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第21話 ライラックの日

 アルバイト終了から1週間後の日曜日、夏休みに入ってからろくに会わなかったジャックとルイの2人を尋ねて寮へ向かう。実家に帰ったりしてるのだろうかと思っていたが、案外そんな事はなく毎日部屋でダラダラ過ごしていたらしい。「仕事しろお前ら」と言っておいた。

 給料の7クルド680アルグは、クルド紙幣だけ銀行に預けて残りを翌日の遊びに使い果たした。まぁ、ほら、自分へのご褒美って必要じゃん。それにクリスも楽しませてあげたかったし。よって無駄遣いではない。

 来月にはまたユダ村から送金されるし、それを考えればこのくらいは許されるはずだ。自分で稼いだんだし。…皆は浪費癖つけないようにね。

「つーかそれ言うならレムは実家戻んねぇの?俺らより近いだろ?」

 実家云々の話をしていてジャックがそう言い返した。昨晩から酒盛りをしていてグロッキーらしく、ルイと揃って床に寝そべっている。俺は適当にベッドに上がって胡座を掻きながら楽しくそれを見下ろしていた。

「あれ?そうだっけ?…お前ら出身どこ?」

「ハールポプラ。…こいつもハールポプラ」

 ジャックはぐったりしたままルイを指差して答えた。ルイはダウンして屍のようになっている。…ハールポプラ、ねぇ。…俺地理はさっぱりなんだ!すまんね!

「ハールポプラってどこだっけ?」

「えぇ…。…えーっと、こっから南にカーダ村があるだろ?んでそこから西にはダルパラグ、ユダ村、ラバカ港と続くんだよ。ラバカ港からまた西に船に乗っていくとリサーユ大陸があって、そこの港がハールポプラっていうんだ」

「へぇ、詳しいなお前」

「むしろお前は何で俺らより勉強出来て一般常識に欠けてるんだよ」

 辛辣ゥ!…っていうかお前にだけは常識無いとか言われたくないぞ。こうなったら後期も1位取りまくってやる。もう前期の内容忘れたけど。

 …体調悪いのにこれ以上付き合わせるのも申し訳ないので、大人しく今日は退散しておくことにしよう。何しに来たんだとか言われそうだが、まぁいいだろう。

 ベッドを降りて立ち、ドアへと歩きながら後ろ手を振った。

「ま、顔が見れて良かった良かった。…じゃ、早いけど帰るわ。流石に死にかけ2人と同じ空間は辛いし」

「おー、帰れ帰れー。メーティスによろしく~」

「ルイの分、クリスにもよろしく言っとくよ。じゃあな」

 ジャックの力なくヒラヒラ揺れる手に笑いながら部屋を出る。結局ルイは一言も喋らなかったが、まぁあいつらが呑気に平和に過ごしていたので良しとしよう。

 …今日はクリスもメーティスも何処かに出掛けていて、その暇潰しにフラフラ出歩いているのだが、ジャック達の部屋にも入り浸れないとなると、行く場所は極端に限られてくる。…夕方までセスを撫でて過ごそう。


「セスー…おーい」

 例の踊り場に着くと、俺は早速セスの名を呼んで辺りを見回した。それが毎回のお決まりとなっており、セスの方も時々ミャーと返事のように鳴いたりする。

 暫く繰り返してもセスが飛び出してきたりも鳴いたりもしないので、今日はいないのかなと落ち込んで帰ろうとした所、階段の近く、手摺と床の角にぴったりと嵌まるようにして黒いモコモコした塊が縮こまっている。

 寄っていって見ると、やはりセスが昼寝していた。起こしたら可哀想だなと思い、静かに隣に座って手摺に凭れ、その背中を軽く撫でるだけに留まることにした。

 ふわりと柔らかい毛並みに此方が心地好くなっていると、セスの尾がムクッと浮き上がって、そのまま下から俺の腕に巻き付いた。起きているのかと顔を覗くが、セスは笑ったような顔で眠ったままだった。

 甘えてくれているのかな、と嬉しくなり、また背凭れて目を瞑りその背中を撫で続ける。…今日は珍しく風が涼しいし、ぽかぽかした陽気が眠気を誘った。俺も少し寝ようかな、とセスの背中に触れたままくったり首を傾けた。


 ふと、顔に掛かる陰に目を覚まし、見ると正面からしゃがみ込んだメーティスが楽しそうに微笑んで俺を見つめていた。驚いて身体がビクつくと、知らぬ間に膝に乗っていたセスも飛び起きて左へ駆け出していった。メーティスは残念そうにセスを見送ると、てへへと頭を掻いて俺と眼を合わせた。

