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第22話 天使の邂逅

また長くなってしまった(´・c_・`)

馬鹿は要約できないから話が長い

 酷く長い時間、リードはクリスを抱き締めていたように見えた。俺が息を殺していたからそう感じたのだろうか。そうした長い空白の後、それを了承と取ったリードがクリスの顎を押し上げて唇を奪いに掛かった。

「待っ…」

 思わず叫びそうになった俺はバルコニーに片足を踏み入れていた。しかし、俺が動くまでも無くリードの口をクリスが右手で覆って、そのままリードの腕を逃れて向かい合ったまま少し距離を取っていた。

 リードもクリスも、俺がそこにいたことなど知った上で話していたらしく、姿を現した俺に反応もせずに互いに眼を合わせて続けていた。クリスは申し訳なさそうにして、リードは包容力を絵に描いたような温かい笑顔を崩さないでいる。

「…ごめんなさい、リードくん。私にはまだ暫く、恋愛をする資格が持てないから」

「勇者の使命、という所かい?…そんなものは片手間でいいのさ。君のような優れた女性が愚劣な人々のために青春を棒に振るようなことがあるなら、一体この世界のどこに救いがあると言うんだい?…君は今、人の手に余る責任のために不幸になろうとしている。それを黙って見過ごせる程、僕は恥知らずな男ではないよ」

「………ごめんなさい」

 クリスは深く頭を下げ、リードの言葉に聞く耳を持たなかった。リードは肩を竦めるとクリスを置いて灰皿を手に此方へ歩いてきて、俺の傍を通り掛かると、

「女性とは時に頑固で難しいね。いや、理屈さえ捏ねれば生きていける男の方が気楽なだけか」

 そう一言残して1階へ降りていった。リードから俺への言葉がどういう意図なのか分からなかったが、それよりもと切り替えてクリスの傍に駆け寄っていった。

「クリス、戻ろうぜ」

 声を掛けるも、クリスは頭を上げたきり遠くを見下ろして黙り込んでいる。「クリス?」ともう1度声を掛けても返事が無い。どうしたらいいのか分からなくなり、途方に暮れてその横顔を見つめていると、

「…子供…」

 そう、ポツリと溢して顔を青白くした。益々訳が分からず、その手を掴んで「おい!」と大声で呼び掛ける。やっとクリスは此方を振り向き、その表情は驚きというより興味を持ったような感じであった。

「ほら、戻って飯の続きにしようぜ!」

 そうして手を引いていくと一転して呆れたように目を細め、クリスはそのまま俯いてしまった。彼女が俺に何を求めたのか分からないが、俺から軽々しく言えることなど無い。俺は彼女の努力の全てを見てはおらず、軽はずみな励ましなど出来る立場にはいないからだ。

 その後はまた賑やかな夕食。もう殆どジャックが食い散らした後で、料理の減り様に思わずドロップキックをかましたりしたものだが、その空間は平和以外の何ものでもなかった。リードは用事があるとかで一足先に帰っていき、それを見送りに出たクリスは妙に長い間帰ってこなかった。皆が楽しく笑っている中、クリスは独りで浮かない顔をして過ごした。


 夏休みが終わり、遂に学校が再開する。始業式から数日経ち、過酷なトレーニングや勉強漬けの毎日を思い出した頃、授業の中で聞き慣れない単語が現れ始め、それが俺の興味を強く擽った。元々俺は魔法やらお化けやらのオカルトチックなものは大いに楽しめるタイプだ。今回もその手に近い感覚でそれを聞き、最近の勉強のモチベーションとなっている。

 その単語と言うのが、魔法に負けず劣らずのインパクトを醸す『召喚師』だ。後期から各魔法学に代わって始まった総合魔法応用学なのだが、現在の授業は召喚師についての内容を行っている。ただそれもすぐに終わって別の内容に入る予定らしく、ペースが早くて頭に入り易い。…授業中に飛ばした頁がテスト範囲に入らないかだけが不安だ。

