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第七話「亡霊のように」



 真人は、少女の透き通った緑色の瞳と見つめ合った。その数秒間が、千年はおろか、永遠にすら感じられた。

 噴水の水は、止まることなく、しかしゆっくりと流れ、下ってゆく。上から照らされた、緩やかな光に照らされ、その水はきらきらと輝いていた。


 前時代盛んに行われていた脳科学の研究によれば、人間の脳は、新しい体験をすればするほど、その体感時間が長くなるらしい。人生初のレトロゲームをプレイし、ピースキーパーの目を盗んでキャニオンに突入し、空から白い少女が降ってきて、そして、その少女にはデュアルコアがなかった。今日だけで、真人の脳は、どれ程新しい体験をしただろう。


 しかし、真人には、ただその瞳に自分を引き寄せる魔物が住んでいるだけのような気がしてならなかった。魂を掴み、抜き取ってしまうのではないかと思えるくらい、その目には力があった。


「……げ……ろ」

 永遠に続くかと思われた数秒間の後、少女が口を開いた。

「……え?」

 ふと見ると、少女の目は、その力を失い、虚ろになっていた。

「……逃げ……ろ。奴らが来る……前に……早く……」

 そういうと、少女は目を閉じ、がくんと首の力が抜けて、また気を失った。彼女の頭からは、一筋の血が流れ、その白い髪と肌を汚す。白に深紅の血が滲んでゆく。


 しまった、さっき、頭を打っていたのか——。

 真人は、とっさに少女の頭を抱きかかえる。

 彼女は、逃げろと言った。奴らとは誰だ。テロリストのことか。それとも——。


 とにかく、この子放っておくことはできない。今すぐ、どこか安全な場所へいって、手当をしなければいけない。真人の本能がそう告げていた。安全な場所なんてあるか? この状況で。考えろ。どこかこの子を手当する場所が——。


 あった。


 真人の脳裏に、数分前の記憶がよみがえる。通路を走る前、キャニオンの見取り図が掲げられていた壁の、反対側にあったのは。


 管制室。


 今、キャニオンの電脳は、完全にピースキーパーのアミーダ操作によって制御されている。アミーダで操作できない旧式の管制室は利用する理由がない。ピースキーパーの捜索範囲からも、無意識に外れているはずだ。

 しかも、そこへ繋がる通路は、さっきシャッターが落ちて封鎖されたばかりだ。真人の「呪い」をもってすれば、いとも簡単に突破できる包囲網だが、それを知らない相手に対しては、絶好の時間稼ぎになる。


 真人は、ぐったりとした少女を、いわばお姫様抱っこのように抱えて、立ち上がった。少女は、見た目も小柄だが、このまま手を離せば、浮かんでしまうのではないかというくらい軽かった。

 ごめん、灯、目の前でこの子を見捨てることはできない。真人は、心の中で、灯に謝り、少女を抱えて、もと来た道へと走った。少女を抱えたまま、口で右手のグローブを外し、シャッターに手を当てる。すぐに、人が一人通れる程の穴があいた。


 真人は、その穴を抜け、少女を抱えて管制室目指して走った。




 管制室の扉は、予想通り、開けられた痕跡はなかった。真人が鍵穴に右手を当てると、鍵穴の金属は溶けて、音も無く扉が開いた。

 部屋の中は、普段あまり使われていないのか、がらんとしていて、奥の方にある管制パネル以外には、何も無かった。この部屋は非常用電源で動いているらしく、薄暗い部屋の中で、パネルの液晶から青い画面が不気味に光っていた。旧式の端末は、アミーダを介して操作できない為、ピースキーパーも電源を落とす術はないようだ。こういう時に、旧式のものは何かと役に立つ。


 真人は、ドアをそっと閉め、抱きかかえていた少女をゆっくり床に寝かせた。まずは、この子の治療だ。少女の白い髪は、さっきよりも多くの部分が赤い血で染まっていた。急がなければならない。

「本当はやりたくないんだけど。ごめんよ」

 これしか、方法がないのだ。そう思いながら、真人は、そっとグローブを外していた右手で、少女の頭に触れた。


 真人の手が、少女の頭に触れたその瞬間、血に赤く染まっていた髪は、元のように白くなった。その肌にも、血の跡はなくなり、元の透き通った白い肌になった。少女の頭からは、もう出血はない。


