第99話 わたしじゃないですほんとですなにもしりません
「本当に馬鹿なことしてくれたよ、お前は…」
マイクはレイラの部屋まで俺を連れ帰り、彼女が俺の肉体を復帰させる横で呆れた声で呟いた。ベッドの縁に座ってレイラと隣り合いながら、壁に背凭れ腕を組む彼に透かさず睨みを利かせる。レイラは事情を深く聞くことはなく、『コネクト』の使用のため俺の胸に触れていた手を降ろすと傍観の姿勢を呈した。
「確かに馬鹿でしたよ。…けど、あそこで黙ってられるのもまともとは思えませんね」
反省は勿論している。マイクが外から駆けつけた演出で俺を止めてくれなければ、疑惑は彼にまで及んでしまっただろう。主犯の男には、独断で刃を向けた俺をマイクが追い掛け、自分を助けてくれたように見えたはずだ。ラブホでの会議そのままに、『レムリアドを力で制御するマイク』という構図が完成しているため結果としては成功だが、剰りにも俺の行為そのものに思慮が掛けていた。…だが、それを後悔するつもりは毛頭無かった。
マイクはまた一つ大きな溜め息を溢し、ガシガシと片手で頭を掻いて俯いた口元に細々と苦笑を湛えた。
「…お前って本当……。…初めは俺に似てるもんだと思ってたが、やっと分かったよ。ゾルグそっくりだお前。普段冷静なくせしてキレると手がつけられない所とかそのまんまだよ。いい奴過ぎる所もな」
レイラは密かに小さく頷いて神妙に俺を見つめた。…俺はゾルガーロのことはよく知らない。だからこんなことを言われても何の感慨も湧かないが、マイクは妙に嬉しそうにしていた。彼は頭から手を放し顔を上げると、一転して悲しく笑いながら俺と眼を合わせた。
「昔のあいつなら、血眼になってクリスティーネを救おうとしただろうな…。…けど、あいつはもう何度もそれを繰り返して、とっくに諦めてしまってるんだ。小さな自分達には大局を変えられない。大きな流れの一部でいる方が確実で、気楽なんだとさ。…だから、お前があいつの目を覚まさせてやってくれるのを願ってるんだ、俺は…」
そう告げてマイクは壁から背を離し、前を通り過ぎてドアへと近付いていく。そしてノブに指先を触れたまま顔だけ振り返り、今度は真剣な面持ちで手招きして、
「…一晩牢屋に入れさせてもらうぞ。このまま部屋に帰すのは立場的にマズいからな。この件は明日にも上が何かしら処罰なりを執り行うだろう。監獄に送られても文句は言うなよ。助けてやれるか分からんからな。まぁ、俺も監督不行き届きで罰せられるかもしれないけどな」
俺は彼への返事はせずに立ち上がり、レイラの方へと身体ごと向く。
「レイラ先生、夜分遅くに邪魔してすみませんでした」
「いいえ、暇していたので…。…レムリアドくん、話を伺えないので何があったか私には想像するしかありませんが、…あなたは何も間違っていないと思いますよ」
「…ありがとうございます。…ゆっくりお休みになられてください」
彼女の微笑に見送られて部屋を出て、真っ直ぐ地下へと降りると廊下に並ぶ牢の1つに閉じ込められる。そしてマイクは自らその牢の前に座り込み、片時も眼を離さないよう素振りをそれらしくした。俺は不貞腐れたように大人しく床に転がり、彼に背を向けたまま眠れない夜を過ごした。
俺に対する明確な処罰は無かった。大臣としても秘密裏に進めていた計画を俺を罰することで表沙汰にしたくはないのだろう。何事も無いままにしておけば、俺が周囲にこれを言い触らしたところで信憑性は皆無なままだ。
強いて変化と言えば、生徒指導への異動が延期され、両隣のデスクにいるユーリとレイラにも俺を監視する命令が下り、その上で寮ではマイクと2人部屋で過ごすよう決定された程度だ。これを見る限りマイクは上層部からの信頼を守れており、俺のことは分かり易い反乱分子と判断されたようだ。寧ろ注意が俺1人に向けられたため作戦はより実行し易くなったと言える。ある意味では良い傾向だろう。
一方で、ラムール・ドゥ・ローのマスターは自殺したと話が伝わってきた。店自体もその土地を何処かの金持ちが買い取ったとのことで即刻取り壊されている。巷には例の写真のことを公にしたくない者も多いのか、不自然な程話題に挙がらない。…事件の裏側を知っている俺達からすれば明らかだが、これは大臣による隠蔽工作として抹殺されたのだと推測出来る。主犯の男も似たような措置を取られたはずだ。街の男達も、写真のことを大臣と繋げるには至らないだろうが、クリスが関わっているということもあり政治的な取り締まりがあったとは勘づくだろう。政治の真っ黒な内情について少しは考える機会が与えられたのだから、彼らにも正しい心を再起して戦う姿勢を見せて欲しい。
