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第18話 見知らぬ自分

???「知らない天井だ」

 シャワーの音に目覚めた時、俺は見覚えの無い部屋に横たわっていた。身体を起こし、頭痛と吐き気に額を押さえ、見ると俺は下着姿だった。見渡せば部屋を埋め尽くすような巨大なベッドの上にいて、枕元にはちり紙入れ、足の向く先には俺の服と、…ロベリアの服が一緒になって放られていた。頭が働かずぼんやりしていると、いつの間にか右奥の廊下から聞こえていたシャワーの音が止んでいて、ガラガラと戸が開いたらしかった。

「……ロベリア?」

 呟くと、「んー?」と何でもなさそうな軽い声が聞こえ、布の擦り音と共に明かりの消えた方から廊下へとロベリアが姿を現し、俺を見るとタオルを肩に掛けて歩いてきた。

 頬を赤らめ、楽しそうに笑う彼女に、普段見るような処女の清純は影も無い。風呂上がりの上気した肌をそのままに、上下ピンクのレースの下着を身につけて、彼女は俺に覆い被さってきた。そしてそのまま、彼女の唇が俺の口に押し当てられた。

「おはよ、レミオくん」

 …徐々に、意識が鮮明になってきて、その状況の異様さにいよいよ疑問が追い付く。俺は無意識の内にロベリアを突き放して反対の壁まで後退っていた。そして直後、強烈な吐き気を催して口を押さえベッドに踞っていた。

 どこだ、ここはどこだ!?どう見てもホテルだが、何でこんなとこにいるんだ!?…ロベリアと呑みに出て、別れ話の末に帰り道、唐突に彼女に抱擁され…それから……覚えていない。

 俺は終始殆ど酔っていなかった。それに少なくともあの夜風に頭も冷えていたはずだった。あの状況から酔いで記憶が飛ぶようなことがあろうはずも無い。…なら、何で何も覚えていないんだ?

「レミオくん…?どうしたの?具合悪い?」

 ロベリアは下着姿を隠すことも無くベッドを這って近寄り、心配そうに俺を覗き込む。…前の彼女からは想像も出来ないその積極さに、彼女と自分との一夜の可能性を強く感じる。…ただ、それ以前に…、

「…ロベリア…レミオって、誰だ…?」

「えっ…?」

 ロベリアは首を傾げて不思議そうに俺を見つめると、ムスッと口を尖らせて詰め寄った。その胸が、俺の肩に触れる。

「レムくんが言ったんでしょ…レミオって呼んでって…」

 ロベリアの言葉に、理解がまるで追いつかなかった。真っ白に爆ぜた思考で、何とかその言葉を反芻している内に、…これは以前、ずっと以前にも同じようなことが起きたようだと思い出した。

 …あれは…そう、確か…妹のフルの、11歳の誕生日。…両親が出掛けていて、妹と2人で留守を任されて、その夜…何か恐ろしいことが起きた気がする。……翌日、何故か俺は妹と一緒にベッドで眠っていて、聞くに、俺が酒に酔ってベッドに連れ込み眠りこけたという。

 しかし、昨日の俺はそう簡単には酔わなかった。呑んでいた記憶もちゃんと残っている。…酒が抜けていった頃になってからの記憶が抜けている。

 …おかしい…何かおかしい……。

「俺は…昨夜…何を……」

 更に強まる吐き気と頭痛。俺は遂に両手で口を押さえ、ベッドに額を擦って身体を震わせた。ロベリアは俺の背中を手で擦って心配そうに顔を寄せると、目を丸くして、

「レムくん、また『僕』から『俺』に戻ったね」

 その一言に身体がぐらつき、シーツの上に激しく嘔吐した。


 俺が意識を取り戻した時、傍にいたのはメーティスだった。

「レムっ!大丈夫!?起きれる!?気分悪いとかない!?」

「……いや、大丈夫だ。…今はそんなに…」

 言い終わる前にドアを開け放たれ、続いてクリスの声がした。辺りを見回して初めてそこが病室であると分かり、クリスの発言がそれを裏付けた。

「診察費払い終えたわ。少し休めばすぐ回復するとのことだけど…」

「クリス!レム起きたよっ!だいぶ良くなったって!」

 メーティスは振り返ってクリスを呼び寄せ、クリスは「あぁ、良かった…!」と息をつきながらベッドの傍に駆け寄った。労って優しく目を細めるクリスに顔を寄せられ、垂れ下がった髪に首を擽られて意識が鮮明になっていく。