 ふぅ、と真人は息をつき、左手で額の汗を拭った。どうやら、ひとまず成功したみたいだ。この「呪い」も、たまには役に立つ。そう思いながら、真人はまたグローブをはめた。今度はぬかりはない。


 数秒後、少女はそっとその長い睫毛でおおわれた瞼を持ち上げ、目を覚ました。3回、まばたきをしてから、少女は辺りを見回す。そして、真人をその緑色の瞳で、じっと見つめる。


「……誰だ、キミは」

 少女は、その幼い顔と比べると、違和感の残る、落ち着いた大人びた声でそういった。


 やっぱりこうなっちまったか……。真人は、左手で顔を覆い、落胆の表情を見せる。こうなるっていうのは分かってはいたが、人の記憶に干渉してしまうのは、いつやっても、いい気はしない。


「覚えてないとは思うけど、君はキャニオンの最上階から、飛び降りたんだよ。そして、僕が助けた」

 真人は左手の人差し指で、自分の鼻を指し示す。自分から、あなたを助けましたよと言うのは気が進まないが、事実なのだから仕方がない。まずは状況を把握してもらうことが先決だ。


「ふむ、キミが、助けた……私を」

 これは、「呪い」の副作用なのだ。 やはり、「呪い」は「呪い」でしかない。さっきの出来事を、彼女は覚えてはいない。

「君は覚えていないかもしれないけれど、今、この建物にはテロリストが——」

「ああ、その話はいい。もう状況は把握した。助かった。礼を言うぞ、少年」

 少女が、やれやれという感じに、右手を軽く振る。

「え?」

 まだ何も説明してないけど?

「大方、私はまた追われていたのだろう? ならば、まずはやらなければならないことがある」

 少女は、そういって立ち上がった。


 ばさっ。

 そのはずみで、さっき、真人の「呪い」でほつれてしまった、あの装束がはだけた。

「あっ」

 真人は思わず声を漏らす。

 少女の白く透き通った肌が、露になる。その小柄な体は、今にも指でつついただけで崩れてしまいそうに華奢だった。細い足、くびれたウエスト、そして、ふくらみかけの胸を、水色のシンプルな下着が覆っていた。全身真っ白な少女の体に、その水色の下着だけが浮き出ているように見えた。


「わっ、ちょ、君、待っ……」

 真人は、思わず叫び、とっさに顔をそむける。

「しっ、黙って」

 少女が、そのままの格好で真人につめより、左手で肩をつかんで、顔を1cmほどまで近づける。右手で人差し指を指して、静かに、のポーズ。

 少女の気迫に押されて、真人は上半身を少しのけぞらせ、石のように固まってしまった。少女は自分の格好を気にもせず、真人をその左手で押しのけ、部屋の奥へと進み、管制パネルを物色し始めた。


「ふむ、旧式の管制パネルか。このまま使えそうだな。この様子だと、アミーダは制限されて使えないのだろう? ここを避難場所に選ぶとは、なかなかやるじゃないか、少年」

 少年って、お前俺より年下だろう。と真人は一瞬思ったが、少女の下着姿を目の当たりにした真人は、それどころじゃなかった。まだ、心臓がバクバクいっている。


 いや、しかし。真人は思い出す。この子には、聞かなければならないことが、たくさんある。少女は何から逃げていたのか、一体何者なのか、今彼女は何をしようとしているのか。


 そして、なぜデュアルコアが、彼女の額にないのか——。


「ちょっと君、なぜ——」

「黙って。今、おしゃべりに付き合っている暇はない」

 真人の質問は、口に出す前から、その一言で却下される。

 そんなこと言われても、こっちは何がなんだか。という真人の不満をよそに、少女はパネルを操作し始めた。青い画面に、白い記号の羅列が表示される。旧式のコンピューター言語だ。


 次の瞬間、真人の目は少女に釘付けになった。

 目にも止まらぬ早さで、彼女の指がパネルの上で踊り狂った。正面にある、三つの青い画面に、白い記号が、下から上へ、まるで洪水のように流れては、消える。暗い室内に、少女がたたく、物理的に存在するそのタッチパネルの音だけが切れ目なく響く。


