時は春
*15:00
土曜日、半日の授業を終えた放課後の部室に、一時間ごとに時を告げるチャイムが鳴り響く。その残響を聞きながら、部屋の中央で四人が向かい合って座っていた。
突然、少女が立ち上がり、天高くこぶしを突き立てた。
「よっしゃー!アヤの体げっとー!さーて、何してやろうか――」
「ちょ、また!?やめてよね!!?」
立ち上がった少女の両腕を咄嗟に掴んだ大柄の少年は、勢いがつきすぎていたせいでそのまま床に倒れこむ。
「タケがアヤを襲っているようにしか見えないな」
長髪の男が、備品のデジカメでその様子を撮影しながら言った。
「俺の評判に傷がつくようなマネはやめてくれないか?」
眼鏡の男が、デジカメを取り上げると手早く写真を消していく。
そして、沈黙。
大男は既に少女の腕を放し、それでも警戒しながら隣に並んで座っている。
四人は、互いにしばらくの間顔を確認し合った後、ついに納得したようにうなだれた。
コマ送りのようにゆっくりとした動作で一人が顔を上げた。窓から差し込む光が眼鏡に反射して、怪しく光る。
「どうやら、認めなければならないらしい。俺たち四人の人格が入れ替わってしまった、ということを」
やたらと重苦しい雰囲気でそう言った少年の後を、いまどきほとんど見なくなってしまったような茶色の長髪を振りながら、そしてまるでそこにあったメガネの位置を正すようなそぶりをして、もう一人の少年が続ける。
「うむ。タケの仮説通り、一時間に一度のチャイムとともに僕たちの人格がランダムに入れ替わってしまう、と考えていいだろう」
「ちょ、ちょっと待ってよ。マジで?いやほんとマジで?マジで言ってるわけ?」
男の言葉に異を唱えるのは、大柄な少年だ。筋肉質な巨体をくねくねと気持ち悪くくねらせている。
「まー、理屈はわかんないけどさー?なっちまったもんはしゃーねーじゃん?それよりも、もっと前向きに考えようぜ!こんな経験、誰でもできるわけじゃないっしょ?」
最後、四人目の少女は、やたらと明るい口調でそう言うが、その肩は小刻みに震えている。口に出しているのとは裏腹の感情がそこから見て取れる。
「そうだぞ、アヤ。アヤだよな?俺の体に入ってクネクネしてるのは。まずは正確に状況を把握するのが大事だといったのはお前じゃないか」
「あ、ああ、私だ。私がアヤだ。俺のカラダてことは、シュウの中身は、タケ、でいいんだよな?で、トシの中身がシュウ、で、私の体に入っているのが、トシか。あと、クネクネなどしていない!」
「とりあえず茶でも飲んで落ち着けよアヤ。あと、クネクネしてる。そこの鏡見てみろ」
トシ、の中に入ったシュウが、全員の前にプラコップのお茶を並べた。朝コンビニで買ってきたもので、冷蔵庫も何もないこの部室ではとっくにヌルくなってしまっているが、それはいつものことなので気にする奴はいない。
「もう一度状況を整理しよう。僕たちは全員ばらばらに昼飯を食べて、この部室に来た。そこまでは、至って普通、何も起こっていない」
トシの中に入ったシュウはそう言って、いつもの癖で眼鏡を触るようなそぶりをしながら空振りし、所在なく手をうろうろさせてから、結局コップを掴んで中身を全部飲み干した。
「ああ」
「問題ない」
「だーね」
みんながそれを肯定し、シュウの言葉を待つ。
「時間にすると、全員集まったのが一時半ぐらいだったな。それから、いつものようにだらだ――、もとい、英気を養っていたとき、二時のチャイムが鳴った。最初の入れ替わりはその時だな」
シュウの言葉に全員がうなずく。
「正直なところ、原因らしいものは全く思いつかない。誰か、昼休みに怪しいおっさんにもらった薬でも飲んだやつがいれば話は別だが。みんなはどうだ?」
「さっきも言ったが、俺も同じだ」
「オレも~」
「私も」
