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第1話 何故かすんなり合格しちゃった平民

 失われた記憶の彼方では、俺は何者だったのだろうか…?

 目覚めてから6年の間、俺はありふれた農民の生活を送り、自分を特別と思ったことなど1度として無い。しかし、両親は俺が世界を救うなどと本気で信じている。高が占い師の予言だというのに、両親は村を上げて俺を英雄にしようとしたのだ。

 親父に誘われるままに都に来たが、俺なんかに務まる試練ではないことは明白だった。どうせ失格して元の生活に戻るだけだと、俺はそう高を括っていた。


 入学試験の初日、秋風が窓を叩く中イーグル語の書き取り試験が行われた。内容は簡単なもので、読み上げられた文字、または例文をそのまま用紙に書き取るだけである。

 まともな家で暮らしてさえいれば誰でも身に付けている最低限の教養だが、案外今の時世でも文字が書けない子供はいるらしい。…しかし、ここ…魔王討伐軍学校への入学費を用意できる程度の家庭であればまず教養はあるはずなので、初めから全員通過出来る試験とも言える。本来は貴族だけが入学する学校のはずだったのだから学校側も失格など念頭に無いだろう。

 最初は俺も一斉に試験会場を充たしたペンと紙の摩り音に肝を冷やしたが、途中からは何も気にせず、何なら口笛を吹いてもいい心地で試験に挑んでいた。終始鋭い風が窓を叩いていたが、窓際の受験生以外には何の障害にもならない。窓際の人はドンマイ。

 試験官は銀眼鏡のいけすかない男であり、何処か見下すようなその態度に苛ついた俺は対抗意識を燃やした。


 2日目、またも同じ試験官がついて体力試験が行われる。反復横跳びや腕立て、腹筋などと続くが、そこでも俺は試験官に対抗して全力を出した。元々入学したい訳でも何でもないが、売られた喧嘩は買わねばなるまい。…勝手に買っただけだけど。

 農家の息子という身体的アドバンテージにより、これは難無く標準以上のスコアを叩き出す。…しかし、後に知ることになる話によれば、体力試験は健常者として最低限の運動能力があるとさえ判断されればそれで問題ないのだ。つまり、ここで頑張った俺の熱意は全くの無駄である。


 3日目、面接が行われる。ここでは温厚な渋いおっさんが担当し、その横にシスターのような格好をした女性が座って何かメモしていた。

 この面接でも前日の試験官がいたなら、俺は何かやらかしたかもしれない。…別に無理して合格するつもりもないので、結局応答は適当だった訳だが。

「じゃあ、まずは軽く自己紹介と…長所や短所、それから自己PRを一つ」

「はい、レムリアド・ベルフラントと申します。実家では畑仕事や家事の手伝いをして暮らしています。趣味…はこれと言ってないですが、虫取りやら魚釣りやらとアクティブな遊びばかりして過ごしてました。長所は、人に言わせれば気配りが出来て元気がいいらしいです。自分としては特に考えず行動しているんですけど…。短所は、物覚えが悪いくらいです。…いや、そこは努力とか友情とかでカバー出来るんですけどね。……自己PRッスか。…あ~、………」

 すっごーい、何も浮かばない!

「…畑仕事の時、各野菜の栽培時期を考えて当たるので、割と計画立てて物事に取り組む癖はあります。…あと、中腰での作業が多いので忍耐力も自信あります。…以上ッス」

「なるほど」

 ダメみたいですね(確信)。

「じゃあ次に、ここへの入学を志望する理由を述べてくれ」

 直ぐ様新たな質問が襲い掛かるが、これにも焦ること無く対処した。…というか、もう何も考えないことにした。

「昨今の魔物による被害の増加に、村の人達は怯えるばかりです。…俺…いや、私はこの現状を何としても打破して、村の人達に笑っていてもらいたいんです。そのためなら、自分から動くことも已む無しと思い、こうしてその戦いに加わることを志願しました」

 口から出任せでゴザル。…実際は親に無理やり試験を受けさせられただけ。志すものも何も無い。その後も幾つか質疑応答が続き、試験官の2人は顔を見合わせて頷くと、俺に顔を向けて合否を切り出した。シスター姿の人が口を開く。

「ありがとうございました、レムリアド・ベルフラントさん。…結果を発表します」

「あっ、はい」

「合格です。明日、保護者の方と面談を行いますので、昇降口で申告してパンフレットを手に気をつけてお帰りください」

 …What?耳を疑って、俺は彼女に訊き直した。

「すいません耳が壊れてました。…失格ですよね?」

「いえ、合格です。イーグル語試験、体力試験、そして面接試験…全てを通過しています」

 うっそだろお前!

