第六話「白い少女」
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カンカンカンカンカン。
非常階段を駆け上がる乾いた金属音が、暗闇の中に響く。真人は、全速力でその錆び付いた階段を駆け上がっていた。はぁ、はぁ、と息がだんだん荒くなって来る。普段運動をしない真人にとって、この階段は楽なものではなかった。
どうしても必要な時に、自分の出せる限りの力を尽くせ。あの帽子の男に言われた言葉が脳内でリピートされる。ちくしょう。今全力出さなきゃ、いつ出すんだよ。そうつぶやくと、真人は止まりかけた足で力をふりしぼり、思い切り階段を蹴った。カツン、とかん高い鉄の音がする。
走りながら、真人は左手を広げて、アミーダの画面を呼び出した。表示された緑色のウインドウには、予想通り、<<DISCONNECTED>>の赤い文字が浮かび上がる。やっぱりだ。キャニオンの中では、何かが起こっている。一般人に隠さなければいけないほどの、何かが。
待ってろ灯。必ず、助けに行く。
真人は、心の中でそう誓った。
必死の思いで階段を数階分駆け上がると、キャニオン内部に続く分厚い扉があった。当然のごとく、鍵がかけられていたが、真人が手を当てると、その扉は音もなく溶けてしまった。
キャニオンの内部の電気は落とされ、中は薄暗くなっていた。通路の奥には、ほのかに光が見える。中央の噴水エリアから漏れる光だ。
扉のすぐ脇には、管制室があった。今時、こんなものがあるのは珍しいな。そう思いながら、真人はその反対側の壁に設置してあった地図を確認した。<<YOU ARE HERE>>の赤い矢印は、歯車状の地図の、右下、南東のエリアにあった。さっき、アミーダで確認した、灯のいるはずの赤い点滅は、右上、北西エリアだ。そこに行くには、中央の噴水エリアを突っ切って行くのが、一番早い。
真人は、目の前の通路を、その光の方向、中央の噴水へとダッシュした。まるで、その光に吸い寄せられるかのように。その全身を空中にぶつけて走った。
頼む、灯、無事でいてくれ。
そう強く願いながら、真人は噴水のある、丸い形の広場へ飛び出そうとした。そして、その直前で、踏みとどまった。
左の方から、何かが来る。真人は、とっさに、ショーウインドウと柱のくぼみに、身体を隠した。
ざっざっざっざっざっざっ。
聞き覚えのある、規則正しい足音が聞こえる。ピースキーパーだ。
関係ない一般人が入り込んでいると分かれば、即座にここから閉め出されてしまうことは間違いない。ここは、彼らから身を隠すしかない。
ピースキーパーたちは、黒い防護服に身を包んでいた。皆、手の先から足の先まで、黒光りしたスーツで覆われている。全員、黒くて、頑丈そうなヘルメットをかぶり、 各人の背中には、かなりの大きさの銃が下げられている。 改めて見ると、警戒レベル2には、明らかにやり過ぎな装備だと、ハッキリ分かる。やはり、何か重大な事件が起きていることは、間違いない。
「おい、状況を報告しろ!」
反対方向から走ってきた、おそらく上官らしき男が叫んだ。他の部隊より、さらにゴツい武装をしている。
「はっ。只今、北西エリアの封鎖が完了したところであります!」
一団の中の一人が敬礼をしながら叫ぶ。
「何ィ! まだ奴ァ見つからないのか! 何をモタモタしている! いいか! 必ず、奴ォ探し出すンだ! 必ずだ! 何としても探しだせィ!!」
上官の男がつばを撒き散らしながら怒鳴った。
「はっっっ!」
ピースキーパーたちは、一斉にそう叫ぶと、また隊列を組んで、今度は北東のエリアへと走って行った。上官も、一団とは別の方向へと走っていった。
奴。探し出せ。どうやら、彼らは、誰かを探しているらしい。それは、情報の通り、危険なテロリストなのか、それとも——。
いや、考えている暇はない。真人は、そう思い直した。今は、一刻も早く、灯を助け出しに行かなければならない。何としてでも。
真人は、ピースキーパーが、まだ噴水エリアに残っていないか、壁のくぼみから、辺りを見渡した。唯一中央のこのエリアだけが、天井のガラスから入って来る日の光で、視界が開けている。人影はない。よし、今ならいける。
真人は、一気に、中央へ飛び出した。
がっっっしゃああああああん! がっっっっしゃあああああん!! がっっっっしゃあああああああんん!!!
真人が飛び出した直後、 真人が通ってきた通路の防護シャッターが、轟音と共に閉められた。そして、そこから順番に、音を立てて、すべての通路のシャッターが閉じられていく。
真人は、数秒の間、何が起きているのか分からず、中央にある噴水の脇で、立ちつくした。何だ? 閉じ込められた? 一瞬首筋を冷たい汗が流れる。
いや、関係ない。俺には、この「呪い」がある。シャッターなぞ、簡単に破ることができる。そう思って、一歩踏み出した直後、とある思考が、真人の足を止めた。
このシャッターは、おそらく例のテロリストの行動範囲を限定するものだ。いわば、袋小路に追い込む作戦だ。しかし、そのシャッターを壊してしまえば、テロリストの行動範囲を広げてしまうことになる。そうすれば、灯にさらなる危険が及ぶかもしれない。それだけは、絶対に避けなければいけない。
それに、この「呪い」のことは、出来れば知られたくない。特に、ピースキーパーには。簡単に、この「呪い」を使うわけにはいかない。
どうする。真人は途方に暮れて、その右手を見つめた。このまま、ピースキーパーがシャッターを開けるまでやり過ごすか? いや、でも灯はどうなる? 何もできずに、ただここに留まるしかないのか?
