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第25話 人外への一歩

 ステージ前に並んで座る卒業生の後ろ姿を、体育館左に立つ教員、並びに通路を開けて中央に固まる在校生が見守る。床一面を覆うモスグリーンのシートや、花道や演台を飾る花などが見知ったはずの体育館を別世界へ昇華させ、その式を一層神聖に調えている。

 俺はサラとジーンを途中で見つけてからはその2人がいる方ばかりを見て過ごし、式の間は一睡もしなかった。俺なりに先輩2人を真剣に送り出したかったのだ。…いや、寝ないのは当たり前なんだけどな。

 途中、卒業生の答辞にはサラが立ち上がった。先日に本人がウンウン唸りながら書いていたのも横で見ていたので知ってはいたのだが、サラが最優等生として答辞役に選ばれたことを思うと如何に自分が恵まれた学習空間に身を置いていたのかを改めて思い知った。俺は彼女のお蔭でクラス1位を獲得出来たのだ。

「卒業生退場」

 教頭の一声に体育館は一斉にざわめき、総員が立ち上がりきるとまたパタリと静寂が包む。在校生が出口の左右から並び花道となると、卒業生は後方の席から順に歩いてその道を通り行く。何人かの生徒が握手したり祝いの言葉を述べたりしていく中、サラは他の生徒に眼もくれず真っ直ぐ俺の前まで歩いて立ち止まった。

「ご卒業おめでとうございます、先輩」

「うん、ありがとう!1年くんももうすぐ2年だね、離れちゃうけどお互い頑張ろうね!この1年、一緒に勉強できて楽しかったよ!」

「いや、本当にそれはありがとうございます。俺も楽しかったし、すげぇ助かりました。…いつか、また何かお礼しますよ。何が出来るって訳でもないッスけど」

 笑い掛けて握手を求めると、サラは指先でそっと掴み返して嬉しそうに微笑んだ。そして何か閃いたのかニヤッと笑みを深くして、俺の耳元まで顔を寄せ、

「後輩との恋愛、憧れだったりしたんだけど?…どんなお礼してくれるの?」

「…また冗談を。そんな気、さらさら無い癖して」

「あっははは!1年くんもお堅いねぇ、私けっこー本気で考えたりもしたのよ?…ま、付き合うなんて気は確かに無かったけどね」

 サラは可笑しそうに笑うと「じゃあ、また会おうね!」と手を振って駆け出していった。少ししてジーンも歩いてきたが、

「お前にその気が無ければ無理に付き合ってやらなくてもいいからな。あいつも面白半分だから」

 と、サラの発言を真に受けて言っていた。ジーンこそ冗談が通じないからな。

「はい、それはまぁ…。ともかくジーン先輩も、ご卒業おめでとうございます。またいずれお会いしましょう!」

「ああ、またな」

 ジーンは短く答えて微かに笑うと出口へ歩いていく。残る卒業生も皆体育館を去っていき、肌寒い沈黙が訪れると教員が手を叩いて後片付けの指示を出す。

 …この1年、一緒に過ごしてきた2人は、逸早く社会に出て俺の眼の届かぬ場所へ出発していく。あれだけ仲良くしていたのに、別れの日はあっさりとやって来る。大人になっていくにはこんな風に、何度も何度も、時間を共にした人達と離れていかなくてはならないのだろうか。それは少し寂しかった。

 俺も卒業すれば、職種柄世界を廻る中で鉢合わせたり、作戦で協力したりもするかもしれない。離れた絆を繋いでいくのも、また大人の力なのだろう。…すぐにでも彼女らと対等な大人になりたいと俺は願った。


 魔人化施術実施予定日を2日後に控えた3月1日、魔人化前に人生最後の酒や煙草を楽しもうとのことでAクラス全員で宴会を開くこととなった。勿論強制ではないので辞退は可能だが、俺達の他に断る生徒は殆どいないようであった。

 ここ最近の風紀が乱れている生徒達による宴会が、果たして居心地のいいものになるのかも分からないし、クリスは今期の戦闘訓練も終了して暇になったにも関わらず、「私は魔人と関係無いもの」と寮で頑なに留守番したがった。俺はクリスを置いて宴会になど出たくないし、卑猥に色めいた今の生徒達が酔って更にヒートアップしたら堪らないので最初から欠席を決めていた。

