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第11話 ささやかなお礼

 日曜日、軽いショッピングを終えて昼間のカフェにて時間を潰していた。4人用のテーブルを取り、メーティスは隣の椅子に服屋の買い物袋を2つ積んで、時折そちらを見下ろしては、んふ~♥と嬉しそうに笑っていた。

 上品に装ったりせず美味しそうにチョコレートケーキを頬張っていたメーティスは、俺のレモンタルトに眼を留めると物欲しそうに俺を見上げた。

「ねーねー、レムのそれ、ちょっとちょうだい?私のも食べていいから」

 メーティスは俺の顔色を探って頼みながらそぉーっとフォークをタルトに近づけ、俺は空いた左手でペシッとその手を叩いてフォークをケーキに向けた。メーティスはぷくーっと頬を膨らませて不満たらたらに手を擦った。

「許可貰う前から取ろうとしてんじゃねぇ。お前のはそっち。それ食って我慢しろ」

「もー、ケチんぼーっ。……えい」

 性懲りもなく手を伸ばし、メーティスは素早く、それも狩人が槍を突くような俊敏さでタルトを一口奪っていった。俺はその頭にコツンと手刀を打って目を細め、呆れて溜め息をつきながら、

「こら、行儀悪いっつーのに。…そんなに欲しいならケーキ交換してやってもいいが出費も交代になるからな。俺の分はお前より10アルグ高いってことを視野に入れて決めろよ」

「暴力反対っ…もう、一口貰うだけで良かったの!ほら、私のも一口あげるから、支払いは綺麗に割り勘すればいいでしょ?」

 そうしてメーティスはムッと口を尖らせて一口フォークに刺して突き付けたが、その態度にシノアやロベリアが向けるような戯れを請う姿勢は無かった。それに安心した俺は差し出された欠片を無視し、メーティスのケーキから細々と切り取って食べた。メーティスは訝しそうに俺を見つめてから、然して気に留めるでもなくフォークに刺したそれをペロッと平らげた。

「…クリスとリードくん、今何してるのかな?」

「さてね、俺と違ってあいつは紳士的なエスコートを心得てる気がするが…。ま、楽しくやってんじゃねぇか?」

「どうなのかな?あ、でも、リードくんって結構レムと似てるよね。いろんな女の子に声掛けてたりするところとか」

 初耳かつ意外性抜群な情報に一瞬聞き間違いを疑いながらも、俺はクリスから聞かされた今日の予定を思い返していた。そうしながら我が子が手元を離れるような寂しさと漠然とした不安に身震いし、お揃いで注文したレモンティーを軽く煽った。



「レ、レム、大丈夫!?大変っ、今拭くものを…」

 遡って水曜日、カップから離した口から顎に掛けて珈琲を溢し、自分の服を熱湯に塗らして仰け反っている俺に、クリスは泡を食ってキョロキョロした。俺は傍のちり紙入れから1枚取って手早くカップを拭き、

「あー、大丈夫大丈夫」

 と宥め賺せた。クリスは「そう…」と落ち着いて俺を眺め、ぽーっと目を丸くしていたメーティスは、不意にベッドから乗り出してクリスを見上げた。

「リードくんとクリスって仲良かったの?」

「…仲が良いと言う程関わりは無いけど…以前レムを不良から助けてもらったし…」

「ふーん…どこ行くの?」

「さぁ、どこかしらね。用事は決まってるけど行き先は決めてないから…」

 メーティスはふむふむと頷いてベッドの壁際に下がっていき、ズボンを拭いていた俺がその続きを訊いた。

「用事って何だよ?」

「…さぁ、何かしらね」

 クリスは少し笑ってそう誤魔化すと、「着替えたら?」と汚れた俺の服を指差した。釈然としないまま頷いて2段ベッドを上がり、クリスが背を向けている間に服を代えた。結局クリスはその後も何の用事なのか口を割らなかった。



「…ねぇ、レム聞いてる?」

 テーブルの一点を見るともなく見つめていると、頭上からメーティスの声が掛かって顔を上げた。

「あぁ、聞いてるよ。…つーか、確かあいつは全クラスにファンクラブがいるんだろ?相手してやってるだけなんじゃないか?とりあえず女子と関わりたくて必死になってた俺とは一緒にするべきじゃねぇよ」

