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第19話 清涼な初秋

「ようこそおいでくださいました。…皆さんが揃って来られるのは初めてですね。レムリアドさんだけだったり、レムリアドさんやクリスティーネさんがいなかったり…」

「…あー、そう言えばそうか。今月はちょくちょく皆で来ようかなって思ってんだけど、大丈夫か?」

「はい、是非とも!いつでもお待ちしておりますから!」

 シノアはニコニコと嬉しそうに俺ばかり見て話し、俺の左右に座るクリスとメーティスはそんな俺達を交互に観察しながら紅茶を飲んでいた。今日は8月23日、日曜日。長期休暇開始から早15日である。

 テスト勉強期間中(厳密に言えばその前週の金曜以降)シノアとの文通を中断していたのだが、長期休暇に入ってまた文通を再開してきた。そしてお互いのこの頃を伝え合っている内にクリス達を連れて家に遊びに行くことになったのだ。相変わらず休むことを知らないクリスを勉強や仕事から引き離すため、そして左手の傷の完治を報告するためだ。

 早速手を差し出して見せると、シノアは真剣な眼差しで傷痕を見下ろし、何処か愛しそうに撫でていた。ツルツルした桃色の縦線が手の甲から軽く出っ張り、そこへ数本縫い跡が交差している。握るとその傷痕に肌を引っ張られて痛むため、左手は普段強く握らないようにしていた。

「…あの時は…いえ、その後も迷惑をお掛けしましたね。…もしかすると今もまだ迷惑をお掛けしているのかもしれませんが、…全て引っ括めて、本当にお詫びしてもしきれません。…彼女さんとは、上手くいっていますか?私のせいで何かあっては、…申し訳ありませんから」

「いや、大丈夫だ。そいつとは一応別れようって話したから、シノアが原因でどうこうってことは無い。確かに文通とかのことで色々言われたけど、別にお前が気に病むようなことは無い」

「…え、…あの、それって…」

 シノアはほんのり頬を赤くして期待の眼を向ける。メーティスが少し慌てて俺に声を掛けようとしていたらしいが、それより先に俺が話し出すとメーティスも言葉を引っ込めた。

「つっても、結局別れてないんだけどな、多分。ちょっとややこしい感じになってるから。…別れたら暫く彼女は作らないかな」

「あ、そうなんですか…」

 シノアは途端に眼を伏せて自嘲気味に笑い落胆した。…脈が無いことはアピールしておかなくてはならない。ロベリアをフったら今度はシノア、なんてことは御免なのだ。

「…そう言えば、シノアさんは普段何をしているの?お医者様の娘ということだから、大体の想像は付くのだけど」

 話が妙な方に進みそうになったため、早々にクリスが話題を変えてくれる。本当に助かります、ありがとうお嬢様。

「あぁ、えっと、…そうですね。…母の病院に通って研修などを受けさせてもらったり、家で医学書を読んだりしています。医者を目指すことも母には許していただけましたので。…皆さんは、アカデミーではどういったことをなさっているんでしょうか?秘匿事項だったりするのでしょうか?」

「いえ、別にそんなことは無いわ。…でも、どこから話すのが伝わり易いかしら…」

 クリスは顎に手を当てて真面目に考え、今俺達がやっているアルバイトのことを話し始めた。

 そう、クリスのアルバイト開始から2日遅れに俺とメーティスもアルバイトを始めることとなったのだ。俺はマイクの下で調査報告書整理、メーティスはカトリーヌの下で討伐軍支援本部の受付担当とやらに就いていた。文通では内容を伏せていたので、シノアには興味深いようだった。

 …何か俺達3人の中ではメーティスの場所が圧倒的に激務らしく、昼休憩の時間に一緒に弁当(クリスとチェルスの2人で毎朝作ってくれている)を食べていると疲れきった顔で愚痴をつかれる。あのカトリーヌのほわほわしたイメージからは全く想像がつかないが、あれで結構スパルタらしい。…途中でお菓子をくれたりもするらしいが。

 1週間以上もやっていれば効率も考えるようになり、少しずつ楽しくもなってきていた。仕事の目的が分かればより楽しい。…調査報告書というのは、その名の通り討伐軍の各パーティが1ヶ月周期で提出する報告書のことである。そしてこの報告書の内容を統合し冊子として各地の宿に配布することにより今後の調査の発展を図る。この冊子を『アカデミー通信』と呼ぶ。

 これは教科書を探しても載っていなかったためマイクに訊いたのだが、どうやら2年の勉強範囲だったらしい。そしてそれを何故か知っていたクリスとメーティス。…あの2人、何処から2年の範囲の知識仕入れて来るんだろう?

