人って空も飛べるんだ(現実逃避)
「お前達、人が地面から平行に飛ぶ光景を見たことは?」
「ああ、そうか。現在の術式であればそうそう珍しい光景では無かったか」
「…理解したか。そうなのだ、あの日、孤児院の扉から放物線も描かずに飛んできた小悪党が居たのだよ」
「ふむ聡い者も居るな。それを成したのは、現法王補佐殿だ。当時は左遷…いや、 着任したばかりの新米僧だったよ」
「うわぁぁ!? …ごべっ!!」
人って、地面と平行に飛んでいける…いや、飛ばすことができるんだな。
目の前で繰り広げられた常識の埒外にある光景に、少年は現実逃避気味に思う。
状況説明するなら…少年がささやかなおみやげを手に、街角で知り合い、以降も何度か逢うまでには親しくなった兄妹達に会おうと街のいくつかある孤児院の一つに訪れた時、孤児院の扉が荒々しく開け放たれ、一人の小汚い男が地面と平行に飛び、道と逆側の土手にめり込んだ。そんな所だろうか。
孤児院の扉から、初見の歳若い男僧が腕をまくり首をゴキゴキと鳴らしながら現れる。少年が辛うじて「僧」だと思えたのは、男僧が身につけていたのが広く信仰されているこの世界の主神様の使徒である事を示す長衣を纏っていたからだ。ただ、その体躯は大きく鍛えあげられていて、露出した腕は捻じり鍛えた鋼鉄のようだった。
男僧はのしのしと歩を進め、土手にめり込む男に向かって、鋭い眼光を向けて口を開く。
「おう悪党、ここは主神様のお庭だぜ。多少のおイタなら広いひろーい主神様の御心と、砂粒程でしかぁねぇがそれでも日々、慈愛の為に精進を続ける俺達は見逃してやってる。だがな、オメェさんは許されざる線ってのを踏み越えちまった、子供達を出せって、この場所で言っていいと思ったのか?」
「ぁぉっ…ぁっ、あっ…」
全身を土とはいえ叩きつけられ、衝撃で呼吸もうまく整わない様子。返答が無いまま、男僧は言葉を続ける。
「さて、ここに来た初日にやるたぁ思わなかったが、お前、どこのモンよ? あ、喋んなくていい。おお神よ、悪に落ちきる前のこの男と出会えた事、感謝いたします…、と、今ので読んだ<・・・>。意味は解るか?解るよな?」
土手にめり込んだ男が物凄い勢いで顔を青く、そして蒼白にする。
(この筋肉僧侶の人、<悪意探知>を使ったんだ…)
人族の多くは、世界を支える神々と、その中で筆頭とされる<主神>を信仰している。神々は危機や危険の多い世界の存続の為、日々力を尽くしているとされ、その負担を少しでも支えたいと祈りと魔力を神々に捧げるのが人族の信仰のはしりだったという。
実際の所、神々も世界存続の為に一進一退の一杯一杯だった中で、守っていただけのか弱い子供達< 人 >が、彼らなりに支えたいと祈りと力を集めて送ってくれた形だ。<主神>含め、神々は勿論喜んだ。人族が増え、祈りと共に受ける魔力が増えた事で、過去、ある出来事で崩壊しかけた世界が安定した事により、あまりにも余裕がなくてささやか過ぎた神の<恩寵><ギフト>は、大きく様変わりしたという。
表立って信仰される人族の神々が齎す恩寵の中で、信仰の篤い者達が得る<悪意探知>というものがある。対象の持つ必要以上の悪意を感知する事ができる。
ただ、普通は探知するだけで「避ける」あるいは「備える」為に使う事が殆どだが、一般の信徒ではなく神に使える使徒となった人族には、自身の信仰と立場をかけ<悪意探知>の結果を公表して告発する権限が与えられる。
そう、今のように身を叩けば埃が出てくる輩に使うのだ。使徒の御墨付きによって、行政は<記憶読解>を対象者に使用する大義名分を得るため、脛に傷を持つ者にとって、信仰篤い使徒はいわば天敵だった。
「おう、三下の癖にわかってるじゃねーか。んじゃ、お帰りはあっちだ。そこの角に隠れてる奴ら! さっさとこいつと衛士の所にいけ! 自首ならまだ労役の期間は短けぇぞ!」
「「ひ、ひぇぇ!」」
「ったく、活気があるってぇのは良い街なんだろうが、人が多けりゃ転ぶ奴らも多いってのはどこも悩みどころだよなぁ…な、少年?」
「ひゅいっ!?」
出直そうと踵を返した所で、男僧に声をかけられてしまった。
(どうしてこうなったぁ!?)
特に何も悪いことはしていないが、目の前の男僧の先程の対処、何より身体から発せられる目に見えない圧力に、少年は冷や汗をだらだらと流し、その場に立ち尽くすしかなかった。
胆力がそれなりにあれば耐えられる威圧だったが、修羅場をちょっと経験した程度の少年には、少々酷な話である。