「ごめん、起こしちゃったね。あんまり気持ち良さそうに寝てたから、つい…」

 俺は目を丸くしたままポカンと呆けていたが、状況が読めてきて、またセスが戻ってくるとそれを膝に抱きながらメーティスに笑い掛けた。

「…いや、別にいいけどさ。俺の寝顔なんか見てても面白みねぇだろ」

「そう?可愛かったよ?」

「それは何か嬉しくないな。…ってか、用事は済んだのか?クリスは?」

「うん、もう終わった!クリスは飲み物買いに下りたよ!」

 そう答えながらセスの前で指を振って遊んでいるメーティスは、…危機感が足りないのか、何とも可愛らしい下着が丸見えとなっているにも関わらず気付くことなくしゃがみ続けていた。…見ないでやればいいかと思い黙ってセスを見つめていると、メーティスの指を追って顔を振っていたセスが突然暴れだして、また左の方へ駆け出していった。

 そして階段の曲がり角を曲がっていき、その姿が見えなくなると同時に「あら、起きたのね」とクリスが3人分のりんごジュースを小瓶で持って現れた。…クリスはセスが行ってしまった方を向くと、何故か寂しそうにして俺の傍にしゃがんできた。…下着は見えない、ちくせう。

「こんな所で寝ていては身体を痛めるわよ。はい、あなたの分」

「おー、サンキュー」

 にこやかに渡された瓶を開けて飲み、寝起きで渇いた口と喉を潤していく。メーティス、クリスと同じように飲んでぷはーっと一息つくと、メーティスが立ち上がってセスの行った方へと歩いていった。セスは岩壁の後ろに隠れて此方を窺っており、近づいてきたメーティスと眼を合わせそのまま見上げていた。ひょいっとメーティスの胸に抱き上げられ、不安そうにキョロキョロと見回していたセスは、クリスの傍に近づいて来ると途端に総毛立って牙を剥いた。

 シャーッ…と小さく鳴いて威嚇している姿など、俺もメーティスも初めて見て少し戸惑った。クリスは立ち上がってメーティスに歩み寄り、未だ威嚇を続けるセスと眼を合わせた。

「…私、昔から動物に嫌われるのよ。…動物だけじゃないわね。……まぁ、人間じゃないから仕方無いのかしら」

 言いながらその声を掠れさせていき泣きそうになっているクリスに、メーティスが前のめり、俺も慌てて駆け寄った。

「大丈夫、大丈夫だよっ!私クリスのこと大好きだからねっ!レムもそうだもんねっ!ねっ?」

「あぁ、そうさ!俺はクリスが……ん?待った、そうじゃねぇ!いや、別にいいのか!?何か訳分かんなくなったが俺はクリスが好きだぜ!友達として!」

「あっ、ありが…とう…。…えっと、私も2人共好きよ?」

 困惑するクリスも頬を赤らめてそう答える。…何だこの空間。

 ふと、セスが唸るのをやめて体毛も落ち着いていく。どうしたのだろうかと3人で眺めていると、セスは尻尾をピンと立ててクリスを向きながら鼻をヒクヒクさせた。そしてクリスと眼を合わせ、ミャウと短く鳴いていた。

「セスもクリスが好きだって!」

「えっ…そ、そうなの?」

 嬉しそうに笑ったメーティスはセスの行動をそう解釈して、セスを両手で持ってクリスに差し出した。「はい!」とメーティスは自信満々だが、先程まで威嚇されていたのでクリスは不安げだった。どう受けとればいいのか分からずクリスは両手を宙で彷徨わせてオロオロしていたが、メーティスが胸に押しつけてくるので慣れない手つきで抱え始めた。

 セスは抱かれ心地が悪いのか何度かジタバタして、クリスは「あっ、ごめんなさい!ごめんなさい!」と慌てて抱き方を変えていく。漸くセスが落ち着くと、クリスとセスは向かい合って顔を寄せていた。不思議そうに見つめているクリスの鼻に、セスの鼻がキスをした。

 クリスは暫しキョトンとセスを見つめ、不意に糸が切れたようにセスを抱き締めた。その両腕は壊れ物に触れるように優しく、クリスはプルプルと肩を震わせて泣いているようだった。

