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第27話 青い風の天使

 その晩、ベッドに寝転んで借りてきた戦術指南書を耽読していると、「ねぇ、レム?」と勉強机の方からクリスの声が掛かった。一度そちらを向くがベッドからは見えないので指南書に眼を戻し「何だ?」と返事する。

「その、日曜日出掛ける予定が立っているのだけど、レムも一緒に来ないかしら?…気が乗らないなら無理にとは言わないけど」

「何処に行くかに依る。…セスに会いに行くとかなら行かない」

「いえ、…ミファリーと遊びに行くことになったの。…昼休みに教室に行って話していて…。…メーティスも行くけど、あなたはどうしたい?」

 正直を言うとあまり気乗りしていない。だが、訓練中の失敗(あんなこと)でいつまでも機嫌を損ねていてはクリスやメーティス達にも申し訳なかった。遊びに行って気分転換し、クリス達にも明るい姿を見せてやれればそれが1番だと思った。

「まぁ、一緒に行くよ。今月はまだ金もそこまで減ってないしな」

「…そう、分かったわ。…外食するから正午に出ることになるけど、何時までどうして過ごすかはまだ決まっていないの。ミファリーと食事しながら決めようと思うのだけど、それでもいいなら…」

「あぁ、大丈夫だ。単に遊ぶんならスケジュール立てずに行ってワイワイ決めるのも楽しいだろうしな」

 その後、一瞬の静寂があって「分かったわ」と返る。俺はクリスをこれ以上煩わせてはならないと自戒した。


 そして約束の日曜日、寮のロビーで待っていると、白いパーカーに赤ボーダー柄のスカートを履いたミファリーが嬉しそうに笑って階段から駆けてきた。俺達も私服で来ていたが、それぞれの服装を眺めているとミファリーの格好が最も幼く見えた。

 クリスとメーティスは訪れたミファリーの前へと近づいていき、壁に凭れていた俺も後から彼女に歩み寄っていった。

「今日は誘ってくれてありがとうございます!それで、お昼はどこで食べるんですか?」

「ハンバーグが食べたいと言っていたから、そちらをメインに扱っているファミリーレストランに予約を入れておいたわ。一応ピザやカレーライスなどもあるようだから、好きに選んでくれて構わないわよ」

「わぁ…!…ありがとうございます!」

 クリスの返答にミファリーはピョンピョンと跳ねる勢いで肩を上下させて喜び、クリス達は愛しそうに微笑んでミファリーの両側に並んだ。そして寮の外へと歩き出し、俺は3人の後ろを少し離れて歩いた。楽しそうに会話している所に割って入りたくはない。

「あっ、でも、皆さんは大丈夫なんですか?嫌いなものとかあったら…」

「私も2人も苦手な食べ物は無かったはずだから」

「へぇ…、みなさん大人ですねっ。私、苦いのダメなんですっ」

 ミファリーは目を丸くして感心し俺達を見回す。…多分それ俺達が大人なんじゃなくて君が子供なだけだと思うよ。

 ふと俺と眼が合ったミファリーは、仔猫のようにクリクリと見開いた目で俺の立ち位置を見て不思議そうに首を傾げ、その表情にセスの姿を重ねた俺はつい口を開いていた。

「ミファリー、俺のこと覚えてるか?」

「え?…はい、えっと、レムリアド先輩ですよね?」

 ミファリーは不安そうに見つめて答え、俺が頷くと胸を撫で下ろして忽ち得意そうに後の2人を交互に見た。

「こっちがクリスティーネ先輩、…こっちが………」

 クリスの次にメーティスを見たミファリーが言葉につかえ、メーティスと2人でじーっと見つめ合う。その横顔を比べて見るとまさに仔猫と仔犬と云うような印象を受けて笑い出しそうになった。

 暫くそうして無言で眼を合わせていたが、次第にミファリーは焦り始めて眼を泳がし、メーティスは口パクでヒントを出し始めた。『メ』と数回見せられて漸くミファリーも名前を思い出し、余程嬉しかったのかピッと人差し指を立てて、

「メーティス先輩!」

 メーティスは「大正解!」とミファリーに抱き着いた。クリスは楽しそうにじゃれている2人を眺めて微笑むと一瞬俺の方を盗み見た。しかし俺が眼を合わせる前にミファリーを向き、ミファリーはメーティスに解放されるとまた俺達を見回した。

