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昼行灯にも五分の魂

作者: 時田翔

「ふわ~ぁ」

 スーツ姿で公園のベンチに座った俺は、大きく伸びをした。

 夏のうだるような暑さは去り、風に秋の気配が少しずつ混じっていく。

 雲ひとつ無い空から、名残を惜しむように降り注ぐ熱気を、涼しい風が奪い去っていく。

 まるで泳いでるのかと思うほどの湿気も、もう無い。

「まさに昼寝日和ってやつだな」

 また一つ大きな欠伸をする。


 公園では、季節を問わず元気に駆け回る子供たち、犬を連れた女の人、色んな人が思い思いの時間を過ごしている。

 ベンチに座った俺に注目する人など、当然ながら一人も居ない。


 これで良い。

 俺は満足げに小さく頷く。


 学生時代から影が薄かった俺は、『かげろう』だの『透明人間』だの仇名を付けられるのはまだ良い方で、クラス全員参加のはずのイベントで名前が無いなど日常茶飯事だった。

 そこそこの学力と当たり障りの無い話術で、それなりの会社に入った俺は、そこでも持ち前の才能を発揮し、ほどなくして『昼行灯』の称号を得た。

 ちなみにこれは、俺自身の生き方の問題で、不満に思ったことなど、ただの一度も無い。

 むしろ、良い方にも悪い方にも、目立つのは命取りだとさえ思っている。


 それにしても、それなりに科学の進んだ、こんな時代になってもまだ行灯なんて不便な物を使っているらしい。

 人間なんて、案外進歩しないもんなんだなと思う。


 そうしてルートの営業回りをさせられている俺は、今こうしてベンチで一休みしてるってわけだ。

 今月のノルマはもう終わってるし、まだ成績は伸ばせるが、そうすると来月のノルマが意味も無くきつくなるだけだ。

 何事も、ほどほどが一番である。


 コンビニで買った昼飯のパンを取り出して、かぶりつく。

 何の変哲も無いアンパン。

 最近はコンビニも少しでも売り上げを伸ばそうと、まるでケーキのような派手な見た目のパンを売り出してるが、どうもああいうのは味が想像できなくて好きじゃない。

 ケーキで思い出した、先月俺の誕生日があったわけだが、何もせず気が付いたら終わってたな

 まあ、両親も既に居ないし、友達と呼べるようなのも居ないから、当たり前なんだがな。


 食べ慣れたパンをもぐもぐやりながら、ハトの群れを眺める。

 なんかあそこにだけ、やけに集まってるなと思ったら、爺さんがエサを撒いてるのか。


 一般にハトは平和の象徴なんて言われてるが、エサがかかると、やつらも生存競争に必死だ。

 その点、人間の社会は世知辛いと言っても緩いもんだな。


 社会で成功しようと思ったら努力も要るし、他人の人生を踏みにじることもあるが、そこそこ生きてくだけで良いとなったら、その必要さえも無い。

 高望みさえしなければ保障された椅子取りゲーム。

 うむ、我ながらなかなか哲学的だな。

 俺は、自分の出した結論に大いに満足した。


 一つ目のパンを食べ終わった俺は、新聞を取り出し、おもむろに広げる。

 さて、最近の世界情勢は、どうなってるかな。


 最近じゃスマホだのタブレットだのでニュースはいくらでも見られるが、やはり紙の新聞は良い。

 この安っぽい紙に、何とも言えない情緒があるじゃないか。

 これで、混んでる電車で広げる馬鹿者が居なくなれば、言うこと無いんだがな。


 紙面には、景気が悪いだの、どこそこで事故だのと、相変わらず不幸な見出しが躍っている。

 マスコミは他人の不幸で飯を食ってるとは良く言ったものだ。

 まあ、こういうのを喜ぶ需要があるからなんだろうが、その辺はいつの世も変わらないものらしい。


 新聞をめくりながら、見出しを斜め読みしていく。

 お目当ての記事は、三面からも外れた、端っこの方に小さく載っていた。

『今度は集団失踪! 新種の疫病、宇宙人説も  ○○県△△市』

 懸命な捜査にも関わらず、原因は依然として謎に包まれている……か。

 それにしても随分と扱いも小さくなったもんだな。


 日本の各地で人が突然、煙のように消える。

 その特異性から、しばらく新聞やニュースのトップを飾ってたんだが、原因がはっきりしないとなると、徐々に風化していって、今ではこの扱いだ。

 さすがゴシップ好きの日本人といえよう。

 自分の身に振りかかりさえしなければ、どんな重大な事でも時間と共に鮮度を失うというのだから、楽天的と言うか、なんというか。


 今までメディアで見かけた人数を思い出しながら、指折り数えてみる。

「もうひと頑張りってとこか」

 思わず呟いてしまった俺は、慌ててきょろきょろと辺りを見回した。

 良かった、誰にも聞かれなかったようだ。

 公園の景色は相変わらずだ。


 小さくため息をつき、胸をなでおろす。

「あら、もしかして」

 いきなり声をかけるな、心臓が止まるかと思ったじゃないか!