 真人は、岡田という一流のハッカーを友人に持ち、そしてレトロゲーのスティックを自由自在に操る、あの黒帽子の男を目の当たりにしたばかりだ。だが、この少女の操作スピードは、見ただけで彼らを軽く上回ることが分かった。上には上がいるものだ。と、真人はあきれた。


 わずか数十秒後、ピコン、という電子音と共に、画面の文字の流れが止まった。少女も手を止め、静かにその両手を降ろす。

「よし。とりあえずの安全は確保した」

 真人が少女の腕前に感心して、呆然としている間に、少女の仕事は終わったようだ。画面は、もとの青一色に戻っている。


「え?」

 真人は、一回ぎゅっと目をつぶり、少女の方を見つめた。

「安全を確保したって、今、何をしたんだ、一体?」

 真人の驚きの声に、少女がゆっくりと振り向く。

「ああ、今しがた、ピースキーパー全員のコアに、私がこの建物の外に逃げたとの、偽の情報を埋め込んだ。奴らはもうすぐここから撤退するだろう。これで、しばらく奴らが私を追ってくることは無い」

 少女は、はだけた装束を直しながら断言した。良かった。一応、恥じらいというものはあるようだ。

 

 って、そうじゃない。


「今何て言った? コアに偽の情報を埋め込んだ、って、そんなことが、可能なのか? しかもそんな旧式の管制パネルで」

 真人の頭は、提示された情報を処理しきれない。

「なんだ。そんなことも知らないのか。記憶を埋め込むなんて、簡単なこと。今、君が見た通り。この世界では、日常的に行われていることさ」

 少女の方は、至って落ち着いていた。

「……見た通り、と言われても、早すぎて何がなんだか」

 できるのか? そんなことが本当に? 日常的に行われている?


 いや、それより、さっきこの子は何ていった?

「待ってくれ。今、君は、『私を追ってくることはない』って言ったんだよな?」

「そうだ。ピースキーパーが追っているのは、私だ」

 少女は断言した。


 ということはつまり。


「……君が、その……テロリスト、なのか……?」

 目の前の、小さな女の子が、テロリスト? そんなことあるはずがない。

「……表向きには、そうなってるみたいだな。私は、別に何をしたわけでも、しようとしたわけでもないのだが」

 少女が、少し遠い目をする。

 真人は、驚愕した。こんな、小さな女の子が、ピースキーパーがあれだけの武装をして追いかけている相手だっていうのか? 

「信じられないようだな、少年。まぁ無理もない。私も、全ての状況が掴めているわけではないからな。だが安心しろ。ピースキーパーは、私以外に危害を加えるつもりはない。君の想い人も無事だ」

 

 はっ、そうだ。真人は我に返る。灯は無事だろうか? 今まで目の前の謎の少女のことで頭が一杯だったが、元々灯を助けに来たのだ。灯は今どこにいる? でもピースキーパーがこの少女の言う通りこの建物から撤退するのであれば灯に危険が及ぶことも——


 そこまで、一気に加速した思考を巡らせた後、真人は気がついた。


 待て、今、何かとんでもないことを聞いた気が——。


「お、お、お前、い、今なんて言った?」

 真人は、震える右手で、少女を指差しながらいった。

「ん? 何のことだ? 私がテロリストということか? まぁ信じられないかもしれないが——」

「違う。それじゃない。その後だ。そ、そ、その俺の……だな……」

 真人は言葉をはぐらかす。

「ん? ああ。君の想い人のことか。大丈夫。彼女は無事だ。奴らのログに一般市民を保護したとあったからな」

「お、おま、一体誰のことを…………」


 想い人っていうことはつまり——。


「なんだ、自覚がないのか。全く、甲斐性がない男は嫌われるぞ、少年。いくら、閉じ込められたお姫様を助けるナイトを気どったって、想いを伝えなければ意味が無いからな」

 少女の辛辣な言葉は、真人の胸に突き刺さる。コイツ、俺の頭ン中を……。

「お、お前、覗いたのか、俺のコアを……」

 真人は、少し後ずさりする。自分でも、頬がひきつっているのが分かった。


「ああ、ついでにな。 まぁ、悪く思わないでくれよ、少年。 私にも、自分の置かれている状況を知る必要があったのだ。 しかし、君の頭の中といったら、その鮎川という少女のことばかり——」

