6-1 霧の中
その日は年に数回しかない『霧の日』だった。
トラードの下には雲のように白い霧が発生している。
天空都市、その名前の由来はこの光景があまりにも幻想的であるために、
そういう二つ名で呼ばれるようになったのだ。
その都市が高台に位置し、雲を見下ろすようになるからだ。
年間を通してそんな現象が起きるのはほんの数日だけである。
トラードを眺めるかのように、山の上には二人の人影があった。
グレコはその状況を冷静に分析していた。
「どうする、グレコ?」
横からラウィン。手には巨大な斧が握られている。
ラウィンはいつもは隠してある斧をすでに出し、出撃を今か今かと待っている。
「状況は限りなく悪い。あの二人はココルの報告によれば捕まったらしいぜ。
二人ともおそらく城の中に監禁されてるだろうよ」
「ココルという『狩人』は?」
「ココルの野郎とも連絡がとれねえ。
カランティのところに突っ込んでいったのかもしれねえな。
あれも冷静に見えて、意外と無鉄砲なところあるからなぁ」
グレコはトラードを眺めながらつぶやく。
「正面からいけばいいだろう?」
「あほか。掃滅結界の中じゃ、おめえの魔力抵抗も意味をなさない。
結界は魔法とは似て非なる力だ。
対物理障壁のある魔剣がなければ一瞬で終わっちまうぜ?」
結界は魔法抵抗力のある『狩人』でもその力は防げない。
魔法でも何でもないただの物理現象であるためだ。
グレコの中では対結界戦も既に想定してあった。
が、調べれば調べるほど対魔女に特化した『狩人』では攻略がこんなんだという
現実にぶつかった。
「だとしてもただここで手をこまねいているわけにもいかんだろう」
「なんだよなぁ」
グレコは首を抱えながらトラードを眺める。
切り札であるはずの魔剣使いのヴァロもカランティに囚われてしまったという。
これでは文字通り八方ふさがりだ。
グレコは眼下の霧の中に見覚えのあるものを見つけ、表情を一変させた。
「なんで連中がここにいる?」
グレコは少し考える素振りをしてからにやりと笑んだ。
「状況が変わった。様子をみるぞ」
フィアはその光景を塔の上からぼんやりと眺めていた。
霧状のガスが平野を埋め尽くしている。
ここはまるで陸にある孤島のようだとも思った。
フィアの周囲ではあらゆる魔法式、魔法が禁じられている。
どんなに手を尽くしてもそれは変えられない。
それが掃滅結界の力。あらゆる対象を任意で消し去ってしまう。
そしてそれはこの結界にいる限り持続させることも可能のようだ。
魔法式を構成しようにも結界がそれを消し去ってしまう。
すでに何百回と試したことだ。
そのたびごとに彼女は自身の無力さを噛みしめる。
あの人は今頃どんな拷問を受けているだろう。
デウドラという女性が食事を持ってくるたびに、実験の様子を語ってくるのだ。
それは断じて人が受けていいものではない。
もしそれがヴァロにされるかと思うと胸が張り裂けそうなほどに痛んだ。
「…力がほしい」
彼女はそう願いながら目を閉じる。
フィアの意識は微睡の中に消えていった。
「どうしたの?」
道端でうずくまって泣いていると、一人の女性が子供の姿のフィアに声をかける。
「私の大事な人が死んじゃうの。私には何もできない」
「大切なひとなのね」
フィアはうつむいたまま頷いた。
「…私はあの人を命をかけて守るって誓ったのに」
「命を引き換えにしても?」
その人は優しくフィアに語りかける。
「私の命を引き換えにしても」
フィアの答えに、その女性は少しだけ嘆息をもらした。
「あなたはもう泣かなくてもいいわ。私があなたの願いをかなえてあげる」
彼女はフィアの頭を優しくなでる。
「だから…命を引き換えにしてなんて言わないで。あなたは望まれて生まれてきたの」
何でこの人は自身の名前を知っているのか。
初めてフィアは頭にその疑問が浮かび、その女性の顔を見上げる。
その瞳の色は空のように青かった。
そして少女を拘束している部屋の扉がその形を歪めて吹き飛んだ。




