2-1 囲いの中の狩人
天空都市トラード。
それは山脈の中腹に位置し、霧の日には眼下に雲海を眺めるためにその名がついた。
大陸南部の聖都コーレスと大陸の北部の都市ミョテイリに分かれる分岐点でもあり、
また西へ向かえば東の大陸と接する交易都市ルーランにたどり着く。
そのため交通の要所として昔から栄えていた、現在でも大陸において有数の都市の一つでもある。
雪が降ればミョテイリまでの道が閉ざされてしまうために、道行く人々はどこか足早だ。
収穫の時期は終わった。もう間もなく雪の季節がやってくる。
「綺麗な場所、ただの観光で来たかったな」
フィアは残念そうに眼下に広がる平原を見つめる。
山の中腹から眼下に平野を見渡し、馬上から彼女は語る。
「それは今度な」
「わかってる」
この平原の先に聖都コーレス、フゲンガルデンがある。
「ずいぶんと遠くまで来ちゃったね」
「俺も同じこと考えててさ」
フィアは笑って頷いた。
ここへ来たのは他でもない。
一人の聖堂回境師の蛮行を止めるためだ。
人の行列はトラードの城門付近から途切れることなく連なっている。
城内に入る際の手続きや簡単な調査をしているのだろう。
「お二人ともトラードまで?」
二人の背後にいた恰幅のよい男が馬上から、二人に話しかけてきた。
「はい」
「失礼ですが兄妹ですかな?」
「ち…」
「そうです。フゲンガルデンから来ました」
ヴァロは言いかけていたフィアの言葉を遮るように
フィアは文句ありげな表情でヴァロを見ている。
「ほう。それはそれはご苦労様です。遠方の騎士の国からはるばると」
その商人は目を見開く。
マールス騎士団領は遠方では騎士の国と呼ばれることが多い。
実態は想像しているのとはかなりかけ離れたものであるだろうが。
「私は見ての通り旅の行商をしておりましてな。
最近はこの辺も政情不安のためか治安が悪くなってきておりましてな。
盗賊や野党も周辺に出没するという話です。
私も近くの街まで商隊と一緒にやってきました」
商隊というのは商人たちが集まり、金を出しあい、
傭兵などを雇って盗賊、野党などから身を守ることである。
主に治安の悪い地域で多くみられる。
それと言うのも長く続く内乱などで周辺の国が機能してないためだ。
報告書に書かれた事実が真実ならば、大陸東部の政情不安を引き起こしているのは、
ここの聖堂回境師カランティということになる。
「あなた方はフゲンガルデンからどうしてトラードに?」
「私は…」
その商人と取り留めのないことを話していると、気が付くと順番はヴァロたちの手前までやってきていた。
「ヴァロ」
「行こう」
二人は門をくぐるべく一歩を踏み出す。
トラードに入るとその活気に二人は驚く。
大通りの道の脇には露天商が並ぶ、ルーランほどで無いが、
果物や、肉、日用品などさまざまな種類の品物が並んでいた。
人は絶えることなくその通りに溢れている。
さすが大陸でも七つの主要都市に数えられるほどである。
ココルという両替商は存外に早く見つかった。
城門付近でその名を出したところ、一人の少年を指された。
その少年に近づくと、少年の方から声をかけてきた。
「お兄さんたち旅の人?多少の両替なら僕に任せて」
ここら一体の通貨は少し複雑なことになるので両替商という者が存在する。
トラードは大陸有数の交通の分岐点でもあるために、さまざまな通貨の種類が混在しているのだ。そのために両替商が数多くいるという。
中には悪質なものもいるらしく、悪質な金貨を扱う者もいるという話を聞く。
「両替商ココル君だね」
どこか幼さを残しつつ、利発そうな顔立ちをしている少年だった。
「ええ、ここで両替商を行っているココルです」
ココルと言う少年はいきなり名前を出されて首をかしげた。
「お兄さんたち、旅人みたいだけれど、だれから僕の名を聞いたんですか?」
表面上はにこやかに彼は続ける。
「グレコさんから」
ココルは一瞬だけ鋭い顔を見せたあと、それが消える
「その輝きは」
「明け方の西の空に」
ヴァロはココルの声に応じた。
「なるほど、そっちの方々か」
ココルはヴァロとフィアの身を値踏みするかのようにじっくりと眺めた。
「両替商…ずいぶんと…」
「僕が扱うのは銀貨と銅貨だけですよ。それも少額のね。
商人が扱うような巨額の手形や金貨取引は他でやってもらうことにしています」
「それじゃ銀貨の両替を頼むよ」
ヴァロは懐から十枚の銀貨を取り出す。
「フゲンガルデンのマルクト銀貨、これは珍しい。
騎士の国マールス騎士団領からいらしたのですか?」
「…ああ」
少年はその言葉を出すと目を輝かせる。
「その体格…ひょっとして騎士の方ですか?」
「ああ」
ヴァロが肯定した。
「初めて騎士の方とお会いしました」
ココルはヴァロの手をギュッと握りしめる。
熱のこもった表情にヴァロはちょっとだけ驚く。
「ここでは南の通貨が使えない。これじゃ宿も満足に取れないからな」
ルーランでは教会の発行する銀貨もフゲンガルデンで発行する銀貨も
同じものとみなされ交換可能だったが、ここまで北にくるとさすがにそれも厳しくなってくる。現にひとつ前の宿では会計にマルクト銀貨を出したものの、珍しいものをみるような顔をされた。会計はどうにかできたが。
「まあ確かにカラミット地方で使われてる通貨はフーラブとジエードだ。
マルクトでは宿すら泊まれないでしょうね」
「交換できるのか?」
「ええもちろん。特にフゲンガルデンのマルクト銀貨は特に質がいいですからね。
実際に場所によっては教会の発行するフーラブ銀貨と同等の価値をもってると言われていますよ」
確かにルーランではフーラブ銀貨と同価値として扱われていた。
ちなみに参考までにルーランの主要通貨はフーラブ銀貨である。
教会の発行するフーラブ銀貨はその教会の支配地域全般で使えるために、ほぼ大陸全域で使える。問題は一つ、流通量が他の通貨と違い絶対的に少ないのだ。
多くの主要な取引にそれは用いられるために、極地では値が跳ね上がりやすい。
「最近ここのジエード銀貨は政情混乱のために、質が低下しているんです。
最近では質の悪い通貨まで流通し始めていて、価値は下がる一方ですよ。
ただし、短期の滞在ならばうちはジエード銀貨を押しますが」
「それじゃ、ジエード銀貨でお願いするよ」
「まいど」
ヴァロは十枚マルクト銀貨を差し出すと、
手馴れた手つきで彼はそれを計りにかけた。
「このマルクト銀貨ってのは作った国の人間性がにじみ出てますよ」
「融通の利かない騎士の作った銀貨とでもいいたいのか?」
ヴァロは少し意地の悪い質問をしてみる。
「とんでもない。安定した銀貨だといいたいんですよ。
ここカラミット地方はここ二百年政情不安が続く国ばかりでるからね。
通貨の価値も安定しやしない。そう言う意味では羨ましい」
彼はそうぼやいた。そういいながら手馴れた手つきで彼は天秤を扱う。
ほどなく彼は十一枚のジエード銀貨と三枚の銅貨を差し出してきた。
「少し渋くないか?」
「ひどいなぁ。これでもサービスしてるんですよ」
ヴァロはそれを受け取る。
「…夜に西のブラッカ教会でお待ちしております」
受け取る間際にココルは小声でつぶやく。
二人はその場をあとにした。