 …ま、不安なまま放置するつもりもその必要も無いので、

「早速教えてください先輩」

 図書室でサラに訊くことにした。

「おっけー!ってか、この3日はどうしたの?私、またすぐ勉強教えるだろうからって思って毎日図書室で待ってたのよ?」

 何やら分厚い本を1冊読みながら入り口付近のテーブルに着いていたサラは頬杖をついて俺を見上げた。上目遣いなので拗ねてるようにも見える。

「そうなんすか、何かすいません。ある程度授業が進んでからじゃないと意味が無い気がして…。でも、そんなに俺に会いたかったんすか?」

「そうよー?だって1年くん面白いから」

「そっすか」

 ケラケラ笑うサラの前に向かい合って座り、持ってきた教科書を開いて見せる。サラも自分が読んでいた本を閉じて脇に退け、俺の教科書を覗き込んだ。…何を読んでいたのかと思えば、『炎魔法用決め台詞集』と表紙に書いてある。…頭良かったはずだよなこの人。

「あー、そこかぁ…。別に習ってない所はテストに出ないし大丈夫だよ。召喚師に関しての内容は大体が分かってればそれだけで十分だし」

「え?そうなんですか?…まぁ確かにエラルド先生、召喚師の勉強は今週の1週間だけで終わるとか言ってた気がしますけど」

「うん、そうそう。で、来週には召喚師候補者の選別があるでしょ?召喚師についての詳しい話は、その候補者にだけ伝わっていればそれでいいの。ぶっちゃけ伝説の勇者の次くらいには重大な要素だからね、アカデミーの生徒にもあまり大っぴらにはしないのよ」

「えっ…来週なんですか?…それは、初耳ッスけど…」

 俺が驚いて首を傾げると、サラは「あ、そうなんだ」と特に何を思う訳でもなく頷いて背凭れに身を任せていた。そして彼女は自身の発光する左目を指差して右目でウィンクしながら笑った。

「魔人化施術が春休み前にあってね、召喚師の初契約もそこであるの。でも、魔人になる人と召喚師になる人だとそれまでの過ごし方が少し変わってくるから、予めそれを調べなきゃいけないって訳。…ひょっとすると、候補選びの時ちょっと恥掻いちゃう人もいるかもしれないけど、あんまり構ってあげないようにね」

「恥を掻く?…何でですか?」

「ほら、召喚師って心と身体が清い人じゃなきゃなれないでしょ?身体が清いかどうか皆の前で調べられちゃうんだから、誰が子供で誰が大人かバレちゃうってわけ」

 …所謂大昔から神話でありがちな、神に遣える者は『清らかな処女』でなくてはならないってやつだ。男の場合は『清らかな童貞』というとこだろうか。

「別に未経験だろうが恥ずかしがることもないと思いますけどね。ある意味稀少価値(ステータス)ですよ。変な見栄で簡単に初体験捨てる奴らに比べたらずっといいですし」

「女の子は『まだ』でも『卒業済み』でも人に知られると恥ずかしいもんだと思うけど?男子は『卒業済み』なら何ともないみたいだけど」

 …俺、何で女の先輩とこんな話してんだろ?

 気を取り直して授業の話に戻ろうとしたが、ピッとサラが俺の鼻先に人差し指を突きつけて話を続けてきた。…この人何で気まずくならないの?そっち方面にフランクな方なのだろうか?知り合いのそういう事情はあまり聞きたくない。

「とにかくね、1年くん!そのことでも、それ以外でも、女の子をからかったりしないようにね!女の子はいつも小さい身体で精一杯背伸びして生きてるんだから、大切にしなきゃダメ!わかった?」

 えー、何で俺叱られてんの…?っていうか、サラ先輩、何か前に嫌なことでもあったのだろうか?

「はぁ、まぁ、分かりました。とりあえずこの話は終わりましょうよ。公共の場で話すことじゃないですし」

「ん…まぁそうね。ごめんごめん。…えっと何だっけ?…あぁ、テスト範囲の話か。訊きたいこと、まだある?」

 まだある?と訊かれてよくよく考えると、訊きたいことはもう無くなっている。ここから先の話はまた授業が進んでから訊くことにしようか。

「いえ、今日はもう特には」

「そう?まぁ明日も待ってるからね。…とりあえず、召喚師については『各地の魔石で契約した召喚獣を従える神の加護を受けた戦士』ってことと、『レベルの測定法が魔人と違う』こと、あとは『祈ることでMPを回復出来る』ことが分かってたらテストで点数取れちゃうから。そんなに一生懸命に勉強しなくて大丈夫だよ」