 メーティスは両手でコップを大事そうに持ちながらストローを吸い、ぱちくりと瞬いてから面白そうに頬を弛めた。

「最近のレムはあんまり女の子にグイグイ行かないよね。やっぱりシノアさんと何かあったの?それともロベリアさん?」

「別に…。何もねぇよ、どっちとも。教室の女子とのことだって、向こうが俺から距離を取ってるからだし。…それに、今でもカトリーヌさんにはちょっかい出して過ごしてるぜ?」

「あっ、そうなんだ?…まぁそれはそれとして、本当にシノアさんとは何にも無いの?」

 メーティスはニコニコ笑って両手で頬杖をつき、テーブルの下で脚をぷらぷら振りながらしつこく追及してきた。俺は内心うんざりしつつも、椅子に背凭れて「何でだよ?」と軽く笑って訊き返した。

「だって、病院に通わなくなってからちょくちょく文通してるでしょ?週に1、2回くらい」

「いや、…単に『いつ遊びに来てくれますか?』って訊かれるから『分からん』って返事して、そっから世間話が長引いてるだけだぞ。普通の会話だ」

「普通は週2で文通なんかしないんだよ?…レム、シノアさんがどんな気持ちでそうしてるか分かってるでしょ?」

「さぁな」

 むぅ、とメーティスは少し不機嫌そうに腕を組み、壁掛け時計を見上げて、

「じゃあ、ロベリアさんとは?先週部屋にお泊まりしに行ったんでしょ?同じ部屋の子達が、帰ったらロベリアさんがずっとニヤニヤしてたって言ってたけど」

「知らん、俺は勉強しに行っただけだし。シノアもロベリアも普通に友達だよ、そーゆーのじゃない」

「えー?もーっ、そんなこと言ってたら愛想尽かされちゃうよー?」

「メーティスには関係ないだろ?あんまりうるさいと終いにゃ怒るぞ」

 メーティスは不満そうにうー、と小さく唸り、ケーキの残りをパクパクと口へ放り込み、そうしている内にまた何か思考につっかえたらしくピタリとフォークを咥えたまま俺を凝視し始めた。

「…まだ何か?」

 次、ロベリアかシノアの名前を出してきたら、仕返しに恋愛経験が無いのをひたすら馬鹿にしてやろうと画策して待ち構えていたが、その予想は少し軌道がずれる形で否定された。

「…レム、前まであんなに女の子大好きみたいだったのに…今は女の子に好かれても嬉しくないの?…先月は彼女欲しいって言ってたでしょ?……何か悩みがあるなら、聞くよ?」

 それは雑じり気無く純粋に俺を心配して放たれた疑問だった。その丸い目に俺は悪態をつく気を失って、何故か渇いていた口腔をレモンティーで潤わせて答えた。

「…自分でもよく分かんないんだけどな、彼女が出来るってのが変に怖く感じるんだ。同世代の女子からまっすぐ好意を向けられるのに慣れてないだけかと思ったんだが、どうもそれだけだと理由として弱い気がするんだよ。…悩みっちゃあ悩みだが…」

「…突然、そうなったの?」

「あぁ、シノアに会った日から急に…。…それまではロベリアからの好意にも気付けなかったはずなのに、今ははっきり、そういうのが分かるようにもなった」

 メーティスは真剣に俺の返事を聞くと、両腕を組んで首を捻ったり上を向いたり、目を瞑ったりして呻いていたが、とうとう首を振って「ごめん、わかんない」と匙を投げた。

「まぁ、思いの外俺が面倒臭い男だったって話さ。ごちゃごちゃ考えずはしゃいでれば良かったのに、どうしたんだかな…」

「…まぁ、多分精神的な何かだと思うけど…。…女の子に嫌な思い出があるとかかな?……というか、うーん、ごめんだけど…レムって意外と…メンヘラ系?」

「失礼だな、おい!……いや、振り返ると何かちょっと否定できないんだが…。…おっかしいなぁ、自分に正直に生きてるつもりなんだけどなぁ…」

 腕を組む2人は首を傾げ合って閉口し、結論が出ないのでこの話はやめようとどちらともなく切り上げた。そしてメーティスが最後に用があると言って移動したがるのでタルトを半分譲ってレモンティーを飲み干した。