 俺とメーティスは顔を見合わせて笑い、2人してクリスの背中を撫でてやったりした。…初めて動物に好かれたんだろうな。そう思うと此方まで泣けてきそうだった。

 クリスがいろんな人に好かれたらいいな、と優しい気持ちになって、陽が暮れるまでそんな時間を過ごした。


 それから数日後、この頃そうであるように家の掃除やチェルスの副業であるらしい手芸を3人で分担して手伝っていた所に、この家には珍しく玄関のチャイムが鳴って俺が出た。すると驚いたことにルイとロベリアを先頭、後方にジャックとリードが並んで訪問してきていた。因みにチェルスの本業というのはこの家の管理とクリスの世話とのことだが、今はそれはいい。

「何だよ、お前ら突然。…つーかよくクリスん家分かったな。…あれ?ロベリアには教えたんだっけ?」

 首を傾げている俺に4人は顔を見合わせて含み笑いし、ロベリアが首を振って答えた。ジャックがさっきからチラチラとリードに敵意染みた視線を送っているが、リードは知らん顔だしルイは呆れて溜め息をついている。

「ううん、レムくんには教えてもらってないよ。クリスティーネさんに教えてもらったの。…今日私達を呼んでくれたのもクリスティーネさんよ」

「え?クリスが?…まぁ、とりあえず上がれよ。クリスが呼んだんならチェルスも文句無いだろうし」

 そうして4人を招き入れ、「お邪魔します」がハモる中クリスとメーティスが笑って廊下で出迎えた。

「あら、もう来たの?…えっとどうしましょう、とりあえず案内するわね」

「あ、うん、お気遣い無く。ごめんね、予定より早く皆集まっちゃって」

「いいえ、いいのよ。…シノアももう準備出来てるかもしれないし、此方も早く色々出来て助かるわ」

 クリスとロベリアがそんな風に話しながら全員を連れてダイニングへと歩いていく。どうやら以前から何か予定立てていたらしいが、何の話なのか俺には検討も付かない。

 ダイニングでは手芸用に連ねてあった2つの白い長テーブルの上が綺麗に片付けられており、気付けば8人分の椅子が用意されている。シノアも合わせれば俺達の人数分となるが、何だろう?…チェルスの席は無いのか?まぁ何をするにしてもこのメンツにチェルスが交ざっても気を遣わせるかもしれないが。

「ジャックくん、レムを連れてシノア迎えに行ってもらっていーい?4時頃戻ってきてくれたらいいから」

「おう、お任せあれ!」

 ずっとリードを威圧していたジャックはメーティスに頼まれるとニカッと笑みを作り、サムズアップして俺の肩を抱いた。この暑いのにくっつくなよ…。

 俺を追い払ってどうするのかと考えながら、「よし、案内頼む」と笑うジャックと共に家を出た。他の奴らは俺がいなくなる直前から何やら始めたらしく、俺は自分抜きで進んでいく状況が気になって落ち着かなかった。


「いやぁ話には聞いてたけどこんな美人さんとは!マジで今日呼んでもらって良かったわ!じゃ、4時まで何して遊びましょっか、シノアさん!雑貨屋とかでいいッスか!?カフェ行きます!?」

「あ、はい。どこでも構いませんよ。レムリアドさんはどこがいいですか?」

 シノアと合流して街を歩く間、このようにジャックが盛りついた犬のようにシノアの隣を陣取っていた。シノアが若干困った様子でいるが、それ程嫌がってる様でもなさそうなので放置している。

「ま、俺は何処でもいいんだけどさ。…それより、今日はどうしたんだよ?皆で集まる予定みたいだけど、何かの祝いか?」

「は?…え、お前今日何日か忘れたのか?」

 驚いたジャックとシノアが揃って困惑の眼を俺に向けた。…ここ最近カレンダーを見ていないし日にちを気にしなかったため失念していたが、『何日』と強調されて初めて気がついた。…そうか、ひょっとして今日って9月22日か。

「…え?…もしかして今日、俺の誕生日祝い?」

「うん、そうだよ。ってかお前、普通自分の誕生日忘れねぇだろ!っていうか気付けよ!……あ、もしかして今まで家族に祝ってもらったこと無い勢か?すまん、悪気は無かった」

「いや、違ぇよ。普通に忘れてただけだ。…けど、そっか。…へぇ…」

 ジャックは冗談でからかいつつ、手近にあった陶芸店へと足を進めた。きっと今の俺はだらしない顔をしているのだろう。無性に嬉しくて弛む頬を右手で隠していると、シノアが困った様子で笑っていた。

「クリスティーネさんから、『レムが不貞腐れたら可哀想だから』と言われて無理に隠したりしないようにしていたんですが、忘れていたならサプライズするべきでしたね。…まぁ、4時までのお楽しみにしましょう」