「あああああっ、やめろっ、やめてくれっッッ、人の思考を勝手に読むんじゃねぇよテメェ! だぁ、もうっっっッ!!」

 真人はそう叫んで、両手で耳を抑えた。自分にも分かってないってぇのに。自分の中の不明瞭な感情を人に指摘されるほど恥ずかしいことはない。


「そうはいうけどな、少年。感情は言葉にしないと伝わらないぞ」

「うっせぇ黙れよオマエ! 人の頭ン中勝手に覗きやがって! 趣味悪ィぞ!!」

 真人は感情を爆発させる。

「落ち着け、少年。キャラが崩壊してるぞ。……まぁいいか。どっちみち、彼女の方も、水着を脱がせるような変態男は願い下げだろうしな」

 少女が、ためいき混じりにいう。

「おま……そ、それは、違う! あれは事故だって! 別に脱がせようとしたわけじゃ……」

 真人は、とっさに弁解する。


「……ほぅ?」

 少女は、面白い、という風ににやりと笑った。

「それは、自分の能力を利用して、このいたいけな少女の服を脱がせようとした変態の言えることなのかい?」

 ぎくり。真人は、今まであえて触れて来なかった話題になり、顔がひきつる。やっぱり、てか、当たり前だけど、気づいていやがった。

「い、いや、それも違うって! 俺はお前を——」


 助けようとして——。真人は、そこまで言いかけて、言葉を止めた。少女が、はだけた服を両手で抑えながら、その力のある瞳で、きっっ、とこっちを睨んでいる。言い訳をしたら、殺されかれないという危機感。やっぱコイツ、危険だ。

