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第98話 いぬはいやうしろもいやほんとうはぜんぶいや

「さぁ、知らねぇな。…それにどうせ答えたって金も寄越さねぇんだろ?協力してやる義理はねぇ」

 住民に訊ねてもそんな答えしか返らない。メーティスとマイクを連れた3人で纏まり街中を練り歩き、既に3時間は聞き込みを続けていた。しかし大抵は話し掛けるどころか俺達の顔を見ただけで嫌悪を剥き出しにして逃げられてしまう。若しくは引き返してきて遠巻きにニタニタと眺めてまた去っていくかである。こうしてまともに返事をしてくれた相手など右手で数える程度だった。

「…こうなるだろうと分かってたんだ。だからやめた方がいいと思ってた。……どうする?お前がまだ諦める気が無いなら、俺ももう少し付き合ってもいいんだが…」

 立ち止まって話し合っていた中、マイクは特に感情を見せることもなくそう言って俺の一存に任せた。メーティスは口を挟もうとしたが、それによって俺の意見が変わるのを危惧したのか唇を固く結んでじっと横顔を見つめた。

「マイク先生が宜しかったらお願い出来ますか?何か用事なりやりたいことがあるなら俺もここで手を打ちます」

「そうか。…なら、続けるか」

 了解を得て再び歩き出すと、同時に「ちょっと、あんたら」と背中に声が掛かる。振り返ると路地裏から顔を覗かせた若い魔人の男が手招きしていた。マイクが彼に警戒を持たず近付いていくので、俺達もそれに従って路地裏へ入っていく。そこには男の他にも数人の魔人が横たわったり壁に背凭れていたりと窮屈ながら寛いでいた。

「…あなた方は?」

 訊ねると、男は苦笑して首を振り、

「行き場の無くなったパーティさ。別に名乗るようなもんじゃない」

 そして男は俺とマイクのどちらに話したものかと悩んだ様子で顔を見比べ、察したマイクが1歩身を引いたので相手を俺に決めた。俺も彼と向かい合うと、彼はよりしっかりした姿勢で俺に話し始めた。

「あんたらずっと歩き回って例の噂のこと調べてたろ。何度か見掛けたのに一向に解決してないからいい加減手を貸したくなったんだ」

「…何か、それについて知ってるんですか?」

「いや、あんまり。けど関係がありそうな情報があるから伝えとこうかなってな。あとは…住民は相手してくれないんだからもう諦めろ、ってのは忠告しとくよ」

 やはり人々への聞き込みは意味をなさないだろうか、と忠告通り諦めるべきに思った。しかしそれでこの件を諦める訳にはいかない。彼のように自発的に協力してくれる魔人がいるのなら、今度は魔人達に訊ねて回ることも考えていい。アカデミーの(つて)で情報屋の手を借りることも出来る。…人間に協力を仰ごうと云うのは考えが足りなかったなと省みる。

「十数日前からほぼ毎晩、やたらと住民が酒場を出入りするようになったんだ。聞いた話じゃ5クルドで写真を売ってるらしい」

「…写真?」

「ああ、写真だ。何が写ったものかは知らないが、ただの酒場が写真なんて珍しいもん売ってるんだ。怪しさ満点だろ?」

 写真は、カメラという古代技術から復刻された機械によってレンズ越しの光景を紙面に焼き写したものだ。俺が学生だった頃には既に実用されていて、公共施設での普及が進んだが、未だ一般市民の間には知れ渡っていない。店主が富豪で新しいビジネスのためにカメラを買い取れたなら別だが、一介の酒場にカメラがあるというのは奇妙だった。…となれば、写真の出所は研究所と考えられる。

「…当たりだな」

 マイクの一言に俺も頷き、男へと顔を戻して「酒場の名前は?」と促す。男は俺達の真剣な表情に下手なことは言えないと感じたのか、軽く身動いで背筋を伸ばした。

「ラムール・ドゥ・ローだ。…地図描いた方がいいか?」

 久しく聞かなかった名前で少し驚き、一拍子遅れて、

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 と頭を下げた。そこは、かつてロベリアと別れ話をした思い出のバーだった。メーティスの視線が一瞬様変わりしたが、すぐに真剣な面持ちに戻って俺の腕に身を寄せる。男は興味深そうに俺達を眺めると穏やかに笑って「おう、頑張れ。いろいろ」と手を振った。