そうした重苦しい状況下、6月12日を迎える。この日の出来事については朗報と悲報の2つがある。まず朗報として、メーティスの召喚実験が遂に実を結んだ。ガブノレとペリュトンを一体化して召喚し、活用する方法を編み出したのだ。メーティスはそれをユニオナルファと命名し、その発現方法を教員達へと説明した。それは教員達を大きく驚かせ、非常に高く評価を得た。その結果メーティスはそれを正式な論文として発表することになり、準備のためあらゆる仕事を免除された。彼女が能力と功績において高みへと進み、仲間として、恋人として、鼻が高いのは当然だが、同時に何も出来ずにいる自身の情けなさも痛感した。
そして悲報だが、この日に起きたそれを実際に報告されたのは18日の昼だった。その旨には、『ポーランシャが滅びた』とあった。俺の実の故郷であり、血の繋がった父親が住むその街は、ツェデクスによる攻撃を受けて一夜にして瓦礫の山と化した。街の人々がツェデクスの勧誘を強く断って敵対してしまったとも考えられるし、他にもいくつか原因は考えられるが、それは定かではない。…唯一言えるのは、今の俺は故郷と実父を失った悲しみを正常に受け取れるような精神状態にはなかったということだ。実際に自分が置かれる悪夢のような現実に、心が憔悴しきっていて、とても涙を流す気力を持てなかった。そんな俺を一方的に励まし、慰めるメーティスの姿が滑稽に映る程、俺はその件に対し何の感情も湧かなくなっていた。
そして、アカデミー宛ての報告だったそれを連絡所が介した段階で、その話は住民にも広まっていたのだろう。翌日には地獄のような光景がアムラハンの彼方此方に広がっていた。
元々人間達によるデモ運動などの風潮はあったのだが、いつぞやに魔人を一斉に処刑した銃殺劇があって以来、そうした人間達は別の刺激を見出だして鎮静化していた。彼らは要人の公開処刑に悦を覚え、その傍聴席で残虐性を止めどなく高めていった。…そして今、また街が1つ無くなったので討伐軍が責任を問われ、彼らの無遠慮な残虐性は再び魔人達へ向けられた。
魔人になら何をしてもいい…そんな勘違いを起こした住民達は徒党を組み往来で魔人を責め立てる。犯罪行為を正当化し、白昼堂々強姦に暴行に追い剥ぎにとリンチを繰り返していく。魔人の多くは死刑を恐れ、殺人を恐れ、撥ね除けることも引き剥がすことも出来ずに受け入れる。またそれを恐れず、憤る者は次々に人間を殺して回る。街は大混乱に敷き詰められていた。
対応を仰がれたアカデミーと民兵は、滞在中の魔人達を一同に武道場へ誘導し、これ以上の犯罪発生を回避すべく動き出した。俺とメーティスも起用され、配布された滞在記録の名簿を手に、通信機で連絡を交わしながら街を駆け回る。この対応に際してあの国王は、住民でも魔人でも混乱の元となる者は全員その場で排除するよう命令を出した。…国王は若僧、大臣も所詮は圧政時代の単なる手先でしかなく、王としての采配を下せる存在ではなかった。その結果が齎したのがこの惨状だ。もはやこの世を治める存在など何処にもいないのだ。
「抵抗したら民兵に突き出す!世界は俺達人間の味方だ!魔物擬きめ…制裁してやる!」
広場からの大通りを脇道に逸れた先に、拳を振り上げそう声高に宣言する男がいた。他にも6人の男が輪になって、肩口や膝が破れた私服を纏う魔人の女性を取り囲み殴る蹴るの暴行を加えている。彼女は跪いて頭を抱え、彼らの興味が自分から外れるのをじっと堪えて待っていた。
「やめろ、それ以上動くな!」
辿り着いた俺は彼らを前にそう叫び、呼び止められた彼らは彼女を踏み押さえて振り向いた。鎧兜を纏ってロングソードを差し向ける俺に、6人は一笑に付して暴行を再開し、先の宣言をした男だけが嘲笑を浮かべて俺を見つめた。
「…何故だ…何故こんなことをする!?お前らそれでも一端の大人かよ!?それが寄って集って女性1人を殴る蹴るか!?第一その人が何をしたんだ!?罪も無い、抵抗もしないその人を虐げてどうなるってんだ!?」