「…………すみませんでした」

 真人は、そういってがっくりと肩を落とした。ちくしょう。やっぱりついてねぇ……。


 ピリリリリリリ。


 突然、部屋の中に電子音が響いた。聞き慣れた音。アミーダの通信着信音だ。

「ほう。もう包囲網が解かれたか。行動が早いな」

 少女が関心してつぶやく。


 真人は、とっさに左手を広げ、アミーダのウィンドウを表示する。<<DISCONNECTED>>の表示はなく、緑色のウィンドウには、発信者の名前が表示されていた。


 鮎川灯。


 灯……? 無事だったのか。 真人は、「通話」のボタンをクリックした。

「……真人? 真人なの? 今どこなの? 大丈夫?」

 いつもの灯の声だ。真人は、ほっとする。

「ああ、俺は大丈夫だ。そっちこそ、大丈夫か? 今、どこにいる?」

「……よかったぁ。真人のマップ表示が、キャニオンの中だったから、心配したんだよ。 私は、大丈夫。一事は、真っ暗になっちゃって、どうしようかと思ったけど……」

 良かった。灯は無事みたいだ。真人は、胸をなでおろした。


「……おい? 麻野なのか? 無事か? 今どこにいる?」

 アミーダから、聞き慣れた、ハキハキとした声が聞こえてきた。

「先生?」

 アミーダの複数同時回線から聞こえてきたのは、阪野浦先生の声だった。なぜ先生がここに……。


「真人? 聞こえる? あのね、先生も、たまたま私の近くに閉じ込められてて、動けなかった私を助けてくれたの」

 灯の声がする。そうだったのか。先生が灯の側にいるなら、安心だ。よかった。

「おい、麻野、聞いてるか? 鮎川くんのことなら心配ない。今、私と一緒に屋外へ避難したところだ。君の方は、大丈夫なのか? まだキャニオン内部にいるみたいだが……」

「は、はい。大丈夫です。……さっき、ピースキーパーの方たちに、保護して頂いて」

  真人はちらりと横目で少女の方を見た。ここで、この少女と出会ったことを、言ってしまったら、厄介なことになる。

「そうか。それなら、安心だな。どうやら、事態は収集されたみたいだが、くれぐれも、ピースキーパーの指示に従うんだぞ。いいな?」

「は、はい。分かりました。ありがとうございます、先生」

 まったく、生徒のことをここまで心配してくれる教師など、そうはいない。


「真人」

 灯の声がまた聞こえてきた。

「今日は、付き合わせちゃってごめんね。こんなことになっちゃって……」

 か細い声が聞こえる。そうじゃないだろ。真人の心は、きゅっと、締め付けられる。

「…………お前のせいじゃないだろ。こっちこそ、悪かったな。一人にしちゃって。無事で、よかった。ほんとに……」

「…………うん」

  灯の声には、力がなかった。どうしていつもお前は、人のことばかり。ちょっとは自分のことを気にしろよ。と、真人はやきもきする。


「はいはい。お前ら。いちゃいちゃするのはそこまで。麻野、そういうことだから、今日は帰ってゆっくり休めよ? いいな?」

 阪野浦先生は、そういうと、一方的に通信を切った。まったく、この人もこんなことがあったのに、いつもと変わらない。


「青春だねぇ……」

 少女が、袖口で口を隠しながら、ふふふと笑った。目がニヤついている。

「ち、違ぇよ!」

 まったく、コイツはコイツで、腹が立つ。


「ふふふ、まぁいい。これで奴らが追っていたのは私だと分かってもらえたかな、少年?」

 確かに、そうだ。この少女が言った通り、ピースキーパーの包囲網は解かれ、灯も無事だった。偶然にしてはできすぎているし、何より、俺に自分がテロリストだと嘘をつく理由はどこにもない。


「確かにな。でも、分からないな。さっきお前は、何もしたわけじゃない、って言っただろ? それなら、なんでピースキーパーは、あんな武装をしてまで、お前を追っているんだ?」

 そうだ。 なぜ、ピースキーパーは、警戒レベル2などと、嘘の情報を流してまで、利用客を隔離しようとしたのだろう。なぜ、彼らは、あそこまでの大人数で、しかもあんなゴツい武装をして、こんな少女一人を追い回す必要があるのか。


 少女は、横目で真人の方を見た。暗闇に鈍く光る緑色の瞳に、真人は一瞬どきっとする。

「それは………」

 少女は、そういって口をつぐんだ。真人も、ごくりと唾を飲み込む。二人の間に、重い沈黙が流れる。暗い室内の中に、管制パネルのコンピューターの鈍い機械音だけが静かに響いていた。


 少女は、また真人に視線を投げた。視線に押された真人は、少し身を引く。

「…………私は、いちゃいけない存在だから」

 少女は、微かな声でそういって、真人から視線を外した。

「いちゃいけない存在?」

 ますます、理解ができない。

「……キミも見たのだろう? 私の額を」

 少女がいう。


 見た。

 真人は、先ほどの戦慄を思い出した。そうだ。この子には、デュアルコアがない。でも、だからといって追い回す理由にはならない。

「分かんないな。コアがないのには驚いたけど、だからってなんで追い回されなきゃいけないんだ? 悪い奴を捕まえるのが、ピースキーパーの役目だろ?」

 真人は、混乱する。

「そうさ。悪い奴を捕まえるのが、奴らの役目。よく考えろ、少年。ネオが造り出した秩序に反する者は、みな『悪い奴』だ。例えば、私のように——」


 少女はそういって、右手で前髪をかき上げた。青白い髪の毛の間から、額の白い肌が覗く。何度見ても、そこには赤いひし形のマークはなかった。

「コアがないとか、ってことか」

 真人は、そういいながら、無意識に自分の額をおさえた。自分には、コアが、ある。


「その通りだ。デュアルコアを持たない人間なんて、存在するはずがない。しちゃいけないんだよ。もしそんなものが存在すれば、新世界の秩序に真っ向から対立することになる」

 確かにそうだ。ナグナロク以降、コアを持たない人間は文字通り一人もいなくなった。コアにより人間は管理され、平和は維持され、人はその利益を享受している。そうやって、世界は回っている。

 

「私は、世界にとっての脅威なのだよ。コアがなければ生きられない、という全人類の信仰を、ぶち壊してしまうからね」

 コアがなければ生きられない、という信仰。確かにあった。コアが無ければ何もできない。何を買うにも、どこに行くにも。コアがなければ、生きてゆくのは不可能だ。と、と思っていた。 