「あの、少しお伺いしても?」

 これでお別れと雰囲気が語っていた中でマイクは男の前へと歩み出て訊ねた。男がマイクの問いに「あぁ、どうぞ」と向かい合い、俺とメーティスは邪魔をしないように静かに後退る。マイクはその男と、更に後ろに屯した魔人達とを見つめた。

「この街に滞在中のパーティには防衛部への勧誘があったはずですが、皆さんの下に連絡はありませんでしたか?」

「あっ、アカデミーの方々でしたかい。…はーはー、なるほど。道理で…ほー…」

 男は苦笑してマイクと、続いて俺達を見渡す。それから、彼は自身が総意であると主張するように、背後の者達を順々に手で指し示しつつ見渡して答えた。

「確かにその方が安全でしょうし、今より幾分気楽でしょう。俺達も肩身が狭いのは御免です。今の時世を見りゃよっぽど必要な仕事ですしね。…ですがねぇ、アムラハンに留まってもいられませんよ。討伐軍ってのは、自分の手で路用を稼いで各地を渡り歩くもんでしょう?それが防衛部なんて役所(やくどころ)を貰っちゃ、何がしたくてパーティを組んだか分からないじゃないですか」

 マイクは彼の言い分に腕を組んで深く唸り、男はそれに「ご不満ですか?」と笑う。マイクは顔を上げると「いや」と首を振って笑い返し、解いた腕を腰にやった。

「私には無かった考えだったもので…、感銘を受けていました。あなた方が納得しておられるなら私共がこれ以上口を挟むことはありません。どうか、時代に負けることなく信念を貫いてください。では、失礼します」

 マイクが男に背を向けると、俺達も男に一礼して去る。路地に出るまで背に掛かった彼の眼に一度振り向くと、それはとても温かい視線だった。彼もマイクから同じく何かしらの感銘を受けたのではないだろうか。

 …ふと、イシュルビアのことが気に掛かった。結局防衛部に誘ったりはしていなかったが、以降彼女に変わりはないだろうか、と。しかし、先程の彼のように彼女にも彼女の考えがある。無理に探し回って誘う必要は無いだろう。以前聞いた彼女の仕事は世間から見て褒められた職種ではないが、彼女が何を選ぼうと他人が易々と咎めていいことではない。マカナを育てあげるという彼女の信念とその在り方を、他人が分かった気になってはならない。


 まだ陽も落ちていないというのに、バーに辿り着くと早々に客人の話し声が漏れていた。その話題はクリスを嘲笑し、罵り、若しくは心にも無さそうな称賛も含まれた。…称賛の内容は、スタイルや容姿を中心とした、聞くに耐えない下劣で卑猥なものだった。

 俺達の足音は彼らに届かない。しかし俺達の耳にはまだ扉に差し掛からない距離でも明瞭に聞き取れる。徐々に足の速まる俺の肩を引き留めるマイクも常に眉間にシワを寄せ、俺の腕に手を添えたメーティスも軽蔑と怒りに赤らめた顔で前方を睨み据えていた。俺はと言えば激怒の剰り、眉間も額も拳も眼も、どう歪んだか自覚出来ない。ただ、今までに比類無い程の鬼の形相であろうとは手に取って分かった。

「何のために産まれたんだかわかんねぇよなこの女。股開くだけの無能勇者だ。てんで5クルドの価値もねぇ」

「身体だけは一級品だぜ。他は全部生ゴミ以下さ。きっと産まれる前に全部取られちまったのさ。だから馬鹿みたいに腰を振るんだ」

「頭も性格も悪くても、身体が良ければ寂しくねぇわな。道具程度にゃ使ってもらえていろんな男に可愛がられらぁ。救世なんて大口叩いて結局やるのは淫行・売春。真面目に生きてる俺達のアッチの飢えしか救えねぇ。勇者様々、売女様々、救世主様様々だ」

 俺は扉を開け放ち、押し止めた想いをたった一言、

「代わりに世界を救ってみろ、能も情も無い淫虐の獣共」

 地鳴りのように響いた低い唸りが、軽薄に嗤う彼らの喉笛を絞めた。俺はその内から近場の1人を選んで首に手を添えた。メーティスもマイクも止めに入らず、人間達も凍えて動けない。