 振り向いた俺は、今度こそ一瞬だが心臓が止まった。


 そこに立っていたのは、大学時代に知り合った友人で、名を麻生香澄といった。

 女子大生ともなると、化粧を塗りたくってみたり、髪を茶だの金だのにして、一体何人なのかとツッコミたくなる輩が大半の中で、黒のストレートロングを通した彼女は、逆に異彩を放っていた。

 控えめなのに、明るく友達も多い。

 学力もそこそこなのに、それをひけらかす事もしない。

 まるで『男の理想』というタイトルの本からでも抜け出してきたのかと思うような娘だった。


「久しぶり、わたしのこと覚えてる?」

 彼女が、俺の正面に回り、にっこりと笑う。

 もちろん忘れるわけがない、なにしろ俺は、当時彼女の事が好きだったんだから。

「え? あ、ああ……」

 俺は、うつむいたまま、そう答えるだけで精一杯だった。

 まずい、こんな所で会うなんて……。

 この降って沸いた大ピンチをどう切り抜けるか、俺の頭の中はそれだけで一杯だった。


「なあんだ、忘れちゃったか。ちょっと残念」

 え、残念って、どういう意味だ?

 ……まさか、脈ありってことか?

 いや、さすがにそれは先走りすぎだろ。


 第一、そんなこと聞けるわけも無い。

 もし何かの間違いで色好い返事が返ってきてみろ、取り返しのつかないことになるぞ。

 今まで積み上げてきた苦労を水の泡にする気か? もうちょっとなんだぞ?

 俺は、逸る心を必死に抑えた。


「わたしってば、地味な子だったもんね、仕方ないか」

 いや、ある意味すっげぇ目立ってたし。

 わずかに顔を上げて、ちらっと彼女の姿を盗み見てみる。

 どこかの商社の制服みたいなものを着てる。

 やばい、落ち着いた雰囲気で、ますます魅力的になっている。


 彼女が俺のことを覚えていてくれた。

 しかもわざわざ向こうから声をかけてくれるなんて。

 いかん、嬉しさで全てがどうでも良くなりそうだ。


 とにかく落ち着け!

 まずは人という字を三回書いて……って、それは違う!


「休んでるところごめんね、それじゃ」

 下を向いて黙り込んだ俺を見かねた彼女は、小さなため息を残して、俺の前から去っていった。


「ふ~~……」

 安堵のあまり、大きく息を吐く。

 今のは心底危なかった、まだ心臓が高鳴っている。


 とにかく落ち着こう。

 俺は、ペットボトルのお茶を取り出して、一口飲んだ。

 体中に染み渡るような水分が、頭にのぼった暑さを取り去っていく。


 それにしても彼女が俺のことを覚えていたなんて、正直驚きだ。

 クラスメートのやつらなんて、みんな卒業と同時に綺麗さっぱりと忘れてるもんだと思っていたんだが……。

 ちょっと、いや、かなり勿体無いが仕方ない、会わないように昼飯の場所を変えたほうが良いか。

 もし、もう一回会ったりしたら、誘惑に勝てる自信が無い。

 そうなったら、全てが終わりだ。

 袋に残っていたサンドイッチを取り出してもぐもぐやりながら、色々と思案をめぐらせる。


 ……ん? なんだ?