 俺は驚愕のあまり言葉を失い、しかし次の面接者のためにその場を去らなくてはならなかった。こうして俺の入学が決定したのだが、…この学校まともな人材を取る気は無いんだろうか?


「ただいま帰ったぞぉ!」

 ユダ村の我が家に帰り着くや、上機嫌な親父は大声で帰投を告げた。俺はその後ろで長旅の疲れに打ち拉がれ、「ただいまぁ~」と小声で呟いた。

「あら、お帰りなさい。どうでしたか?」

 お袋は家事を中断して親父に笑い掛け、親父は愉快に笑って頷いた。

「あぁ、合格だ!こりゃあ占い婆さんの予言も当たりかもしれん!…よしっ、母さん!村の奴らに報せに行くぞ!今夜は祝賀会だ!」

 親父ははしゃいでお袋を連れ出していった。俺は旅の荷物を居間の端に放って大の字に仰向いた。久しぶりの長閑な空気を大きく吸い込んで、息衝いた胸の萎みを見下ろしていると傍に足音が近づいてくる。

 水色の長髪を揺らし、胸に大きなリボンのついた薄浅葱の短いワンピースを身につけて、両手を後ろで組んだ2つ下のフローニアが腰を折って俺を覗き込んだ。…頭上に立たれると、裾から下着が見えそうになるので兄としては眼のやり場に困って仕方ない。

「お帰り、兄さん」

「んー、ただいま」

「どうだったの、試験」

「合格だってさ。…半年もしたらアムラハンに行くよ」

「…そうなの」

 フローニア、通称フルは俺を見下ろして寂しそうに目を細め、身体を真っ直ぐに伸ばすと深く息を吸った。

「…でも、時々は帰ってくるのよね?…もう戻らないなんてこと、ないのよね?」

「あぁ、それはまぁ…。出来るだけ帰るようにはしたいと思ってるけど…」

 返事しつつも、俺の視線は太腿の奥、灰色の水玉模様に奪われる。不可抗力だ。俺は悪くねぇ!

「兄さんはやんちゃだから、妹として心配なの。…絶対に毎年帰ってよね」

「毎年は…どうだろうな…。まぁ、善処する…よ…っと…」

 フルが1歩後退るので、それに従って俺も身体を伸ばして視線を追いつかせる。フルはムッと頬を膨らませて俺の頭を蹴り飛ばし、俺は激痛に頭を抱えて縮こまった。

「…ぐおぉ~、つ、旋毛が…!」

「兄さんのバカ。人が折角心配してあげたのに…はぁ、もういい。知らない。じゃあね」

 フルは小走りに去っていき、俺はその後ろ姿を見送って頭から手を離した。そして天井を見つめて溜め息を一つ衝く。

「…毎年、ね。……無理だな…」

 …魔王討伐軍、それは軍とは名ばかりで、少数パーティに別れて世界を廻り、魔物を退けつつ魔王討伐の糸口を各自で調査する組織。街の警護や取り締まりを務める一般の軍人より圧倒的に危険が多い。下手をすれば学校を卒業してすぐに命を落とすこともある程だ。

 …そんな中で逐一実家に戻るなど、自ら危険を増やすだけだし、時間の浪費になる。おそらく入学後、ここに帰ることは殆ど無くなるだろう。フルの要望には応えられない。

 俺はその晩の、近所住民総掛かりの入学祝いに顔を出すまでの時間、呆然と天井を見て過ごした。


 祝い疲れた親父をフルと2人で家まで運び、諸々済んで就寝していると、夜中に突然ドアが開いてガサゴソと俺の布団に幼い身体が潜り込む。それは俺の隣に横になると、身体が触れないように少し離れて静止した。

「…どうかしたか?」

 俺が目を開けて訊ねると、侵入者のフルは何も言わず背を向けた。13歳にもなってこうも甘えられると、このまま大人になって大丈夫なのかと心配になる。…俺がいなくなった後、フルはちゃんとやっていけるのだろうか?