「そうだったのか。…クリスの誕生日もちゃんと祝ってやらなきゃな」

 ユダ村では歳の近い友達がおらず家族が祝ってくれていて、友達に誕生日を祝ってもらえるのなんて初めてだった。クリスも自分のことで手一杯のはずだろうに…必ずお礼をしよう。

 ことの成り行きを話すシノアの横で、ジャックはマイペースに皿や碗などを眺めていた。その後も何だかんだと時間を潰して過ごし、約束の時間に家へと帰った。…どうでもいいが、ジャックはもうちょっと女子との遊び方を勉強するべきだと思う。


「…じゃあ、みんな行くよー。はい、せーのっ…」

「「誕生日おめでとう!」」

 メーティスが音頭を取り、皆が声を揃えてクラッカーを鳴らした。リードはクラッカーを鳴らすのみだったが、いつも通り穏やかに笑って参加していたので悪い気にはならなかった。そもそもリードはそういうノリが苦手そうなタイプなので、無理にしてくれなくても構わなかった。

 問題なのはジャックの方だ。こいつは口でもクラッカーでも祝ってこそいるが、目尻をビキビキと震わせて恨みの篭った視線を浴びせている。理由は明白、俺の左右にシノアとロベリアが控え、見るからにその2人が甘い空気を漂わせているためだ。…ジャックの何があってもぶれない姿勢は嫌いじゃないが、こういう時くらい抑えてもらいたい。

「横から失礼致します」

 チェルスが俺の横から両手で大皿を運び込み、その大皿の上には苺のショートケーキがホールで盛られ、16本の蝋燭が立てられている。チェルスは部屋の灯りを消しに行き、入れ替わって紅茶を配っていったクリスが蝋燭に火を点ける。

 ケーキを見つめていた俺を盗み見たクリスが不意に「フフッ」と黄色い声で笑い、俺は照れや恥ずかしさも相まって「何だよ」と不機嫌っぽい声を出した。

「いえ、ごめんなさい。…レムがイチゴを見て凄くニコニコしていたから…喜んでもらえて良かったわ」

 死ぬ程恥ずかしい思いで額を押さえる俺を他所に、蝋燭は全て灯り、部屋の照明は消える。羞恥を掻き消すつもりで火を吹き消し、また部屋の照明が点くと皆が拍手して笑う。戻ってきたチェルスが10等分にケーキを切り分け、俺に2人分、他には1人分ずつ配って「では、後ほど失礼します」と自分のケーキを手に去っていった。

 ケーキに手をつけるより先に、パンッと手を叩いたメーティスが皆に笑い掛け、

「じゃあ、食べる前にプレゼント渡すね!レム、いつも良くしてくれてありがとう!はい、これっ!」

 と、両手で箱を渡してきた。中には色とりどりのハンカチがセットで入っている。それに続いて今度は、

「レム、いつもありがとうね。大したものではないけど、私からも受け取って」

 クリスから紫のお守り。…何か高そうなんだけど貰っていいのかこれ…。

「じゃ、俺からも。誕生日おめでとう。これからもよろしくな」

 ルイからは赤縞のミサンガとパワーストーンのブレスレット。

「レム、誕生日おめでとう!…そしてリア充爆死しろ」

 ジャックからハンドグリップと簡易藁人形。…おいこらてめぇ、この藁人形さっき買ってきただろ見てたぞ!ってか何で藁人形なんだよ、呪うぞ!

「はい、レムくん誕生日おめでとう。色々あったけど、これからもよろしくね」

 ロベリアからはバスセット。何かお洒落。大切に使っていこう。

「誕生日おめでとうございます。レムリアドさんの喜ぶものが分からなかったもので…。無難な物になってしまいましたが、どうぞ」

 シノアからは安眠枕。流石お金持ちが選んだだけあって普通より素材やらがサラサラフワフワしてらっしゃる。…あと、何か凄いいい匂いする。

「レム、誕生日おめでとう。僕からは以前腕時計もあげたし、高価だと気が引けるかと思って軽めの物にしたよ。正直誰かと被る予感がしていたんだけど、そうならなくて良かったよ」

 リードからは装飾が凝った黒いベルト。合わせられるようなイケてる服を持っていただろうか?…多分持ってないのでその内買おう。

「…ホントありがとな。皆も誕生日が来たら絶対プレゼント渡すからな。本当、マジでありがとう」

 そうして頭を下げた俺に皆が照れたように笑い、自分の誕生日を口々に教えてきた。ジャックとルイ、それにリードやロベリアもとっくに誕生日を過ぎていたので、来年こそは祝おうと心に決めた。

