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第八話「親友」


 空が赤錆色に染まり、一日の終わりを告げている。日中の熱さが嘘のように、冷たい風が強く、しかしゆっくりと流れている。夕日に照らされ、朱色に染まった薄い雲が、空の向こう側へと流れている。立ち並ぶビル群は、オレンジ色に照らし出され、その寂しさを増していた。


 その風に向かうようにして、一人の男がビルの屋上に立っていた。男は、黒い帽子を目深に被り、黒いジャケットをはおっている。ジャケットの裾が、冷たい風でなびいている。肩くらいまである橙色の髪の毛が、帽子からはみ出し、風で揺れていた。


 男は、タバコを一本、右のポケットから取り出した。ライターのホイールを三回すって、やっと火が付く。男はゆっくりとタバコを吸い、ふーっと、一つ息を吐き出す。白い煙は、冷たい風に流され、すぐに空中へと消えた。


 ピリリリ、という電子音が鳴り、男は左のポケットから、黒い携帯電話を取り出した。蓋を閉じる形式のもので、今やその存在すら知られていないその機械を男は左の耳に当てた。


「……私だ」 携帯電話から、女の声がした。


「……おゥ、俺だ」

 男は、そういって、タバコをもう一度口に咥えた。

「『標的』は確認したのか?」

 女の声がいう。

「あァ。事前に付けといた糸のおかげでな。奴らは確保できなかったみたいだが、まァ、しばらく泳がせても問題ないだろ」

 男はそう答えると、もう一度、息を深く吐いた。


「……誰かと接触してしまったということか?」

 女の声が尋ねる。

「ああ。まァ、問題ない。『炙り出し』もできるし、お前にとっても一石二鳥だろ? しばらく様子を見る。それよりな、ちょっと面白いオモチャを見つけてよォ。お前も興味あると思うぜ? ……聞くか?」


 男はそういって、にやりと笑った。白い歯が男の口からのぞく。


「……それはいい。忘れるな。我らの第一優先は、『標的』の確保だということを」

 女の無機質な声が響く。


「……はいはい。でもな、あの『能力』、もしかしたら世界を引っくり返しちまうかもしれねェ。下手したら、『あの子』なんかより、よっぽど恐ろしいくらいにな。俺は俺で勝手にやらせてもらうぜェ」

「構わない。しかし、優先順位を忘れるな」


 電話はそこで切れた。ツー、ツー、という電子音が、静かに響く。


 男は、黙って黒い携帯電話を閉じ、左のポケットに戻した。そして、右手のタバコをもう一度吸って、また白い息を吐いた。

「クククッ。これから、面白いことになりそうだぜェ……」

 男はそういって、静かに笑った。


 赤く染まった空の向こう側は、黒紅色に染まり、夜の始まりを告げていた。



 

 

 ペンキの缶をまるごとぶちまけたような真っ青な青空が広がっている。その青い空の下に、薄く細長い雲が三つ連なっている。雲はほとんど動かず、しかし確実にゆっくりと流れていた。


「今日も暑いなぁ……」

 無意識に、つぶやきが真人の口から漏れる。

「……んぁ」

 隣で仰向けになって寝ているタクミは、聞いているのかいないのか分からない、曖昧な返事をした。ずずず、とタクミがオレンジジュースの紙パックをすする音がする。


 真人とタクミは、屋上で何をすることもなく、ただ仰向けになって空を見上げていた。誰もいない、昼休みの屋上には、まだ熱気のこもった風が流れていた。風は、静かに真人の頬をなで、髪をゆらし、通り過ぎてゆく。