「何だかみなさん名前が長くてかっこいいですねっ。ちょっと羨ましいです」

 ミファリー自身は何気無い言葉だったであろうが、先程メーティスの名前を即座に言えなかったこともあって自然と、

「呼ぶの大変でしょ?あだ名で呼ぶといいよ」

 とメーティスが助言していた。ミファリーはまた少し首を傾げたが、構わずメーティスはクリスの方を指して続けた。

「ほら、クリスティーネはクリス。レムリアドはレムってさ。縮めて呼べば楽だと思うよ!」

 そのまま俺の方も指差して告げたメーティスに、ミファリーはオウム返しのように「クリス先輩」「レム先輩」と俺達を見てから、またメーティスを向いて困った顔をした。

「メーティス先輩は…メーティ先輩?…メー…先輩?……?」

 疑問符の度に傾首が深くなるので面白かった。メーティスもそれに吹き出して、「無理に縮めなくていいよ!」とその頭を撫でていた。

「じゃあ、いいのが思い付くまでメーティス先輩にします」

「そうだねっ、そうしてよ。…多分その2つ以外だと『メ』か、『メート』しか無い気もするけど。…まぁ、『メーティス』で。じゃあ、私達は『ミファ』って呼んでいい?」

「あっ、それ家族にも呼ばれてます!はい、ミファって呼んでください。私もそっちの方が呼ばれ慣れてますし」

「了解っ!よろしくね、ミファ!」

 ミファは呼ばれると嬉しそうに笑顔を輝かせて、

「クリス先輩っ」

「えぇ、ミファ」

「レム先輩っ」

「ん、ミファ」

 と暫く呼び名合戦みたいなことをして喜んでいた。俺は入学当初はメーティスを天使と言っていたが、今目の前にいるこの子こそそう呼ぶに相応しい人物なのではないだろうか。天真爛漫ながらも言動に微風のようなもの柔らかさを感じさせ、庇護欲を掻き立てる彼女の姿は、まさしく癒しの化身だった。

「レム先輩っ」

 2周目が来たので試しに「天使」と呼んでみると、ミファはキョトンと目を丸くした。クリス達も驚いていたが、すぐ俺に同調してミファを可愛がり始めた。


 レストランでは全員ミファに合わせてハンバーグを食べた(そうじゃなくても味覚が薄いので味が濃いものを食べたいのだが)。俺はエッグバーグの500g、クリスはレギュラーの250g、メーティスはパインバーグの500g、ミファはチーズインハンバーグの250g。…オーダーの嗜好にそれぞれの性格が現れているようで少し面白かった。

 結局最後まで食べきれなかったメーティスとミファのハンバーグは代わりに俺が食べることとなる。2人と間接キスとか…いやキモいな、やめよう。

「先輩達はどんな事情で入学を決めたんですか?特に、メーティス先輩とレム先輩は結構遠くから来たんですよね?私はカーダ村出身だからアムラハンとはそう遠くなかったですし、入学した理由も、村のみんなが幸せに暮らせるようにしたかったから、と大したものではないんですが…」

 3人はガールズトークを楽しんでいたのだが、不意にミファのその質問で答えるまで間が空いた。俺はそれまで割って入るのも無粋だと思って残飯処理に徹していたが、その間が長く感じたので水を飲んで口を開いた。

「俺は、討伐軍に入った方がいいって予言されたからだな。…俺って小さい頃に記憶喪失になってな、それで今の家に拾われて養子に迎えてもらったんだよ。それで、過去のことが少しでも判明しないかと占いを受けたんだ。そこで受けた予言が、『世界を救う者を導く』だった。それで、その予言を聞いた村人が大喜びで金を工面して無理やり俺を入学させたわけなんだ」

「へぇ…何かすごいですね…。『世界を救う者』って…勇者さんのことかな?…けど、記憶喪失…。…ひょっとするとレム先輩、実は記憶喪失前は何か特別な人だったかもしれませんね!私、そういうの本で読んだことあります!」

「いや、流石にフィクションと重ねられてもな…」

 話している内にウキウキし始めたミファに、俺は呆れたフリをして苦笑いしながらも気分は頗る良かった。最近気が弱くなっていたから、顔色を見ないで純粋に自分を肯定してくれるミファの姿勢が嬉しかったのだ。

