第10話 学生の本分は学業
中間テスト、Aクラスの42人中21位。…探査旅行学は15日、白魔法学は17日に追試あり。
6月10日、掲示板に張り出された各採点結果のランキングを見ると、そのような通達が然り気無く綴られていた。メーティスは額を押さえて俺から顔を逸らし、「あちゃー…」と溜め息を漏らした。クリスは俺の肩に手を置き、首を振って微笑みながら優しく囁くようにして、
「あまり気を落とさないで。あなたはよくやったわ、今回は運が無かったのよ」
と、耳元でそう励ましていた。前日までどころか、当日の朝も早起きして勉強に明け暮れていたのだが、それでもこのザマである。身体中の擦り傷が治るまでの間、勉強にあまり集中出来なかったのが災いしたのだろう。…まぁ、俺の頭が悪いのも要因の1つだが…。
クリスもメーティスも一緒になって俺に順を追って教えてくれたのだが、探査旅行学では25点、白魔法学では惜しくも35点となってボーダーラインの40点に届かなかった。クリスから集中的に教えてもらっていた黒魔法学が高得点を叩き出したのだけは唯一の救いだった。
…因みに、クリスもメーティスもオール満点で合計400点の同着1位。…メーティスに宿題を写させてやっていた俺は合計213点。…あれ、何かおかしいよね?
「おいメーティス、お前もう次から宿題写させねぇからな」
メーティスはビクッと肩を跳ねさせてアワアワと慌て出し、冷や汗を掻きつつ何とか笑顔を作って両腕を振った。
「で、でもでもっ、レム、黒魔法学100点でしょ?その身体で十分頑張ったよ!100点なんて取れてるの、うちのクラスで6人しかいないし!」
「その内の2人お前とクリスじゃねぇか。90点代なら他にもいるし、何より俺は黒魔法以外惨敗だろうが。とにかく、自分より成績いい奴に宿題なんか絶対見せないからな。これからは見たけりゃクリスに頼めよ」
「そんなぁ…!」
そんなぁじゃねぇよそれが普通なんだよ当たり前だろ。別に俺が見せなくてもクリスが見せるんだから問題無い。…メーティスに構ってやるより先に俺は自分の学力を心配するべき立場にいるのだ。
クリスは俺の点数を見ながら、力及ばず申し訳無い、というような悲しそうな眼で肩を落としていた。…クリスのせいではないのは勿論だが、ずっと勉強を見てくれていただけあって自分の教え方に不備があったのかと悔いているのだろう。
「…クリス、また追試まで勉強見てくれないか?お前のお蔭で黒魔法学は完璧だったからさ、追試の2科目に絞れば今度こそ絶対に合格すると思うんだ」
クリスは神妙に振り向いて、頷きかけたが、ハッと思い出して遠目に女子生徒の集団を見ると俺に深々と頭を下げた。
「…ごめんなさい。私、女の子達と勉強会の約束をしていて…土曜日は勉強見てあげられないの」
メーティスもクリスの言葉に、「あっ…」と苦い顔で俺を振り向かせ、言い辛そうに眼を逸らして続いた。
「…実は私も…他の子から勉強教えてってせがまれてて…。…その、集まって勉強しても問題無さそうな部屋が無いから、私達の部屋に皆で泊まって…土日の間…って…」
「…つまり、何だ…。…俺は土日の間、自分の部屋で勉強も出来ないってのか?」
「…というか、…その…ごめん、土日の間は部屋から出ていってもらわないといけなくなりそうなの…」
…あんまりな悪条件に怒りも悲しみもすっぽり抜け落ちて、ガラン洞の頭で状況を受け止めようと刻苦した。要するに、クリス達から勉強を見てもらえるのは今日から明後日の3日間、土日の間は誰かの部屋(十中八九ジャック達の部屋)にお邪魔して勉強しなくてはならないということになる。
メーティスはクリス同様に深く頭を下げ、申し訳無さそうに、
「ごめんね。もし何だったら、私から皆に頼んでレムも勉強に混ぜてもらうけど…」