「平和だなぁ……」

 昨日のキャニオンでの出来事が、嘘のようだった。相変わらず、雲はのんびりと動き、生暖かい風がゆっくりと吹いている。世界は、今日も相変わらず平和だ。

「だなぁ」

 タクミが、また気の抜けた返事をする。タクミは、心地良さそうに目を閉じている。


 平和だ。今日も、世界は変わらずゆっくりと動き続けている。


「なぁ、真人しぃー」

 タクミが、突然思い出したように体を起こし、真人の方を向いた。

「なんだ、その『しぃー』って。また新手の口ぐせってやつか?」

 真人は、右の眉を持ち上げ、怪訝な顔をした。

「そうよ! しかしな、真人しぃー。これは、ただの口ぐせ違うのよ。なんと、エリアC2で使われてた、前時代の言葉らしい!」

 タクミは、そういって自慢げに鼻と口の間を人差し指でこすった。


「……お前、どうせそれまた懐古スクエアで聞いたんだろ」

 全く、こいつ完全にハマってやがる。と、真人は親友が若干心配になる。

「あれ? 分かっちった?」

 タクミは不思議そうな顔をした。いや、バレバレだし。

「当たり前だ。お前が、前時代の言葉なんて知ってるわけないからな」

 ちなみに、エリアE2は、前時代では朝鮮半島って呼ばれてたんだよ。という情報は言っても無駄だろうと思って、言わなかった。


「あーっ、また俺をバカにして! コノヤロー!」

 タクミは、そういってまた真人の首を後ろからしめて、右手の拳骨で頭をぐりぐりした。 まったく、このやりとりも、いつまで繰り返すのか。真人はそう思って、すこし微笑んだ。今日も、いつもと変わらない日常だ。


「そういえば」

 そういって、タクミは拳骨をストップする。そういえば、コイツ何か言おうとしてたな。

「昨日ちょっとした停電騒ぎがあったらしいじゃん? 大丈夫だったの?」

 タクミは、そういって真人の顔を覗き込んだ。

「ああ……ちょっとの間だけだったからな」


 昨日のキャニオンの一件は、数分間の停電によるトラブルということになっていた。少女の言った通り、記憶の改ざんは、実際に行われていたのだ。

 真人は、出来る限りの確認をしたが、灯も、先生も、あの場にいた誰一人として、何が起こっていたか覚えている者はいなかった。


 ただ一人、真人自身を除いて。真人は、昨日の出来事を、細部まで詳しく覚えていた。ピースキーパーの黒い武装も、停電の闇も、少女の白く小さな体も、緑色の瞳の輝きも、その虚ろな存在も、全て事細かに脳内で復元することができた。


 なんだよ。どうせ忘れてしまうからとか言っておいて、違うじゃねぇか。あのガキんちょめ。

 アイツは今、どうしているのだろう。この町を、今でもさまよっているのだろうか。亡霊のように、誰にもその存在をはっきりと認められることなく。そう思うと、真人の心は、きゅっとしぼみ、痛んだ。


「どうしちゃったの、真人しぃー? 黙り込んじゃってサ」

 タクミが、ぽんぽんと、真人の肩をたたく。

「……いや、ちょっとな」

 世界は、彼女の存在を知らない。知っているのは、彼女の命を狙う者だけ。この世界は、彼女の存在を認めることなく、今日も変わらず動いている。


 この世界は平和だ。あの小さな女の子の人生を身代わりとして。生まれながらにして、命を狙われ、亡霊のようにして生きなければならない。そんな運命を一人の少女に背負わせて作り出された、偽りの平和の中で、俺たちは生きている。真人は、ぐっと奥歯を噛んだ。そんな平和に、一体何の意味があるというのだろう。


「あのさ、タクミ」

 真人は後ろにいるタクミに尋ねる。こいつに聞いても、このむしゃくしゃした思いがどうなるわけでもないのに、誰かにぶつけずにはいられない。

「ん? 何?」


「もし……もしもだ。例えば、自分の目の前に、デュアルコアがない人間が現れたとしたら、お前はどうする?」


「はァ? デュアルコアがない人間? なんだそりゃ?」

 タクミは、目を見開き、首をかしげる。


 そうなのだ。そんな人間は存在しない。想像すら、することは難しい。


「そう。デュアルコアが入ってない人間。しかも、そいつは世界中から命を狙われているんだ。もし、そんな人間が目の前に現れたとしたら、お前ならどうする?」


 一体何を聞いているんだ俺は。まったく、どうかしちまってるな。真人は、自分が未だに動揺していることを認めざるを得なかった。一日経った今でも、あの少女の寂しそうな姿が頭から離れない。