住民が話を聞かなければ強引に魔人を救出してもいいことになっていたが、そうすれば住民は必ず怪我をし、下手をすればそれだけで死なせる可能性があるため極力話し合って解放させたい所だ。…しかし、この程度が過ぎた悪事を許せるはずもなく、奴らに温情を掛けるつもりは初めから無かった。
俺の叫びに彼は眉を寄せ、恨めしく「何をしたか…?」と呟くと1歩近寄り声を荒げる。
「アムルシア大陸にはもうここと、港と、ダルパラグの3つしか居場所がない!この分じゃ人類滅亡も時間の問題だ!それもこれも、討伐軍が役目を果たさなかったのが原因だろうが!人に味方しない魔人なんて魔物と同じだ、俺達の手で断罪してやる!」
「勝手なことを…!俺達が動きにくいのは誰のせいだと思ってやがる!?お前ら人間がそうやって魔人達を遠ざけ、協力もせず、文句ばかり垂れ流している間にどれだけ無用な血が流れてきたと思っているんだ!?断罪だと…?罪深いのは人間共だ!てめぇらこの場で皆殺しに――」
…ふと気付く。…これでは俺もこいつらと同じだ。気に入らない奴らを叩き潰したいだけの獣だ。そもそも俺は、世界を捨ててでもクリスを救おうと考えているような男だ。その俺が、純粋に世界のために戦う討伐軍の面々を代弁するのも道理に合わない。…今こうしてこの男と話し合う資格も無ければ、この男を斬り捨てることも正しいとは言えない。…なら、一体何をすべきなのか…。
「…何だお前、急に黙り出して…。……何でもいい、お前にも制裁を与えてやろう!さっさとその剣を退けろ!どうせ魔人は人間に逆らえないんだ!」
男は刃の樋を叩くつもりか右腕を横に振り上げて俺を睨み、速足に歩み寄ってきた。その足は数歩進み、未だ俺との距離は開いたまま、そこへ駆けつけた別の大きな足音に立ち止まる。男達と同時に俺もその足音の方を向けば、集団暴行を受ける女性の向こうに、彼女と親しい間柄と見える魔人の男が立つ。彼は彼女を取り巻く光景を睨み、激しい怒りを露にした。
「…よくもやってくれたな人間どもが…!ダーシーを今すぐ放せ…今すぐだ…!」
男達が「来るな、民兵を呼ぶぞ!来るな!」と及び腰で叫ぶ中、彼は怒りに身を任せて突き進む。それまで悲痛な暴力に一言も口を開かなかった彼女は、そんな彼に顔を上げ、
「待って!チャーリー、やめて!私は構わないから!あなたまで巻き込まれないで!」
彼は乱暴に進み、掴み掛かろうとした男の1人を振り払った拍子に腹部を拳で抉り貫いてしまう。その男は絶命して倒れ、あぁ…!と彼女は泣きながら顔を覆う。しかし彼は止まらない。
俺は男達を飛び越え、チャーリーと呼ばれた彼を羽交い締めにして止める。彼は激昂し「邪魔をするな、退けぇ!」と暴れ、俺は未だ泣き続ける彼女のために彼を拘束し続けた。
「気持ちは分かります!けど殺すのはやめてください!…分かってるでしょう!?彼女は…ダーシーさんはあなたに人を殺させたくないんですよ!?」
「そんなの知ってんだよ!でも、だからってこのまま見てもいられねぇだろ!それにこんな奴らが死んだ所で誰が俺達を責めるんだ!?目の前のこれが罷り通る世の中で正しくなんか生きてられるかぁ!!」
彼の怒りは止まらない。…分かってる、当たり前だ。俺だって彼と同じ事を選ぶ。何度も何度もそれを選んで、その度に周りが止めに入った。俺が今日まで誰も殺さずにいたのは、全部誰かが止めてくれただけのことだった。
…けど、今分かった。やっぱり感情任せに人間を殺すのは、どうあっても間違ってるんだ。今の彼女のように、罪を犯すことで悲しむ人がいる。人が正しく在る理由なんてそれで十分なんだ。例えどれだけの悪意が襲い掛かっても、悪意で立ち向かってはいけない。…どうやって正しく進むのか、悩むことを諦めてはいけないんだ。
彼女に群がっていた住民の殆どは悲鳴を上げて逃げ出した。残るのは相変わらず声高に叫ぶ男と、同調し眼がイカれた2人だけだ。奴らはへらへら笑ったまま、羽交い締めの彼を煽るように彼女の服の背を破って下着のホックを見せつけた。
一気に昇った血で頭が沸騰したように、男の怒りが堰を切り怒号と共に男達を炎が包む。青い猛火は彼女を避けて、亡者の悲鳴を唸りで打ち消す。僅かの内に火が消えると男達は炭と化し、彼の叫びは喘ぎになって閉じる。
瞬く間の出来事に呆気に取られた俺の腕を、彼は素早く抜け出して、滑り込むように駆け寄って強く彼女を抱き締める。彼女は涙を流しながら左右の死体を回し見て、空を仰いで泣きじゃくる。