「そう、だけど。でも、お前はいるじゃないか、俺の目の前に」

 そうだ。現実に、目の前に、確かにいる。コアを持たない人間が。それは紛れもない事実だ。


「その通りだ。私はこの世界に、存在してはいけない存在。しかし、私は現にここにいる。そして、私の存在は、人々を脅かす。そう。まるで、亡霊のように」

「亡霊の……ように」

 真人は、もう一度彼女を見た。青白い髪、白い装束、白すぎる肌。彼女は全身に、その亡霊のラベルを貼られているようだった。

「そうだ。この新世界に、亡霊なんて、そんなものはいらない。だから奴らは、私を全力で探している。脅威を、闇に葬るために。私の存在が、世界に知れてしまう前に」


「……つまり奴らは、お前を殺そうとしているってことか」

「そうだ」

 少女は、そう断言した。


 真人は、混乱していた。少女の言うことには、一理ある。でも、世界を真っ向から覆す少女の言葉を、信じきれない自分もいた。こんな小さな女の子を、殺そうとしているだって? デュアルコアがない。たったそれだけの理由で? 世界の脅威? 本当に、そうなのか? コアがなくても生きていけるなら、それで構わないのではないか? 


 この世界は、一体何なんだ——?


 真人の頭の中には、疑問と葛藤が、浮き出ては消え、彼を深い穴の中へ落し入れていた。価値観という防壁が、真人のなかで音をたてて崩れてゆく。


 しかし、明らかな疑問がひとつあった。真人はそれを聞かずにはいられなかった。


「……そもそもお前は、なんでコアがないんだ? 事故か? コアの挿入が上手くいかなかったとか? 自分の意思、なんてものでは拒否できないだろうし。一体、なぜなんだ?」

 そうだ。そもそも、なぜこの少女は、コアを持っていないのだろう。それが、今、一番の大きな謎だった。


 少女は、それを聞くと、少し悲しそうな顔をした。透き通った緑の瞳が、かすかに濁る。


 少しの沈黙の後、少女は口を開いた。


「……キミは、自分が生まれた時のことを覚えているのか?」


 真人は、それを聞き、はっとした。そうだ。俺も、覚えてはいない。いつ、自分にコアが埋め込まれたのか。知りさえしない。なぜ、自分がコアを持っているのか。真人は、自分の愚かさを呪いたかった。

「私は、なぜ自分にコアがないのか知らない。物心ついた時には、私にはコアがなかった。理由は、分からない。自分がどこの誰なのかも、知らない」

 自分が誰か、分からない。もし、自分がそうだったら、どうしていただろう。


「でも、だったら、今までコア無しで、どうやって生きてきたんだ?」

 そうだ。コアがなければ、この世界では、何も買えないし、何もできない

「……分からない。ただ、必死に生きてきた。どうやってきたのか、はっきりとは覚えてはいない 。自分がなぜ歩けるようになったか、誰も覚えていないように。気づいた時には、私は一人だった。コアがない人間は、私だけ。そして、世界中が、私の敵だった」


 真人は、馬鹿げたことを言ってしまった自分を激しく責めた。当たり前だ。どうやったかなんて問題じゃない。今、この少女は、確かに生きている。コアが無くても。


 真人は、どう反応していいか分からなかった。この少女に、何と言えばいいのだろう。自分に、何か言う資格など、あるのだろうか。


 二人の間に、また沈黙が流れた。


 たっぷり数秒間、張り裂けそうな空気の後、少女が口を開いた。

「……なぁ、少年。キミには、この世界は何色に見える?」

 重い沈黙をやぶり、少女が尋ねた。


「何色って…………水色?」

 真人の脳裏に、さっきの少女の下着姿が浮かぶ。いやいや、そんなこと考えてる時じゃないだろ。と、真人はあわてて頭を振り、そのイメージをかき消した。


「……変態」

 少女は、またその鋭い目で、真人を睨んだ。

「……ごめんなさい」

 今度ばかりは、俺が悪い。真人は、素直に謝った。


「……私には、分からない。この世界が、何なのか。私がなぜ、生きているのか。この世界で、私は生きるべきなのかさえ……。私には、全てが灰色に見える」

 少女はいった。


 気づいた時、ひとりぼっちで、しかも世界中が自分の命を狙っている。真人には、その状況を、想像すらできなかった。この少女は、今まで何を見、何を感じてきたのだろう。どれだけの絶望を味わい、苦悩してきたのだろう。