 傍のテーブルに広がった写真の群れに眼を落とす。そこには見るも無惨に媚びを売り、女性の誇りを失って呆けた笑みを浮かべている彼女の姿があった。研究のためとは言えない特異な行為を強いられるものや、過剰な暴力と凌辱に晒して故意に彼女を傷めつけるものもある。…研究所で生じた兵士達の反発が彼女に向けられた結果がこれだ。そしてそれを悪意により売り物にした者がいる。…悪を殲滅できない今、罰するべきはその主犯だ。

「この写真を売ったのは誰だ?」

 首に添えた手はそのままに訊ねるが、相手の男は冷や汗をかいて目を剥き無言のまま口を開閉する。言え、と一際大きな声で捲し立てると男は短い悲鳴の後、舌が絡まったように言葉にならない声を上げてカウンター先の男を指差した。俺は手を放して真っ直ぐマスターと目される男の前に進み、息を呑むそいつを威圧の意図を持って睨んだ。その男は一挙一動を視線で禁じられ、辛うじて返事をするだけの傀儡に成り下がった。

「写真の出所」

「…け、研究所の……お偉いが…」

「誰だ」

「し、知らないっ……名前は、聞いてないっ……」

「それじゃ困るんだよ…。どうにでもして主犯を差し出せ」

「あっ、なっ…な、ならっ………こ、ここに、明後日の夜…そいつが写真の補充と分け前取りに来るんだ…!居合わせて聞き出すでも捕まえるでもしてくれ、協力はする!」

 男は呆気無く情報を売り渡し、あろうことか簡単に仲間を裏切った。そう仕向けたとは言え、その薄汚い所業には呆れて物を言う気にもならない。

「言質は取った。俺を裏切れば殺す。国王や他の役人より先にお前を殺しに来る。…分かったな、裏切るなよ」

「は、はい!はい!」

 身体を恐怖に震わせて繰り返し頷く男に背を向け、バーを立ち去ろうとした俺に玄関口のマイクが立ち塞がる。マイクは俺を責めるように一瞥するとその場の全員を見渡して大声を上げた。

「1人ずつ20クルドを渡しておく。こいつは口止め料だ。今後もその写真を買いたいという奴はこいつを受け取って大人しくしていろ」

 そう言って自分の財布から札束を手渡していくマイクに「おい!」と怒鳴り付けると、おずおずとそれらを受け取っていた客達は驚いて飛び上がる。…今の言い様からして、マイクは犯人を突き止めたらそれ以上は何もせず、この流れを止めることもせず許容しようというつもりだ。そんな共犯紛いな行動を許してはおけない。

 マイクは真っ向から俺に対立する姿勢を取った。マイクは強く俺を睨んで口早に言い返す。メーティスは相互の行動を完全には読み取れず、困惑したまま俺の背後で状況を見渡していた。

「現状維持が最善なんだ。…レムリアド、頭に血を昇らせ過ぎだ。一旦落ち着け。お前も真相が分かれば俺と同じ結論に行き着くはずだ」

 諭す口調の彼に俺は反論を取り止めて考え込む。…彼の言い分は承知している。下手に動けば城からの不信を買い、それはメーティスやマイクにも飛び火する。しかし、だからと言って感情ではそれに賛同しきれない。目の前の悪行を許すことはクリスへの仕打ちに俺達も荷担するようなものだ。それだけは何があっても許せなかった。

 マイクは全員に賄賂を配り終えると、「行くぞ」と俺に声を掛けて先にバーを出ていった。メーティスは立ち尽くす俺を訝しく見上げて腕を引っ張り、「…レム、行こう」と訴える。

 俺は渋々従って歩き出し、扉を閉める直前に再度中を見つめて、

「全員顔は覚えた。…勝手に動くなよ」

 と念を押して去った。


 翌日、人目から逃れるように校舎裏に赴いた俺は石段に座って独りパンを囓っていた。小さな雑音すら過敏になった心を騒がせ、執拗に苛立たせた。

 食べ終わる頃になって、明らかに探してきた様子のメーティスが断りも無く俺の隣に座り、黙々とサンドイッチを頬張っていた。不意に彼女の手が脇に放り出していた俺の手に重なり、此方が振り向くと彼女は一瞥して肩に縋った。完食を待ち、後から軟調な温もりを目指して彼女の頬に唇を寄せていくと、それを遮るようにして遠くから「先生(せんせ)ー!」とイノギアの声が掛かった。少し鬱陶しく思いつつメーティスから顔を離したが、彼女の手は立ち退くどころか一層強く俺の手を石段に押さえ付けた。