 まぁそれはさておき、アルバイトは順調だ。それに引き換えロベリアの件である。俺は何度かロベリアの部屋の前まで行ってみたり、実際に顔を合わせたりしていたのだが、どうしても後1歩勇気が出せず挨拶に留まって逃げてしまっていた。ロベリアも俺から切り出すのを根気よく待っているようで、いつも微笑んで口出しせずにいる。…これなら組伏せられて無理やり聞かされる方が楽だ。

 ロベリアをどうしようかと悩む俺を他所に3人の会話は盛り上がっていく。その内メーティスもシノアに愚痴を聞かせ始め、シノアも親身に頷いて労っていた。

「皆さん大変なんですね…。ここ最近は暑い日が続きますから、仕事中は水分をよく取るようにした方がいいですよ。特にメーティスさんの部署は今聞いた感じですと会話の量が多いようですし、喉が渇き易いでしょうから」

「ねー、暑いよねー。クリスが水筒持たせてくれるんだけど時々足りなくなっちゃうの。その度にクリスのを分けてもらってて悪いなって思ってね、昨日少し大きい水筒買いに行ったんだけど、やっぱり可愛いのが見つからないんだー。もう普通の大きさのやつ買って2本持って学校行こうかなぁ…う~ん…」

 両腕で頬杖したメーティスが難しい顔でそんなことを呟くとシノアは楽しそうに笑っていた。…シノアは以前、俺が同年代で初めての親しい相手だと言っていた。こうしてクリスやメーティスとの会話で心底楽しそうにしているシノアを見るに、あの言葉は本当だったのだなと実感した。

 目を瞑って下らないことに悩み続けているメーティスを俺達は眺め、クリスがまた紅茶を嗜んでいた所に、

「プール行きたい!」

 突然メーティスが顔を上げて提案した。…お前、水筒のこと考えてたんじゃなかったのか。

「プールでしたらありますけど、準備に数時間掛かりますよ?」

 呆れていた俺だったが、シノアのあっけらかんとした返事に驚きの剰り勢いよく振り向いて首を痛めた。首を押さえて悶絶する俺の背中を「ちょっと、大丈夫?」とクリスが優しく擦ってくれた。

 …ただでさえ贅沢な遊びであり俺ですら1度しか行ったことがなかったプールなのに、…それを家の敷地内に持ってるとか…、金持ちって怖い。…ユダ村にはデカい水源があるため一応市民プールと言うものがあるのだが、とても娯楽のために出せる料金ではなかったため村でも金のある連中が家族サービスで利用する程度だった。…それが、家にある、だと…?

「だ、大丈夫ですかっ?ゴキッて言いましたよ今!」

「あ、いや、平気平気…」

 立ち上がったシノアを片手で制して座らせ、…相手がシノアじゃなきゃ悪態の1つもついたのに、と変な悔しがり方をしつつメーティスを向いた。

「流石にプール使わせてもらうのはシノアん家に悪いだろ。準備も片付けもシノアん家がやるんだぜ?」

「ううん、アムラハンの市民プールに行くの。…あ、そっか、今レムお金無いもんね。…じゃあ無理かぁ…」

 普段の俺でもそんな金使えねぇよ。メーティスも微妙に金銭感覚が狂ってる気がしてきた。

 そこへシノアが手を合わせ笑って、

「来週、皆さんに用事が無ければプールのご用意を致しますのでどうぞいらしてください。私も久しぶりに泳ぎたいですし」

「ほんとっ!?やったぁ!」

 万歳して喜ぶメーティスにシノアも嬉しそうに笑い返す。クリスも楽しそうにそれを眺め、遠慮しているのは俺だけだった。…この人達ブルジョワ過ぎて感覚が合わない。

 シノアの視線が俺に移り、一瞬その笑みが陰るのを俺は見逃さなかった。…女がこの顔をした時は、ほぼ確実に嫌な目に遭う。

「レムリアドさんも、よろしければ彼女さんも誘ってプールで遊びましょう。何でしたら夕食やお部屋も用意しますので皆さんで泊まりに来てはどうですか?折角部屋が有り余っているのに最近は使う機会が無いので使用人達も掃除のやり甲斐が無いと嘆いておりますし」