「…今日は寒いもんな。…子守唄でも歌おうか?」

 いつもなら「子供扱いしないで」と怒るのだが、フルは暫く何も言わなかった。そして俺が頭を撫でてやっていると、ポソッと小さくフルが溢した。

「…何で、お父さん達に嫌だって言わないの?」

 俺は思わず手を止めた。フルは背中を丸めて立て続けに、

「何で、文句1つ言わないの?」

「…別に、文句なんか無いからな。このままずっと農村暮らしじゃ面白くないし、親父もお袋も、今日まで俺を大切に育ててくれてたからさ。…記憶喪失でどこの誰とも分からないような俺を、この家に迎え入れてくれた。…だから、恩返しも兼ねてだよ」

「嘘でしょ。…断る勇気が無いんでしょ。…だから、何でもかんでもホイホイ引き受けちゃうんじゃないの?…妹の私を拒絶しないのだって、私を傷つけたくないからなんでしょ?」

 フルは震えた声で乱暴に告げると、身を固くして震えていた。強張って竦められた両肩を抱いて、俺は背後から笑い掛けた。

「嘘じゃねぇよ。…ほら、よく考えてみろよ。世界中を廻るんだぜ?それこそ何年、何十年とな。当然いろんな出会いがあるさ。ひょっとすると俺の好みを的確に突いたグラマラスな美女なんかとお近づきになったりな」

「兄さん、稀代の女好きだものね。盛り過ぎて女の人も寄り付かないくらい」

「るせぇ!…とにかくだ、俺は嫌なら嫌だときっぱり断るし、何の問題も無い。お前に頼られるのだって光栄だと思ってるしな。何も気にすることねぇよ」

 フルは少し振り返って、そう、と素っ気なく頷くとそのまま俺に身体を向けた。…そこから先は覚えていない。寝惚けながら会話していたせいだろうか?翌日からのフルはいつも通りに過ごしていた。


 身体作りと称して畑仕事を押し付けられる毎日もあっという間に過ぎ去って、とうとう季節は春に移る。アムラハンへの馬車を前に、町中の人に見守られてお袋と妹に挨拶した。親父は俺の後ろで荷物を持ってそれを眺める。

「じゃ、行ってくるわ。…お袋、俺がいなくなるからって間食増やすなよ?次会った時今よりふっくらしてたら盛大に笑うからな」

「余計なお世話だよ。あんたこそ、身体に気をつけなよ。お金は父さんが銀行に預けてくれるからね。毎月決まった額以上は使うんじゃないよ」

「おう、任せとけ」

 お袋とはそれだけ話し、次に皆の視線がフルに注がれる。俺もフルを見ると、途端にフルは俺に正面から抱き着いてきた。俺もそれに抱き返すが、会話は無い。

 そのまま静かに身体を離すと、フルは泣き出しそうに瞳を潤ませて俺を見つめていた。馬車が出発の準備を整えたので、「またな」と笑うとそれきりで背を向けて親父と共に馬車へ乗り込んだ。

 フルはお袋に後ろから抱き締められながら俺を見つめ、無言のまま立ち尽くす。そして馬車が出て遠くなっていくと、何か叫びながら両腕を大きく振っていた。その声は届かないが、俺も徐々に遠退くフルに向けて馬車から乗り出して手を振って別れた。


 途中の道で大雨が降り、気味の悪い湿度の中で3人分の椅子を独占して寝転んでいると、「魔物だ!魔物が出たぞ!」と慌てふためく馭者の声に飛び起き、馬車から親父と2人顔を出して外の様子を見た。脳を裏側から叩くような頭痛を感じ、一瞬意識を失いかけるが、何とか気を保つ。