その時、真人の視界を、ちらっと影がよぎった。しかし、辺りを見回しても、誰もいない。
視線を降ろすと、その影はあった。真人の影に重なるように、一つ。薄い影が、天井の光の中で揺れていた。
上を見上げると、その正体はすぐに分かった。天井まで吹き抜けになっている空間の、一番上、最上階に、小さな人影があった。それが誰なのか、遠くてよく分からないが、その人影は、全身白で覆われていて、ピースキーパーの真っ黒い防護服でないことは、ハッキリ分かった。天井からの光がまぶしく、真人は目を細め、右手をかざした。指と指の間から見えるその人影は、小さかった。
女……の子?
真人がそう思った瞬間、その人影は、最上階の壁から身を乗り出した。
おいまさか。待て。そこは5階だぞ——。
真人がそう思うや否や、その白い人は、そこから、勢いよく、大の字に手足を伸ばして飛び降りた。
全身白い衣で覆われたその人は、天井から照らし出される光を浴びて、まるで白い蝶のように見えた。
真人は、その白い人を見つめた。白の中に、一点だけ違う輝きを、真人は認めた。その人の瞳は、透き通った緑色で、まるでエメラルドのようだった。白の中に輝くその美しい宝石のような色の目に、真人は吸い込まれてしまいそうだった。目と目が、黙って意思を交換し合う。
時間が、止まったように感じた。
しかし、その人と真人の距離は、どんどん近くなる。蝶とは違い、人の身体は、この時代になっても、重力には逆らえない。
あわてて、真人は両手を伸ばす。
どぉおおおおん。
鈍い音と共に、その白い人は真人に激突した。激しい痛みが、真人の全身を襲う。痛い。しかし、真人が下敷きになり、クッションになったためか、奇跡的に、お互い大きなケガはしていないようだった。
落ちてきたのは、真人が遠くから見た通り、一人の少女だった。激突の衝撃でか、気を失って、ぐったりとしている。年齢は、真人よりいくらか若いだろうか。まだ、顔にあどけなさが残っている。
耳が隠れるくらいの短い髪の毛は、青みがかかった白、すっと通った鼻筋、肌はまるで日光を知らないかのごとく、透き通った奇麗な白。黒くて長い睫毛が、肌とのコントラストで浮き出ている。
少女の小さい身体は、全身白く、上からしたまでつながっている、見たことのない様式の服につつまれていた。その服、というより装束は、濃い白で、手と足の袖口が広く広がっており、腰の辺りを黒い帯で締めてあった。
どこのエリアの人だろう。見たことのない瞳の色と、その装束は、まるで真人をこの世界から連れ出してしまいそうな、そんな魔力を持っているような感じがした。
真人がそう思っていると、突然その装束と、その黒い帯は、はぐにゃりと曲がり、形を崩しだした。少女の首元まであった白い襟は、はらりとはだけ、首もとの鎖骨のくぼみが露になった。
しまった、グローブをつけていない——
真人は、慌てて少女を抱えていた両手を離す。服は、かろうじて少女の身体を覆う程度に、形を保った。危ない危ない。真人は、慌ててグローブをつける。
全く、この「呪い」はこういうことがあるから困る。
心の中で、そうつぶやき、もう一度少女を見た。少女は、気がついたのか、んん、と、かすかな声を上げて、首を少し動かした。良かった。意識がある。
少女の前髪が、はらりと流れ、その額が現れた。そして、真人の目線は、その一点に吸い込まれた。
コアが……ない?
少女の額には、デュアルコアがなかった。
そこにあるはずのひし形のマークは、少女の額にはなかった。 青白い髪の毛の間から覗いているのは、ただ透き通る白い肌だけだった。
慌てて、真人は右手で、自分の額を確認する。爪のようにつるりとした感触が、グローブ越しに真人の指に伝わる。ある。デュアルコアは、しっかり、真人の額に、ある。
真人は、もう一度、少女の額を見た。ない。何度見ても、少女の額には、そこにあるべきの、赤い印はなかった。
コアがないなんて……そんなこと、ありえるのか?
デュアルコアは、ナグナロク以降、全人類に装着が義務づけられ、真人たちの世代は、例外なく、生まれた時からデュアルコアが脳内に、アミーダが両手の中に埋め込まれている。今や、その二つがなければ、この世で生活することは、不可能といってもいい。
しかし、実際に、目の前に、デュアルコアを持たない人間が、いる。その少女は、真人のすぐ目の前で、横たわっている。
この子は、一体、何者なんだ?
真人がそう思うやいなや、少女はゆっくりと瞼を開いた。その透き通った薄い緑色の目が、真人を見つめた。その目が放つ鈍い光が、真人の視線を捉えた。
二人は、たっぷり数秒間、そのまま見つめ合った。天井の光が、二人のいる場所を、上から照らしている。噴水の水の音が、静かに響いている。真人は、その緑色の瞳に、飲み込まれてしまうのではないかと思った。
目の前には、白い少女。真人が出会う、デュアルコアを持たない、初めての人間。
真人の日常は、今まさに、壊れようとしていた。