「い、いや、流石にそんな、何も無いのに泊めてもらうのは申し訳ないし…っていうか、ロベリアとは互いに面識無いんだから気まずいだろ?まぁ来週は俺達で遊びに来るから、プールだけ用意しといてくれよ」

「いいえ、是非泊まって行ってください。思えば助けていただいた件へのお礼も、クリスティーネさんやメーティスさんにはまだ何も出来ていません。…それに、私も友人を家にもてなしたりしたいんです。…お2人はどうでしょうか?無理にとは言いませんが…」

 シノアがメーティス、クリスと順に眼をやると、

「いいのっ?私泊まりたい!」

「ご迷惑でなければお邪魔させてもらいたいわ。私もそういったことに少し憧れていたから。ロベリアさんも連れてくるわね」

 ほぼ満場一致だった。勝手にロベリアのことまで了承していたクリスに顔を寄せ、「おい…」と威圧混じりに低い声を掛けるも、クリスは然して関心も払わずに俺を窘めに掛かった。

「いい機会じゃない。シノアさんとロベリアさんとの間に蟠りが無くなれば、ロベリアさんと別れた後あなたも過ごし易いでしょう?それにこんなイベントでも無ければ、あなたロベリアさんとまともに話し合えないじゃない。…プールで一緒に遊んで距離を戻して、夜にでもロベリアさんを部屋に呼んで話せばいいのよ。そうすれば新学期までの1ヶ月と少し、気持ちよく過ごすことが出来るはずよ」

 …反論の余地が無い。クリスの言うことは尤もだし、単に俺の踏ん切りがつかないだけの話だった。だけど、…ロベリアはシノアを嫌ってるし、シノアも少し不穏な空気だしで、良くないことが起きる可能性も十分にあるのだ。ただ、それを此処でクリスに言い聞かせてもどうなる訳でも無い。

 …覚悟を決めるしかなさそうだ。どのみち、今避けても俺が危惧するそれらはいつか何かの理由で爆発しかねない。それなら自分の手でどうにかするべきだ。

「…シノア、土曜日にお邪魔するから。頼む」

「はい、お任せください!」

 にっこりと微笑み頷くシノアに平和な未来を託す他無かった。


 窓の無い広いドームを照らす照明はさながら太陽のように眩しく、その下で飛沫を上げて舞い上がるビーチボールとそれを追って騒ぐ3人の美少女もまた太陽のように燦々と…。

「…レム、何だか生気の無い顔をしているけど、どうしたの?」

 喧騒から僅かに離れた場所でプールに足をつけて涼んでいたクリスは、同じように座っている俺を脇から覗き込んだ。振り向くと、水玉ビキニに青いスカートの可愛らしい水着を纏って後ろ髪をローポニーに結ったクリスの鎖骨から、ツーッと水滴が胸の谷間へと流れ落ちていった。

「いや、何か1週間気を張って今日に備えたのに、思った以上にすんなりあの2人が打ち解けてて肩透かしを食らったというか…」

 そう言って顔を向け直した俺の視線をクリスも追う。プールの水に浸かってバレーを楽しむ3人は、華やかな水着に彩られて笑顔を輝かせていた。メーティスの水着はクリスとお揃いのデザインだが、色はピンクである。色が違うだけなのにメーティスの水着は子供っぽく見えるという不思議。

 シノアは灰色のビキニに白いパレオと意外なファッションセンスを見せ、ロベリアはオレンジのボーダー柄ビキニに合わせてデニムのショートパンツを穿いている。それらの水着は全てシノアが提示した中から本人達で選んできたものだが、俺は何でも良かったのでシノアに選ばせた。黒いサーフパンツになった。

 きゃっきゃっと無邪気にボールを追っていたシノアとロベリアが、不意に折り重なってプールの中に共倒れる。そして顔を出し、ずぶ濡れになった2人は同時に拭った顔を見合わせるとケラケラ笑っていた。