「いや、それは俺がまともに集中出来なくなるから…。つーか女子達は俺のこと避けたがるだろ。まぁジャックとルイの部屋で過ごすよ。何ならあいつらに教えてもらってこようかな」
と、言いながら掲示板を見ると、ジャックは30位、ルイは23位とある。…おいおい、俺よりダメじゃねぇかこいつら。類は友、ってのはこの事だろうな。
「…ま、まぁ、何とかしてみるからお前ら顔上げろよ。…とりあえず、金曜までは勉強見てくれよ。頼んだぜ」
と、そう残してジャック達を探しに教室へ戻った。通り掛かった手洗い場に見えた鏡像の中で、クリスとメーティスは心配そうに俺の背を見つめていたようだった。
「…ま、俺は28点だからお前より3点も上ってことになるな。この前言ってた医者の娘さんを紹介してくれたら教えてやってもいいぜ」
ジャックがそんなアホなことを得意顔で述べる横で、口の端を歪めてマズい顔をしたルイは頭を掻きながら笑っていた。俺はその段階で既に状況を察していて、部屋への宿泊を半ば諦めていた。
「悪いな、レム。俺らもう勉強教えてもらう宛があってさ、泊まり掛けで勉強なんだ。だから、泊めてやれない。…まぁ、1人で俺らの部屋使うってんなら別にいいけど」
「…1人で他人の部屋に泊まるってのも何か気持ち悪いな。じゃあ、その勉強会に俺も混ぜてもらうってのは…」
「悪いけどそれも…。もう人数がいっぱいでこれ以上増やすなって言われてるからな」
俺が思わず肩を落とし、「そうか」と項垂れるとルイがまた申し訳無さそうに「悪いな」と言ってジャックを引っ張り去っていった。俺は交友関係がそこまで広くないので、ジャック達に断られては行く宛が無くなってしまう。
残る宛と言えば、…ロベリアと、シノアだろうか。両方女子だから頼み辛いし、何よりシノアに頼むと余計な勘違いをさせかねないのだ。いや、別にシノアに勘違いされるのは俺にとって悪いことでは無いのだが、本能的に避けたくなっている。その理由は自分でも分からないままだが、今はそれを追及している場合ではない。
俺は丁度ハンカチで手を拭きながら教室へ戻ってきたロベリアへと迫り、気が急くのに抗わず顔を寄せて単刀直入に問い質した。ロベリアは困った顔で身を引き、赤面しておどおどと俺と眼を合わせて凍りついた。
「ロベリア、お前、何位だった?」
「え…えっと…19位」
「赤点は?」
「…う、…黒魔法学と、…探査旅行学」
俺は返答を聞くやロベリアと握手し、続けて肩を組み、
「よぉしよし!お前は俺の仲間だと信じてた!」
「え、えっと…よく分からないけど、…一緒にがんばろう…ね?」
俺がカッと笑い掛けるとロベリアは一層困った様子で首を傾げながら微笑み返していた。パタパタとロベリアの肩を叩いて機嫌を良くしていたが、馴れ馴れしかったなと気づいて正面に離れ、早速本題に入らせてもらうことにした。
ロベリアは借りてきた猫みたくぴしっと姿勢よく佇み、俺が向かい合うとスカートを両手できゅっと握って肩を竦めていた。そして顔も耳まで赤くなっていたが、俺は気に留めないことにした。
「実は、今週の土日とも俺んとこの部屋使って女子達が勉強会するらしくてさ。どっか泊まって勉強出来る部屋無いかって探してるんだよ」
「…へぇー…えっ、…私の部屋に…泊まりたいってこと?」
「うーん…まぁ、そうなるかな。…もしお前んとこの同室の2人が勉強会に行くんだったら、部屋にはお前1人になるだろうからって思って。…2人は勉強会行くって言ってたか?」
俺が決まり悪く顔を背けながら頭を掻くと、ロベリアは顔を強張らせて頷きそのまま少し俯いて、モゾモゾと唇を舐めたりした。…シノアの家に1人で泊まりに行ったりしたせいで感覚がおかしくなっているのか、今更自分が女の子に泊めてもらおうなどという無理のある要求をしていることに気がついた。