結局四人は一時間前と同じ話を繰り返している。とにかく、四人の「中身」が入れ替わってしまうなんて、そんな話今までドラマや漫画の中でしか聞いたことがない。とっくに頭は現実を受け入れることを放棄しているし、考えているようで何も考えていない、そんな状態だった。
「ところで…誰が誰だかわからなくなりそうなんだけど。なんか目印決めない?私はほら、これ付けるし」
そう言ってアヤは、今はトシが使っている自分から小さな髪留めを外すと、自分の額につけた。
「そのアイディアには賛同するが、なんでそんなかわいいヘアピンを俺の体に付けられなきゃならんのだ?」
シュウの顔を苦痛にゆがませながら、タケが言う。
「とりあえず、僕の眼鏡を返せ。それがないとどうも落ち着かん」
「では俺はタオルを首からかけておこう」
シュウは自分の体からメガネを取り上げて、タケはカバンからタオルを引きずり出して身に着ける。
「オレはどうすれば?」
「いつも通り変な顔でもしてるといい」
「へいへい、……ってシュウさん?そりゃちょっとあんまりじゃないですか?」
「結局やるんだからお前は偉いよ…」
「や、やめてよね、それ私の体なんだから!!」
「まぁいいじゃないか。もし次に入れ替わったら、僕はメガネを、タケはタオルを、アヤはヘアピンを付ける。残ったのがトシだ」
「なんかトゲのある言い方だけど、まーそれでいいや」
とりあえず、それぞれの見分け方を決めたことで四人はある程度落ち着きを取り戻していた。ある程度、だが。
「で?どうするの?結局のところ、何にも解決してないんだケド?」
アヤが外に目をやると、そこにはいつも通りの、土曜放課後の校庭の姿があった。野球部にサッカー部にテニス部、陸上部、ほかにもいくつかのクラブの面々が、いつも通りに練習をしているのが見えた。
「…こんな風になっちゃってるの、私たちだけなのかな?」
「少なくとも、そこで走り回ってる連中は関係ないだろーね」
アヤの体をしたトシも、横に並んで校庭を眺める。その時、アヤは、ふいに気づいた。
「……私、こんなに小さいの?」
ぐりぐり、とタケの大きな手で「自分」の頭を撫でつけながら、感慨深げに呟く。
「ばーか。タケがでか過ぎるんだよ。2メートルぐらいあるんじゃねーか?」
「そんなわけないだろう。こないだ測ったときは180ぐらいだった」
「十分でけぇわ」
「ふざけてないで、どうすれば僕らが元に戻れるか考えるべきだ」
「別にふざけてるつもりはないけど」
「そうだぜ?これはほら、単なる現実逃避…」
「だがな、シュウ。もう、大体のことは試したと思うが」
タケが言うように、さっきチャイムが鳴るその前まで、四人はいろいろと「元に戻る」ための方法を試していた。その中には二度と思い出したくないような方法も含まれている。
「……ん、そうだ。ちょっと思いついたことがある。ここで待っててくれないか」
そう言い残して部屋を出たタケが戻ってきたのは、実に四十分以上経ってからのことだ。時計はもうすぐ、16時を回ろうとしている。ちなみにその間、部屋に残されていた三人は特に何をするでもなく、少なくとも表面上は「いつものように」だらだらしていた。実際のところは思考を放棄していただけだ。
「待たせな!!」
そう叫ぶタケの手(実際にはシュウの手)には、どこから調達してきたのか、工事現場に落ちているようなロープが握られている。
「そのロープをどうするの?」
「これで、俺の体を縛る」
「縛ってどうする?まさか縛っておけば中身が入れ替わらないとでも?それとも単なる趣味?」
「理由は後で話す。トシ、手伝ってくれ」
「え?あ、ああ…」
トシは、請われるままにタケの体にロープを巻きつけていく。
「な、なんか俺の体がアヤにぐるぐるまきに縛られていくのを見るのってなんか、こう、来るものがあるな」
「黙れ変態」
あっという間にぐるぐる巻きになったシュウの体で、ちらり、と壁掛けの時計に目を移す。つられて、全員が時計を見る。時刻は、15時58分。
「で、どういうことなの?説明してくれる?」