「……なんか、ごめん」

 真人は、そうつぶやくのが精一杯だった。


「別にいい。……ま、少し込み入った話をしてしまったな。すまなかった、少年。少し感傷的になりすぎた」

 違う。感傷的だったのは、自分だ。と、真人の心は痛む。


「今話したことは、忘れてくれ、少年。……とはいっても、どうやっても、すぐに忘れてしまうだろうがな」

「忘れてしまう、って……?」

「文字通りの意味だ。奴らとしては、私の存在が、知られることが一番怖い。尚かつ、エリア内の治安も維持しなければならない。この騒ぎ自体が、あってはならないんだ。とすれば、やることは一つ」


 まさか。真人は、さっき少女が言ったことを思い出していた。

「奴らは、この場にいた人全員のコアの記憶情報を操作して、この騒ぎそのものを、なかったことにする。とはいっても、大人数の記憶を完全に書き換えるとなると、大変な手間だ。おそらく、電気系統の不具合による、一時的な停電、ということになるだろう」


 記憶の書き換え。

 この世界では、日常的に行われている、と少女は言った。もし、本当にそうなら、俺たちが見ている世界は全て虚構ということなのか。

「嘘……だろ? そ、そんなこと、出来るはずがない。いや、出来ても、許されるはずがない。そんな、人の記憶を勝手に操作するなんて!」

 真人は、処理しきれない感情を、少女にぶつける。

「嘘かどうかは、後になれば分かるさ。と、いってもキミの記憶も、しばらくしたら、書き換えられてしまうだろうがね」


 そんなことって、あるのか……。

 もしそうなら、この世界の平和は、平和なんかじゃない。問題が、見えていないだけ、聞こえていないだけ、なのか。


「少し話が過ぎたようだな。私はもう行く。危ないところを助けてくれて、感謝しているぞ、少年」

 そういって少女は、真人の肩に、ぽん、と手をおいた。真人の肩に、頭がやっと届くくらいのその小柄な少女は、そのまま真人を後にして、出口の方へと向かった。

 真人は、呆然としたまま、そこに立ち尽くした。


「待てよ……行くって、どこに行くんだ? 行くあてなんて、あるのかよ」

 真人は、少女に背を向けたまま、少し声を荒げて尋ねた。

 少女は足を止める。そして、振り返っていった。

「……キミには関係ないだろう。もう、会うこともないだろうし」


「……お前、これからどうするんだよ?」

 真人は唇を噛んだ。もう会うことはない。多分、そうだろう。それでも、放っておけるわけないじゃないか。

「分からない。ただ、さまようだけさ。亡霊のように。誰にも気づかれず、どこへ行くかも知らず」

 少女は、平坦な、無感情な声でそういった。まるで、声からも、魂が抜けてしまっているようだった。


「それじゃあな、少年。助かったぞ」

 少女は、そのまま扉を開けて、立ち去ろうとした。

 真人は、振り向いて少女を見た。通路の方で復旧した明かりが、少女の姿を後ろから照らし、少女の小さな姿は暗く見えた。


 こんな小さな子が、世界に追いつめられながら、生きている。たった一人で。そんなの、絶対に間違っている。


「……お前、このまま、ずっとそうやって生きていくつもりなのかよ。世界から隠れて、逃げ回って。亡霊みたいに、さまよって。 お前はそれでいいのかよ。ずっとそのままで、満足なのかよ」

 真人は、静かに、ゆっくりと少女の後ろ姿に語りかけた。燃え上がって来る怒りの感情のやり場も分からずに、真人の心は張り裂けそうだった。


「……従うしかない。それが私の、運命ならば」


 少女は、静かに、そう言い残し、音も無く、そこを立ち去った。


 従うしかないのか。本当に。彼女はこれからも、命を狙われ続けるのか。コアがない。ただ、それだけの理由で。この世界は一体なんなんだ。俺が今まで信じて、頼ってきたものは、一体何だったんだ——。


 真人は、その場から動けずにいた。どす黒い感情が、真人の腹の奥底を動き回っていた。


 暗い室内に、ただずっと、管制パネルの鈍い機械音が響いていた。


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