「どうしたんですか、こんなとこで。逢い引きですか?」

 わざわざ走ってきたイノギアはそう言ってからかいながらもメーティスの方だけを見つめ、白けた笑顔を向けている。メーティスは言い訳もせず愛想笑いを返して、

「さぁ、どうでしょうね」

 イノギアは益々笑わなくなった目を俺に向けて「どうなんですかー?」と訊ねた。…しかし、彼女はすぐに口元からも笑みを消して、今度は心配そうに眉を寄せて顔を近付けてきた。どうもこの頃の憂鬱が顔に出てしまっていたらしい。

「…先生?何かあったんですか?…何か、ちょっと血色が…」

 別に、と笑って首を振ると、彼女は益々悲しい顔になった。安心させてやろうと頭を撫でてやるも、余計に悲しそうに眼を伏せる。ならばと撫でる速度を徐々に上げていくと、段々顔を赤くしていった彼女が堪りかねて「うがーッ!」と俺の手を叩いて飛び退いた。

「先生のそーゆーとこホントきらい!いっつも子供扱いして!」

 興奮に息を上げて抗議する彼女に少し心が癒され、「悪かったよ」と微笑んで告げると、「それも!きらい!」とよく分からない所を怒られてしまった。そうしたやり取りを眺めていたメーティスが、笑顔の仮面を被って取り繕った優しい声を掛けた。

「安心して、レムは誰にでもそうするの。あなただから特別って訳じゃないよ。どうでもいい人にもこうなの」

 俺もイノギアも彼女の言葉に驚愕し、メーティスはその顔を変わらずイノギアに向け続けた。イノギアは見るからに元気が無くなって表情が固まり、無理に空笑いを引き出して、

「…まぁ、私、通り掛かっただけだから……。…行くね…。…先生、泣きたくなったら、また涙拭いたげるからね。…またね…」

 言葉尻まで告げる前に声を震わせて走り去っていった。その影が見えなくなるまで見送ると、今更にメーティスは「意地悪しちゃった…」と気落ちした。

「…本当にらしくないぞ。どうしたんだ」

 怒りもあり小言っぽく訊ねると、メーティスは膝に肘を突いた両手に額を押し付けた。

「…焦ったのかも。今レムを取られたら私、どうにかなっちゃいそうだから」

「……俺はお前の傍にいるよ」

 暫し無言の空間が続くと、また唐突にメーティスが顔を上げ、俯いて膝に乗せた拳を見つめた。

「…アカデミーの経過報告資料、調べたよ。例の噂についての報告は無かった。アカデミーは関与してないね」

「…そうか」

「それと、…偶然見ちゃった。…マニ大陸、とっくの昔に全域が陥落してた。…調査隊も全滅、再調査の予定も無いんだって」

「……そうか」

 メーティスは言い終えて間も無く俺の膝に顔を埋めた。背中を撫でると、押し出されたように彼女は泣き出した。俺は何も言わず、チャイムが鳴るまで彼女の背を撫で続けた。


 約束の日、俺はカウンター裏に隠れ潜み、マイクは店の外から壁越しに耳を澄ませて主犯の来訪を待ち受けた。メーティスは故郷の件で前日から精神的な不調を来していたため、エラルドに面倒を任せて寮に置いてきていた。俺自身も快調とはいかないものの、この調査自体俺が主導したものであるため来ないという選択肢は無い。

 入口に閉店の看板が貼られると主犯はすぐに現れた。仕事のことをべらべらと喋る、とても役人とは思えない男だった。事実身分は然程高くないのだろう。事前にマイクから研究の責任者達それぞれの名前と特徴を聞いて当たりを付けてきたのだが、該当する者はいなかった。しかし悪知恵だけは働くようで、彼は頑なに名を明かさなかった。

 会話の殆どが『クリスティーネを買い取ったアブノーマル趣向の富豪に使える従者』という形を取った研究所の愚痴で、その多くはユニフェスへの文句とクリスへの罵声が占めている。その内容からその男がクリスの経過観察を受け持っており、室内監視カメラの映像やその現像の管理者であることが窺えた。しかし、この事件の経緯を知った収穫以上に彼女の痛ましい現状を鼻で笑う彼の無神経さへの怒りが大きかった。