 ただ、そうなると問題なのはメーティスだ。魔人と同様に召喚師にも本来自己解毒・排毒能力は備わっているが、例外的に本人に酔う意志がある時だけ酒で酔うことも出来るらしく、今回わざわざ飲酒する理由など無い。しかしメーティスは、周りが飲酒する中自分が呑めないのは我慢ならないらしく、

「私もお酒飲みたい!」

 と駄々を捏ね始めた。そうは言ってもメーティスを欲望に穢れた空間に送り出すのは忍びない。実際カトリーヌにも、

「メーティスさんは召喚師になるまで純粋な善意を保持しないといけませんから、極力思想を悪い方へ揺さぶらないように周りの人で気を付けてあげてください」

 と言われているので、おそらく酷いことになるであろう宴会になど、絶対に参加させてはならない。よって本日は店で買ってきた安いワインを宅飲みすることとなった。

 ロベリアは他の友人との付き合いもあるので宴会の方へ向かい、この場には俺とクリスとメーティスの3人水入らずとなった。

「クリスも当然参加だからな、宅飲み」

 夕食、入浴と済んで、折り畳み式の小テーブルの上にワイングラス(両方借り物)を用意し始めた俺は、いつもと変わらず机に向かって専門書を読んでいるクリスの背中に声を掛けた。クリスは一瞬振り返るも優しく微笑んで机に向き直り、

「あなた達だけで楽しんでくれていていいわ。私はもう少し白魔法の応用法を学んでいたいから」

 俺は溜め息を溢して立ち上がり、桃色のモコモコパジャマ姿で買い物に出ていたメーティスが戻るとグラスを指差してやってからクリスへ歩み寄った。メーティスは買ってきた氷を何の不思議も無く3つのグラスに入れていき、ついでに買っていたコーンビーフとクリームチーズを紙皿に移していく。

「なぁクリス、今日は俺達の進級祝いって言っても過言じゃあねぇんだ。それに俺にとっちゃ人生最後の飲酒になる。そんな日に、親友が1人素っ気ないってのは、ちょっとがっかりだぜ」

「いえ、素っ気ないなんて……。…そうね、お祝いだものね。…ごめんなさい、私もご一緒するわ」

 クリスは急いで勉強道具を片付けると申し訳なさそうに1度俺に頭を下げ、小テーブルへと向かっていった。テーブルの皿には木串が3本置いてあり、メーティスは寮の共用キッチンへと白ワインを取りに出ていた。既にこれ以上手伝うことがないその状況に、どうやらクリスはまた申し訳なくなったらしい。浮かない顔で俯くので頭を撫でてやると、クリスは何の反応もせずスッと俺の手を下ろさせた。…頭を撫でられるのはあまり好きじゃないのだろう。

 メーティスが瓶を持ってきて、2人はクリスのベッド、俺はメーティスのベッドの縁に座ってテーブルを挟む。緑色の大瓶を前にしていよいよだとメーティスが浮かれているが、そこに至って肝心なことを思い出す。…コルクスクリューが無い。

「なぁクリス、素手でコルク栓開けれたりしない?」

「え?…さぁ…」

 クリスは自信無さそうに首を傾げたまま瓶に両手を伸ばし、左手でそっと瓶を支えた。そして栓を右手の指先で摘まみ、恐る恐るその指先に力を入れていく。謎の張り詰めた空気で俺とメーティスが一心にその手元を見つめていると、栓はクッションのように軽々しく潰れ、よく聞くようなポンッという軽快な音も無く、抜くというよりは外すような要領で開けられていった。

 クリスは栓を摘まみ上げた姿勢のまま一瞬静止し、ゆっくりと左手を瓶から離して深く息をついた。よく分からないが重労働らしかったので、栓をテーブルにおくクリスに俺とメーティスで拍手を送っておいた。

「変に緊張したな…。力の調節ってそんなに大変なのか」

「…私の力はスイッチのようにオンオフ出来るから、普段はそうして生活しているの。レベルが低い内はそのスイッチが不安定だったし、今も気を抜くと不意に力が出たりするのだけどね。…ただ、今日のはスイッチを入れたまま感覚で調節しなくてはならなかったから、いつもより大変だったわ」

「へぇ…、何か、まぁお疲れさん。…俺達も明後日には似たような悩みを抱えてたりするんかねぇ」

 何気無く呟いた言葉だったが、クリスはハッと息を呑んで俺に見入った。…クリスは自分のことで手一杯で、そう云ったことを考える余裕も無かったのだろう。彼女は今になって、昔からのコンプレックスが自分だけの悩みでなくなることに気づいたのだ。