断られるかと不安に思っていた矢先に、「…レムリアドくん1人?」とロベリアが上目に見て訊ねる。俺が頷くと、ロベリアはまた少し悩んでから聞き取りにくい程に小さな声で「いいよ」と了承した。
…ロベリアの控え目な笑顔を見ながら、スッと身体を無機質な清涼感が覆い、「ありがとう」と呟きながら内心で自らを嘘つきと嘲っていた。
「…じゃあ、大問3の小問2、HPの定義を述べよ」
「…えー、回復薬での回復数値を30として、それを基準に魔人の自己治癒力の残高を数値化したもの…だっけか?」
「うん、正解だよ。…じゃあ、次、レムリアドくんから」
土曜日の15時、探査旅行学のテスト範囲をあらかた復習した俺とロベリアは、ダメ押しに問題用紙から抜粋した問いを互いに投げ掛けた。
この数日の内でクリスが上級生から聞いてきた話によれば、追試の問題は6割がそのままで残りは同範囲内の別の問題になるとのことだった。追試の合格点は50点。よって前回のテストの問題を完璧にすることで6割の得点を確保し、そこに穴があれば先の勉強で補うこととする。
「…よし、じゃ、MPの定義を述べよ」
「…魔法使用時に消費するエネルギーを数値化したもの」
「オッケー、正解」
勉強机の前で2つの椅子に座って向かい合い、問題用紙の所持者を代わり、次の質問へ。その繰り返しの果てに全ての問題を確認し終えると、今度は両者とも机に向かい、俺は白魔法、ロベリアは黒魔法の勉強だ。互いが教科書の内容を白紙に要約して眺め、反芻し、理解し難いものは隣に訊く。
そうして補い合うままに進めていくと、あっと言う間にテスト範囲を学び終え、気がつけば時刻は19時を回っている。2人して長く息をつき、机に突っ伏して笑い合った。
…食堂はまだやっているだろうが、休日は平日と違い個人で好きな物を注文するスタイルになるので、大半の物はもう売り切れているだろう。俺は身体を起こして椅子に凭れ、軽く背伸びをして身体を解しながら、
「なぁ、何か食べに行かねぇか?」
ロベリアは目を見開いて飛び起き、「うん!」と嬉しさを隠さず微笑んで頷いて、そうと決まればすぐ出発と浮き足立っていた。…今日1日で距離が一段と縮まった気がするが、…この突飛な態度はそれだけが理由ではないのだろうと薄らと感じた。
パスタの専門店に到着後、注文を終えてテーブルを立った俺は2人分の飲み物を手に戻り、片方をロベリアに手渡した。来る途中に店の候補を上げながら好きな飲み物も聞いてあったので、俺は何も言わず彼女の好みだというアップルティーを選んだ。
「あっ、ありがとう。…レムリアドくんもアップルティー?」
「おー。これで良かったよな?」
「うん」
ロベリアは受け取ると軽くストローで混ぜてから少し飲み、俺はその正面のソファーに着いて同じ量飲んだ。ロベリアは物珍しそうに店内を見回すと「趣あっていいところだね」と笑った。頬杖をついてその笑った顔をじっと眺め、
「そっか。お気に召したなら光栄だよ」
「うん!レムリアドくんってこういう店、結構知ってるの?」
「こういう店って?」
訊ねるとロベリアは急に笑みを沈ませて、一瞬口ごもった。
「…何かね、こう、女の子受けがいい店…」
「……知ってるって言う程知らないよ。普通くらいじゃね?」
「そうなの?……そうなんだ」
微かに重い空気が伸し掛かったような気配がしたが、ロベリアは両手をパンと叩いて、「そういえばね」と話題を変えた。ただその話題も暗い影を帯びており、ロベリアの顔は少々引き攣っている。
「レムリアドくん、誰かに聞いた?この前ラズウルフが街に入ってきたけど、あれって誰かが意図的に魔物を侵入させてたかもしれないんだって」
