6-3 亡霊
『調律』の魔女、大魔女サフェリナ。
大魔女の中で唯一結界の調律を行っていたのは彼女だ。
結界術を魔法と同列に並べるぐらいに発展させたとされるのが彼女であり、
大陸の主要都市に張られる結界は彼女が調律したものだという。
結界を扱う者にしてその頂点。
その大魔女は十数年前に寿命で死去した。
ただそのあまりに突出した才ゆえに、その才を受け継ぐだけの後継がいなかった。
彼女の遺産を受けついだ結社メルゴートは魔王崇拝のために一掃されている。
カランティにとってその存在は最大の脅威であった。
『調律』の魔女の前では結界というものは等しく無価値。
なぜなら現存するほとんどの結界は彼女の手で作り上げたものであるからだ。
さらに地下にあるという『抑止の宝石』も手の内にある。
長年かけてようやくこの結界の孔を取り除くことができた。
もはや自身の行動の妨げになる者はどこにもいない。
そうカランティは確信していた。
自身の前には何の障害もなくなったかに見えた。
目の前の扉が消滅する。
掃滅結界の力が行使されたのだ。
その入り口から入ってきたのは杖を手にした一人の少女。
直後ヴァロの周囲に結界が張られる。
「掃滅結界の中で結界?ありえない。非合理よ」
カランティは叫ぶ。
「驚くほどのことではないわ。一時的に私とその男の周りだけ結界を無効化されているだけ。それならば結界内で結界を使うということにはならない」
少女の姿をしたものはゆっくりと歩み寄る。
「止まれ」
「誰に向かって言っているのかしら?」
フィアのカタチをしたモノは歩みを止めることはない。
三人の弟子たちは彼女に向けて魔法で作り上げられた光球を放つ。
カランティの弟子ホーノア、ピピン、エムローアの放った攻撃魔法は少女に届くことなく消滅した。
「魔法が消された?そんな…」
それができるのは結界に認められているモノだけ。
そして、それは彼女たちの師だけのはずだ。
彼女たちは一斉にカランティを見る。
怖い顔でカランティはその少女を見ていた。
「この子の周りの魔法を消しつづけるように命じたのはあなた。
初めにこの子の周りの式を滅し、その次に魔法を滅したのはそのため。
魔法を滅してしまえばこの子だけではなく、他の魔法まで滅してしまうことになるから」
少女は表情を変えることなく淡々とそう言い放つ。
「ヒョヒョヒョ…いいでしょう。私と勝負したいのですね」
カランティが手をかざすと目の前で結界の力が衝突する。
とてつもない衝撃音が部屋中に轟いた。
力と力の奔流が土埃を巻き上げ、部屋にある家具を壊していく。
カランティは目の前の女性をまじまじと見据える。
フィアの姿をしたものは涼しげな笑みをカランティに向ける。
「…ねえ、ここの結界を無効化するために、あなたが飲んでしまった石のほかに
もう一つ方法があるのを憶えている?」
その言葉にカティの顔からみるみる笑みが消え、青ざめていく。
「あらカティ、顔から笑みが消えてたわよ?」
次の瞬間、ゆっくりとトラードを包む結界が消滅していく。
結界が解除されてたのだ。
「結界内を使った力と力が衝突すれば、その矛盾ゆえに結界は機能を停止する。
あなたはそれをわかっていたから、あなた以外にこの結界を使わせなかったのよね」
フィアの姿をしたモノは、解かれる結界を眺めながら静かにそうつぶやく。
「…」
カランティはフィアの姿をしたものを睨み付ける。
「ヒョヒョヒョ…ならば魔法であなたを殺してあげましょう。
トラードに結界使いは二人もいらない」
カランティの周りに魔力の渦が巻き起こる。
フィアのカタチをしたものは静かにそれを眺める。
次の瞬間、慌てた様子でこの城の監視をしていたはずのカランティの弟子の一人、ツエードが部屋に駆け込んできた。
「カランティ様、大変です。北門と南門からカルヴィナ聖装隊が現れたと報告をうけました。聖剣契約者ミリオスの目撃情報も…」
ツエードが息を切らしながら絶望的な声を上げる。
「霧に隠れて接近に気づくの遅れたのか…」
カランティは険しい表情でそうつぶやく。
聖カルヴィナ聖装隊は教会が魔王討伐を目的として作った機関。
聖カルヴィナ聖装隊は教会最精鋭の部隊であり、教会の絶対抑止。
隊長は聖剣の契約者ミリオスが率い、魔剣所持者により編成された部隊。
まともにぶつかれば高位の魔法使いでも勝てるかどうかわからない。
「あらあら、ユドゥン、手が早いこと」
フィアの姿をしたモノはそうつぶやく。
「結界が消えたことであなたのここでの優位性はなくなった。
打算的なあなたのこと、このままここでもたついて
聖カルヴィナ聖装隊と真っ向から戦うなんて愚策はとらないでしょう」
少女の言葉に悔しげにカランティは唇を噛みしめる。
「ホーノア、ピピン、エムローア、ツエード、トラードは放棄します。
各自必要最低限の実験資料をもって撤収準備を」
「はっ」
弟子たちはそう言って周囲の資料を集め始めた。
「…お前は何者だ」
カランティは悔しげにフィアの姿のモノを見据える。
「私はただの亡霊。亡霊に名乗る名なんてないわ」
彼女はフィアのカタチをしたものを睨んだ。
「亡霊ならば墓の下で眠っていなさい。
ヒョヒョヒョ…覚えていなさい、いずれこのカリは必ず返します」
そう捨て台詞を残して、カランティは弟子とともにその場から去って行った。
「あなたは私のことを覚えていないのに?」
彼女は寂しげにそうつぶやくとヴァロの方へ足を進める。
結界を解き、ヴァロの額に手を当てる。
ヴァロが目を開くとそこには見知った少女の顔があった。
「ヴァロさんでしたね」
「フィア…じゃないな」
明らかに見知った少女のものではない。
ヴァロはフィアの雰囲気や言葉遣いから、一目見てそれが少女とは異なる者であることを悟る。ヴァロはドーラの事例も知っていたために、彼は比較的すんなりとそれを受け入れられた。
「あなたの体に入れられた薬物はすべて取り除いておきました」
そのフィアの姿をしたものは淡々とそれを告げる。
「…あんたの名前を教えてもらっていいか?」
そこにいるのはヴァロの見知った女性ではない。
「私は名のないただの亡霊です。
もうじきここに聖カルヴィナ聖装隊が突入してきます。
あとのことはすべてあなたにお任せしてもよろしいでしょうか」
「一つ、聞いていいか?」
ヴァロはその女性と目を合わせる。
「何でしょう?」
「どうして今になって出てきたんだ?」
それは自然とヴァロの口から出た。
「本来なら私は既にいない人間です。この子のためにも出ることはできなかった。
肉体を持つ人間の肉体を乗っ取ることはよくないのです。
…今回私が出てきたのは、この子が壊れてしまいそうだったから」
「フィアは愛されているんだな」
ヴァロの言葉にそのフィアの姿をしたモノは驚いたような表情を浮かべる。
「…この子のはじめてのヒトがあなたでよかった。
ヴァロさん、この子のことよろしく頼みます」
彼女は小さく頭を下げる。
「ああ、任せとけ」
ヴァロは力強く頷いた。
満足気に彼女は微笑むと目を閉じる。そのフィアの体から力が抜けていく。
ヴァロは崩れるフィアの体を抱き留めた。