アヤの問いに、いいだろう、と大仰な態度で答えてから。
「俺達の仮説が正しいとすれば、あと二分で再び入れ替わりが発生する。その時、三分の一の確率で、この全く身動きできないシュウの体に……」
「はっ、そうか!!入れ替わりがランダムなら、その体にアヤが入る!?」
「その通り」
「な、なんと恐ろしい……もしそんなことになったら、オレ達を止めるものなど、何もないではないか…!!」
盛り上がる男三人組。ただし、一人は見た目女子だが。そんな三人を見ながら、アヤは状況が理解できずにいた。しかし、それも一瞬のこと。すぐに、彼らが何を言っているのか理解した。
「さ、させるかよ!!」
「気をつけろ!中身がアヤでも今のアヤはタケの超パワーだ!正面からぶつかっても吹き飛ばされるだけだぞ!」
「よし、ここは俺に任せろ!!」
そう言って、必死の形相で拘束を解きにかかるアヤの前に立ちふさがったのは、皮肉にもアヤの姿をしたトシだ。
「どいて、トシ。いくら私の体でも…いえ、私の体だからこそ、ちょっとのケガぐらいは辞さない覚悟よ!!!」
ぐっ、っと腰を落とすアヤ。ラガーマンの迫力がそこにはある。しかし、トシには勝算があった。
「まぁ、待って。なにも力づくで止めようとは思わない。そんな必要もない」
言いながら、ぷちっ、と一つ、制服のシャツのボタンを外した。
「な、何をする気!!?」
「脱ぐ!!」
「や、やめろ、正気か…」
「正気だ。オレ達の要求はただ一つ、お前が、そこから動かないことだっ!!」
つ、と、アヤの額から汗が一筋垂れて、床を濡らす。
――そして、無情にも、16時を告げるチャイムが教室に鳴り響いた。
*16:00
最初に動いたのは、トシだ。臨戦態勢のタケから髪飾りを抜き取って、長髪を留める。そして外したメガネをプラプラさせると、それをタケが受け取った。そしてアヤが、後ろに転がっているぐるぐる巻きのシュウからタオルを抜き取る。そうして、目印の交換は無言のまま、実にスムーズに行われた。
「ち、ちくしょう……」
縛られているシュウ、いや、トシが絞り出すような声でそう言った。タケとシュウも全く同じ顔をしている。一方で、トシの体になったアヤは、シュウの体に巻きつけられたロープを解かせると、三人を並べて立たせた。そして、厳しい教師がそうするように、三人の前に立つ。その顔に浮かんでいるのは、怒り以外の何物でもない。
「あんたら、真面目にやる気あるの?」
「はい、すいません」
「もう一度同じことをしたら絶対に許さない。絶対に、だ」
「は、はい…」
そんな中、アヤは自分の体に入ったタケがそわそわと体をゆすっているのが気になっていた。
「おいタケ、どうした」
「アヤに、頼みがあるんだが!」
「なんだ言ってみろ」
「ちょっとだけ、その、ちょっとだけ触らせてくれないか!!」
何を、かは手つきを見れば聞くまでもない。
「い、いいわけないでしょ!!?ば、馬鹿なの!?あんた!!」
「頼む、今を逃せば、こんなチャンス次にいつ来るか、わからないじゃないか!!」
「だ、だだ、だからって、はいそうですかってなわけには行かないのぐらいわかるでしょ!?手、その手何!?ワサワサしないでよ!?」
結局アヤは、ロープで『自分』の手を縛ることにした。
「これで、私の体に入った奴が勝手に私の体に悪さすることもないだろう……」
「つーかタケってそんなキャラだっけ」
「タケ、顔はそんなに悪くないんだけどな…いかんせんデカすぎるせいか、昔から女子とは無縁の生活だったよ。こんな風に話せる女友達も、アヤぐらいのもんじゃないかな」
「その友達関係も見直しを考えないといけないみたいだけどね…」
あきれた風に、ため息をつくアヤ。でも、極限状態なのは自分も同じだし、理解もできる気が、少しはするのでこれ以上追及するのはやめておく。
「で、これからどーすんの?」
「とりあえず、試せることは大体試したからな……なにかヒントでもあればいいんだが……」
