるようにし、上から下まで見回して一度深呼吸する。そして触れた手を一心に見つめ、手から溢れ出たものがゴーレムの胸に広がっていくのを想像した。
…その内、右手の黒い輪郭が僅かに広がって見えてきて、それが視界一面にぶわっと広がるような感覚に陥る。同時に脳裏には霧のイメージ、右手にはチリチリと針が刺すような痺れにも似た圧力を感じる。これだ!と直感し、急いで俺は「『コールド』!」と唱えた。
その瞬間、視界は元に戻り、右手全体をヒヤリとした冷気が包んだ。その白い冷気は一瞬の内にゴーレムの肌を滑るように流れ出し、その身体を包み込んでいく。そして一辺の穴も無く覆い隠すと、冷気はふわりと朧気に輝き、ゴーレムの肌へと染み込んでいく。手から冷感を受け取らなくなると、俺はバッとゾルガーロを向いた。
「よし、上出来だ。30分になるまで見学していろ。…次の者、前へ」
俺は身体の陰でガッツポーズを取って脇に退き、その後の生徒の挑戦を眺めた。こうして俺は氷属性初級魔法『コールド』を習得し、晴れて魔法剣士の仲間入りを果たした。友人全員が魔法を習得していた中で、それは俺にとって大きく安心に繋がった。
そして10月20日水曜日、遂に試験の日付が通達された。それによると11月27日から各週、土日を利用して1日4試合ずつ試験が行われ、最終試験は終業日の午後に行われることとなるらしい。
教員の事情でローペースの実施ではあるが、それは俺達生徒にとって相手を知れたり作戦を練ったり、またそれに適した戦術を確立する十分な猶予が設けられていると言っても良かった。少なくとも、確実にやり込めたい俺にはこれ以上無い心の余裕だった。
…これで勝てばクリスの仲間になれる。メーティスは無理だと言ったが、俺はメーティスも必ず仲間にするつもりだし、それが可能かに関わらずこの戦いには絶対に勝たなくてはならない。何がどうあれ、まずクリスの仲間になる資格を得なければ何も成すことは出来ないのだから。
努力は裏切らない。誰でも知っている言葉だ。俺はその言葉を信じている。…だから、俺が誰よりも力を尽くせば、全ては上手くいくに決まっているのだ。