 自分の考えに気をとられていた俺は、いつの間にか目の前に居た白い物にようやく気付いた。


 犬だ。

 まだ子犬と呼んでも良いような小さな白い犬が、何かを期待するような眼でこっちを見ていた。

「なんだよ、おまえに構ってる暇なんて無いぞ」

 あっちへ行けと手を振ってみるが、全く動く様子がない。

 それどころか、つぶらな瞳で、じっとこっちを見つめてきやがる。

 舌を出して、短い尻尾をちぎれんばかりに振って……何か期待してやがるな。


 首輪はしてないが、野良ってわけでも無さそうだな。

 ずいぶん人に慣れてるし、だいぶ汚れてはいるものの、毛並み自体は悪くない。


「ああ、なんだ。もしかして、お前これが欲しいのか?」

 手に持った食べかけのサンドイッチを振って見せると、子犬はいっそう尻尾を振って、可愛い声で鳴いた。

「仕方ねえな、ほらよ」

 サンドイッチを子犬の前に放り投げる。

 正直、さっきのサプライズが強烈すぎて、食欲もどっかに吹っ飛んでしまっていたし丁度良いだろう。


 ずいぶん腹が減ってたようだな、すごい勢いで食べてる。

 犬にマスタードが大丈夫なのかは知らんが、食べ終われば満足してどっか行くだろ。


「おい、もう無いって! 汚い足で登ってくんな!」

 瞬く間にサンドイッチを食べつくした子犬は、もっとよこせとばかりに、膝の上までよじ登って来た。

 俺の考えは、相当甘かったらしい。

「やめろって! まったくもう!」

 子犬の脇を抱えて持ち上げる。

 あーあ、このスーツは明日クリーニング行きだな。

 こんなのに関わったばっかりに。


 睨み付けてやろうと子犬を目線まで持ち上げる。

 遊んでもらってるつもりなのか? 嬉しそうな顔しやがって。

 小首をかしげてるように見えるのが可愛くて、怒る気が失せるじゃないか。

 ふっと表情を緩めたその瞬間……俺は今まで居た公園から、違う世界に放り出された。


「ちょ、ちょっと待て! 今のは無しだ!」

 俺の抗議の叫びは、耳をつんざくような歓声に押されて消えた。

 人工物と緑が、人の手によって完璧に調和されたスタジアム風の建物、そしてそれを埋め尽くした満員の観客。

 そこにあったのは、俺が出発した時と何もかも同じ、懐かしくも見慣れた二十二世紀の景色だった。


 ……まあ、こっちの時間では出発してから一時間も経っていないはずだから、当たり前なんだが。

 そんなことより順位だ! 俺は一体何位なんだ?

 スタジアム内のどこからでも見えるように設置された立体パネルを探す。


 膨大な人数の書かれたリストを遡っていく。

 うまくいけば、ぎりぎり入ってるはずなんだが。

 ……六位だ。

「なんてこった」

 俺は、がっくりと肩を落とした。


 二十世紀末の日本における少子化と労働力不足を救うという名目で開催されたこの大会に俺が参加しようと思ったのは、その賞品の豪華さ故だった。

 なんと、この土地不足の折りに、庭付き一戸建てがもらえるというのだ、しかも五位までという大盤振る舞い。


 何しろ折からの土地不足と人口爆発で、一般庶民の住宅事情といえば、巨大なビルに蟻塚の蟻のように集まって住んでいる。

 隣や階上の物音なんかを気にしないで自由に暮らせる一軒家。

 これはもう一部の金持ちだけの最高の贅沢だ。


 ルールは至ってシンプルで、主催者の用意したタイムマシンで指定された時代に子供として参加し、そこで各々自由に働く。

 で、その時代に居られた時間が長い順から順位が決まるという仕組みだ。


 他の選手を告発するなどの不正行為を除けば、失格になる条件は二つ。

 一つは未来人であることが現地の人間にばれること。

 もう一つが、向こうの時代に未練を残す、つまり向こうの時代に永住したいと考えることだ。


 参加選手は、思考レベルでモニタリングされていて、この条件に触れた選手は強制的に元の時代に戻される。

 さっきの俺のように。


 まったくの油断だった。

 子犬の愛嬌のある顔を見ているうちに、麻生香澄、彼女が犬好きだったのを思い出したのが、そもそもの敗因だ。

 もし彼女と仲良くなれたら、こんな犬を飼って……家を建てるなら、こっちの時代の方が簡単そうだし……

 などと能天気な妄想に思わず頭が行ってしまった。


 かれこれ十年以上も、人との接点を作らないよう気を払ってきたのに、ここまできて子犬なんぞに足元を掬われるとは、全くの不覚だ。

 こんなことなら、彼女と積極的に仲良くなっておけばよかった。

 まさに後悔先に立たずというやつだ。


 六位の俺にも賞品があるということなので、係員に付いて行った俺は思わず頭を抱えた。

「……また犬かよ」

 俺の目の前には、ちょっとありえない程豪華な犬小屋が鎮座している。

 家には違い無いが、たった一番違うだけで、この落差はどうなんだ?

 こいつら、俺をモニタしていて賞品を急遽変えたんじゃないだろうな?


 ま、丁度良かったと考えておくことにしよう。

 俺の頭の中には、希望に満ちた、これからのプランがいっぱいだった。

 この大会をやりなおすんだ、参加者は俺一人、しかも失格条件なんて無しで。


 今度は遠慮なんていらない。

 彼女に積極的にアプローチしたって良いし、親友を作るのだって自由だ、あの子犬だって連れ帰れる。

 永住許可を取るのは手続きが面倒で、何年かかるかわからないが、今ならいくらだって頑張れそうだ。


「今度は昼行灯なんて呼ばせねえぞ」

 スタジアムを出て、意気揚々と時間管理局の建物へと向かって歩き出す。

 優勝者でも決まったのか一際大きな歓声が上がってるようだが、最早そんなことに興味は無い。


 スタジアムの熱気が嘘のように、街には気持ちの良い秋の風が吹いていた。

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