 同乗していた6人の戦士が草原に降り立ち、その視線の先、5体の魔物が馬車の正面から駆けて来る。戦士は男4人、女2人のパーティであり、それぞれが別々の格好をしていた。或いはマント、或いは鎧、また或いは杖、或いは弓といった装備で構えている。しかし、眼を惹いた特徴はその格好ではなく、人の目とは思えない灯りのように光る瞳であった。彼ら戦士のそれはまるで夜に見る猫の目のように発光していた。

 魔物は、全て同じ種類の様で見た目は酷似している。鋭い角を3つ携えた黒く巨大なサイが、それぞれ思い思いの布を身体に巻き付け、所々に何らかの装飾品を光らせている。巻き付けられた布は、まるで人間が服を着るのを真似たような印象を醸していた。そして数秒後、戦士達が一斉に駆け出し、戦闘が始まった。

 火の玉が飛び交い、地が凍り、武器が魔物にぶつかる度に火花や血が散る。魔物も戦士も傷を負い、地面が赤く染まり広がっていく。1体、1体と魔物が倒れ、動かなくなっていく。最後の1体が倒れ、戦士達が勝利の歓声を上げた。皆、どう見ても重症と思われる傷を受けていたにも関わらず、痛みなど無いかの様子で猛々しく笑っていた。

 その様子に俺は頼もしさと恐ろしさを感じて口を噤んでいたが、親父はその光景を見届けた後、

「お前もしっかり学んで、あの人達のように強くなるんだぞ」

 馬車が走り出してからも、俺はじっと固まったまま馬車の壁に寄りかかっていた。数日掛かってアムラハンへ辿り着き、その日の宿を取って少しの時間アムラハンの観光をして休む。観光と言っても、大して観るものは無い上、これから3年俺はこの都に住むことになるのだから俺にはまるで意味の無いことだったが、親父が満足いくまで付き合った。


 その日の夜、俺も親父もベッドに横たわり、部屋の灯りを消して数分経った頃、親父が横になったまま寝具を揺らして俺を向き、「起きてるか」と声をかけた。

「起きてるよ。何?」

「明日からアカデミーに入学する訳だ。次に会うのは3年後だな」

 アカデミーには毎年の前後期の分かれ目に2ヶ月の休暇があるが、馬車の手配には大金を積まねばならないため休暇を利用して帰郷することができない。明日の朝には親父は帰ってしまうので、それ以降は少なくとも3年は会わないことになる。

 暑さにシーツを蹴飛ばして窓の外の星空を眺めて答える。

「卒業してもあんな田舎村まで仲間を引き連れて行くことはないだろうから、3年以上は帰らないだろうな」

「いや、必ず帰ってこい。お前と旅をする仲間なら挨拶はしなくてはならん。お前の命を預ける人達なんだからな」

「そうかよ、まぁ了解」

 それで会話は終わり、俺達はすぐに眠りについた。


 翌朝、伝えておいた時間に宿屋の女将が部屋を訪れ俺達を起こした。朝食後、俺は身支度を済ませると荷物を抱えて親父と共にアカデミーの校舎へ向かった。相変わらず要塞のような石造りの校舎に気後れしつつ、昇降口に机を並べて座る2人の受付の女性の前に進んだ。

「お名前お願いします」

「今年度入学の、レムリアド・ベルフラントです」

 左の女性が対応し、俺が告げた名前を名簿から探しだし、ペンで何か印を書き込むと、次に親父に眼をやり、

「入学料200クルドお支払願います」

 親父は右手に持っていた革のバッグを差し出し、女性はその中身の札束を手に持って数え始める。1クルドが1000アルグ、俺の1月の小遣いが200アルグだから、何年貯めたらこの値段になるのだろう、とぼんやり計算している内に親父は契約書にサインを終え、俺に改まって向かった。

「父さんはこれで帰るぞ。頑張れよ、レム」

「おう、任せろ。じゃあな」

 親父は手を振って去っていき、俺はそれを小さく手で振り返しつつ見送った。他にも同じ年の子供がいるので大きく手を振って別れるマネはできなかった。

 新しい生活への不安と親父の背を振り切るため、俺は深呼吸して前を向いた。

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