「マジっすか」

 サラは頷いて椅子に座り直すと両腕で頬杖をつき、話題を振れと言うように首を傾げて見つめてきた。…勉強のことで訊くことが無いなら、ここからは雑談していればいいだろう。

 教科書を閉じて手元に引きながら適当な話題を探った。

「そういえば先輩、夏休みはどうでした?最後の夏休み、何してました?」

「んー?…先輩はねえ、毎日ナイターやってた」

「ナイター?…何すか、それ?何かスポーツやってるんですか?」

「んーん、違う違う。『ナイターバトル』…要するに夜間戦闘訓練だね。志願者は平日にローテーション無しで4時間ぶっ続けの戦闘訓練させてもらえるの。基本的には卒業所要レベルに達する見込みが無い人が経験値稼ぎに参加するんだけど、普通に過ごしてる限り確実にレベル足りなくなるからほぼ全員参加だね。因みに私はもうレベル11だよ」

 へぇ、そんなシステムがあったのか。知らなんだ。

 本来の戦闘訓練の在り方が分からないので、普段のそれとナイターとの違いはよく分からない。ただサラのレベルが上がるということは(おそらくジーンのレベルも上がったのだろうが)、クリスの戦闘訓練もハードルが上がっていくということに繋がるのだ。俺にはそちらの方が気掛かりだった。

「卒業所要レベルって、…10でしたっけ?…クリスはもうレベル8でしたよね?」

「そうだね。私とジーンくんのレベルに合わせて訓練時のゴーレムが1体増えたから、クリスさんもすぐにレベル10に届くと思うよ」

 …クリスだけが俺達を置いてズンズンと先に進んで行ってしまうのが恐ろしく、そしてそれを傍らで眺めるしかない自分が何とももどかしい。サラは1歩先からクリスを見守っているだけなので、別に何も考えず他人事に言ってしまえるのかもしれない。だが俺には、その状況がやはりどうしても耐えきれないのだ。

 この頃のクリスの様子を見ていて、その想いは胸を押しつける程に強く圧し掛かってくる。

「…最近のクリスさん、夏休みに入る前以上に切迫感あるんだよね。『どうして私にはナイターをさせてもらえなかったんですか!?』って先生に食って掛かってたし。…夏休みの間に何かあったりしたの?」

「…多分、新学期に入って、休みの間呑気に過ごしていた自分に腹が立ったんだと思います。あいつはあいつなりに夏休み中も勉強頑張ってたと、俺は思ってるんですけど」

「ふーん…?ま、勇者の末裔ってなると私達には計り知れないような悩みが出てくるんだろうけど、焦っちゃダメだよね、焦っちゃ。…1年くんもちゃんとケアしてあげなきゃダメだよ。クリスさんが1番頼りにしてるの、きっと1年くんだと思うから」

 サラの適当な発言に俺らしくもなく苛ついた。…あいつが俺なんかを頼りにしているなんて思えない。あいつは誰の力も借りようとしていない。全部自分が頑張ってやり通さなければならないと本気で思っている。俺やメーティスがクリスと共に頑張れるのは2年生になってからしかあり得ないのだ。

 …リードが余計なことを言わなければ…あいつも検討違いな自戒なんかせずに済んだのに。…いや、リードを責めるのは筋違いなのは分かってはいる。分かってはいるのだが…。

 …それきり黙りがちになった俺をサラは訝しそうに首を捻って眺め、「何かごめんね」と気を遣って図書室から出ていった。…俺も弛んでいた。そう思い、その日からハンドグリップを握って2周分のジョギングをするようになった。もうメーティスを付き合わせたりセスに会いに行ったりもしなかった。


 翌週の月曜日、5、6限の時間を割いて召喚師候補者の選別が行われた。4クラス合同で多目的室へ並び、出席番号順にシースルーという機械で検査を受けていく。この機械で細胞から記憶を読み取り、被検者の性経験の有無をランプの点灯から判断出来るという訳だが、それで経験有りの者は教室へ、経験無しの者は奥の部屋へ促されるため結果がバレバレなのだ。