「ロベリアさんが、突然吐いて倒れたって言うから…。…大丈夫?先生は身体に問題が無いから2日酔いだろうって言うけど、ロベリアさんの話だとあまりそうは思えなくて…」

 …吐いたって言ってるのに今顔を寄せられても困る。クリスに息が掛からないように口を押さえ横を向いて答えるが、クリスに全く気にする素振りが無くて奇妙だった。

「…いや、もう何ともないし平気だ。悪いな、心配かけて」

「いいえ、でも、この土日は安静にしましょう。…立てる?まだ辛い?あ、待って。看護婦さん呼んでくるわ」

 クリスは忙しなくまた病室を出ていき、静かになるとメーティスが笑い掛けて「…結構元気そうで良かった」と俺の手を握った。その手の温かさに妙に気恥ずかしくなり、適当な話題を探して誤魔化した。

「…なぁ、ロベリアはどうしてる?」

「ロベリアさん?レムをここに運んでからお医者さんと話して先に帰ったよ。…何か、『今私が一緒にいるのは良くないかも』って…。よくわかんないんだけど、ロベリアさんと朝まで何してたの?お酒呑んでたっぽいのはわかるんだけど」

「…昨日は、バーで呑みながら別れ話してた」

「えっ、別れたの?…ん?じゃあ何で朝帰りだったの?」

「まぁ、…色々あってな。…けど多分、あの感じだと別れ話も無かったことになってる気がする」

 メーティスは、よく分かんない、と肩を竦めた。その後、数分してクリスが連れてきたのは若くて美人な看護婦と赤黒い顔のずんぐりした中年の医師だった。看護婦は絶えず微笑んで俺に手を貸し、「ゆっくりで大丈夫ですよ」と、まるで幼児か老人に話し掛けるような不気味な優しさを見せて俺を立ち上がらせた。

 医師は表情を作るのが苦手なのか声音だけ穏やかにして真顔のまま、

「診察費はセントマーカさんが一旦立て替えてくださっているので、どなたが持つかは追ってご相談なさってください。また、レムリアドさんにはお話ししておきたいことがあります。然程時間は取りませんので、病み上がりで申し訳ありませんが診察室までご同行お願いします」

 クリスとメーティスも予想していなかったらしく、目を見開いて驚いていた。医師について歩き、クリスは診察室の前で「ロビーで待ってるわね」とメーティスを連れて待合室へ去っていった。俺は導かれるまま診察室へ入り、医師と対面で椅子に腰掛けた。

 医師は猫背で指を組むと1拍置いて話し始めた。看護婦は微笑を湛えたまま俺を凝視し、その姿勢は監視されているようであった。

「では、まず今度の診断結果からお話ししましょう。脳貧血です。急な発作と思い念入りな検査を行いましたが、特に身体には問題はありませんでした。…ロベリアさんからお話を伺った所、強烈な精神的負荷に起因した脳貧血と判断しました」

「…え、2日酔いじゃないんですか?」

「プライバシーに関わることですのでお2人にはそうお伝えしていますが、彼女さんには本当のことをお伝えしてあります。…レムリアドさんには思い当たる節はありませんか?」

 医師は俺と眼を離さず前のめりに訊ね、俺は視線を右下に逸らして眉を寄せた。

 …思い当たる節がある、というどころではない。俺がホテルで気を失ったあの瞬間、俺の頭には『レミオ』の3文字が渦巻いていた。…レミオとは誰なのか、それが俺と何の関係があるのか、…喪失した昨夜の記憶の中で俺が『僕』と言ってそう名乗っていたのは何故なのか。