 メーティスは大歓喜でタルトを頬張り、「ありがとー!」と幸せそうにニコニコしていた。…それを見守って、どこか変わってしまった俺は今でも女の子を喜ばせたりすること自体には抵抗が無いのだと云うことを確認した。

 決して女の子が嫌いになったという訳ではなく、一重に『強い好意を向けられること』のみを恐れているのだろう。そうした考え事はカフェを出てからも続き、半ば夢中遊行のようにメーティスに先導されて歩きながら適当な相槌を打っていった。


 メーティスの案内に従って坂を登り、その先の崖に沿って伸びた幅のある石階段を登っていくと、長いこと緩やかなカーブを描いていたその階段が唐突に曲がり角に差し掛かる。この階段は確か、アムラハン城へと続くものだったはずだ。入学直前には階段の前を通り過ぎただけだったので、途中とは言え登ったのは初めてだった。

「ほら、ここー」

 メーティスはそう言って得意に笑い、その角の踊り場で立ち止まる。ぼんやり歩いていただけだった俺はそう言われて目的地への到着を悟るも、そこは変鉄も無い踊り場であり訪れた理由にすぐには合点が行かなかった。

 しかし、メーティスが踊り場の、崖端の低い手摺りに両手をついたのを見て、深い感動と共にここへ訪れた意味を漸く納得したのだった。

「おいでおいでっ!すっごいよっ!」

 メーティスが俺を手招きし、俺はメーティスの左隣に立つ。そこからは街並みを一望でき、街の外を覆う魔物避けの聖水林やその先の平原まで見渡せた。澄み渡る緑に街道と屋根の煉瓦達、また細く銀に煌めく小川の分岐までくっきりとした壮観に堪らず俺も感嘆し、メーティスは腕に提げていた袋を地面に置いて俺を向いた。

「…綺麗でしょ?この街に最初に来た時に見つけたんだー。私のとっておきの場所なの」

「…あぁ、すげぇいい景色だな。…クリスは知ってるのか?」

「さぁ、でも、クリスはアムラハン育ちだからここよりいい所知ってるかもしれないし。…今度、聞いてみるよ。それで知らなかったら、また3人でここ見に来たいねっ」

「うん、そうだな…」

 そうして笑い合っていると、メーティスは満足そうに頷いて俺を見つめ、深く息をついて手摺りに凭れ掛かった。メーティスはコテンと顔を横にして俺を向き、優しく微笑んで囁いた。

「ねぇ、レムー」

「あん?どした?」

「前からお礼が言いたかったの。…レム、女の子達が私の悪口言ってた時、たった1人で私を庇ってくれたでしょ?後から人伝に聞いたんだ~」

 メーティスはえへへ~っとからかうような緩い笑みを浮かべて告げ、俺も胸の内からじんわりと熱が広がるように嬉しくなり、同じように手摺りに凭れてメーティスの頭を撫でていた。メーティスは抵抗もせず、寧ろ受け入れるように目を瞑って身体を左右に揺らしていた。

「ありがとね、レム。すっごく嬉かった。…だから、今日はそのお礼!」

「そっか、サンキューな。…ってことは、この絶景がお礼って訳か。センスいいじゃん」

「んっふふー、そうでしょー!」

 そうして2人馬鹿笑いしている下に、1匹の黒猫が手摺りに登り傍に寄ってきていた。メーティスは含み笑いして俺と眼を合わせると黒猫の頭に手を伸ばし、そっと愛でるように撫でていた。俺は隣からそれを覗き込み、自ずと優しい笑みが溢れていくのに気がつく。

 頭から首へと移るその手に猫は身体と尻尾をピンと伸ばしてコロコロと喉を鳴らし、ジーッとメーティスと眼を合わせていた。きゃーぅ、と猫が高く鳴き、メーティスは「きゃー、かわいい~!」と猫を両手に抱いて可愛がった。