 今しがたクリスが検査を終えて教室へ引き返しに歩いてきた。ふと眼が合ったが、クリスはそのまま何もなく去っていく。列の後方から覗くと、ルイが複雑そうにクリスの背中を眼で追っていた。…以前から知っていたから傷心はしないだろうが、好きな人に過去の相手を感じさせられると男として気分が良くないのだろう。

 続いてジャック、メーティス、ルイと奥の部屋へ歩いていった。…知ってはいた事実なのだが、改めて性事情をはっきりさせられると友人として居たたまれない。リードは教室に戻ったが、イメージ通り過ぎて何とも思わなかった。

 そしてとうとう俺の番。ぶっちゃけ自分がどちら側なのか自分でもよく分からないので、正直緊張していた。俺には身に覚えが無いが、レミオの方は経験済みだろうから、この検査ではどっちの結果が出るものか判断しかねるのだ。しかし結局は俺の予想通り、

「どうぞ。座って腕を出してください」

「はい」

 担当するエラルドの前で用意された席に着き、機械に繋がっている黒いバンドを装着させられる。シースルーの3つのランプの内、赤、青が点灯し、

「はい、結構です。では教室に戻って自習をしていてください。…次の方、前へ」

 とテーブルの名簿にバツを書き込まれた。…やはり細胞の記憶は脳で認識する記憶とは違っており、真実のみを映すらしい。俺は速やかにその場を去り、教室へ戻って探査旅行学の地理を自習し始めた。

 クリスも自分の席に座ったまま何か教科書を読んで過ごしており、俺達は互いに話し合ったりも何もしなかった。ロベリアも俺に倣うように自習を始めていたが、教室の大半の生徒は立ち歩いて賑やかに話などして過ごした。

 遅れて教室へ帰ってきた生徒達も次々にその騒ぎに交ざっていったが、生徒の殆どが戻ってもメーティスは戻って来ない。…もしかして、とモヤモヤと考えを巡らせていると、一斉に生徒が席に着いて教室が静まり返った。

 ポタポタと少女の足音だけが廊下から響いて近づき、扉を開けたマイクに連れられてメーティスが入室した。マイクは名簿を携え教卓へ、メーティスは自分の席へと歩き、そのままLHRに入るとその話題にまた教室が騒がしくなる。

「選別の結果、今年度の召喚師候補生は1人だけだ。今連れてきたから分かると思うが、メーティス・V・テラマーテルが召喚師候補者として選ばれることとなった。召喚師の素質というのは繊細でな、些細なことで消失しかねないものだ。お前達の魔人化と同日に召喚師になる訳だが、それまでの間皆でメーティスを助けてやってくれると嬉しい。…俺としてもクリスティーネのルームメイトが召喚師になってくれて一先ずホッとしてるんだ。元々召喚師というのは伝説の勇者と共に旅立ったとされる聖なる巫女ソプラ・ネシアドが起源でな、験を担ぐ意味でも召喚師をクリスティーネに同行させるつもりだったんだ」

 …クリスに続き、メーティスが今年度唯一の召喚師候補者として注目される事態となったが、そこへ行くと俺は至って普遍的な才能しか持ち合わせていない。クリス達と共に旅立つことになるのであれば、俺も相応の努力が必要と思われる。…今俺に出来ることと言えば勉強とトレーニングくらいなものだが、それでもクリス以上に頑張らなくてはならないはずだ。

 生徒が色めき立つ中、俺だけが暗い顔をしているのでメーティスはどうすればいいか分からず俺と周囲とをキョロキョロ見比べていた。一方クリスは帳尻を合わせたようなこの状況に運命を感じたのか、安堵と日進月歩の決意とを綯い交ぜにした視線をメーティスへ向けていた。…その眼が俺に向けられるように、俺も必死にならなくては…。

「さて、この後の予定だが、メーティスには学校に残って召喚師としての指導を少し受けてもらうことになる。他の生徒は今日はこのまま終わりにして下校してもらおう。魔人化するための指導は近い内に探査旅行学か総合魔法応用学のどちらかで行われるはずだ。…全員いるか?…よし、じゃあ解散!メーティスは準備が出来たら進路指導室に来てくれ」

