第二話「ラグナロク」
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旧型強盗事件から数日後、真人はいつも通り学校に向かっていた。真人が通う高校は、彼が一人暮らしをするアパートから、電車で四駅ほどのところにあった。
<<現在時間は7時45分。電車の予定到着時刻まであと15分。駅到着時刻まで10分程の余裕があります>>
真人の脳内で、アミーダの「自動情報システム」がそう告げる。ちょっと早く家を出てしまったかもしれないな。真人はのんびりあくびをしながらそう思った。
アミーダがそう告げたように、イヤになるくらい陽気な朝だった。まだ五月だというのに、日差しで肌が火照っている。大戦以降、地球の気候は大きく変動してしまったらしいが、それにしても暑い。一体何度あるんだこれ。
<< 本日の天気は晴れ。只今の気温は30℃。本日の最高気温は34℃。最低気温は26℃。平均気温は29℃です。明日未明以降まで、気温は下がらないでしょう>>
真人の疑問に呼応し、アミーダがそう告げる。全く、めんどくさい程便利な世の中になっちまったものだ。
「おっはー、マコトー! 今日は暑いねぇ!」
強盗事件のことを考えていた真人は、その声にふと振り返った。今度は、アミーダの情報ではなく、人間の、親友のタクミの声だった。タクミは、チャームポイントのニコニコした笑顔で、手を振っている。がっつり日焼けした肌に、真っ白な歯を出して笑うタクミは、いつも輝いて見えた。
「おっはー、ってお前、いつの時代の言葉だよそれ」
「おっ? マコト知ってんの? さっすが—。俺、昨日『懐古スクエア』で初めて知ったばっかりなのに」
タクミはそういうと、ばんばん真人の背中を叩いた。まったくコイツは、いつも元気がいい。
「お前、また『潜って』たのか? ほどほどにしろよ。ハマる奴がどうなるか知ってるだろ?」
真人は親友を戒める。
アミーダの技術を使い、疑似体験できる、電脳世界。タクミがいう「懐古スクエア」はその電脳世界の中にある。電脳の居心地が良すぎて、ダイブしたまま長時間戻って来ない人もいる。これは、今の時代、数少ない社会問題の一つだ。そのため、電脳世界の利用は16歳未満の子供には基本的に禁じられている。
「分かってるよ。お堅いなー。だけどさ、お前知ってる?」
「何を?」
「最近、懐古スクエアに現れる奴のことだよ。一部の奴らには『賢人』とか呼ばれてる。大戦前のマニアックな情報から、ネオの機密まで、何でも知ってるらしいぜ」
タクミが、目を輝かせていう。全く、コイツはその手の噂に目がない。
「賢人、ってお前、実際会ったのかよ。その『アバター』と」
「ないよ。噂では、じいさんの人型アバターらしいぜ。まさに、賢人って感じだよな。だから、そいつに会えないかな、って思って個々最近毎日潜ってるってわけよ」
実在するかも分からない奴のために、そこまでするなんて、暇なんだなお前、と真人は思った。
「でも、会ってどうするんだよ? ネオの弱みでも握って、出世するつもりか?」
「わお。マコトってばそんな恐れ多いこと考えてるの? いけないねー。俺は、前時代の面白いこととか聞ければ、それで十分さ」
つまり、ただのミーハーか。真人はため息をつく。こいつがそういう噂に踊らされるのはいつものことだが、よく毎度飽きないものだ。
「まぁ確かに、お前はもっと、前時代のこと知った方がいいぜ」
真人はそう言い返す。
「あ、いったなー、このヤロー」
タクミはそういって、拳骨で真人の頭をぐりぐりした。
「痛いよ、痛いって」
真人は笑いながらいった。
平和だな。前時代の人々は、こんな日常を夢見ていたのだろうか。真人には想像もつかなかった。
「マコトはな、後ろ向きなんだよ。もっと未来を見ようぜ。未来を」
そういって、タクミは拳骨をやめない。
「だから痛いって」
平和だ。まったく、今日も。うざったいくらいに。
「おはよー」