 シノアは来月だと言うのでまた皆で祝おうと思ったが、生憎家族での予定が立っているらしい。プレゼントだけにしておくことにした。クリスやメーティスの時には張り切ろう。

 それから1時間近くケーキを食べたり各々談笑したりして過ごした。ロベリアやそれに対抗したシノアがケーキを俺に食べさせようとし、その都度ジャックから憎悪の眼を向けられていたが、それを振り切るためにトイレに逃げてからはそれも無くなった。

 その後、全員がケーキを食べ終えて紅茶も飲んだ頃を見計らったチェルスが夕食を用意して現れた。

「どうぞ、皆様も召し上がって行って下さい。わざわざお越しくださった皆様へ、この老婆から心ばかりのお礼です」

 ジャックは待ってましたと調子良く笑い、ルイがそれを窘めてチェルスに謝る。明るい空気で夕食が始まると、何処かホッとした様子でチェルスは引き返していった。

 …チェルスもかねてから友達がなかなか出来なかったクリスを案じていたのだろうし、今のこの状況は本当に嬉しいのだろうなと思った。もしかすると、この場に同席させたらチェルスは感極まって泣き出して、そのまま俺の誕生日会だと言うのも忘れてクリスの幼少期を語り始めるかもしれない。それはそれで見てみたいが、今日は1人にしてやった方がいいだろう。

 ジャックの気持ちいいくらいに若者らしい食べっぷりに女性陣が感心して目を丸くしている中、俺は今度こそ本当にトイレへとその場を脱して、そして戻ってくるとクリスとリードがいなくなっていた。メーティスに、「あいつらは?」と訊ねると、

「リードくんがどっか行ったからクリスが探しに行ったよ。その内戻ってくると思うけど」

 リードが席を外したなら十中八九この空気に耐えられなかったからだろうが、そうなると2階のバルコニーで煙草でも吸っているのだろうか。煙草にリベンジするのもいいかと思い、「ちょっと見てくる」と廊下へ出て階段を上がっていった。

 予想通り、2階の廊下を行った先にある扉を開け、バルコニーのフェンスに凭れ掛かってリードが煙草を嗜んでいた。フェンスの上は平らになっており、その上にはリードが持参したらしい灰皿も置かれている。ただ、彼の横にはクリスもいて、彼女は叱るように眉を寄せてリードを向いて立っていた。

 俺は2人がどんな会話をするものか気になり、扉の脇に隠れて覗き、聞き耳を立ててみた。クリスは気づいているのか一瞬此方を見たようだが、特に気にするでもなくリードを向いたままでいた。

「本当に、身体を悪くしても知らないわよ。よくは知らないのだけど、その銘柄って他の煙草より害が多いのでしょう?」

「そんなこともないと思うけどね。まぁ、早めにやめるように心掛けるよ。どのみち2年になったらもう喫まないし、今すぐ身体を壊すというものでもないから心配は不要さ」

「そう…。…それはそうと、今日はありがとう。レムの誕生日会に来てくれて」

「いいや、礼を言われることじゃないさ。僕もレムのことは嫌いじゃない。他の生徒と一緒にいるより彼の方がずっと自然体で過ごせるしね」

 リードから出た思わぬ言葉に、俺は驚きながらも照れ臭い思いで、盗み聞きはやめてもう戻ることにした。クリスも意外だったようで「そうなの…?」と上擦った声で訊ね、リードは持参したらしい灰皿に煙草を押しつけながらクリスに身体を向けた。

「まぁ、それだけじゃないけどね…。本当は少し下心もある」

「下心って…?」

 クリスは訝しそうに首を傾げ、歩み寄ったリードに少し警戒して後退っていた。リードはそんなクリスに静かに笑って、緊張も何も無く、穏やかな姿勢を崩すことも無く告げていた。

「僕は君が好きなんだよ」

 クリスも、ましてや俺も、リードの一言を聞いてその場に固まっていた。リードはゆっくりとクリスの前に歩いていき、そのまま正面から抱き締めていた。背中に両手を回されたクリスは虚空を見据えたまま目を見開くだけであり、リードを拒むことを悩むかのように身動き一つ取れないでいた。

「君のことが知りたいのさ」

 リードの告白に、俺は立ち去ることを忘れていた。祝福するべきか、引き裂くべきかは別として、目の前に繰り広げられている知人同士の求縁に動くことも叶わなかった。

 ただ唯一喜ばしいことだと思えるのは、勇者の末裔であるクリスを好きになる者が現れたことだった。しかし俺は、どうやらそれを嬉しくは思っていないように思われた。

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