 考え始めるとまた頭痛がしてきて、鼻の奥で血の香りが燻り始める。血の気の引いた俺の肩をポンと叩き、「心配は要りませんよ」と医者が真顔のまま続けた。

「今の貴方に必要なのは内科の治療などではありません。勿論、貴方が今の生活に何の支障も感じておられないのであれば、そのまま以前通りの生活を続けてくださればいいんです。ただ、病院は貴方の健やかな生活を助けるための場であることをお忘れなく。…どうぞこれを」

 そうして医師は名刺を手渡し、その名刺にはおそらく彼のものであろう役職と名前が添えられている。

「ロベリアさんは貴方の身に起きた昨晩の出来事をある程度説明できる立場にあります。私の口からお伝えするよりは、彼女さんからお聞きになった方が幾分気も楽でしょう。お2人で相談の上、問題であると判断されたならご遠慮無くお越し下さい。しかし、無理に治療に入る必要は無く、貴方がどのようにしたいかを優先しなくてはならないことをご理解ください」

「…俺は、やっぱり頭がおかしいんですね」

「誤解しないでいただきたいのですが、貴方と同じような症状をお持ちの方は大勢いらっしゃいます。世間で明るみになっていないだけで、これは魔物の蔓延る現代においては深刻極まりない社会問題と言えるでしょう。そして治療などしなくとも、そうした症状と上手く付き合って幸福に暮らす方々もおられるということです。ですから、そのように悲観される必要は全くありません。…寧ろ、やたらめたらに治療をしてしまうことの方が問題と申しますか、先程も言いました通りに健全な生活を続けられれば何も悩むことは無いんです。…貴方に必要なことが何か、どうか焦ること無くお考えください」

 …何をどう言われても、『お前は狂ってる』としか聞こえなかった。待合室でクリス達と合流しても、彼女らの気遣いや慈愛の笑みが酷く痛ましいものに見えてならなかった。


「レム、ロベリアさんには会ってこなくていいの?レムがちゃんと起きたってこと伝えないと、きっと今も不安がっていると思うわよ」

 自室に帰ってシャワーを浴び、歯を磨いていた所にクリスが俺のベッドに座って俺の荷物を纏めながら声を掛けた。何故荷物かと言えば、長期休暇の間クリスが実家に戻るというので、クリスの誘いもあって俺とメーティスも厄介になることにしていたのだ。本当なら朝から向かう予定だったのだが俺が帰ってこなかったので夕方からということになった。

 一方メーティスは風呂掃除の真っ最中だ。俺がシャワーなんか浴びなければいい話だったし、俺自身遠慮して断ったのだが、「汗臭いままクリスの家行くの?」と言われて入らざるを得なかった。…2人が色々としてくれている中、自分のことしかしていない俺は申し訳無くて堪らなかった。

「…ロベリアには、…ちょっと今は会って話す気がしない。…悪いけど、俺の代わりに伝えといてくれないか?『とりあえずは元気に戻った』って」

「…自分で言った方がいいと思うけど…。まぁ、分かったわ。出発前に私から伝えておくわね。…ねぇ、レム、ダンベルは持っていくの?」

 クリスの質問に口を濯いでから返事をして、そのままベッドへと歩く。…こうしたちょっとしたことも、迷惑を掛けた気になって酷く落ち込んでしまう。病院で聴かされた事実が俺を臆病にさせているのだと思う。

「…あー、うん。まぁ俺が持つし」

「そうはいかないわよ、病み上がりなんだから。別に負担にもならないしレムの荷物は私が持つわね」

「…すまん」

「謝らなくていいわ」

 顔を見せた俺と眼を合わせ、クリスはクスッと笑って優しく首を振った。彼女らの優しさが痛い。

 諸々を済ませて荷物を持ったメーティスと共に、寮の部屋の鍵を預けに事務室へ向かう。その間にクリスはロベリアと話し、ロビーで合流してクリスの家へと赴いた。クリスを通じて、『力になるから、待ってるね』とロベリアからの伝言を聞かされた。

 …結局、ロベリアにとって俺はまだ彼氏のままなのだろうか。別れ話をもう一度する気力が無い。それどころか、ロベリアと顔を合わせることで俺自身に纏わる何かを知るかもしれないと思うとどうにも恐ろしく、とても自分から会いに行こうという気にはなれなかった。