 続いてメーティスが口を開き、ミファがそちらを向くと俺もメーティスを見て聞いた。ただ、途中から食事中だったのを思い出して再度ハンバーグに手をつけた。

「私は何でもいいから自分の人生を見つけたくて。私の家研究者の家系で、10歳の頃からお父様の助手をさせてもらってたんだけど、これから先もずっとこうして過ごすんだって思うとあんまりいい気持ちがしなかったから。討伐軍に入って世の中の役に立ちたいって言ったらお父様も泣いて喜んでくれたし。勉強浸けの日々も懲り懲りだったしね」

「そうなんですか…。研究者って、どんなことを研究するんですか?」

「ん?…んー、えっとね、…私のお父様は古代文明の解析が主な仕事だったんだけど、私が手伝わせてもらったのはそれらに関連した現代文化の考察についてとかだよ。私が1番のめり込んだのは『日常言語と社会思想の因果関係』における考察かな。まず現在主流とされているイーグル語がパンジャの古代語をルーツにしていること、それから現代の文化的、社会的な問題の多くが古代パンジャの歴史上でも頻繁に繰り返されてきたことを指摘して、その問題から着想した社会思想が実際にイーグル語の文法とどのように関連しているのかを述べて行くの。因みにイーグル語に関わらず現代文化の多くのものが古代パンジャの文明に深く根付いているんだけど、そもそも何故パンジャなのかっていうと話は魔物の発生に遡るんだよね。パンジャがある位置は島国のとある港を中心とした複数地域に当たるんだけど、あの島にはパンジャ以外の町が無いから馬車の利用どころか一般人がフィールドに出ることすら無いの。だからパンジャは世界中を見ても最も魔物への危機感が無い場所で――」

 途中から何言ってんのか分かんなくなった。頭壊れりゅー!

「…あの、メーティス?…ミファもレムも目が点になっているし、そのくらいでやめておいた方がいいと思うわ…」

「あ、ごめんっ!つい熱が入っちゃって…!…えっと、あっ、じゃあ次、クリスの番だよね。はい、どーぞ」

 メーティスはポカンと口を開けているミファを見て恥ずかしそうに頭を掻くとバッと勢い良くクリスに手を指した。クリスは若干始め辛そうに頷き、ミファを見つめて咳払いすると話し始めた。…っていうかメーティス、そんなに研究が好きならその道でやって行けたんじゃないのか?…好きなのと継続出来るかは別の話か?

「私は、志半ばに亡くなったある人のために、その意思を継いで世界を救いたいという気持ちで入学したわ。今では違う理由で討伐軍を目指しているけど」

「違う理由、ですか?」

「ええ。…勇者の子孫としての責任があることが最大の理由になったわ」

 ミファは首を傾げて俺を見たので、俺は、

「クリスは伝説の勇者の子孫なんだよ」

 と口添えした。ミファは目を丸くしてクリスに顔を戻して、

「わぁ、すごい!偉い人だ!」

 と声を上げた。…偉い人とは初めて聞く表現だが、実にミファらしい物言いだなと頬が弛んだ。だが、クリスの表情には段々と鬼気迫る何かが宿り始め、睨むようなその視線にミファは少し怯えて顔色を青くした。

 そこへ店員が傍を通りかかり、メーティスが呼び止めて珈琲を追加オーダーしたので、それに便乗して俺も珈琲を頼む。ミファは店員とクリスとを見比べると、続けて許可を請うような視線をクリスに向けた。クリスはそれに気が付くとハッと我に返って首を振り、笑顔を湛えて店員を向いた。

「私も珈琲を1つ。…ミファは何か要るかしら?」

「あっ…えっと、ミルク…」

 ミファは緊張が抜けない様子でボソボソと答え、店員は承知するとオーダーを確認して去っていった。テーブルが静まり返り、空気の悪化を感じたクリスは「ごめんなさい」と謝った。

 返事に困ったので皆黙っていると、クリスはミファに先程の視線の訳を語り出した。俺とメーティスは顔を合わせ、口出ししてはならないと共通の意向を確かめ合った。

「私、あなたに何か特別な絆を感じるの。…校門の前で鉢合わせた時、初対面にも関わらずあなたに家族のような不思議な縁を感じた。…誰かを通じて知り合うでも、事前にあなたのことを誰かから聞いたりした訳でも無いのに、全く知らない相手だったあなたを家族と思ったのよ」