 マイクはLHRを終えるとすぐに名簿を持って教室を出ていった。生徒は一瞬戸惑うように静まって、帰っていいと分かると帰り支度を始めた。俺もおずおず荷物をまとめていると、一足先に準備を終えたメーティスは俺の肩をポンッと叩いて何気無く笑って手を振った。

「じゃあ、私行ってくるね!遅くなったら晩ご飯先に食べていいからねっ!」

「おー、了解。頑張ってこいよ」

「うん!」

 テコテコ早足に出ていったメーティスを見送り、振り向くと知らぬ間に傍まで歩いてきていたクリスが俺を見下ろしていた。俺は急いで準備して立ち上がり、クリスと共に寮へと歩き出した。

「…メーティスが召喚師とはね。…でも、予想できないでもなかったかしら。いい子だものね」

「そうだな。…あれ?今日、訓練は?」

「今日はマイク先生も忙しいから無いわ」

「そっか」

 …まぁとにかく、メーティスが召喚師になれて良かった。魔人になるためにメーティスが棒切れで大人の階段を上ることになったら俺の気が滅入るからな。


 部屋に戻ってすぐ、俺はスポーツウェアに着替えてハンドグリップを手にベッドから降りた。机に向かっていたクリスは俺を見て「どこへ?」と目を丸くして訊ねた。

「ジョギング。1時間もしたら戻るよ」

「そうなの。…私も行っていい?」

「へ?…お前がジョギングなんかしても、身体鍛えられないだろ?」

「訓練が無いと何だか色々と考えてしまうのよ。…外の空気を吸いに出たいの」

 クリスは鬱屈した表情で俯きながら立ち上がり、俺の隣まで歩いてくる。…よく分からないが、そういうことなら今日は一緒に走ることにしよう。

「いいけど、その服装でいいのか?スカートだと下が見えちゃうと思うぜ?」

「別に…。ほら、スパッツ穿いてるから大丈夫よ」

 クリスは平気な顔をして両手でスカートを持ち上げ、黒スパッツを見せびらかした。…確かに下着は透けていないが、もうちょっと恥じらい持とうぜ。

「…まぁ、お前がいいならいいけどさ。じゃ、行くか」

 顔を背けて了承し、鍵を持って部屋を出る。クリスの表情はやはり晴れないが、外を走り始めると少し目を見開いて興味深そうに俺を見つめ出した。


「…レムも頑張ってるのね」

 ジョギングが2周目の帰りに差し掛かった頃、不意にクリスが感心した様子で俺に告げた。俺はどういう意図なのかとその目を見つめ、クリスは眼を逸らしたりもせず純粋に続けていた。

「結構な距離なのに全く休憩も挟まないし、ペースも殆ど落ちていないもの。前期のトレーニングで他の人を見ても、今のあなた程やる気に満ちた生徒は誰もいなかったわ」

「それはどうもだけど、別に俺なんか大したこと出来てねぇよ。それ言ったら、クリスはやり過ぎなくらい頑張ってるだろ。後期に入ってまた休日を勉強に費やし始めたしさ。…もっと休まなきゃ駄目だと思うぞ、俺は」

「私は休む訳にはいかないわよ。私にはやらなきゃいけないことがあるんだもの」

「俺はその『やらなきゃいけないこと』をサポートしていく側なんだけどな。自分だけで頑張ろうとすんのはもうやめとけよ」

 クリスはやはり黙り込んだ。何がどうあっても意思を変えるつもりは無いらしい。…あぁ、そうかい。勝手にしてろ。お前がその気なら俺はお前以上に頑張るだけだ。

 1人でむくれていた俺は、それ故に前を見ずに走っていた。クリスもクリスで何か考え事でもしていたらしく、俺に呼び掛けるのが少し遅れた。

 校門へと近づくと、丁度そこから歩いてきていた少女と鉢合わせ、俺とその子は互いに正面でぶつかった。体格差のせいか、俺はよろけただけで体勢を持ち直し、小柄で大人しそうな少女は「きゃっ」と悲鳴を上げて尻餅をつき痛めた尻を擦っていた。

「あっ、ごめん!大丈夫か!?」

 俺は急いでハンドグリップをポケットにしまって少女に手を差し伸べ、エメラルドの瞳を涙で滲ませた少女はその手を取って小さく笑いながら立ち上がった。クリスはあちゃーと言うように俺の横で額を押さえている。