「図書館で調べるってのはどうだろう。あそこならネットも使えるし」
「なるほど、名案かもな。そんじゃ、みんなで図書館行くか」
「そうだね」
「いや、ちょっと待って?」
部屋を出る寸前で、トシは大変なことに気が付いてしまった。
「こうやって、手を縛った女の子を連れて学校の中を歩くの?俺たち社会的に死ぬんじゃね?」
「……そこはほら、ブレザーを頭からすっぽり被って、手にもタオルかなんか掛けとけば…」
「なんか、それはそれでダメなんじゃ…」
結局、図書館行きはあきらめて、まずは部室にある本の中からヒントを探す、ということで落ち着いた。本、といっても、歴代の部員たちが残していった多種多様なジャンルの漫画の山しかないのだが。
*17:00
チャイムが鳴った。
「はっ、もうそんな時間か!!?」
「また入れ替わったようだな」
「マンガ読んでるだけで終わっちゃったね。とりあえず、どう入れ替わったか確認しない?」
「そうだな」
眼鏡はアヤの体へ、タオルはシュウの体へ、ヘアピンはタケの体へ。
「あれ、もしかしてオレだけハブられてね?」
トシは、なにも持っていなかった。トシのままだ。
「…こういうパターンもあるの?元に戻った、ってこと?」
「いや、自分以外の誰かと入れ替わると思っていたが、実際には完全にランダムだから自分の体に戻ることもある、ぐらいに考えておいたほうがいいんじゃないか。トシだけ無罪放免ってのも気に食わない」
「だな」
「ひっでーのな、みんな」
「もしかして私、自分の体に戻ってたら危なかったりする?」
アヤが、両手を縛られている自分の体を見て言った。
「やだなぁ。僕たちが縛られて何もできない女の子相手にひどいことするとでも?」
「いや、今日一日で割とガッツリ信用なくしてるからね?あんたら。まぁいいわ。そうなったら全力で脱出して、先生にあることないこと言っちゃうだけだから!」
「ごめんなさい」
三人の男たちは、声を揃えてそう言うしかなかった。
「そんなことよりオレめっちゃトイレ行きたいんだけど。ちょっと行ってくる」
自分の体に戻ったトシは、幾分か気楽になっているようだ。
「お、そうだな、僕も行こう」
「なら俺も」
「ちょっと待て、お前はダメだ」
アヤは、部屋から出ていこうとする自分の体を羽交い締めで押さえ込んだ。こういう時、大きなタケの体は便利だ。
「ちっ…」
「そう露骨な顔をされたらマジであんた達との友達付き合いを考え直さなきゃならないんだけど?」
シュウは、今はアヤの体だが、器用に身をくねらせて抜け出すと、ビシッとアヤに指を突き立てる。
「欲求に素直になれよ!お前もどうだ!?そろそろ限界じゃないのか!?」
「ま、まだ大丈…はっ、さっきまでこの体に入っていたのは誰だ!?」
アヤは、ひとつの可能性に思い当たっていた。
「僕だが?」
手を上げたのは、シュウだ。
「その前にトシの体に入っていたのは?」
「それも、僕だが?」
再びシュウが手を挙げる。疑いは、確信へ。
「お前、飲んでいるな……!?」
「くっくっくっ、バレたか」
アヤの指摘にもシュウは動じるない。それどころか、余裕綽々で嗤っている。
「僕はただ、喉が渇いていたから水を飲んでいただけだぜ?」
「くっ……」
アヤの額には脂汗が浮いていた。
「ま、まさかアヤ、おまえ、トイレ…」
「だったら何?」
ひと睨み。
「そうか、最初の入れ替わりからもう四時間ぐらい経つ。普通にトイレにも行きたくなる頃だ。しかもシュウは、しょっちゅうお茶を飲んでいた…まさか、この状態を見越して?」
「さて、なんのことやら。僕は本当に、ただのどが渇いていただけですよ?」
「この、鬼畜め……!!」
ぷるぷる、と文の体は小刻みに震えている。正直なところ、限界は近い。
「ささ、トイレへどうぞ、アヤさん。あ、間違えて女子トイレに入らないでくださいよ?その体は、タケのものなんだから。もし見つかったら退学になってしまうよ」