目の前の交差点で、一人の少女が手を振っていた。すらりと背が高く、ポニーテルにした長い薄茶色の髪が、制服のベージュとよく似合っている。幼なじみの、鮎川灯だ。
「よーアカリちゃん。おっはー」
タクミが笑顔で手を振る。
「もー、何それ。また新しい口ぐせ?」
灯が笑う。笑った時に目尻に深いしわができるのが、灯の特徴だ。
「と思うじゃん?ところがどっこい。前時代の流行なんだなこれが」
タクミが自慢げに言う。
「違う。前時代より、もっと前のだ」
真人はすかさず訂正する。
「いーんだよ、ナグナロク前は、全部前時代なのー」
と、タクミは半ば強引な理論を展開する。ナグナロクがあったのは、旧暦21世紀半ばだぞ。100年以上前の流行だろ、それ。と、真人は心の中で反論する。
約50年前、世界規模の戦争が起こった。後に終末と名付けられるその大戦は、人類の歴史に大きな爪痕を残した。かつての大国は、戦争による被害で、みな壊滅した。
大戦後、世界は統一され、世界政府ネオが発足し、デュアルコア、アミーダが導入され、世界は新時代へと入った。真人たちは、当然その後の、新しい世代だ。
「でもすごいね、そんなの。どうやって調べたの?」
灯が、素直に感嘆の声を上げる。
「それがさー、昨日たまたま『懐古スクエア』でそういう話題になってさー」
「懐古スクエア、って、電脳の?あんまりハマっちゃだめだよ。あくまで現実はこっち」
灯はそうタクミを戒める。ごもっともだ。
「はいはい、分かってるよ。ちぇー。お姉さんは手厳しいですね」
タクミはそういって、口をとがらせた。
<<目的地に到着しました。電車の到着時刻まで、あと8分です>>
真人の脳内に、アミーダの音声が響く。どうやら、くだらない会話をしているうちに、駅についたようだ。
アミーダの音声は、意図的に、人間「声」というより、「音声」という感じに設定され、人間と機械とのラインをしっかり保っていた。
「あっ、アミーダ、オンにしなきゃ」
改札に来ると、灯は慌てて、額の『コアスイッチ』に右手の人指し指をかざした。
<<指紋を認証しました。アミーダを起動します>>
灯の脳内に、アミーダの音声が響き、起動する。灯の額にあるひし形のコアスイッチが、赤く点滅する。
灯が改札の機械に手をかざすと、<<通学定期です>>との音声と共に、ゲートが開いた。アミーダのマイクロチップは、どの人も生まれた時から、両手の中に埋め込まれている。
ゲートを通ると、灯はまたコアスイッチに指をかざした。<<アミーダを停止します>>という音声と共に、額のコアスイッチの赤い光が消え、アミーダは完全に機能を停止した。
「アカリちゃんって、ほんといっつもアミーダ完全オフモードにしてんのな」
タクミがいう。
「だって、管理されているみたいで、嫌じゃない。いつもオートにしてると」
「んー。俺は、その気持ちはよく分かんないかなー。一々起動させるのも、めんどくさいしサ」
タクミはそういって頭の後ろで腕を組み、首をかしげた。
実のところ、真人はタクミに同意だった。
真人は、自身のアミーダを、全自動にしている。オートモードは、個人が必要だと認識した情報を自動で検索し、提供してくれるシステムだ。しかし、一々うざったい、ただ単に怖い、という感情的な理由でオフにする人もいる。中には、宗教的理由なんてのもある。
アミーダ導入直後は、仕組みをよく知らず、アミーダの情報を、神のお告げと勘違いする人も続出した。
しかし、灯はただ感情的な理由で、それを使わないわけではない。彼女にはそれを使いたがらない、れっきとした訳があった。真人はその「事情」を知っていた。だから、何も言わなかった。
<<電車の到着まであと1分です>>
アミーダの音声がそう告げる。
「ほら、電車来るよ、早く行こうぜ」
タクミがいった。
三人は、電車に乗り、学校へ向かった。 まったく、いつもと変わらない日常。いつものように起きて、タクミと灯に会って、 駅まで歩き、学校に行く。そして、たまに遭遇する「不運」をやりすごす。この前の強盗事件のように。
真人は知らなかった。今日、その日常が一変してしまうことに。