「……とんでもないことを…チャーリー、今に死刑にされるわ…」
「構うもんか…このまま君と幸せになれないでいるくらいなら、一緒に地獄に堕ちる方がマシだ…」
抱き合う2人を眺め、漸く我に返った俺は自分の仕事を思い出す。…だが、国王の戯れ言にいちいち従っていられない。彼らを始末するのは見送った。
「…被害を受けている方々には、現在アカデミーの武道場に避難してもらっています。…お2人も…」
彼は彼女を抱いて立ち上がり、「断る」と振り向いて睨み付けた。彼の目にも涙が溜まり、それはゆっくりと溢れ落ちていった。
「…何で、魔人がこんな扱いを受けなきゃならない…?ポーランシャが墜ちたから…?討伐軍の力不足で人類が滅亡寸前だから?……そもそもその言い分がおかしいんだ。人間共は庇護下にいることで街の行き来をしていたのも忘れて、守られる側に安住してふんぞり返ってる!しかも人間が魔人を見下すのは今に始まった訳じゃない、魔人がきっちり街を守っていた頃だってこれに通じた扱いだったんだ!…あいつら、人間は、魔人という存在自体を気味悪がって、自分達を守る存在として心から感謝する気は一切ねぇ!『人間を守る義務がある』と上から物を言うことで、俺達より上の存在であろうと必死になりやがる!あいつらにとっちゃ俺達は異端で、その異端な奴らを図に乗らせないことしか頭にねぇんだ!あんな奴ら守ってやる義理はねぇんだよ!」
彼は彼女を引き摺るように俺の目前まで進み、
「街を出て好きにやらせてもらう…。止めるなら…」
再度そうして睨みを利かせ、彼らはそのまま去っていく。俺はそれを見送って、また他の魔人を探しに走る。彼ら2人の逃亡劇に明るい未来を切に祈って…。
…その後は次々と魔人をアカデミーに誘導した。まだ何もされていない魔人も、暴力を浴びせられた魔人も、尊厳を奪われた魔人も、…皆、人間達への憎しみと自分の存在価値への疑問に涙を流した。そしてまた、被害を受ける魔人の多くが女性であることに激しい怒りを覚えた。反撃が無いのをいいことに、見た目の上で非力な女性達を選んで虐げる人間達の矮小さに苛立った。
…通信が入った名前も合わせて、名簿の大部分を処理していた。しかし、そこに記載のあるイシュルビアの名前が手付かずなのに不安が募った。…彼女はただでさえ魔人だというのに社会的に立場の弱い職種で生活を繋いでいる。そのことが余計に不安を強くしていた。
或いはそれは虫の知らせだったのかもしれない。彼女のことを思い描いていた丁度その時、通り掛かった建物の裏から啜り泣く声が聞こえた。…声に聞き覚えがあって足を止めると、それは間違いなくイシュルビアの声だった。不安は確信に変わった。
俺は足音を忍ばせて建物の隙間を奥へと進んだ。暗い細道の角を曲がると、そこには裸の身体に破れた服を羽織り、交差した両手でその前を閉じて座り込んだ彼女がいた。彼女は啜り泣くというには大きすぎる涙の粒を雪崩れのように溢し、号泣というには弱々しい声を上げてじっと地面の塊を見つめていた。
…彼女の眼下にあったのは、奇妙な方へと首が伸びて、おくるみから放り出されたまま身動き一つ無いマカナの姿だった。
「…どう…し…て……」
焼き払われた思考の最中、そんな稚拙な疑問の言葉を茫然と溢して、呼吸も忘れたままマカナの傍に膝をついた。イシュルビアは、物を取られた子供のように、辿々しく事実だけを呟いた。
「……魔人の子は悪魔の子だって…気色が悪いって…仲間達で押し付けあって、投げ合って……それで、壁にぶつけて…こんな…。…どうせ…生きてても、ろくなものにならない……感謝しろ、って……」
俺は項垂れて両手を突く。そしてそのまま、目の前の彼女のことなど気にも留めずに、自分を支えきれなくなって額を地面に擦り付けた。抱えきれない悲しみが腹の内から騒ぎ立て、それはそのまま喉を抜けて狭い世界に反響した。
人間の冷徹さをこの上無く恨んだ。マカナは人間の子供だったのに…。彼女の幸せだったのに…。それがこんな、人間の悪ふざけの延長で殺されなければならないだなんて…。こんなことが許されていいはずがない。人間達は救いようがない悪魔になったのだと悟った。
もはや人間達への未練は無い。心無い人間達など1人残らず死に絶えればいいと願った。そしてすぐにも、今まさに人間達のエゴの只中で苦しむクリスを救うべきだと考えた。




