約束の日
「おはようございます!」
とある通所介護の施設。
一日の始まりを思わせる活気ある声が室内に響き渡った。
「おはよう、エミちゃん」
「エミちゃん、今日も元気だねぇ〜」
10人程の高齢者達が口を合わせて言った。
他数人の高齢者はこちらに気付いていない様で、窓の外を眺めていたり、居眠りをしていたり、はたまた縫い物をしていたりと様々。
決して無視をしているわけではなく、難聴のため聞こえていないという事は、この施設に勤めて12年目の私にとってとうに知り得た事で。
「皆さんも、今日もお元気そうでなにより」
「今日は水曜日だからエミちゃんが居ると思って朝から張り切って来たんよ〜」
「山田さん、今日は月曜日ですよ」
「ありゃ、こりゃ参った!」
と、綺麗な入れ歯を豪快に見せながら笑う今年で86歳になる山田さんはこの施設に通う常連の利用者。毎日のように、今日は水曜日だと言っている。
日々30名程の高齢者が集まるこの施設。
小さな施設だが、ここら辺の地域では一番人気のあるデイサービスの施設である。
エミちゃんこと、本城恵美子は、介護の資格を持ち20歳からこの施設で勤務している。
つまり、今年33歳。
「恵美子さん、おはようございます!」
とびきりの笑顔で私の元へ駆け寄る彼女。
「ん?恵美子さん、いつもと服装が違いますね。今日はデートでもあるんですかぁ?」
キラキラとアイシャドウを光らせマスカラの効いたまつ毛をパチパチさせながらイヤらしい顔で私を見る。
「おはようリカ。無駄口聞いてないで、白板に今日の予定書いてきて」
「…はぁい」
唇を尖らせながら白板の方へ去って行く。
ー出たわ、お得意のアヒル口。
アヒル口の女、山本梨花は勤務年数、3年目となる。以前はアパレル関係の仕事をしていたそうだが長くは続かず、ここの施設へやってきた。
スタイルも良く容姿端麗で明るく元気な26歳。まぁまぁ、いい歳をしているがそれを思わせない若さを保てている。と、思う。
見た目とは裏腹に熱心に働く彼女に、利用者も好感を持っているようだ。
ー…まったく、女の勘って恐ろしいわね。
今日の私の服装。
夏場である今季はいつもTシャツにジーンズという動きやすさ重視の私。
しかし、今日はフリルのついたカットソーに膝丈のスカートを履いている。
動きにくく、違和感があるが、そこはぐっと我慢。
ー何故なら今日の夜は…
思わず口元が緩む。
はっと気づくと、白板に今日の予定を書きながらまたあのイヤらしい顔をしてこちら見ている、梨花。
ー本当、恐ろしい女だわ…
緩んだ口元をキュッと引き締め梨花を睨みつける。あぁ怖い怖い!っとまた白板に向き直った。
「皆さん、おはようございまぁーす!今日も元気良く行きましょう!」
ウザいくらいのテンションで入って来た彼は、ここの施設長。
「あらまぁ、いい男ね〜」
利用者がニコニコと彼を見つめる。
「坂東さん!そんな事を言っちゃ旦那さんが泣いちゃいますよ〜?」
「それは困っちゃうわね!」
彼と利用者の会話に近くに居た利用者達も顔を見合わせながら笑う。
私は彼へ駆け寄った。
「木村くん、おはよう。今日は斎藤さんがお休みするって」
私の声に気づき、おはようと彼が私に振り向く。
「あれ?本城、どうしたその格好」
「やっぱり木村さんも気づきました〜?今日は恵美子さん、この後デートなんですって!」
「は?」
「梨花!!」
突然割り込んで来た梨花の肩を押し退けた。
いやん!と、私に押されるまま私達から離れる。
「デートなのか?誰と?」
「デートじゃないわよ!友人と会うだけ!」
「ふうん」
必死に否定してみたものの、彼はニヤリと口角を上げて、
「ちゃんとムダ毛の処理したか?」
と、小声で最低最悪な言葉を口にした。
ーこの最低エロじじい!
力いっぱい彼の二の腕の肉をつまみ上げる。
痛い痛い!ごめんなさい!と騒ぐこの男、木村洋一は、ここの施設で私より2年先から勤務している。
去年まで働いていた施設長が辞任した為、勤務年数の一番長い彼が施設長へと成り上がった。
木村くんとは同じ高校で、先輩後輩の関係であった。それを知ったのはこの施設に勤務してしばらく経ってからの事。
今年34歳になる彼は、少年の心のまま大人になったような男で、持ち前の明るさと人懐こい風貌で、利用者の中ではファンが出来るほど人気である。
「夫婦みたいだねぇ〜」
「なに言ってるの、夫婦なんだよ」
「「違います!」」
微笑ましく私達を見る利用者に思わず声を合わせた。
それを見てケラケラと笑う梨花。
今日も代わり映えのない、愉快な職場。
しかし、今日はいつもと違う事がある。
今日の私はやけに気持ちが弾んでいた。早く時間が過ぎないかな、と時計ばかり目に入る。
その度、木村くんと梨花からの冷やかしが私に付きまとったが、勤務が終わる頃にはそれも気にならなくなり、むしろそれが更に私の心を弾ませた。
「おつかれさまでしたぁ!」
夕方、勤務を終え、颯爽と職場を後にした。
自宅から職場まで数百メートル。
自転車通勤をしている私は、自転車でそのまま、ある場所へと向かう。
時計を見ると、約束の時間まであと30分。
ー思ったより早く着きそう。
私はメイクを直そうと、近くの公衆トイレに寄った。
私のメイクはいつもファンデーションと薄い口紅のみ。ポーチから口紅を取り出していつもより少し濃いめに塗ってみる。
コンプレックスのぼてっとした低い鼻に、小さい目。鏡に映る冴えない私に思わずため息が出る。
ー大丈夫かな。
ショートカットの黒い髪を整え、よし!っと気合を入れて再び自転車に乗った。
着いた先は、外観がおしゃれなイタリアンレストラン。
夜になると時折行列も見られるからそこそこ人気のある店。
ーこんな所をチョイスしてくるなんて…きっと素敵な方に違いないわ。
約束の時間、5分前。
「えみりん?」
店前で待つ私に歩み寄る者が一人。
ドキドキと鼓動が鳴る。
私は、私を呼ぶ声の方へと振り向いた。
「…え?」
そこに立っていたのは、幼い頃から知っている人物。
「シンちゃん!?!?」
「…え、えみ姉?」