「ほら、あいつら仲いいだろ?もっと険悪な感じになると思ったんだよ俺」

「まぁ、元々いい子達だから。あなたを巡ってやっかみはあったかもしれないけど、嫌い合うような理由は本人達には無いもの」

「そう言うもんかな…?…まぁ、良かったけどさ」

 涼んで話す俺達へと振り返ったメーティスは、楽しそうに笑って右腕を振ってきた。それに小さく手を振り返して微笑んでいたクリスは俺を横目に見て軽く背中を叩いた。

「あなたもほら、混ざってきたら?ロベリアさんと話をするならこういう所で話し易い空気を作っておいた方がいいでしょう?私に構っていたって何にもならないわよ」

「それ言うんならお前も楽しめよ。前に比べて力の調節は出来るようになってきてるんだろ?一緒に遊んでも怪我なんかしねぇよ」

「夢中になってしまったらどうなるか分からないもの。それにあの子達を眺めてるだけで十分楽しいし」

 クリスは言い返して未だ騒いでいる3人を見つめると頬を柔らかくして微笑み、それから遠い目をした。俺は溜め息をつきつつ少し考えた後、クリスの肩に腕を回した。クリスはビクッと背筋を伸ばし、驚いた様子で俺に振り向いた。

「え、何?どうかしたの…きゃあっ!」

 俺はクリスを無視してプールの縁を蹴り、クリス共々水の中へ倒れ込んだ。腕を離して水中から飛び出すと、同時にクリスも顔を出した。長い髪が顔に張りついたクリスは両手で顔を拭って指先で髪を横に逸らす。俺も右手で顔を拭いて前髪を押し上げ、仰天して目を丸くしているクリスを見て思わず笑っていた。

 腹を抱えている俺にクリスはキョトンとしていたが、徐々に顔を赤くして眉を寄せると詰め寄って怒鳴ってきた。

「…い、いきなり何をするの!もうっ、髪が濡れたじゃない!」

「いやぁ、わりぃわ…り…っくく、あっははは!」

「レム!?もう、何笑ってるの!」

 怒り心頭のクリスはローポニーを両手で絞って留めゴムの位置を直し、俺は若干ツボに嵌まってヒーヒーと息をついた。そして落ち着くとクリスの手を取り、軽く頭を下げて謝った。

「いやー、マジごめんって!…けど、これで濡れる心配なんかせず心置き無くプールで動けるだろ?胸まで浸かっといてまたプールの縁で休むとか言うなよ?」

「…べ、別に濡れたくないから遊ばないんじゃないわっ。…ただ、私は、何か壊したりしたら大変だと思って…」

「いーからいーから、バレー混ざりに行くぞ。俺がお前置いて遊びに行くわけねぇだろ」

 クリスの手を引いてメーティス達の下へと歩いていくと、彼女らも俺達が近づいてくるのを笑って待ち構えた。クリスは抵抗せず俺に引かれて歩き、「お節介よ…」と悪態をついた。振り返るとクリスは左に俯き、その目は重くなった前髪に隠れて見えなかった。

「お互い様だよ」

「…もぉ…」

 クリスは顔を上げず、不機嫌そうに溜め息をついた。ちょっとやり過ぎたかなと反省しつつ前を向くと、途端にフフッと小さな笑い声が聞こえた。

 それからプールを上がる最後まで、クリスは楽しそうに笑っていた。


 その夜、ロベリアも交えて豪華なディナーを振る舞われ、腹一杯それを食べると順番に風呂に入った。最初はレディファーストということでクリスとメーティス、交代で俺、そして最後にシノアとロベリアが水入らずで入浴することとなる。

 相変わらず駄々っ広い浴場に気後れしつつ、『…さっきまでクリス達がここで…』と桃色の妄想を繰り広げて入浴を終えると、その後は与えられた寝室に籠って休みながらロベリアとのことをどうしようか考えた。

 結局のところ、プールでも食事中でもロベリアとはまともに会話を交わさなかったし、ちゃんと話そうと声を掛けたりも出来ていなかった。…このままだと何も解決しないまま明日を迎えてしまう。

 何とかしなくては、ロベリアが風呂を上がったら会いに行かなくては、と自分に言い聞かせていると、不意に部屋のドアをノックされた。ロベリア達が上がったとメイドが報せに来たのだろうかと、若干緊張しながら「どうぞ」と言い返すと、ドアは静かに開かれて、バスローブを来たロベリアが優しく笑って入室した。

「…話、あるんだよね?」

 ロベリアは既に知っていた。ドアの前に立つ彼女を他所に逃げ出すことも叶わない。…俺は深く呼吸を繰り返し、ベッドに座って呼び寄せた。

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