 ミファは驚いて聞いていたが、その口からは思いもよらない言葉が出た。

「私も、クリス先輩とは初めて会った気はしませんでした。…他の人とは違うなって、私も不思議に思ってました」

 相手がミファでなければ、それがただクリスに調子を合わせただけのことだと断ずることが出来ただろう。しかし、それを答えたのはミファだ。ここまで純粋で正直だったミファの言葉だ。その表情にも取り繕う姿勢は見て取れず、クリスと同じくその不可思議な絆を確信しているようであった。

「私は伝説の勇者の末裔。私の自信や力量とは関係無く、私は間違いなく特別な存在なのだと自負しているわ。…その私が、どうしてこんなにもあなたに執着してしまうのか。それが今日、漠然と分かった気がするの」

「…私が…ですか?…でも、私、別に普通の人ですし…。入学する前だって、家の手伝いと牛や鶏の世話しかしてなかったですよ…?」

「あなた、召喚師の素質があるわ。それも、多分他の比ではない程に。…伝説の勇者は、聖なる巫女ソプラ・ネシアド…つまりは召喚師を連れて旅をしていた。…もしあなたがソプラと何か関係がある人物なのだとしたら…」

「そんな…いや、でも、まさかそんな……」

「家系については何か聞かされてない?…もし血縁だとしたら直接言われずとも仄めかされたことはあったのではないかと思うのだけど…」

「い、いえ、…その、私、レム先輩と同じで小さい頃に拾われた子なので…。両親も、何も……」

 ミファは俯いて唇を結び、必死で状況を纏めていた。クリスは性急と省みたのか深呼吸して佇まいを正し、じっとミファを見守った。

 …剰りにも事態が深刻で、俺自身も口を出す以前に頭が働かない。ただ、漠然とした不安が、その姿を朧気に隠して腹の底を行ったり来たりしているばかりである。メーティスはクリスとミファに交互に視線をやり、最後にまた俺を見ると震えた声を漏らした。

「…クリス、召喚師って――」

「お待たせしました」

 不意な店員の声に驚き、俺達は一斉に顔を上げた。店員は身構えたが、手早く珈琲とミルクをテーブルに配置すると速やかに立ち去った。皆店員を眼で追って、色の変わった静寂にクリスが微笑んで珈琲を煽った。俺達も仕切り直しと珈琲に手をつけ、ミファもキョロキョロと確認を取ると両手でカップを持ちホットミルクをチビリと飲んだ。

 ビクッとカップから顔を離し涙目で顔をしかめたミファは、フーフーとミルクを吐息で冷ましては飲んでを繰り返した。その健気さにそれまでの空気は払拭され、俺達は彼女を温かく眺める。それを見渡したミファはクリスの珈琲をじーっと見つめ、クリスは首を傾げて笑い返すと「どうかしたの?」とカップの中を見せた。

「い、いえ…コーヒーが飲めるなんてみんな大人だなって…」

「そう?…別にそんなことはないと思うけど」

 クリスはフフッと笑って1口煽り、またミファと眼を合わすと「飲んでみる?」と訊ねた。

「…じゃあ、ちょっとだけ」

 ミファはカップを持ったクリスの右手を口元まで引き寄せて、ゆっくりそれを傾けて飲んだ。しかしその1口でミファはギュッと目を瞑り、クリスは放された手を戻しながら「駄目だった?」と微笑んだ。

「…は、はい。ちょっと…苦いし、熱かったです…。やっぱり大人です」

 アハハ、とメーティスが笑い、クリスとミファも釣られて笑い出す。俺もほのぼのとした空間にほくそ笑み、幼いミファをゆったりと見つめた。

 …確かに召喚師の素質はあると思う。…でも、ソプラとか何とか、そう云った大仰なものとは思えなかった。目の前の、熱々のミルクを頑張って飲んでいる可憐な少女が、まさかそんな存在だとは夢にも思えなかった。ミファは剰りに子供過ぎる。

 いつの間にか手が止まって冷えてしまったハンバーグを頬張って珈琲で流し込む。口から離して見下ろしたカップの水面に、白い油が浮いている。しかし大人になったミファというのも想像出来ず、俺はまた密かに笑っていた。

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