「くっ」
男子トイレに入ることぐらいならばなんともないアヤではあるが、問題はその先だ。
「いやあ、アヤがオレのも――」
「それ以上言うなっ!!」
「はいはい。我慢できなくなったらいつでも言ってくれよ。小便器と、あとアレの使い方教えてやるからな」
そう言ってシュウは、読みかけの漫画を棚に戻すと、アヤの正面に陣取って座った。
「あ、オレはトイレ行ってくる」
「はいはい行ってら」
二人が出ていって、部屋にはアヤとシュウが残った。
「ところでアヤ、僕も割と限界なんだけど」
「が、我慢しなさい」
「我慢してどうなるの?体に悪いよ?」
「六時になったら、もう一度入れ替わる……」
「それで自分の体に入れたら、って?それは都合良すぎるんじゃないかな?」
「確率は、四分の一。今まで一回も戻ってないから、チャンスはある…」
「何回やっても四分の一は四分の一だよ?」
「それでも、五回連続外すのは」
「二割ぐらいあるんじゃない?」
絶望しかない。
「お前ら、まだやってたのか」
そこへ、タケとトシが戻ってくる。妙にスッキリした顔が恨めしい。
「いや、なんか思ってたより楽しいんだよね」
「レベル高すぎだろお前…それ、俺の体だぞ」
「ホ、ホモォ…」
「ち、ちがっ、決してそんなワケでは…アッ」
シュウは、一瞬立ち上がりかけて、また座る。そして、そのまま俯いて動かなくなった。
「大丈夫?」
脂汗を浮かべながら、アヤは尋ねた。
「す、少しだから問題ない」
「問題大ありだわ!…ウッ」
思わず声を荒げたアヤだったが、こちらもシュウと同じく動かなくなった。
もはや一刻の猶予もない。
アヤは、覚悟を決めた。
幸い、図書館と違ってトイレはすぐそばだ。慎重に行けば、誰にも見つからずにたどり着ける可能性も高い。
シュウの腕を引いて、あとの二人に周りを警戒させながら、どうにか目的地に移動する。
男子トイレの中に誰もいないのを確認すると、用具入れから清掃中の札を出してきてトイレの前に置く。
慎重に、そして素早く自分の体を男子トイレの個室に押し込む。
「う、うわー、これ見つかったら停学だわ」
「停学で済めばいいけどな」
「し、仕方ないでしょ!非常事態なんだから!」
「や、優しくしてね」
「シュウは黙ってて!トシは外の見張り!タケは、手伝って!」
「犯罪の匂いしかしないんだけど、手伝うって何を?」
「私が、その、するのをよ!!これあんたの体でしょ!?」
「あ、ああ、わかった」
迫力がありすぎて頷くことしかできない。
「わ、私は目をつむってるから、早くして!」
「とか言って薄目開けてたり?……すいません黙ってます」
「なんかすげえ妙な気分だ…新しい扉を開いてしまいそうな…」
そうしてなんとか、アヤの「用」は済んだ。それでもまだ、問題の半分が片付いたに過ぎない。
「僕はどうすれば」
「今から目隠しをする」
「ええっ!?」
そう言って、タケのタオルを抜き取ってシュウに目隠しをした。
「ますます怪しい見た目になったな」
タケが言ったが、アヤの耳に入らない。
「手の拘束…」
「がんばれ」
「音とかは…」
「聞くな!」
「んな無茶な」
「無茶でも何でもやるしかねえんだよわかったかっ!!」
バタン、と勢い良く戸を閉めて、扉の下に足を引っ掛けて開かないようにした。
「タケは外で待ってて…」
一転してドスの効いた低い声。おとなしく従って外に出て、トシと合流。
「な、中の様子は?」
「壮絶だ」
待つこと、しばし。
トイレの中から、激しくドアをノックする音が響いてきた。二人が様子を見に中に入ると、アヤが必死の形相で扉を叩いていた。
「てめえこらシュウ!!開けろ!!」
「やだね!」
「どうした?」
「シュウのアホが中から鍵かけやがった…」
「あ、ちなみに、両手のロープは頑張って解いたんで、もうありませーん」
「なんだと!?」
つまり今は、安全なオリの中で猛獣が自由に歩き回っているに等しい状況だ。アヤにとっては。