「ねぇねぇ、早く早く!」

 メーティスは瓶とグラスとを見てワクワクと胸の前に両手を握っている。身体を上下に揺らし、今にも跳ねそうだった。クリスもその様子を見てか、長い間見ていなかった楽しそうな笑みを浮かべていた。

「ほいほい、今注ぎますよ」

 俺が瓶を持つとメーティスは「はいっ!」と両手でグラスを差し出す。並々に淹れてやると興味深そうにその金色を眺め、そんなメーティスを尻目に少し笑ってクリスと自分のグラスにも同じだけ注いだ。

 一斉にグラスを持ち上げ、俺の音頭でカツンと乾杯、そのまま上品にとは行かず一気に1口目を呑み込んだ。メーティスはその一口の内に赤面し、鼻にツンと来たのかぎゅ~っと目を瞑る。クリスは別に何も感じなかったのか、そんなメーティスを不思議そうに見てもう1杯煽っていた。

 ロベリアと一緒に飲んだことはあったが、あれは別れ話をするためだったので正直酒を嗜む気分ではなかった。…こうして改めて飲むと、今日は白だが、何とも不思議なものだ。腹の底からポカポカ温まり、南国の香りが一杯に広がる。こってりしてはいるが完熟した果実のような甘味があり、チーズとの相性は良好のようだ。…メーティスが飲むことも考えてリードに訊いてみたのは正解だったらしい。

 気を良くしてペースも考えずパクパク、ガブガブと小宴を楽しんでいると、その賑やかさに当てられたのかクリスもちゃんと心から笑うようになっていた。クリスが酔うことはあり得ないようだが、味が気に入ったようで然して気にする様子も無い。少なくとも今だけは憂鬱から解き放たれているようで何よりと思った。

「おいしいね、ワイン。…あ、もうチーズなくなっちゃった」

 メーティスはとろんと柔らかく目を細め、テーブルに肘をついて次の1杯を注いだ。メーティスは酔っ払うと逆に静かになるらしい。そして心なしかメーティスとクリスとの距離が、その挙動毎に縮まっているように見える。百合はいいぞぉ…。

 一方、俺の方はまるで酔えていないが、何故か倦怠感と嘔吐感、それに激しい頭痛だけが高まっていく。ぼんやりとしてきている自覚はあるのだが、酒のお蔭で気分がいい、とはならない。ひょっとすると、そもそも酒を楽しめない質だったりするのではないだろうか。…もう少し呑めば変わるのか。とりあえずトイレで吐いてきた。

「レム、大丈夫?無理に飲むものじゃないわ。余ったら私が飲んであげるから」

「あぁ、いや、大丈夫だ。ありがと」

 不安そうに顔を覗くクリスに、俺は額を押さえたまま首を振って答えた。先程までと比べて幾分マシにはなったが、流石に身体はフラついている。メーティスは限界を迎えてベッドに仰向けになり、そのままくーくーと寝息を立てつつあった。

 残った肴を消費しつつローペースでワインを飲んでいると、いつの間にか俺はクリスのベッドに移動し、布団まで掛けられて横になっていた。

 俺が起きるとクリスも気付いて「おはよう」と声を掛け、俺が昨晩のことを訊ねると、

「酔いが回って2人とも寝てしまったから、片付けは勝手にさせてもらったわ。…寝ているレムを背負って梯子を上がるのは難しいようだったし、申し訳ないけど私のベッドを使ってもらったの」

 結局騒ぐだけ騒いでクリスに迷惑を掛けたらしい。我ながら情けない、と思い思い自分のベッドで布団に包っているメーティスを眺めた。それからバスルームで朝風呂に入ろうと服を脱いだ時、寝ていて染み付いたクリスの甘い匂いに気付いて今更恥ずかしくなった。


 そして、2日酔いで生徒の大半がグロッキーになっている中、その運命の日がやって来る。3月3日、クリスは1人教室に戻って1年期の総復習、メーティスは1人カトリーヌに手を引かれて召喚師の部屋へ向かう。特別な扱いを受ける2人の背中を数度見つめつつ、俺はその他の生徒と同様に多目的室へと並んでいた。