「…人間が?…何そのサスペンスっぽいの。面白そう」
ロベリアは俺の返事にきょとんと目を丸くするとフッと吹き出して口元を片手で覆った。俺は頬杖をしたままそれを眺め、ストローでアップルティーをチーッと吸い上げた。
「あははっ、そんなこと言ってる場合じゃないよー。…でもまぁ、被害は出なかったもんね。そこは良かったよね」
「そーそー、何事も気軽く受け取った方が楽ってもんさ。誰も怪我せず解決したならオッケーなんだよ。…そんで、意図的に侵入って具体的に何が起きたんだ?」
「うん、それがね、演習用の山の麓にトンネルが掘られてたらしいの。聖水林の外から掘られてたから、地中を通って魔物が侵入してきたんだって。犯人はまだわからないって」
「ふーん、…マイク先生には聖水林の影響は地下まで届くって聞いたけどなぁ…。…今度また訊いてみるかな」
そうこう話している内に各々の料理が運ばれてテーブルを彩る。俺は『ナスとベーコンのピッツァアラビアータ』、ロベリアは『サーモンとバジルのクリームパスタ』というのを注文し、フォークとスプーンを取ってやって食べ始めようとしていると、ロベリアは合掌して目を瞑り、
「いただきます」
と行儀良く食事を始めていた。俺はそれを見て思い直し、同じように「いただきます」をしてから手をつけていった。
「ロベリア」
「…うん?」
「お前、友達どれくらい出来た?」
唐突の俺の問いに、ロベリアは手を止めて首を傾げ、少し拗ねたように口を尖らせたが、すぐに俺と合った眼を伏せて笑った。
「失礼だよ?そんなこと訊くの」
「そんなこと無いさ。じゃあ、何人か言ってみろよ」
「…うーん、…14人かな」
俺はその答えに深く頷いて、「やっぱ多いじゃん」と笑い掛けた。不思議そうに見つめるロベリアに、まっすぐ見つめ返して微笑みながら、
「俺は…リードはちょっと違う気がするから…まぁ、6人だ。お前、俺の2倍以上も友達いるんだぜ。もうボッチは卒業したんだ、だから、この質問はお前に対して失礼でも何でもない。…あ、でも今後お前からこの質問するのは禁止な。それは失礼に当たるから」
「えー…」
「まぁ、友達が少ない俺からの僻みってやつさ。良かったじゃん、おめでとう!」
「…何かそれ、嬉しくない!」
ロベリアは複雑そうに眉を寄せ、しかしまた楽しそうに笑い出した。俺も一緒になって笑っていて、ふと忘れかけていたことを思い出して俺の顔が引き攣ると、今度は何だとロベリアは面白そうに覗き込んだ。
「…このまま行くと、勝負も俺の負けだ。いじめ解消のお礼も含めて2回、お前の言うこと聞かなきゃならなくなりそうだな」
「あー、そんな約束したよね!」
「えっ、忘れてたのか。…言わなきゃ良かった…」
「あははっ、残念だったね!じゃあ、とびっきり予想外なお願いしちゃおっかな。楽しみにしててね」
「お慈悲を~、っと。…ま、期待してるわ」
その日、寮へ帰り、入浴を済ませ、就寝するまでの間顔を合わせる度にそのような他愛ない冗談を言い合った。最後には灯りを消す寸前に、
「一緒に寝ないの?」
とロベリアらしくない大胆なジョークまで飛び出したが、
「一緒に寝たら襲いかねんから却下。埃被った上のベッドで我慢しますよ」
冗談っぽく言い返してさっさと寝てしまった。…ロベリアから俺への感情が恋愛でなく友情であると信じたい。
翌週、2度の追試を通過し、見事合格した俺は軽い息抜きに1日自学を休止することにした。クリスが出した労いの珈琲を勉強机に着いて煽っていると、不意にクリスは俺とメーティスに視線を送って何気無く告げた。
「私、日曜日は出掛けてくるわね」
「誰と?」
メーティスの問いに、「リードくん」と情緒無く答える。思わぬ組み合わせに俺は珈琲を吹き溢した。