「…ところで、そろそろ教えてくれませんか?どうしてあなたがこんなことを始めたのか。…私もね、お客に訊かれるんですよ。どういうルートで回ってきた来た物か分からないのに5クルドは出せないとね。私だってそう言われても彼らに本当のことは何も言えません。けれど私自身が何も知らないのでは(とぼ)けようにもどう惚ければいいのか迷ってしまうんです。ウェイターにだって料理のあらましくらいは説明出来るでしょう?ただ写真だけポンと渡されては敵いませんよ」

 巧みに論点をすり替えつつ促した彼に、ウォッカで気を良くしたその男はあっさり口を割った。恐らく名前さえ隠せれば何を言ってもいいつもりなのだろう。彼はヘラヘラ笑って然も得意そうに告げた。

「それがなぁ、こいつは大臣様から仰せつかった大切な任務なのさ。クリスティーネの地位を可能なだけ貶めて、大勢から敵視されるように誘導しろって話だ。もうじき次の勇者が産まれるだろうから、心機一転のための人柱として悪の象徴(クリスティーネ)を処刑し、新たな勇者の誕生を顕示するって寸法さ。この調子でクリスティーネの印象を地に落とし、過去の政治の不祥事も全て奴に被せて始末すれば、清らかで誠実な新時代に歩き出せるってもんさ。…で、ここからがお立ち会いさ。印象操作のために俺以外にも何人か雇われてるんだが、そのやり方は個々に任されてるんだ。そこへ来て俺の仕事が何かと来ればクリスティーネの撮影だ。…あぁ、俺は自分のやるべきことを悟ったね」

 彼は写真を1枚ヒラヒラと扇いで自慢気に告げた。写真にはベッドと四肢を赤い鎖で繋げられ、前掛けのように布切れを被せられたクリスが映る。

「こいつを売って金にする。大臣の目的も果たせ、俺は俺で憂さ晴らしと金儲けが出来る。最高の取り引きだ。大臣も了承してくれたし、何かあれば俺を擁護してくれるそうだぜ。…何より気分がいいのはな、勇者の末裔なんて偉そうな肩書きの小娘を俺の手でズタボロにしてやれるって所さ。そして俺の行動一つで影響されて波紋みてぇにクリスティーネ叩きが広がっていくんだ。想像してみろ、気分爽快だろ」

 …自分の愛する人がそんな目に遭っていて、正気を保てる者がどれだけいるだろう。俺は衝動的にカウンター上に置かれたナイフを奪い、最小の弧を描いて彼の背後に回り込んだ。刃を彼の喉元に触れさせ、耳に噛み付きそうな程に近付いて呟く。…怒りで頭が働かないにも関わらず、紡がれる言葉自体は不思議と冷静だった。…冷静に彼を呪った。

「最悪だよ、外道が…。お前は母親を同じ目に遭わせてもそうして笑ってられるか?試してやろうか…」

 彼も、マスターも息を呑み、青冷めた額に汗を垂らした。彼は恐怖で震え上がり、その振動で小刻みに刃が掠り細く血が溢れる。

「今すぐその商売をやめると誓え。さもなければ5秒後にお前の首を――」

 そこへ扉を突き飛ばして木片を散乱させながらマイクが飛び出した。条件反射でナイフを払いながら振り向いた俺の目前へ、不規則な急加速で屈んで避けたマイクが詰め寄る。いつからか全身の皮膚から白目まで漆黒に染まっていた彼はその勢いのまま俺の胴にしがみつき、此方が反撃する前にカウンターと反対方向へ投げ飛ばした。咄嗟に防御体勢を取り、テーブルを巻き込んで店の隅まで転がった勢いのまま起き上がる。俺を睨み、マイクは主犯の男を「行け、早く!」と急かした。男は困惑し、状況が読めないまま走り去っていく。

「逃がすかッ…!」

 叫んで立ち上がり、ナイフを男へ投げようとした俺に、即座にマイクが蹴り掛かる。ナイフを手放して倒れた俺に向けて駄目押しの『ファイア』を放ったマイクは、

「馬鹿ッ、この件だけ止めてどうなる!?少しは冷静になれ!」

 その手を此方に翳したまま大量発汗を起こして息を切らしている。対して俺も起き上がれず、横を向いた視界に灰色に染まった腕を認めて奥歯を噛み締めた。

「……ちくしょぉ……ちくしょぉぉ…ちくしょぉぉおおおッ!!」

 振り絞った嘆きの叫びは遠い夜空に霧散して、非力な余韻をそのままに廃れた理性に染み込んだ。

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