 まず最初に多目的室にて身体測定と健康診断。Aクラスから出席番号順に並んでいき(クリスとメーティスは優先されて最初に終わった)、その列は廊下まで長々と続く。どちらも魔人化後に問題が起きないためのものだそうだが、出てくる生徒(特に女子)の何人かが涙目で赤面しているので妙に不安が募る。行列が進む度に教員室へと去っていく生徒を眺めながら、前の列あくしろよ焦れったいと地団駄を踏む思いでいた。

 やっと多目的室に足を踏み入れた…!と思ったがまだまだ俺の番は来ない。ちょいちょい声が漏れ聞こえて来るので聞き耳を立てると、

「はい、前はOKです。では、後ろを向いて、脚を開いていてください。…はい、結構です。特に問題は見受けられませんでした。タトゥーなどもありませんね。では、この後は教員室前で案内があるまで待機していてください。…次の方、どうぞ」

 と、エラルドの事務的な声が響いていた。…一体何をしていらっしゃるのだろうか。もしやカーテンの向こうで何かエロい検査が…!?と勝手な想像が膨らんでいく。

 淡い期待を抱いて進み、遂に身体測定に漕ぎ着く。身長、体重、聴覚や視力などと測定し終え、記入された測定表を持ってカーテンの向こうへ!…ただ、そこにいたのは長テーブルに着く老いた健診医と、同じように並ぶエラルドと銀縁眼鏡の男教師だった。…男2人はお呼びじゃない。

「では、椅子に腰掛けて楽にしてください」

 医師の指示に従って座り、測定表を渡した後、聴診器を当てられたりして健康診断をしてもらっていると、エラルドと男教師は何かメモを取って俺を観察していた。そして「はい、健康診断の方は以上です」と医師に言われ、エラルドが立つように指示する。言われるままに立つと、その後を引き継いだのは男教師だった。

「これから身体にタトゥーや何かの跡が無いか調べさせてもらう。お前には悪いが少し色々見させてもらうぞ」

「はぁ、そうですか。…ん?え、脱ぐんですか?」

「いや、服は脱がなくて構わん。此方で透視して調べる。お前は身体が隠れないようにしてくれていればいい」

「…はぁ」

 気の無い返事をして指示通り両腕、両脚を広げて見せる。男は眼鏡を外して目を細め、「前良し。後ろを向け」と告げた。よく分からないが本当に服越しに身体を見ているらしい。同性ということもあり大分気持ちが悪かったが、俺の視点では普通にポーズを取っているだけである。

 …それにしても、魔人には透視なんて能力もあるのだろうか。しかし教科書に載ってなかった。ごく一部の例外なのか?……魔人の視力は人並み以上のはずで、眼鏡を掛ける必要は本来無い。もしかすると自然と透視出来てしまう目を持っていて、普段は眼鏡で見れないようにしているとかなのだろうか。

 …とすると、エラルドも透視出来るのか?流石に女子までこの男が見ていることはないだろうし、さっきはエラルドの声がしていたのだからおそらくそうだろう。…俺もその能力欲しい。

 アホなことを考えている内に調べ終わり、男は眼鏡を掛け直しながら「問題ない。では、教員室へ移動しろ」とまたメモを取る。

「はい、ありがとうございました」

 お辞儀して次の生徒のためにもさっさと多目的室を抜け出し、『もっと早くにエラルドに聞けば透視を会得する身体作りが出来たのに』と泣く程後悔して教員室へ赴いた。

 教員室の前には俺を含め5人集まり、生徒と一緒に待っていたマイクは5人を見回して、

「よし、集まったか。じゃあこれから施術室へ向かうが、行き方を知られるとマズいんでな、全員目隠しして荷台に乗ってもらう。これで目を覆ってくれ」

 マイクはそう言って全員に黒く厚い布を配る。一斉にそれを身に付けて、視界を封じられる中1人ずつ手を引かれて校舎外の荷台に乗せられる。囚人にでもなったような気分だったが、一応そうしなくてはならない訳も分かるので文句は言わない。

 そして荷台が揺れなくなると、「もういいぞ」とマイクの許しが出る。俺や他の生徒は目隠しを外すと興味深く辺りを見回しながら荷台を降りた。

 そこは恐ろしく冷えきった倉庫のような屋内であり、目の前には重厚な鋼鉄の壁と扉がある。横1列に並ばされ、1人ずつその扉を通される。最後に合流した俺が最後なのは分かっていたが、進んだ生徒がそのまま戻って来ないので、俺の番を言い渡されるまで少し心細かった。