 …今日の所はもう考えないでおくことにした。


 辿り着いた家の外観、内装は共に邸宅と呼ぶべきものであったが、その大きさ自体は然して威圧的ではない。シノアの豪邸と比べれば遥かに一般の家宅に近い大きさ、広さである。しかし、白塗りの壁に大理石の床、造形に凝った家具の数々など、あらゆるものが高価であり、クリスがお嬢様であることをいちいち痛感させられた。

 触れるもの毎に恐々としている俺と対称的に、やはりメーティスもそれなりのお嬢様なのか終始のほほんとしていた。チェルスからのもてなしの紅茶やケーキも、メーティスはクリスと談笑しながら普通に手をつけていた。…俺もそんなに紅茶に詳しい訳ではないが、香りからしてこれは割と高級なんじゃないかと感じている。…俺、ここで2ヶ月近く暮らすのか。

「あぁ、言い忘れていたわ。私、月曜日からレイラ先生の所でアカデミー通信作成補佐のアルバイトをしに学校に通う予定なの。…レムやメーティスもどう?一応、他の先生の枠が大分空いていたはずだけど」

「へぇ~、そんなのあるんだ!…う~ん、どうしよっかな。でも、暇になっちゃうもんね。私もその内始めてみるよ。誰がいいかなぁ…」

 …それ以前に、アカデミー通信ってなぁに?…聞くの恥ずいな。後で調べる。

 メーティスは答えたので、当然視線が俺に集まる。丁度紅茶を飲み終わった俺はカップを置いて2人を見渡した。

「まぁ、俺も暇だし、マイク先生とかかな。…けど、週何日やるんだ?それにも依るぞ」

「基本、土日は休みで平日に10時から15時と短時間よ。ただ、最初の週は先生方の仕事が詰まっているようだから夏休み初日から1週間続けて出なくてはならないようね。…本当は私も今日明日出勤するはずだったのだけど、マイク先生が『少しは休め』と仰って免除されたわ」

 メーティスは俺と顔を見合わせて苦笑した。やはりマイクの眼から見てもクリスは無理をしているらしい。ただそうなると、尚更その休みを1日俺のために潰してしまったのは申し訳ない。明日も俺が安静にしていられるようにとクリスは遊びに出たりしないのだろうし、来週はクリスを連れて出掛けられるようにしたい。

 アルバイトをするなら金も入るだろうし奮発して何か楽しませてやれたら、と考えていると、クリスが…というよりチェルスが立て替えてくれた今日の診察費のことを思い出した。…っていうかそうじゃなくても奮発する金は無かった。

「…あのさ、クリス。診察費いくらだった?明日引き出して払うわ」

「え?…あぁ、いいのよ。レムは実家が遠いし大変でしょう?私の家で出すわ」

「いやいやいや、駄目だろそれは。俺が勝手に倒れたんだし、此方で負担しないと」

「そう?でも高いわよ?今後お金足りる?」

「…ま、まぁ、大丈夫。10月まで耐えれば振り込まれるし…」

 お嬢様目線の『高い』っておいくらだろうか、と物凄く不安だったが…領収書を見ると1クルドちょいだったので安心した。…しかし、これのせいで今月の手持ちが完全に無くなった。早速詰みかよ、辛い。

 そうこうして19時を回り、クリス、メーティス、俺と順に風呂を済ませる。俺は1回入ったのでサッと出たが、俺が寝間着姿で客間に戻るともう夕食の準備が出来ていた。

 海鮮やら何やらの高級食材が出るかと思っていたが、セントマーカ家の食事は割と庶民的で馴染み易いものだった。野菜が多く温かみのある料理の面々が、俺に家庭の味を思い出させた。

 軽いホームシックに家族を想うと、フルとの日々が脳裏に過る。…フルが添い寝しに部屋に来ると、いつも俺の意識は不自然に途切れていた。それこそ、昨夜ロベリアに囁かれて記憶が途切れたのと同じに…。

 …この夏の内に何とか覚悟を決めてロベリアに会わなくてはならないが、今日はもう何も考えず過ごしたかった。

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