「コアがない人間ねェ……。面白い。面白いよ、真人しぃー。だが、お前は重大な仮定を忘れているっっ!!」

 タクミは、びしっ、と真人を指差す。


「は?」

 真人は、タクミを見上げる。


「その人間は、男か? それとも女の子か?!」

 そういってタクミは、にっ、と笑った。白い歯が、きらりと覗いた。


お前、そういう話じゃないだろ、と真人はため息をつく。


「んなもん、どっちだっていいよ。お前ならどうする、って聞いてるんだ」

 全くコイツはどこまでお気楽なんだか。

「えー、そこ大事じゃんかよー。んー、そうだなァ……」

 タクミは口を尖らせる。大事なのか? それ。

「まぁ、そんなの決まってるわな」

 数秒とたたないうちに、タクミは断言した。真人は、タクミの輝く瞳を覗き込んだ。


「男だったら、親友になる。女の子だったら、結婚する!」

 タクミはそう言い放ち、右手でピースをつくって、にっこり笑った。


 そうだ。コイツはこういう奴だった。底なしに明るくて、お調子者で、向こう見ずで、馬鹿なんだ。太陽のように輝いていて、眩しすぎる程だ。だから、一緒にいて、こんなに温かくて、心地よい。自分は、どんなに頑張っても、こんなに輝けない。


「ふっ。ふふっ、あはははははは」

 真人は、笑った。心から。朗らかに。

「あー、お前また馬鹿にしてるだろ!」

 タクミがいう。


「ははははは……いや、親友とか、結婚とか、まったく、お前らしいな、って思ってさ」

 真人はそういって目尻を人差し指で拭った。笑いのあまり、涙が出そうだ。


「あ、いや、親友っていってもよ、俺の親友第一号は、真人しぃー、お前だからな。そいつは親友第二号。だから安心したまえ」

 タクミは、そういって弁解した。お前に会えてよかったよ。真人は素直にそう思った。あの子も、俺じゃなくて、コイツに出会えばよかったのに。真人はそう思った。


 俺は、どうすればよかったのだろう。真人は、自分自身に問いかけた。自分は、コイツのように、簡単に答えを出すことはできない。あの時、俺はあの子に、なんと声をかけるべきだったのだろう。あの子のために、何が出来たのだろう。自分は、あの子に出会って、この世界が偽りだと知った。でも、だからどうしたらいいのだろう。真人は、それすら分からなかった。


 ガチャリと、扉の開く音がした。その音に、真人とタクミは、さっと振り向く。屋上に入ってきたのは灯だった。

「あーっ、二人とも、こんなところにいた。もう。探したんだからね。もうすぐ授業、始まっちゃうよ」

「おー、灯しぃー。悪い悪い。ちょっと、真人と親友トークしててさァ」

「何よそれ。ちょっと怪しいんだけど。それに何? その『しぃー』って?」

 灯は、訝しげに目を細める。

「お、よく聞いてくれました! これはね、何を隠そう……」

「はいはい。どうせまた新しい口ぐせなんでしょ? そんなことはいいから、早く教室行かないと、遅刻しちゃうよ」

 タクミの知識自慢を、灯はばっさり切り捨てる。

「うへー、そりゃないよ灯しぃー。相変わらず厳しいなァー」

 タクミは、体を仰け反らせ、ショックを受けたポーズをとる。

「はいはい。さっさと行った行った」

 灯はそういって、タクミの背中を押した。

「ふぇーい」

 タクミは、気の抜けた返事をして、そのままがっくりとうなだれたまま、とぼとぼと扉の方へと歩いていった。


「そういえば、真人」

 灯は、そういいながらも、真人の目を見ない。

 昨日の一件は、水着事件の後、そのまま別れたことになっているらしく(実際そうなのだが)、二人の間には気まずさが残っていた。


「ん、どうした?」

真人もそういいつつ、灯の方をまっすぐ見ることができない。


「その、阪野浦先生がね、放課後、職員室まで来いって」

「先生が?」

 真人は、少しどきりとして、前を向く。


「お? 何? 真人しぃー、なんかやらかしたの?」

 タクミの目がまた輝く。こういうことに首をつっこむのは、彼の十八番だ。

「はい。アンタは黙って行くー!」

 灯は、そのままタクミの背中を押して、先に行ってしまった。


 何だ? 昨日の事件のことか? 先生も、昨日の事件は覚えていないはずだ。まさか、あの少女に出会ったことを聞かれるはずは……。


 もし、先生があの事件を覚えていたとして、俺はなんと言うべきなんだろう。あの少女のことを、言うべきだろうか。言ったとして、信じてもらえるだろうか。


 いや、言うべきではない。僕が伝えた情報のせいで、彼女の命が奪われてしまうかもしれない。彼女のことは、自分の胸の奥にしまっておかなければならない。多分、これから一生。


 真人は、やり場の無いもやもやとした気持ちを抱きながら、屋上を後にした。


 真っ青な青空に輝く太陽が眩しかった。


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