「次、レムリアド。来い」

 扉から顔を出してマイクが呼びつけ、俺は駆け足で近づき先の部屋へと向かう。そこは真っ暗で天井の低いフロアであり、大きなガラスの円柱が3つ緑色の照明に囲まれていた。左の円柱の傍にはハイルとレイラが立ち、左の壁に2人と右2本の円柱の傍に4人の白い作業服を着た男達がいた。円柱は2人ずつにデッキブラシで掃除されており、壁沿いの2人は担架の準備をしている。…その様子が何とも不気味に思えた。

「では、こちらのカプセルへ進み、この籠に衣服を脱いで入れてください」

 レイラがそう告げて水色の底深い籠を差し出し、俺はそれを受け取りながらも周囲の状況の不審さに着替えを躊躇っていた。…そもそも、着替える部屋とかは用意されていないのだろうか。見られながら1人だけ着替えるしかないのか?

「…あの、あの人達は?」

 剰りにも気になるので作業服の男達を見渡してレイラに訊ねる。レイラは頷いて笑うと彼らに視線をやって丁寧に説明した。

「あちらの壁のお2人は施術後の生徒さんを保健室へ搬送し休息を取らせる担当です。あと4人はご覧の通りカプセルの清掃担当です。施術の際、肉体への負荷のために粗相をしてしまう生徒さんも少なくありませんし、衛生面に不安を残したまま施術を強いる訳にはいきませんので」

 …よく見ると血なのか何なのか、黒いものが隣の円柱の内側に僅かにこびりついている。未知の経験への恐怖に唖然としていると、「後がつかえるぞ」とマイクの声が掛かった。

 意を決して円柱の中に進み、教師達が視線を反らしてくれている間に服を脱いでしまう。結局はその後の過程で見られることになるが、そこは我慢だ。ハイルが円柱脇の操作盤を弄り、上から垂らされてきた吸盤を身体中に取り付けられ、両手足を円柱内に括り付けられる。

 先程タトゥーを探された時とは違い、全裸で身体を開いているので酷く屈辱的にも思われたが、直ぐ様入り口を密閉されて不透明な紫色の液体が下から溢れ出し、胸元まで水面が昇って身体が隠れてくれた。そしてレイラはマイクを手に話し、その声は真上からアナウンスとして俺の下に届いた。

「これから魔人化施術を開始致します。溶液に充満した魔因子を電気刺激により細胞に植え付けますので、施術には激痛を伴います。途中辞退は受け付けませんので終了までカプセルを出ないでください。また、酸素は溶液から直接肺に送りますので、カプセルを溶液が充たし次第3回深呼吸をお願い致します」

 そして俺が頷いた直後、施術が始まり、呼吸すると溶岩に溺れたような地獄の時間が始まった。


 目が覚めると保健室のベッドに横たわっていた。身体を起こすと同時に養護教諭のターニーがカーテンを引き、「あら、起きたわね」と笑い掛けた。俺は眠気に目元を擦りながらベッドを抜け、ベッドの右側に脚を放り出す。

 見ると俺は下着一丁だった。ターニーは近くの椅子に積まれた制服を指差し、

「起きて早速で申し訳ないけど、すぐに着替えて教室に戻ってね。施術した生徒がまだまだ来るから、ベッドを空けてもらわないと」

「…あ、なるほど…。すんません、急ぎますね」

 頭を下げてせかせかと着替え始める俺を尻目にターニーは引き返していき、それから数秒の内に俺もベッドを離れ、「失礼しました」と保健室を出ていった。

 口の中が苦く、舌がぬめって気持ち悪い。施術の溶液が口に残っているのだろうか。妙に軽くなった手足に違和感を覚えながら、うがいがしたくなって手洗い場に立ち寄る。

 凍えた水で口を濯ぎ顔を洗い、その水の無味なことを妙に思うも、爽快な気分で鏡を見上げる。…鏡に映った自分の顔に、心臓が激しく鼓動を鳴らした。背後の鏡と結託して出来た連なる自分という幻想が、そこに映る無数の自分が、俺の変化を明徴に示して現実と向かい合わせる。

 当然それは頭で理解していた変化であり、覚悟もずっと出来ていた。今だって驚いただけで、悲観している訳ではない。ただ単純に、『鏡の自分は瞳を猫のように発光させている』という事実が痛烈に押し寄せたのだ。そして実感する。

 今日から俺は、魔人だ。

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