「人懐っこいな、こいつ。…人に触られるの慣れてんのかな?」

「ねーっ!アムラハンって猫の国って呼ばれるくらい猫が多いから、やっぱり皆構っていくんだろうね!…わぁ~っ、ねぇ見て、この子肉球プニプニ!」

 メーティスは猫の前足を摘まんで持ち上げ、猫を俺に向けさせた。猫はクリクリした眼をあちこちにやりながら少し開いた口に小さな牙をチラつかせていた。俺は少し不安になりながらもゆっくり手を差し出して、その前足を人差し指でツンと突こうとしたが、猫は俺を見てから「安心して」とでも言うように一声鳴いて俺の指を舐め始めた。

 …メーティスと一緒にその猫を愛でて過ごしている内に陽が落ちてきたので、俺達は泣く泣く猫を置いて寮に帰ることにした。「連れて帰るー!」やら「また遊びに来るからねっ!」やらとその場を離れたがらないメーティスの手を引っ張って階段を降り、夕焼けを眺めながら帰路に着いた。


 寮へ戻り、部屋の前に立つと中からクリスとリードの談笑が漏れ聞こえる。メーティスは俺と顔を合わせ、楽しそうに笑うとドアに耳を押し当ててその会話を聞こうとした。…俺も2人がどんな話をするものか興味が湧いてきたのでメーティスの背後に立って同様に聞き耳を立ててみた。

 しかし、それと同時にぱったりと会話が途絶え、何事かと意識を集中していると不意にノブが回ってドアに押し出された。それに転ばされた俺とメーティスを、顔を覗かせたクリスが呆れて見下ろした。

「部屋に入らず何しているの。盗み聞きは良くないわよ」

「いやぁ、お若い2人が何話してるか気になったもんでね。わりぃわりぃ」

 ヘラヘラ笑って言い返し、メーティスの手を引き上げると、クリスはドアを開け放って手招きしつつ奥へ歩いた。入室するとリードは勉強机の上に赤いリボンで装飾した箱を置いて珈琲を飲んで穏やかに笑っていた。

「やぁ、レムリアドくん、待っていたよ」

 そう言うとカップを置いて立ち上がり、代わりにリボンの箱を手にして俺の前まで歩く。リードは両手でその箱を差し出して笑い掛けると、少し頭を下げて、

「どうぞ、プレゼントだよ」

 俺は箱を受け取りながらリードの顔と交互に見て首を傾げた。

「プレゼント?…そらまた何で?」

「言っただろう、埋め合わせするって。ほんの気持ちとして受け取っておくれよ。クリスティーネさんにもアドバイスしてもらって決めた物だから安心してくれていいはずだよ」

 クリスも笑顔でそれに頷いて俺達を見守っていた。振り返ってメーティスを見るとニコニコしてリードを見つめていた。「開けても?」とリードに確認を取り、頷かれて包装を解くと、…詰め物にふわりと覆われて黒光りする腕時計…。

 驚いて顔を上げると、リードは満足そうに笑っていた。

「…お、おいこれ、…さすがに貰えねぇよ、高かったろ?」

「そうでもないさ、適度に安物だよ。…図らずも君の地位を貶める結果になって僕もそれなりに責任を感じたからね。どうか受け取っておくれ」

 本当に受け取ってもいいものかと悩み悩み、箱から取り出して左手首に着けてみると、制止した時針、分針の上を極細の秒針がカクカクと回転して通り過ぎていくのに頭が静かになる。

 メーティスは興味津々に時計を見つめて「かっこいい!」と目を輝かせた。クリスは未だリードと俺とを優しく眺め、リードは俺と眼を合わせて「気に入ったかい?」と首を傾げた。

 俺は腕を持ち上げて大きく頷いて笑った。

「…ありがとな、こんな豪華なお礼って初めてだよ。大事にする」

「それは良かった。じゃあレムリアドくん、改めてこれからもよろしく頼むよ」

「レムでいいぜ、これだけ良くしてもらったんだからな。こっちこそよろしくな、リード」

 そうして俺は握手を交わし、部屋を充たす笑みの中友情の現れを感じていた。窓の外では夕空が闇に落ち、月すらも雲に隠されて漆黒の空間が広がっていた。

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