「い、いえ、ごめんなさい…。私もちょっとぼーっとしてて…」

「いや、悪いのは俺だから…。どっか怪我してないか?大丈夫?」

「あっ、はい。…特にどこも…」

 少女は左手に提げた鞄を見下ろしてハッと気付き、白く長い銀髪を大きく揺らしながら不安そうに辺りを見回し始めた。その様子を見て、何かあったのだろうなと察しがついた。

「どうかしたのか?…何か困ってるのなら言ってくれよ。埋め合わせしたいし」

「いえ、えっと、大したことでは…。その、落とし物したみたいで…」

「マジか、ごめん!一緒に探すから!」

「あ、でも、ぶつかって無くなった訳じゃなさそうですし、大丈夫です。気にしないでください」

 少女は笑って首を振り、しかしなおも無くし物を探して周囲を確かめていた。俺のせいではないと言うが、どうも申し訳ない気になってしまい一緒になって周りを見渡していた。

 ふと、クリスが俺達より向こうの、校門がある方を指差して首を傾げていた。

「ねぇ、あなたが落とした物ってお守りだったりするかしら?」

「え?はい、そうです!どこかにありましたか?」

「ええ、ほら。彼処に落ちているのがそうではないの?」

 少女はクリスが指差す先をじっと見つめ、しかし落ちている物を見つけられずに首を傾げていた。クリスはタッと走り出して校門の内側に手を伸ばした。俺達からは遠過ぎてお守りが見えなかったが、超人的な感覚を持つクリスにはすぐ分かったようだ。

「ほら、これ。あなたの?」

「あっ、はい!それです!ありがとうございます!」

 少女は紫のお守りをクリスから受け取ると大きく頭を下げて嬉しそうに笑った。クリスもそれを眺めてフッと頬を柔らかくし、俺も一先ず安心して胸を撫で下ろした。少女は顔を上げるとクリクリとまん丸な目をクリスと俺に向けて頬を赤くした。

「あの、お礼がしたいんですけど…」

「え?…いえ、いいのよ。さっきレムがぶつかってしまったのも私が気をつけていれば良かったのだし、おあいこよ」

「そうですか…。…でしたら、あの、お名前は…」

 クリスは目を丸くして俺と向かい合うと、優しく微笑んで少女を見つめた。少女も子供らしい純粋な目をパチクリさせてクリスの言葉を待っている。

「クリスティーネ・L・セントマーカよ。そっちの彼が、レムリアド・ベルフランド。…あなたは?」

「ミファリー・ドレヌです!」

「ミファリーね。…アカデミーでお守りを落としたということは、何かアカデミーに用事があって?」

「はい、今日、入学試験の2日目だったんです。お守りはお母さんが持たせてくれて…。だから、見つけてもらえて本当に良かったです!」

 …驚いた、もう入学試験の時期なのか。俺が入学したのなんかついこの前のような気がしていたのだが、時間は過ぎるのが早いもんだな。

「じゃあ、来年は私達の後輩ということになりそうね。よろしくね、ミファリー」

「あ、生徒さんだったんですか?…受かったらそうですね。はい、よろしくお願いします、クリスティーネ先輩!レムリアド先輩も!」

 ミファリーはニッコリ笑って俺にもお辞儀し、俺は唐突に会話を振られて「ん、よろしく」と咄嗟な返事を返した。そうして宿に帰っていくミファリーを、俺とクリスは手を振って見送った。もうすぐ落ちかけた夕陽に赤く照らされた空の下、ミファリーの影が楽しそうに跳ねて遠ざかる。

 もう後輩が出来るのか。…早いもんだな。

「…可愛い後輩が出来たな、クリス」

 そう声を掛け、振り返るとクリスはミファリーの背中を見つめて放心していた。その大きく見張られた目が何を表しているのか俺には分からず、「おい、クリス?」ともう一度声を掛けてみる。

 クリスは俺を向くことなく、ミファリーの方を凝視したまま告げた。

「私、あの子とずっと一緒にいたような気がする」

 それがクリスの言葉か、勇者の末裔の言葉か分からないが、それを聞いた瞬間、崩壊の予感を漠然と感じていた。

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