「さーて、何しよっかなー。とりあえず脱ぐ?脱いどく?」
「シュウ、馬鹿なマネはやめろ!!」
「とか言いながらデジカメ投げ入れようとしてんじゃねえよアホタケ!!」
奪ったデジカメを床に叩きつけ…ようとしたが、さすがに思いとどまって胸ポケットにねじ込んでから、アヤはもはややるしかない、そう思った。
「タケ、すまん。停学になったらシュウを恨んでくれ」
そのまま、タケが止める間もなくドアへ体当たりを仕掛ける。ドアは冗談みたいな音を立てて、内側に開いた。
「……ご、ごめんなさい」
中に居たのは、最初のまま手と目を縛られて便座の上で震えているシュウだった。
「じょ、じょうだーん!イッツジョーク!オーケー?」
へなへな、と、その場にへたり込むアヤ。その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
たとえ冗談でもやってはいけないことがあると四人は学んだ。
*18:00
18時を告げるチャイムが鳴った。
「おっと、もうこんな時間か。下校時刻だな」
タケが言いながら、トイレのドアに見立てていたダンボールの板を教室の隅に寄せる。体当りでベコベコになってしまったが、今から捨てに行くのも面倒だ。
「あー、疲れた。さすがに三時間ぶっ通しで練習するのは疲れるねぇ」
トシが、ペットボトルに残っていた僅かなお茶を飲み干しながら言う。
「まあ、その甲斐あって、結構いいネタになったんじゃないか?」
そう言いながら、シュウは記録用に回していたビデオを片付け始めた。
「文化祭でやるにはちょっと下品すぎるんじゃない?特に最後の方とか…タケが変なノり方してくるからめちゃくちゃだわ…」
トシに、腕に巻きつけたロープをほどいてもらいながら、首を回してコリを取る。
「俺はあのぐらい大げさでもいいと思うけどな。会話中心だとどうしても舞台に動きが欲しくなるし」
「他になんかあるでしょ、ってことよ。私が言いたいのは。私女子なんだからね?忘れてない?大丈夫?新歓の時だって――」
そこへ、片付けを終えたシュウがやってきた。
「はいはい、今日はもう下校時刻過ぎてるから、続きはまた来週な。各自でここが良かったとかここは変えたいとかの反省点を考えておいてくれ。それでは、解散。気をつけて帰れよ」
パンパン、と小さく二回手を鳴らす。それを合図にして、四人は部屋を出る。
「うっす、ぶちょーさよならー。アヤちん一緒に帰らない?」
「ちょっとお手洗い寄っていくから、入り口のところで待ってて」
「お手伝いしましょうか?」
「せんせー、ここに痴漢がいますー」
「わー、ジョーク!ジョークだから!」
最後に出たシュウが、部屋の鍵をかけた。
扉に掛けてあるプレートを裏返して、あとは鍵を職員室に戻せばいい。
「んじゃ、またな、アヤ、トシ」
「またね」
いつもと変わらない、いつもの挨拶で別れる四人。
ドアで揺れる「演劇部は帰宅しました」のプレート。
なべて世はこともなし。
*18:15
「で、どうすんのよマジで。今日のところはなんとかごまかせたけど、もとはといえばアンタが間違って男子トイレに入っちゃったからあんなことになったんだからね!?」
「ゴメンゴメン。でもその時中にいたのがシュウだけで助かったわ。そういう練習でしたーで通ったもんな」
「ノリノリで自分たちもやりたいとか言い始めたときにはどうしようかと思ったわ……」
「ほんと、おかげでクタクタ……で、本当に、どうしよっか、これ。まさかキスしたら中身が入れ替わっちゃうとか思わないよね…」
「もう一回やっても戻らないとも思わないわよね…」
「一週間もそのまんまとも思わないよな…」
アヤとトシはお互いの、もとは自分のものだった顔を見つめてから、はぁ、と小さくため息をつく。そのまま二人手をつないで、夕暮れの通学路を歩いて行った。
なべて世はこともないこともなし。
了。